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寒中水泳に行こう
■オープニング 〜慎霰〜
「――何か面白いもんでもやってンのか?」
噛り付くようにテレビを見ている伍宮・春華の背中に、俺は声をかけた。
(珍しいな)
俺たちは普段、あまりテレビを見ない。それは俺たちの視力がよすぎるため、すぐに疲れてしまうからだ。それにもともとテレビのない時代にいた春華にとって、それはあまり必要のないものであるはずだった。
声をかけられた春華は「んー」と返事をしたが、振り返る気配はない。
近づいて、俺も覗きこむ。テレビには海で楽しそうに泳いでいる(遊んでいる?)人々の姿が映し出されていた。
「ウゲッ」
(もうすぐ冬だぞ……)
テロップには『寒さに負けるな! 寒中水泳大会』という見出しが。一体何を競っているんだろうか。風邪のひきにくさか?
(――いや、それよりも問題は)
チラリと、春華の顔を見る。
「! やっぱり……」
案の定春華は興味津々――を通り越して、参加する気満々の顔をしていた。
「次は海だって、言ったよな?」
ニヤリと笑う。
「水、冷てェんだぜ?」
「でも海は海だ!」
実は春華は、海に行ったことがない。それを知っている俺は、それ以上引きとめる気にはなれなかった。
「……ま、いっか。俺たちは風邪とは無縁だしな」
「俺も行く」という意味をこめて、”俺たち”という言葉を使った。当然春華はそれに気づいて、勢いよく立ち上がる。
「そうと決まれば!」
「やることは1つ……ってか?」
もちろん、おっちゃんを脅すのである。
■初めての大海原 〜春華〜
大声で、『うみ』の唄を口ずさんでいた。
「ヤメロよ恥ずかしい……」
「なんで? いいじゃん!」
初めての海を目の前にして、俺はかなりの上機嫌だ。
(この唄はずっと前から知ってたけど)
海を知らない俺にとってなんの感情もわかない唄だった。本当に広いのか、本当に大きいのか。わからないまま口にしていたのだから。
「海って、ホントに広くてデカイんだな〜。それに気持ちイイ!」
コンクリートの防波堤に仁王立ちして、感動した声をあげる。強く冷たい風も、俺にとっては”海のオプション”でしかなかった。
隣で防波堤に寄りかかって立っている天波・慎霰が、苦笑した声で忠告する。
「だからって飛んだりするなよ」
「わかってるって!」
俺は飛ぶのではなく、その場でぴょんぴょんと跳んだ。跳んだからといってそれ以上遠くを見ることはできないが、それでも海の大きさを実感することはできた。そして空の近さを。
「――春華、そろそろ時間だ。砂浜の方行こうぜ?」
「おう!」
勢いをつけて、防波堤から飛び下りる。散々辺りを見回していたので、砂浜の位置はわかっていた。
(いよいよあの中に入れるんだ)
一体どんな感じなんだろう?
期待に胸を膨らませた俺の足は早い。
「早く早くっ」
「ンな急がなくても海は逃げねェって」
笑いながら、それでも慎霰も走ってくれた。
★
あのあとおっちゃんの部屋を襲撃した俺たちは、寒中水泳大会に出たいとおっちゃんに頼みこんだ。
はじめは「近場なら構わない」と言っていたおっちゃんだったが、調べてみたら近々開催される寒中水泳大会は新潟海岸のヤツしかないことがわかり、顔をしかめる。――そう、旅費の問題があるからだ。
先日山へ行ったばかりなので、おっちゃんの財布の紐は固い。しかし俺も諦めるわけにはいかなかった。
最終手段――脅し、発動。
「おっちゃん! 行かせてくれないなら、俺このアパートを海にしてやるっ」
20階建てのマンションなら、それなりに大きな海――いや、プールができるだろう。
「ああ、それはいい考えだぜ。何しろ海は広くてデカイからな!」
慎霰も加勢してくれた。
そのかいあって、ついにおっちゃんは首を縦に振ったのである。
■いよいよ、スタート 〜慎霰〜
周りがうるさい。それがこの褌のせいだと気づくのに少々時間がかかった。
(そういえば……他のヤツらは褌じゃないな)
俺と春華は当たり前のように褌一丁になったのに。
「漢はやっぱこれだよな!」
春華は他人の視線などまったく気にしていないようで、鼻息荒くこぶしを掲げている。そのこぶしがやや震えているのは、恥ずかしさではなく寒さだろう。
「さみぃー」
かく言う俺も先ほどから震えている。
「――あー、あー、皆さん聞こえますか?」
ざわめきの中でもしっかりと聞こえた拡声器の声に、皆の視線が俺たちから離れた。俺たちもそちらの――お立ち台(?)の方へと顔を向けると、おじさんが1人立っていた。
「大丈夫なようですね。ではこれから、新潟海岸寒中水泳大会を始めます!」
パチパチとまばらな拍手が聞こえたが、俺の隣だけは盛大な拍手だった。
「ではルールを説明します。皆さんには、用意ドンの合図で一斉に海へと入ってもらいます。そして――あちらを見て下さい」
おじさんが海の方を示した。それに従って海を見ると、少し沖の方に何やら船が見える。
「あの船の上に係員が乗っていますから、手に油性マジックで印をつけてもらってから、ここへ戻ってきて下さい。ゴールは……こちらです」
お立ち台の隣に、白いテープを持ったお姉さんが2人立っている。「ひゅーひゅー」と、北風みたいな声が飛んだ。
「わかりましたか?」
「はーい!」
子供に混じって、春華も元気よく返事する。褌姿なので注目の集め方がハンパじゃないのだが……当の春華はやはり気にしていないようだった。
「よぉっし。負けないぞ慎霰っ」
「お、言うなァ。さっきから震えっぱなしのくせに」
「な……っ、それは慎霰もだろー?!」
「俺のは武者震いだぜ?」
「だったら俺もだ!」
どうやら強がり対決は互角らしい。
「――賭けるか?」
「何?」
「負けた方が罰ゲームだ!」
「乗った!」
勝負は冷たい海の中へ。
「それでは皆さん、行きますよ〜? よーーーい……」
――パァン
ピストルの合図で、一斉に飛び出した。
■必死の攻防 〜春華〜
(〜〜〜くそっ、皆はえーなぁ!)
必死に手足を動かす。しかしあまり前へと進んでいないようだった。他の参加者たちは10メートルほど前にいる。結構差がついてしまった。
(泳ぐのがこんなに大変だったなんて……)
見るのとやるのじゃ大違いだ。歩いた方が早いかもしれないと、俺は海の底に足をつけた。
(お)
砂が少し温かく感じる。それほど水が冷たいのだろう。
(さぁて、慎霰はどこだ?)
やっと余裕が出てきて、慎霰の位置を確認――するまでもなく、俺のすぐ前にいた。どうやら慎霰は既に泳ぎ疲れているようで、俺と同じく歩いている。
(イイ勝負じゃねーかっ)
「慎霰だけには負けねー!」
自らを奮い立たせるように叫ぶと、俺はぐいと手を伸ばして慎霰の肩を掴んだ。
「うおっ」
急に後ろへと引っ張られて、慎霰は体勢を崩す。その反動と隙を利用して、慎霰よりも体1つ前に進んだ。
「こンのヤローっ」
慎霰も負けじと、俺の足を引っ掛ける。
「――っ」
声にならなかったのは、水に顔を突っ込んだからだ。
俺たちはそんなことをくり返しながら、何とかチェックポイントの船まで到達し、そしてまた同じことをくり返しながらゴールを目指した。
「頑張れー」
「負けるなっ」
「褌の意地をみせろー!」
他の参加者は既に皆ゴールし終わっているようで、飛んでいる声援はすべて俺たちに対するもののようだった。
(よけー負けるわけにはいかねー!)
俺がさらに燃えたことは言うまでもない。
互いの妨害も段々エスカレートしてきて、1歩進むごとに抜きつ抜かれつをくり返していた。
(あと3歩で海から上がる!)
俺は水中でのラストスパートをかける。むんずと後ろから褌を掴まれた気配がしたが、構わずに進んだ。
(砂浜上がったら振りほどいてやるーっ)
水の中でなければこっちのものだ。
2歩。
1歩。
――バッサーン
「きゃーーー」
あがった謎の悲鳴など気にせずに、ゴールテープに向かって一目散に走った。もちろん後ろから慎霰もやってくる。
「まーけーるーかー」
俺はここ一番の気合で――先にテープを切った!
「やったぁ〜!!」
思わず両手でガッツポーズ。そうして悔しそうにしているだろう慎霰を振り返る。――が。
「?」
慎霰は何故か悔しそうではなかった。それどころかニヤニヤと笑っている。
(あれ? 何かがおかしいぞ……)
そういえば、周りがやけに静かだ。
辺りを見渡して、慎霰の手に握られている白いモノに気づいた。
(何だアレ……)
慎霰、あんなの持って泳いでたっけ?
それに見覚えがあるような……
それからやっと、自分の下半身の違和感に気づく。
「え――?」
視線が下に移った。
「う、うわっ、うわぁぁっ?!」
俺は思わずその場に座りこんだ。
「それ! 俺の……褌?!」
「ご名答」
「返せよッ!」
「取りに来いよ」
慎霰は楽しそうに哀れな俺の褌を振り回す。
(こんの〜〜ッ)
俺が行かないとでも思ってるのか?!
俺はさっきまでと同じくらい必死にスタートを切った。
「返せ〜〜〜〜」
「きゃーーーー」
そうしてしばらく、俺たちの追いかけごっこと悲鳴が続いたのだった。
後日。
いつものように新聞に目を通していたおっちゃんに、お茶をぶっ掛けられた。
「ど、どうしたんだよ?」
おっちゃんがお茶を吹き出すほど反応するなんて一体どんな記事だろうと、慎霰と2人してその新聞を覗きこむ。
「――あ」
乾いた声がもれた。
チロリと目をやると、おっちゃんはぷるぷると震えている。
(そう)
俺のポロリ騒動が、コラムに取り上げられていたのだった……。
(終)
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