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独り言
夢は靄がかかったように曖昧で色は無色に近い。
夢を見る者は目を瞑り、光を遮っているから、色があまりないのかもしれない。
だが、イリス・ミケーネの夢は現実を錯覚させるほど強烈なものだった。
しかし、曖昧模糊とした五感による知覚はやはり不鮮明で、時間や空間の概念がどこか不自然に思えた。クリアに見えてこない概念は幻想的であっても現実的ではない。
部屋の中央に立っているのはミケーネの養父。彼はドイツの特殊機関の研究員であり、科学者であり、錬金術師でもあった。叡智を極めた人物だ。
養父の表情に覇気は見られない。目は虚ろで焦点が定まっていないようだった。引きつった口元が不気味に、小刻みに、弱々しく震えている。
室内の光源は淡く光る培養液のみ。
その僅かな光に照らされた養父の顔は幽霊のように存在が薄い。
彼の心は病んでいた。組織での研究の日々は拷問紛いのもので自分の好きな研究をやることなど叶わなかった。打算による技術の開発はエレガントさが欠如していた。強さのみを追求する絶対性に収束する人間の欲望のみがそこでは渦巻いていた。
養父が顔を上げ培養液の中を見つめる。碧色に輝く液の中には一人の胎児が納められていた。
―――人工生命体。
万物の精霊と契約を交わすことで生まれた存在は、彼の最高傑作であり、まさに最強の生命体と言えた。彼自身もそう思っていた。
最高傑作という言葉に養父の科学者としての矜持があるようだ。蓄積された鬱憤を解放する意味もあったのだろう。この人工生命体の製作には彼の善と悪とが混ざりあっていた。
狂った歯車は緩慢なスピードで動き出した。
加速し、
擦り合い、
悲鳴を上げ、
亀裂を与え、
徐々に彼の心を侵食していった。病んでしまった脆弱な心は、その弱さのみを強調し、だが偽りの強さでそれを隠蔽している。
液の中にいるのは紛れもなくミケーネ。まだ胎児でありながら、どこか神秘的であり煥然としている。
養父は呪文詠唱無しで精霊としてのミケーネを作り上げる際にあるDNAサンプルを使用した。人工生命体に必要不可欠なもの。それは遺伝子である。使用したのは彼の甥DNAだった。
誰の遺伝子を使うのか。それは人工生命体を作る上で重要な問題の一つにあげられる事項だ。何故ならば、DNAこそが生命の基礎となるからだ。基礎はその後に形成する全てのものに影響を与える。
「もうすぐだ…」
養父が呟く。
既に精霊神との契約は交わしていた。
精霊使い。全ての精霊に愛された究極の生命。
四大元素と呼ばれるものがある。
シルフ、ノーム、ウンディーネ、サラマンダーがそれらの元素を操る精霊だ。
風は大気を操る。
土は大地を構成する。
水は生命を満たす。
火は原動力となる。
ミケーネにとってこの四つの元素は手の内にある。
さらに、光さえも。
四大元素プラス光。これらは彼女にとって無効なものであり、いわば空気のようなものといえる。それが脅威になる事はなく、むしろ軽く操る事が出来るのは彼女の存在定義のスケールが強大だからだ。
まさに人外的位置付けの存在。
養父の目が見開いた。虚ろな目に活力が湧いたかのように見えたが、再び無気力なものへと戻った。
甥の遺伝子を使ったのは周りの環境の所為だった。養父に与えた環境は最悪に近いものであった。精神が崩壊しようかというほどまでに悪化した彼の心は孤独に犯されていた。自分への哀れみがそうさせたのか。遺伝子の選択は無意識の中の意識が行った。回路のスイッチがオンになり繋がった。それは選択による結果。
伝達する意思。
未だ目覚めぬミケーネから発せられるものは誰の意思か。
「最後の最後に生き残るのはお前かそれともオリジナルのほうか」
養父は培養液の中のミケーネに呟く。
求め合い、同調する事は決して出来ない。
擦れ合い、崩壊し合う事しか…。
まだ覚醒する事はない。
目覚めるのはもう少しだけ先。
徐々に霞んでいく夢。
夢は夢でしかない。
過去、現在、未来を示すのが夢。
現実を示唆した幻想は紛れもなくミケーネの記憶の片隅に眠っていた事実。
そして、胎児のミケーネには養父の言葉は届かない。
そう、まだ届かない…。
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