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鳴らない電話
部屋の中央にちょこんと置かれた可愛らしい丸テーブルを、月見里千里はじいっと見続けていた。テーブルは、いつまで見ていても何も変化を起こさない。
いや正確には、先ほどからずっとテーブルに置き去りにされたままの携帯電話が、だが。
たとえばバイブにした携帯電話が振動してテーブルを鳴らしたり、メールの到着を知らせたり。
千里はベッドの上にうつぶせに寝ころんだまま、ゆっくりと手をテーブルへと伸ばした。開いた携帯電話の画面上には、着信もメールも何も知らせてはいなかった。
こうして電話を待って、もう何日になるだろう。
千里はぼんやりと携帯電話を眺めていたが、ベッドに電話を放り出して仰向けになった。
ちー、今パリに居るよ。
ちー、今度イタリアに行くんだ。ちょっと彼と会ってみるね。
ちー、今度東京に帰るから‥‥。
千里の携帯電話に一杯に残された、結城二三矢からのメール。毎日欠かさず千里に届けられていたそれは、七日前の日付でとぎれていた。
最後の着信は、六日前。
『ごめん、ちー‥‥今、手が離せないんだ』
という素っ気ない返事で切られてしまった、二三矢への電話だった。
最初の二日は二三矢に何かあったのかととても心配し、その次の二日は二三矢を信じて待ち続けた。しかし四日目は電話もメールも寄越さない二三矢に対する怒りで、携帯電話を壁に叩きつけて壊しかけたり、ドアノブやグラスを壊してしまったりした。
そして五日目、うちの中で一日中泣いていた。
今日、六日目‥‥。
もう出る涙も枯れ果て、思考能力は低下しきっていた。
二三矢‥‥どうしちゃったの?
何度も問いかけた質問を、千里は心の中で二三矢へと投げかけた。
馬鹿みたい、あたしってまるでストーカーじゃない。千里は、携帯電話をひったくり、二三矢の携帯電話に掛けた。これで今日は、もう十回目じゃないの?
朝掛けて、午前中の休み時間にかけて、お昼休みに掛けて、三時にかけて、家に帰ってきて掛けて、ご飯を食べた後、お風呂に入る前、後、ついさっき。そして今。
酷い話じゃない? ついこの間まで、ちーは僕が幸せにする、なんて言っていたくせに‥‥突然連絡がぱったり無くなるなんて。
心配するに決まっているじゃない。本当、こんな納得のいかない事は無いわ。
千里は心中で文句をいいながら、コール音を聞いた。
五回、六回。‥‥やっぱり出ないわね。
千里がそう思って電話を切ろうとした時、プッ、とコール音が消えた。
『‥‥はい』
「二三矢? ‥‥二三矢なのっ?!」
千里は、めいっぱい怒鳴りつけた。
相手の返事も聞かないうちに、まくしたてるように声を上げる。
「何日も電話もメールも無くって、心配したのよっ! メール打つのなんか一分あれば出来るよ、って言っていたのは誰? 一分も時間が無い程忙しいならそれで、何とか一言知らせてくれればいいじゃないの! 一体どうしたのよ」
『うん‥‥ごめんね』
「ごめんじゃないわよ。‥‥二三矢、何かあったの? 言ってよ」
二三矢の声は、少し沈んでいた。千里に対する罪悪感からか? それとも何かあったのか? 千里の心の中で、どんどん不安がふくらんでいった。
「今‥‥どこに居るの?」
『ヨーロッパだよ』
二三矢の携帯電話は、日本に居なくても電話を掛けられる。しかし、それって本当?
「じゃあ、そっちは今何時なの?」
『夕方‥‥』
「嘘っ、今こっちは夜の十時なのよ? グリニッジ標準時刻はここから−9時間よ!! それとも中東の方にでも居るっていうのっ」
『怒鳴らないでよ‥‥時間がよく分からないんだ、今少し寝ていたから。‥‥外が曇っているからかも』
「ヨーロッパは当分晴れますって天気予報でやってたわ。‥‥二三矢、嘘なんかつかないで! ‥‥本当の事を言ってよ」
しいん、と電話の向こうに静寂が走る。向こう側からは、物音一つ聞こえない。しかし、それでよかったのかもしれない。もし万が一、日本語の駅内アナウンスなんか流れているのを聞いてしまった日には、こっちから切ってしまったかもしれないから。
二三矢は、静かな声で答えた。
『ごめんね、ちー。連絡が出来なかったのは、本当だよ』
「ごめんって何? あたしには‥‥何でも話してくれていたじゃない。あたし‥‥二三矢の心配事や悩み事、なんでも一緒に受け止めてあげたいの。嘘を付くのは構わないよ‥‥でも、一人で悩んだり苦しんだりするのは止めて。それとも、あたしを信用してくれないの?」
『違うよちー、僕はいつでもちーを信じている!』
今度は二三矢が叫んだ。その必死な言葉を、信じたい。千里はぎゅうっと電話を握りしめた。
「じやあ‥‥どうして話してくれないの?」
『もう少し‥‥待ってよ、ちー』
「待ったわ、もう一週間も待ったわよ。音沙汰無い二三矢を心配して、ドアノブ壊しちゃったじゃない!」
電話の向こうで、二三矢は少し笑った。笑ってくれた二三矢の声は、とても優しかった。でも、それは千里を安心させる言葉ではない。千里が望んでいた声じゃない。
「二三矢‥‥あたしじゃ駄目なの? 二三矢を支えられるのは、あたしじゃないの?」
『何でそんな事を言うんだよ、ちー』
「だって‥‥二三矢‥‥一度だって、電話くれなかった事無かったし、メールだって欠かさずくれたじゃない。メール打てない程忙しいの? それとも、他の誰かに打ってるっていうの?」
『そんなはず無いだろう、まさかちーは、僕が浮気しているって思っているの?』
少し声を荒げて、二三矢が言った。
これだけ言っても、まだ分かってくれない。
千里は、じわりと目の縁を伝う涙を、ふるふると頭を振って零した。
「あたしは‥‥二三矢から聞きたいだけなの。携帯電話をセーヌ川に落としちゃったとか、車に踏みつけられたとか、一週間学校に缶詰にされてパーティーの準備をしていたとか‥‥嘘でもいいの」
『色々‥‥だよ。携帯電話にワインこぼしちゃったり‥‥お父さんの仕事がゴタゴタしてて、あちこち移動しっぱなしだったし』
「馬鹿っ、そんな見え透いた嘘は聞きたくないっ。結局二三矢は、あたしの事は心底大切に思ってくれていないじゃない。何も分かってくれていないわ!」
自分の言いたいことは十分の一も伝わらないで、相手の言いたい事はこれっぽっちも伝わってこない。
こんなに距離を感じた事は、無かった。二三矢はいつでも自分の気持ちを分かってくれて、暖かくて優しかった。
『ちーの事は‥‥大切だよ』
「じゃあ、どうして電話をくれなかったの? 何度も電話したのに‥‥。心配したのよ、すごく。」
『それは‥‥携帯を日本に忘れて来て‥‥。でも、心配しないで。落ち着いたら、ちゃんと電話して話すから』
「いつ落ち着くのよ、十年後? ‥‥いいわ、二三矢はあたしより安心して何でも話せる人がいるんでしょう? そうよね、だから心配しないで待ってるわ!」
『ちー、ちょっと待って‥‥』
「じゃあね、十年後に電話を頂戴、二三矢!」
焦ったような声の二三矢にかまわず、千里は電話を切った。
部屋の中は、再び静かになった。
涙がぽたり、と電話に落ちる。
二三矢の事を信じている。だから、自分を心配して、それで黙っているのかまわない。
自分を守ろうとして嘘をついてくれるのは、かまわない。それが二三矢の愛だと分かっているから。
決して見え透いた嘘をついて欲しい訳じゃないし、嘘じゃないとか信じているとか、そういう言葉が聞きたい訳でもないのに‥‥。
どうして、心配していたあたしを労ってくれないの? こんなに心配して、すごく悲しかったのに‥‥二三矢の口から出てきたのは、自分の言い訳だけだったじゃない。
馬鹿‥‥二三矢。
どうして、電話をかけ直してくれないの。
浮気なんか出来る人じゃないって、分かってる。二三矢の事は、自分がよく知っているから。そんな器用な事、出来ないよね。
でも、最初に聞いた、あの沈んだ二三矢の声が忘れられない。
二三矢に、本当の事が聞きたい。
まだ、千里の手の中の電話は鳴らなかった。
■コメント■
某曲の入ったCDが発見出来なかったので、依頼内容を元に作成しました。‥‥おかしいなぁ、どこかにあるはずなんだけど‥‥。他の二枚しか見つからないなんて‥‥(汗)。
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