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『庸』という名の有名税は不条理に
とある中学校の中間テストの順位表に、四十三位として堂々名を連ねる一人の少年がいた。
――伍宮 春華(いつみや はるか)
つい暫く前の転入生にして、黒髪に赤い瞳の印象的な小柄でそこはかとなく愛らしい雰囲気の少年は、勿論学年中、否、いまや学年を超えての人気となっているのだが。
「……は?」
今日も近くに控える体育大会の練習を終え、そろそろ帰ろうと、いつもは三人でいる所を春華が一人で下駄箱を覗いていたその時、
「何だ? これ」
視界に飛び込んできたのは、一通の乱暴なメモであった。
拍子抜けした様子でそれを手に取り、ざっと目を通す。
……いや確かに、アイツがいないなぁ、とは思ってたけどさ……。
そこに描かれていた地図と、簡単な呼び出しの文書と、追記に、思いもがけず探していた友人の詳細が明らかとなる。
実は、いつも一緒に帰っているはずの友人のうちの一人がいないのは部活の大会の為であったのだが、もう一人の友人がいないのは、なぜか彼が行方不明になってしまっていた為、であったのだから。
要するに、唐突すぎる出来事ではあるが、あの体育の苦手な友人は、人質≠ニして指定の場所≠ヨと連れて行かれてしまったらしい。
――このメモを春華の下駄箱に放り込んだ、春華に恨みのあるこの学校の生徒の手によって。
「よぅ、良く怖気づかずに来たもんだ、春華チャン?」
何の恨みがあったのか、見知らぬ上級生達に人気のない工事現場の倉庫まで呼びつけられ、渋々やって来ていた春華の目の前には、今日はサッカーの大会で特欠となっている、二人の友人の青年=\―実際は街角に行けば、ホストクラブの店員に引っ張り込まれそうになるほどに外見が大人びているだけなのだが――が見れば、ああ、なんと素晴らしき殉教! と笑い飛ばしそうな展開が繰り広げられていた。
仲良し三人組の内の一人、将来の夢は旧教修道士にして三人組の中では唯一の良い子£間テストの順位は何と二位の小柄な少年が、もの見事に春華を呼び出した上級生達に、人質として捕らえられていたのだ。
――ちなみに春華には、こうして上級生に呼び出される謂れなど欠片もないはずなのだが。
「春華ぁっ!」
「わかってるって、今助けてやるから」
本当に彼の信じる神様とやらがいるのなれば、少しは幸せにしてやってくれ、と願いたくなるほど薄幸な少年の叫び声に、はたはたと手を振って答えを返す。
刹那、
「おい、聞いたか! 助けてやるだってよ!」
「ばっか! 笑うなよ! 春華ちゃんの勇気を馬鹿にするつもりかぁ、おまえら!」
呼応する、品のない笑い声に、春華は心底呆れざるを得なかった。どうしょうもない、と口にする代わりに溜息を吐き、
「まぁ良いか。やるんなら早くやらないか? 時間の無駄だし。それとも、怖気づいたとか?」
さっさと事を済ませたい一心で紡がれた、何の感情がほのめかされているわけでもない春華の声音に、
「ほぉ……」
その真意にも気がつけなかったのか、頭に血が上りすぎたのか、上級生達の笑いがふっつりと止んだ。
着崩された制服が、ゆるりと春華の方を振り返る。
「随分と強気な春華ちゃんだ」
「だな」
上級生全員の意識が春華に向けられたと同時に、人質であったはずの少年が勢い良く突き飛ばされる。
少年は、数歩たたらを踏み、体勢を整えようと踏ん張ったものの、あえなく砂袋の山へと突っ込んで行った。
しかし、それを気にする者は誰もいない。
「そうだなぁ、早くやるとするか」
上級生達が冷ややかに光を反射する床から何かを取り上げる。
――鉄パイプ。
って、
「疲れる奴等……」
脅えるでもなく、内心春華は頭を抱えてしまっていた。人質と言い武器と言い、随分と性質の悪い上級生がいたものだ、と関心すらしてしまいそうになる。
今でこそ、あの間抜な保護者∴ネ外には正体は知られていないものの、天狗としての日々を送っていたあの時代、昔には。
昔には――もっと今より昔の時代には、高台の木の上から見下ろした平安の都が、京の都が美しかったあの頃には、良く文字通り、命を賭けた戦いを繰り広げた事もあった。何の恨みがあったのか、巫覡に後ろから襲われた事も、陰陽寮の陰陽師に集団で襲撃された事もあったのだ。今よりももっと力≠フ強かったあの時代、熾烈を極めた術と術との鬩ぎ合いに、時には剣技で応戦した事もあった。
しかし、死闘を繰り広げる相手というものは、いつでも決まって正々堂々と立ち向かってくるものであった。こうして大勢で、武器を手にして舞い上がるような相手は、決まって弱いと相場が決まっている。
しかも、理由もないのに何で俺がこんな目に――。
「逃げるなら今のうちだぜ? ま、俺達が逃がしてやるかはわかんねーけどな」
「泣きながらすみませんでしたぁ〜私が悪かったですぅ〜って泣いてくれたら考えてやっても良いぜ」
「あー、はいはい、そんな気はないから」
武器を手にする事と、より強大な力を手にする事とは、時に等しく結びつかない事がある。
春華は無造作に歩み出すと、嘲りの視線を向けてくる上級生達をぐるり一周、きっと見回し、
「バーカ」
一言。
その笑い声を一掃するかの如く、はっきりと言ってやった。
刹那、
「こんのクソがっ! 人が下手に出てれば調子に乗りやがって……!」
「誰が下手に出てたって? もしかして、日本語の意味もわからないのか?」
春華の溜息に、挑発されている事にも気がつかず、憤慨した上級生達が一気に駆け出した。僅かしかない距離を詰め、春華へと鉄パイプを振り下ろす。
汚れた窓から入り来る光が、鈍く世界を輝かせた。
「春華、危ないっ!」
ようやく意識を取り戻した少年の叫び声と同時に、春華へと幾本ものパイプが唸りをよせる。しかし春華は身を屈め、その衝撃を甘んじて待つかの如くに、じっと瞳を閉ざし、
一呼吸、
柄≠ノ、手をかけた。
刹那、乾いた音が感度の低い和音を紡ぎ出す。
幾つも重なり合った音は、時にお互いを響かせあい、時に不協和音と化しては消えた。
「……なっ……!」
息を詰まらす上級生が耳にしたのは、原因のわからぬ大音響。そうして、振り下ろした腕に感じたのは、妙な軽さであった。
慌てて、上級生達が各々の握る鉄パイプへと視線を投げかける。
――すっぱりと手元から切られてしまった、鉄パイプの方へと。
春華の手の内には、いつの間にか、長い日本刀が握られていた。時代を超えた光を輝かせる、平安の風を宿した日本刀が。
「そんなものどっからっ?!」
「どこって、普通に」
「普通って何だよおいっ! ってゆーか銃刀法違反だろうがっ!」
「お前等にそんな事言う資格はないだろ」
すっと刀を一振り、鋭い風に上級生達がざっと身を退いた。
「で、誰を誰が許してやるって言ったんだ?――ってゆーかいつまでもそんな所にいないでこっち来い」
刀の輝きを宿した瞳で上級生達を一蹴するついでに、未だに遠くで物見見物を決め込んでいた友人を招き寄せる。
はた、と何かに気がついたかのようにして、ようやく春華の方へと駆け寄ってきた少年は、
「春華、まさか斬っちゃうつもりじゃないよね……?」
「んー、どうしようかな」
「ええっ! そんな事したらまずいって! 警察に捕まっちゃうよ!」
「お? 神様に怒られるんじゃなくて、か?」
「そんな冗談言ってる場合じゃないよ春華っ! 火遊びとか、刃物とか、交通事故とかは怖いんだからっ!」
「お前なぁ……」
随分と子ども染みた意見を笑い飛ばしたのを最後に、春華は冗談の手を緩めた。
今更退く事もできず、だからこそ逃げる事もできず、春華の冗談を悪魔の宣告の如くに耳にしていた上級生達に、何の前触れもなく剣の切っ先を向けてやる。
「で? まだやるのか?」
「……そのくらいの事で怯んで堪るかっ! お望み通りぶっ殺してやる!」
振り絞ったかのような気合と共に、息を呑んでいたはずの上級生達が、短くなった鉄パイプを武器に全員で春華の方へと駆け出した。
一つ、二つ、三つ――と、時間を変えて繰り出される衝撃を、
「春華っ!」
「まだまだっ――! お前も少し黙ってろっ!」
軽く振り下ろした刀でパイプを綺麗に半分に切り落とし、
「だって! 僕こういうの苦手だって――!」
「確かにそうだよなぁ。十三日の金曜日になる度、窓の外を見て脅えてるのはそこにいる誰かさんだしなぁ?」
上からの一撃を刀身で受け止め、その力を散らしめる。
「う、うるさいよっ! 別にジェイソンが出てくるとか、そんな事考えてるわけじゃなくて、あくまでも主の十字架の道程の――、」
「あー、はいはい、その言い訳は何度も聞いたから」
不意打ちの如くの横薙ぎを、刀を軸に飛びかわし、
「六月にアレだけ泣いといて、説得力もないけどな」
「酷いよっ! 僕、春華がそんなに酷い人だなんて――うわっ?!」
夢中で弁解していた少年に殴りかかって行った上級生の一人を、刀の背で伸してやる。
――この時点で、勝敗は決まったようなものであった。
春華は次々と自棄気味に立ち向かってくる上級生達に、一人一人丁寧に刀背打ちをお見舞いしてやった。最後まで逃げ出さなかった勇気は認めるに値するのかも知れないが、
俺だって暇人じゃないんだ。
こんなお遊びに、いつまでも付き合っている義理は欠片ほどもない。
「ま、一応刀背打ちにしといてやるからさ」
埃の舞う床に倒れ付した男達に、春華は聞えないと知りつつも、呆れ混じりに解説を加えた。刀を鞘の中へと納めると、
「チェンソーだってノコギリだって、刃がギザギザしてて怖いじゃないか……それに、きっと殺されるだなんて痛いに決まってるんだ……僕、注射だって嫌いなのに……!」
「……誰もそこまで聞いてないって」
未だに一人で弁解を続けている少年を、こつんと一つ小突いてやった。
「だからさぁ、春華は目立ちすぎなんだって。体育大会とかでもすっごく目立ってるし、それに先生方の間でも評判だし……トラブルメーカーだって。だから目つけられてたんだよ、多分……前から僕、言ってたじゃないか。それを春華ったら、無視するんだもん……そんなの俺に関係ないってさ。ま、喧嘩は弱そうだ、なんてあの人達は考えてたみたいだけど。それは大きな間違いだよねー、うん。って、聞いてるの? 春華?」
そういえば、と夕暮れの帰り道、制服が汚れちゃった、と嘆きながらも解説する少年の言葉を軽く聞き流しつつ、春華はふと問うてみた。
「なぁ、」
「何?」
「また一つ聞きたい事があるんだけど……良いか?」
照れたように問われた少年が、ふ、とその歩みを止めた。いつもは強気で堂々と――悪く言うなれば偉そうに――構えているはずの春華が、こうして数歩引いた感じで質問を投げかけてくる時は、
「別に良いけど……」
決まって『現代の常識』について問われるのだ、と、当たり前のように相場が決まっていた。この時代では%魔スり前の事なのかも知れないけどな――と、かつて一度だけ、春華が口を滑らせた、そんな隠語が隠されているような。
そういえばこの前は、警察って何なんだ? と問われたような気がした――少年が説明するなり春華の方は、そうか検非違使の事かっ! と一人で納得していたようではあったが。
でも検非違使って、平安の時代の話だよね?
少年が、立ち止まった春華の顔を覗きこむ。
春華が転入してきてからもう半年ほどが経つだろうか。あの頃からずっと、随分と現代社会の知識に抜けたような感じの人だとは思っていたが、今考え直してみれば、その代わり春華は、随分と平安時代の通であるような気がする。
通って言うか、まるでそこに住んでたみたいな?
大袈裟な比喩かも知れないが、歴史で平安の時代を学んでいた頃なんぞ、テストで堂々学年首位に君臨していたのだ。それも、平均点の低い中、ほぼ満点という脅威の点数で。
「さっきからな、ずっと考えてたんだけど」
こっそりと首を捻る少年の前で、頬を掻きながら、春華が腕を組んだ。
じっと紅色の世界に佇む今の時代の人≠見つめ返す。その後の少年の反応に予想がついたのか、一つ息を吐き、体裁を整えると、
「そういえば、ジュウトウホウ違反って何なんだ? 違反って言うからには、悪い事なんだろーなー、とは思うけど、さ……?」
驚きに目を丸くする少年と、時の流れに取り残された常識感覚の春華。
二人の間にひっそりと帳を下ろした沈黙の間を、ビル陰の上に立つ春華の目の前を、ふわりと一枚の枯葉が流され過ぎて行く。
時代の流れに変わったもの、それがゆえに取り残されたもの。慌ててそれを取り戻すわけでもなく、あくまでも日々の生活の中で少しずつ拾い集めていく春華にとって、あの頃から変わらず優しい、季節の流れがいつもよりも愛しく感じられる瞬間でもあった。
――松風の夕日がくれに吹くほどは 夏すぎにける空かとぞみる
藤原範永(ふじわらののりなが)
Finis
☆ Dalla scrivente ☆ ゜。。°† ゜。。°☆ ゜。。°† ゜。。°☆
まず初めに、お疲れ様でございました。
こんばんは、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。この度お話を書かせていただきました、海月でございます。
今回はご指名の方、本当にありがとうございました。
早速ですが、最後の句の方は、一応『夕日が山の端に隠れる頃に、松の梢を鳴らしながら風が吹いて行く。そんな頃合いの空は、夏も過ぎたように涼しげに見える』という意味だそうですが、あまり深い意味はないかも知れません(汗)。ニュアンス的に取っていただけますと、と思いまして載せさせて頂きましたが――。
個人的に、不良と言いますと古びた倉庫と鉄パイプ、というようなイメージでしたが、楽しんでいただけますと幸いに思います。
では、短くなってしまいましたがこの辺で失礼致します。
またどこかでお会いできます事を願いつつ……。
15 novembre 2003
Lina Umizuki
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