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「商売するから笹持ってこい!」
正午を過ぎても草間興信所のドアは開かない。街はこんなに賑やかなのに、この部屋だけはいつも静けさと一緒だった。今はこの部屋に草間しかいない。彼は椅子の背もたれに身を任せ、締まらない表情を誰に見せるわけでもなく、ブラインドの下がった暗い部屋の中で零の帰りを待っているのだった。
草間は珍しく零を朝からあるところに行かせていた。彼は妹にたった一枚のメモを持たせて、ある買い物を頼んだ。彼は帰りが遅いのが心配なのか、今度は接客するためのソファーに向かってゆっくりと歩き出す。その様子はいくぶん落ち着かないようにも見えた。そして今度はソファーに腰掛けると、目の前に置いてあった新聞の折り込みチラシを手に取り、だらしなく頬を緩ませる。それにはでかでかとこう書かれていた。
『全国うまいもの物産展! 本日から開催!』
なんと草間は零をここに向かわせていたのだ。彼のお目当てはそこに出展する老舗の中でも超がつくほど有名で、極上の弁当を作ることで知られる繁盛本舗の釜飯弁当だった。今度入った依頼料で一時のぜいたくをしようと、零に弁当代を渡し、それをふたつ買いに行かせたのだ。草間は開店前の行列まで計算に入れてそこに向かわせたので、絶対に買えるはずだと思っていた。
しかし、予想は簡単に裏切られる。零がいつものように興信所のドアを開けながら「ただいまです〜」と言う。待ってましたと草間は視線を向けるが、彼女は手ぶらだ。朝食も昼食も我慢していた草間にとって苛立つには十分だった。
「おい零……俺はお前に釜飯弁当を買いに行かせたんだぞ……なんで手ぶらで帰ってくるんだ?!」
頭ごなしに怒り始める草間。しかし、零はマイペースに話し始める。
「実は売ってくれなかったんです……釜飯弁当は誰も買えなかったんです。」
「売って……くれなかった?」
草間はよく意味がわからなかった。零は草間に書いてもらったメモを取り出した。そこには百貨店での出来事が書かれていた。彼女は外出中に起こったことを細かく説明し始めた。
零は開店するや否や、繁盛本舗が店を構える催事場へと向かった。彼女と同じく、多くの客が弁当を狙っていたので迷うことなくそこにたどり着けた。しかし、その店先で「今日は売らねぇよ!」と大声で叫ぶ親父がいたという。周囲はそんな殺生なと食い下がったが、親父は最後まで首を縦に振ることはなく、結局弁当はひとつも売らずに店を畳んでしまったらしい。開店して間もない出来事だった。
さすがの零もこれには困り、その親父になぜ売らないのかを聞いた。人ごみをかいくぐり、ようやく声の主と出会った零だが……思わず息を飲んだ。なんと、その親父は幽霊だったのだ。
「幽霊?!」
「ご丁寧に三角ずきんをつけてました。とってもわかりやすかったです。それで幽霊のご主人にお話を聞いたんです……」
零の霊に関する説明は続く。その親父は釜飯弁当を後世に伝えるために化けて出た先代店主で、息子に熱い指導をするためにやってきたという。今回の催事には自分の味を再現させるため、その親父の手法を息子たちに伝授した。その指導といったらスポ根アニメも真っ青らしい。
そんなこんなで人前に出せるものになった釜飯弁当を売り出そうと考えたが、親父は今日まで重要なことをすっかり忘れていた。実はその昔、この弁当はご飯をある特別な笹で包んでいたというのだ。それを慌てて取り寄せるよう、息子に頼む親父。しかし、昔は簡単に手に入った笹も、今はまったくと言っていいほど数がなく、日本では辺境と呼ばれる数カ所しか存在しないらしい。昔の味を再現し、息子たちに本物の釜飯弁当を思い出させようとした親父のもくろみは意外なところで座礁した。その結果、親父は「釜飯弁当を売らない」という決断を下したのだ……
もちろん百貨店の関係者は大慌て。繁盛本舗の釜飯弁当が今回の目玉だったので、なんとか販売して欲しいと重役も頭を下げる。しかし、親父も相当頑固らしく、「笹がないなら売れない」の一点張り。零は今度は百貨店の重役に笹の話をしたが、彼は困った顔をした。
「いや……実はですね、我々もすぐに調べたんですけど……現在この近所でその笹を使っているのは国立動物保護センターさんだけなんです。知能が高く、希少動物に認定されているホワイトビッグパンダの餌として使っているらしいのです。先ほど少し分けてもらえないかとそちら様に打診したんですが、あっさりと断られてしまいました。ああ、どうしましょう……このままだと遠方から来てくださったお客様に申し訳が立たない……」
重役はすべてを話し終えると悲しそうな顔をし始めた。その話をじっくり聞いていた零に向かって、親父が再び威勢よく声をかける。
「いや、笹は3本くらいあったらそれでいいんだ。香り付けにつかう程度だから。それがありゃあ、俺は満足なんだよ。ただよ、一枚もないってのはいけないねぇ。なんとかならねぇかな、お姉ちゃん……持ってきてくれたら、ホントこの弁当をいくらでも食わせてやっからよ。」
「えっ、本当ですか? だったら、兄と相談してみます……!」
零が安請け合いしたことを聞いて、草間が驚きの声を興信所内に響かせる。
「それでお前、引き受けたのか!?」
「相談するって言ったんですけど……親父さんがすっかりその気で……ほとんど引き受けたのと同じですね。」
「参ったな……でもこのまま食えないのも腹が立つし……だいたい、なんで笹の数本くらい分けてやらないんだ、その機関は。」
「笹の方も希少価値が高くって、探すのに苦労したって重役さんは説明されたらしいです。どうしますか、草間さん……持って来てくれたら百貨店の方もお礼をするって言ってくれてますけど……」
心配そうな表情を浮かべる零の見て、草間が決心する。
「よし、連中に連絡だ。世のため百貨店のため客のため親父のため、しいては俺たちのために義賊をやってもらおうじゃねぇか!」
草間は百貨店の謝礼に目が眩んだのだろうか……彼は恐ろしい計画を立ててしまっていることに気づいていなかった。
しかし、いつまでも興奮したままでいられるはずもない。たまたま手伝いに来たシュラインが必死で電話をしている零を目撃し、その依頼の内容をすっかり聞き出してしまったのだ。彼女が草間の名を叫ぶまでに数秒もいらなかった。それを聞いて草間は飛び上がる。嘆息しながらあさっての方向に視線を飛ばすシュラインは呆れた様子を彼に見せながら口を開く。
「武彦さん、あなた自分が何考えてるのかわかってるの……?」
正論にぐうの音も出ない草間。事実上、事を進めた零も隣に並び、沈鬱な表情を兄妹で見せる。そんなふたりに計画の中止を勧めるシュライン。
「冗談でも国の機関でしょ。そんなところに忍び込んで見つかりでもしたらどうするのよ。草間興信所がどうこうっていうレベルじゃないわよ。それこそただの犯罪者よ。もしかしたらパンダを盗もうとする動物専門の密輸組織の末端として扱われるかも……とにかく釜飯弁当は諦めなさいよ。それくらいのお金出したら別の高級な食事ができるでしょう?」
草間がその言葉にしぶしぶ頷こうとした時、救いの神が集団でやってきた。興信所のドアを景気よく開け放つ男女が草間に近づき、無駄に熱い握手を交わす。それは昔流行ったアメリカのテレビショーも真っ青な光景だった。彼らの思うように腕と手を振り回される草間は乾いた笑いを発し、困った顔で零とシュラインの方を見る。そんな彼よりも嬉しそうな顔をしているのは不精ヒゲを伸ばした青年だ。ぶんぶんといつまででも草間の腕を激しく上下させていた。
「おっと、シュラインもご一緒か……へへ、こりゃいいや。この天音神孝もその作戦に参加させてもらうぜ。釜飯……なんて魅惑的な響きなんだろう。俺は釜飯を食べる為なら悪魔にだって魂を売るっ!」
「零さんに話を聞いた! 私もたまたまその行列に並んでたんだけど、まさかそんな裏事情があるなんてな……だからこの仕事をマジメにこなして釜飯を思う存分頂こうかと思ってる。いや、よかったよかった。食べられなかったら悔しいもんな!」
「おお、気が合うなぁ……どっかに忍び込むにはこういう運動神経抜群ってなのも必要だ。お前、名前は?」
「四方峰恵だ。お兄さん、私のことはめぐむって呼べばいいよ。」
零の連絡ですっ飛んできた孝と恵はすっかり意気投合してしまう。興信所の中はまるで時間を巻き戻したかのような状況になってしまう。そしてさらに状況を悪くする訪問者が現る。ドアの先で女子高生に連れられて、小さな男の子までやってきた。
「ほらほら、堂々と入ればいいんだ。」
「あ、あああっ……皆さん、こっこんにちわ。ふじいらんっていいます。僕、ささを取りにいくおてつだいします。ささをもらってくればいいんでしょ?」
「私も蘭と一緒だ。この矢塚朱姫もその仲間に入れてもらうぞ。」
釜飯に釣られた人間とまともな仕事と勘違いしてやってきた人間。動機は違えども、目的は同じ……いくらシュラインでも、目の色の変わった人間を押し切ってまで作戦を中止にすることはできない。それ以前に、ここの主人は草間だ。草間も引き返せない道だと覚悟したのか、集まってくれた者たちに向かって高らかに笹奪取作戦を宣言したのだった……
「しょうがないわね、まったく。いつものことだけど、私も手伝うわよ。さて……いろいろと調べることがあるからまとめておくわね。国立動物保護センターの見取り図と内容は今からチェックするわ。あ、それとみんなも忍び込むんだったらそれなりの格好をしてきてね。どんなセンサーがあるかわからないから。作戦の決行はあさっての夜にしましょう。現地集合で大丈夫?」
そう言いながら自分の机にあるパソコンのキーボードを叩き始めるシュライン。情報収集のためにまずはセンターのホームページにアクセスする彼女だが、トップページを開いた瞬間、疑問に満ちたうめき声を上げる……
「え〜っ、何これ……国立っていうからもっとすごい施設かと思ったら、動物園の飼育小屋に毛が生えた程度じゃない。南京錠が唯一の障害って感じね。さすがにこれじゃ張り合いがないわね……」
全員がその画面を一目見ようとシュラインの近くに首を突っ込んで、その画像や構造図などに見入っていた……
めいめいが興信所で手に入れた情報を頭に叩き込んで帰路につくのを、静かにガラス越しに見つめる草間。シュラインはまだキーボードを叩いていた。その彼女にお茶を出す零。さすがに声をかけ難いのか、椅子の後ろから画面の様子を黙って見ている……
「あ、メンバー全員を乗せるワゴンの運転は武彦さんにお願いね。もちろん零ちゃんも乗ってよ。」
「な、なんだって! 俺も狩り出されるのか?!」
「タダで釜飯にありつこうなんて発想がすでに贅沢よ。労働に汗して釜飯を食べようっていう気にはならないのかしら。零ちゃんには笹の運び役としてがんばってもらうわ。」
「はい、わかりました!」
「わ、わかったよ。俺も零もお仕事をやりゃいいんだろ……お仕事を。」
シュラインはその言葉を聞いて微笑んだ。彼女は自分の机の引き出しに手を突っ込んだ振りをして、中にあったマイクロテープを作動させていたのだ。草間が結託を約束する声をしっかりと録音し、まずは最悪の事態から全員が脱する手段を確保した。彼女の笑い声は次第に『してやったり』のニュアンスを広げ始める。そんなことも知らず、のんきにあくびする草間だった。
国立動物保護センターはすっかり静まり返っていた。中はわずかに光が灯っており、外からでも宿直の人間がいることが確認できた。しかし、その数は多くなさそうだった。夕方から大きなワゴン車で張りこんでいた草間の情報によると、ほとんどの職員が定時でセンターを後にしたらしい。侵入も脱出も容易だろうと説明した。ワゴン車の中にはあのメンバーが勢揃いしていた。シュラインは足音を立てない靴や手袋を装着し、さらに髪は丁寧にブラッシングして髪の毛一本も落とさぬよう注意を払う。彼女はスパイ顔負けの用意周到さが備わっていた。
だが、シュラインが周りを見渡すと自分の準備のよさが逆に情けなく思えてくる。孝は俊敏な動きを阻害するであろう大きなリュックを大事そうに膝においている。果たしてそれを身につけて隠密行動ができるのかが不安だ。だが一番の驚きは、割烹着にサングラスをかけて変装している恵だ。本人はたまに気色悪い笑いをして、清掃員のおばちゃんを装う練習をしている……それを見ると、朱姫のミニスカートにスニーカーという服装が一番まともに見えて仕方がない。蘭は手ぶらでここに来たことを気にしているようだったが、シュラインは素直な気持ちで慰めることができてしまうことに腹が立った。
そんな困った連中とともに、シュラインはいよいよセンター内に潜入する。侵入口は保護している動物たちを遊ばせるために設けられた吹き抜けの空き地だ。まずは怪しい家政婦と化した恵がひらりと壁を乗り越え、中からロープを垂らす。片方を渾身の力を込めて持ち、壁を平手で叩いて準備完了を伝える恵。それを確認したシュラインと朱姫が縄を使って中に入るが、外には孝と蘭が残された。
どう見ても登っていけそうにない蘭を見た孝が、背負っていたリュックの口を開いて指差す。
「よし、蘭はこれに入っとけ。俺が中に連れてってやる。」
「ありがとう〜。あれ、なんかこのリュックの中、あったかいや……すやすや。」
「まさか……寝ちまったのか?」
「ううん、すやすや……」
あえて確認することを止めた孝は気を取り直してリュックを背負い、軽々とロープを伝って中に入ってしまった。すっかり眠っている蘭を除き、他の仲間たちが驚くほど素晴らしい動きだった。リュックから頭を出している蘭の頭をそっと叩き、侵入に成功したことを伝える孝。
「蘭、ついたぞ。」
「ふあ……ホントだ、中にはいってる〜。ありがとー、孝さん。」
「ところがだ、蘭くん。私が最初に入ってビックリした。いきなり難題なんだもんな〜。どうしたもんかな?」
恵が指差す先には、南京錠で閉じられた鉄格子があった。それを見ると嬉しそうに蘭が駆け出す。そしてポケットからヘアピンを出し、得意げに話す。
「これって、こーゆーほそいぼうをいれるとあくんだよね? てれびで見たことあるよ。やってみるね〜。」
一生懸命に手を伸ばす蘭……しかし、手はおろかヘアピンの先さえも南京錠に届かない。実は扉の鍵は簡単に開けられないよう、高いところに設置してあったのだ。何度も背伸びしたりジャンプしてがんばる蘭だったが、届かないという現実を受け入れた時、悲しそうに泣き始める。
「えぐえぐ……てがとどかないよ〜。えぐえぐっ……」
「蘭、私に任せろ。この矢塚朱姫がその恨みを晴らす! えいっ!」
朱姫が準備したヘアピンを鍵穴に通すと、難しい顔をしながらカリカリと動かし始める……一同は固唾を飲んでそれを見守る。しかし、そんなに簡単には開かない。数分後、朱姫は手を動かしながらも首を傾げて愚痴をこぼす。
「あれ、おかしいな。隣の家の鍵はこんな感じで動かせば開いたんだけどな……今度は学校の玄関のイメージでやってみよう。」
「……どこで鍵開けの練習してたんだ、朱姫さん?」
「そんなこと堂々とやって、よく怒られなかったわね……」
「朱姫お姉ちゃん、がんばって〜!」
もっともな指摘をする恵とシュラインを無視し、蘭の応援だけを胸にがんばる朱姫。長い時間をかけていくつかのイメージパターンを試すうちに、なんとか南京錠の解除に成功した。周囲のプレッシャーを感じていたのか、肩で息をする朱姫。それを小さな拍手でねぎらう仲間たち。
「やった……開いた……」
「あのよ、参考までに聞きたいんだけどよ。どこの鍵のイメージでこの南京錠を開けられたんだ?」
「ああ、彼の、家だ……はぁっはぁっ。」
「えっ……?」
全員が再び不思議そうな顔をして立ち尽くしたことは言うまでもない……その時、時間が凍りついた……
ともかく無事に侵入できたメンバーはシュラインの道案内でホワイトビッグパンダの檻へと走る。『隠密』という言葉とは縁遠そうな蘭は、恵が肩車をして面倒を見ている。パンダの檻が続くあたりで、孝が普通のジャイアントパンダを見て立ち止まった……
「ものすごく気が進まないんだが……しょうがないな。」
孝は音を殺しながらその場を走り去ろうとする仲間たちを無視して、静かにその檻の中へ入っていった。そこはわずかな空間の歪みができていた。しばらくすると、その中で「チェンジフュージョン」という声が小さく響いた……そして歪んだ扉から孝が戻ってくる。しかし、その姿はさっきとまったく違う。明緑色の長い髪を揺らし、金色の瞳輝かせる美少女がそこから出てきたのだ。彼女はかわいい声でこう言った。
「でも、あいつらに経過を見せずに済むのなら、それはそれでいいかな。」
魔法少女はその場にまったく似合わない服装で廊下を颯爽と駆け抜けていった……
いくら警備の薄い場所とはいえ、侵入という行為は恐ろしく精神力を使うものだ。ほんの少ししか走ってないにも関わらず、数十分経ったような気分になってしまう。そんな冷たい空気の中で緊張を持続し、全員が無事にホワイトビッグパンダの檻の前にたどり着くことができた。この檻だけは特殊で、出入り口になっている扉だけが檻になっていて、後は周囲をぐるりと壁が取り囲んでいた。シュラインはそこから檻の中を伺う……
「ええっ? あれが……ホワイトビッグパンダぁ?」
問題のパンダの檻の中はうっすらと明かりが灯っていた……しかし、パンダはそれなしでも十分に発見できる白さを保っていた。普通のパンダよりも確かに白い毛が多いような感じはする。実際に黒いところは両手と両足と目の部分にしかない。だが、実際に注目すべき点はその身長だ。少なくとも3メートルはある。順番に中を覗いていく仲間たちは、空いた手で口を塞ぎながら「大きい」「でかい」と言い合った。ホワイトよりもビッグが強調されていた。
パンダが座っている場所からさらに奥に、問題の笹が何十本も立てかけられていた。これなら数本持って帰ってもバレそうにない。ここにも南京錠がかかっていたが、今回の鍵開けは朱姫ではなく蘭に任された。『せっかく準備してきたことだし』とシュラインが粋な計らいをしたのだ。身長の足らない分は恵が彼をだっこすることで解決した。蘭が嬉しそうにヘアピンで鍵穴を探り始めた時、朱姫が妙な違和感を口にする。
「孝が……いない。代わりに……ここにかわいい魔女っ子がい」
「ひとりいないっていう重大な事実のわりには意外と冷静に分析したな、お前。しかも魔女っ子って表現が古くないか?」
「ああ、その娘が孝よ。魔法少女に変身したの。でも、何のために?」
「この中でパンダの心を理解する奴がいないだろ。だからパンダと合体して言葉だけでも通じるようにしておこうと思ってな。釜飯のためなら、俺はパンダに対しても鬼になる!!」
握り拳を見せ、シュラインと朱姫に決意を見せつける孝。その横で小さくとも影響力の大きい音が鳴り響く……朱姫はすぐさま扉の方を振り向いた。すると蘭が右手に南京錠を持って朱姫の元へと走ってくるではないか! 少年は彼女の鍵開けに要した時間の半分もかけずに檻を開けてしまったのだ……朱姫のショックは大きい。
「えへへ〜〜〜、てれびといっしょだった〜〜〜!」
「蘭、なかなかいい手際だったぞー。えらいえらい。よし、みんな中に入ろう!」
恵の一声でパンダの檻の中に入る一行。朱姫の目の前は他の仲間よりも暗く見える……そんな彼女に気を遣ってか、シュラインが慰めに聞こえない言葉をかけた。
「いいじゃない、彼氏の家にいつでも入れるようになったんだから。ね?」
「うぐ。」
朱姫は軽く胸を抑えながら檻の中に入っていった……
檻の中でパンダを見るとさらに大きい印象を受ける。もし攻撃でもしてこようものなら、その騒動はセンター中に響き渡りあっという間に警備の人間に知れてしまうだろう。パンダは来客がやってきたのを確認すると、首から上を盛んに動かし始めた。最後に入った朱姫がひとまず檻を閉めると、パンダは一声唸る。それを聞いた孝が「ちょっと待ってろよ」と言うと、いそいそとリュックを下ろしてある準備を始める。リュックの中からはパンダの着ぐるみ一式が出てきた……得意げに鼻歌を歌いながらそれに身を包む孝。それを黙ってじっくり観察していた蘭だったが、この中に入れてもらった時のふわふわの正体がこれだと知ると嬉しそうな表情をしながら近くに駆け寄り、それに身を包んだ孝のふとももに頬擦りを始める……
「さっきのふわふわ、これだったんだぁ……う〜ん、びーずくっしょんとおんなじくらいきもちいい……」
「こらこら、今から大事な仕事なんだからちょっと我慢だ。よっと、後は頭にこれをかぶって……できたぞ、即席パンダだ!」
孝の足をつかんだまま今にも寝そうになっている蘭を、恵がまた肩車する。そして目の前のちっちゃなパンダ少女に疑問を投げかける。
「孝さん……何を持って来てるのかと思えば、そんなものだったの?」
「恵のいう『そんなもの』が俺たちを救うんじゃねぇか。わかってねぇなぁ。」
「いやね、準備はいいと思うよ。ナイスアイディアだと思う。けどね……パンダの目の前で着替えたんじゃ、あんまり意味はないんじゃないかな〜。」
「……………………………………………………」
作戦の欠陥をさっそく突かれ、ぐうの音も出ない孝。廊下で見回りなどの警戒をしているシュラインが彼女のマヌケさに対して吹き出しそうになっていた。このままでは面目丸つぶれになると思ったのか、孝は必死に説得を始める。
「パンダ、パンダ。お前のエサになってる笹、僕にも分けてくれないかな?」
彼女の話す言葉は偉大な魔法の力でちゃんと目の前のパンダにも通じるようになっている。パンダを誘惑するように歯の浮くような甘い声でお願いする孝。しかし、パンダの返事はあまりにもそっけない。
『ヤダ。』
「そ、そんなぁ、仲間だろ。ほ、ほら、俺はお前の好きなものを持ってきたんだ。ほらほらほら、果物だ。これもうまいぞ〜?」
リュックの中からリンゴとバナナを取り出し、ホワイトビッグパンダに捧げる孝。パンダがそれに興味を示して巨大な手がそれをむんずとつかもうとしたその時だった……シュラインが冷たい廊下に乾いた音が響くのを察知した!
「誰か来るわ! 早く隠れて!」
「シュラインよぉ、急にそんなこと言われても……」
「あわわわわわ……ど、どーしよ……」
全員が混乱を収拾する前に巡回がホワイトビッグパンダの檻を覗きこんだ……巡回をしているのは若い男性職員だった。彼は中にいるある人物にごく自然に声をかけた。
「おばちゃん、早く帰った方がいいよ。もうすぐパンダも寝るから。」
「あ……ええ。そうじゃ〜ねぇ〜。あいたたた……腰が、腰が悪いで掃除もままならん……あたた……」
「大丈夫、おばあちゃん。私が代わりにやってあげる。ここを掃除すればいいんだろう?」
巡回の目はおかしな変装をしていた恵を清掃係のおばちゃんに、朱姫をその娘に見間違っていた。無茶苦茶な芝居で騙せてしまったため、逆に困ってしまったふたりは静かにその辺の掃除を続けるしかなかった。このままやり過ごせるならそれでいいと思っていた。
巡回が周囲を見始める。シュラインは息を飲んだ……今、彼女は壁際に張りついていた。彼が中に入ったら即座に気絶させようと右手を振り上げたまま手刀の形を崩さない。蘭は人間化を解き、オリヅルランに戻って檻の片隅に立っていた。そして肝心の孝はホワイトビッグパンダの影に隠れた。その際、とっさに『魔法の言葉』でパンダが騒がないようにした。
「……………動けば、殺ス。」
パンダは恐怖のあまり固まってしまっていた。そんな変化にも気づかず、巡回はおばちゃんに挨拶をして去ってしまう……
シュラインが巡回が遠ざかったことを知らせると、全員が小さくため息をつく。蘭も人間の姿に戻った。そしてかわいいメスパンダの孝はさっきのことを思い出し、持っていたリンゴとバナナをいそいそと差し出す。
「リンゴとぉ、バナナでぇす♪」
『お前さっき、殺スとかなんとか言ってたじゃねーか。』
「そんなぁ〜、さっき『殺ス』はぁ、愛情表」
『イリマセン。』
ガックリとうなだれる孝の胸倉をシュラインがつかんで、彼を近くの壁まで押しまくる。さっきのセリフがよっぽどお気に召さなかったようで、驚く孝に疑問を投げかける。
「あんたね……なんで説得に『殺ス』なんて言葉が出てくるのよ! 確かに鬼にはなってるけど! これで交渉ぶち壊しになったら責任取れるんでしょうね……?!」
「シュラインよぉ、苦情や文句はぁっ……巡回のお兄ちゃんに言ってやってくれ、げほっげほ!」
シュラインの手に力がこもる。孝の首は何度も上下運動を繰り返し、どんどん苦しくなってくる。しかし、ぬいぐるみの顔は表情ひとつ変えない。それがシュラインの逆鱗に触れたのか、さらに厳しい責めは続く。
そんな中、成り行き任せの母娘コンビがパンダへの説得を始めていた……
「パンダさん……あなたのご飯は無駄にはしない! してたまるか! だから私たちに頂戴!」
「そうだ、お前のご飯を粗末にすることはしないんだ。ちゃんとした使用目的がある。それを使いたいという人がいるんだ。だから分けてくれ。」
『……………??』
パンダが首を前に出して話を聞いているように見えたのか、恵と朱姫はお互いの顔を見てにんまりとする。だが、なぜかシュラインと孝は頭を下げて落胆していた。
彼女たちは言葉がわからないパンダにはジェスチャーが必要だと思って喋りながらアクションをしたのだが、これがまた喋っている内容と微妙に合わずにわかりにくいのだ。挙句の果てにはパンダが孝にアクションの説明を求めたほどだ。それでもふたりは自信たっぷりにボディランゲージ付きの説得を繰り返す……
「私が食い物を粗末にするわけがないじゃない! だから、こんな私のために……パンダさんってば聞いてるぅ?!」
「ほら、ここに別の笹があるんだ。これと交換しよう。ちょっと小さいけど、私の心が詰まってるぞ。3本と交換してほしいんだ……って聞いてないな。この……人間をバカにするなっ、こうなったらこの矢で一突」
「お、お、おーい、おふたりさん。熱意ある説得中に申し訳ないんですけど……ちょっとね、アクションなしでお願いできま」
『別にいいよ、アクションなしにしなくても。どっちみちあげないから。』
「こんのぉ……言ってくれるじゃねぇか、バカパン」
「あーあーあーあーあーーー! あのぉ、じつはぼくにもさくせんがあるんです……」
「えっ、蘭くんに?」
興奮した孝を止めたのは、なんと蘭だった。さすがの母娘もアピールを止め、彼の側に寄って話を聞く。
「ぼくがオリヅルランになって〜、ぱんださんのきをひいてるうちにみんなでもってにげて〜。でもめぐむお姉ちゃんはぼくをもってにげてくれる?」
そういうと再びオリヅルランになる蘭……するとパンダはその青々とした姿に魅入られたようで、自分から通訳に話を振る。
『あれ、食べ物?』
「まぁ、一応そうみたいだね……ちょっと噛みごたえはないかもしれないけど。」
「ジャングルをさまよってた時、蘭の仲間を食べたような気がするな……あの時は本当に感謝したよ……」
パンダはともかく、孝と恵は不謹慎極まりないトークを炸裂させる。なぜかパンダではなく人間の反応を聞いてびくびく震える蘭。心の底から心配そうな表情を浮かべるシュラインと朱姫。しかし、彼女たちには重要な任務があった。パンダが孝との話に夢中になっている隙を突いて壁を伝って笹の元へと向かっていたのだ……冷静に話を進めるためにふたりをわざと視界に入れず話す孝。
「まぁ待ちたまえ、同胞。」
『キミに言われたくない。』
「細かいことはいいんだよ。ともかくだ、あれがどんなものなのか……哺乳類がいきなり両生類のようにいきなり獲物にがっつくのは美しくない。まずは観察だ。カシコイ霊長類であるための条件その1だ。どうだ、あれはどう見える……?」
『いつも食べてるのとは違って、またいい食感が楽しめそうだね。コリコリしてて。』
「お前、テレビのグルメ番組に出れそうだな……まぁともかく、続いては触った感じも試そうか。じっくり見ながらやさしく触るんだ……そうすれば実感が数倍になってお前に伝わるよ……」
孝が蘭に注目するように指示したのを合図に、シュラインと朱姫は竹を数本ずつ小脇に抱える。パンダが指示通りにやさしく蘭の身体をなでなでしているのを見計らって異世界召還能力を応用して外への扉を自分の後ろに作り出した……今度はそれに向かい、そこから外へと脱出した。それを見た孝はひとまず安心すると、最後の仕上げに取りかかった。
「パンダさん、それではさっそく食してもらおうと思いま……あっ、なんだあれ、天井から誰か見てるぞ?!」
『ん、どれ? どこどこ?』
パンダが上を向いた瞬間、恵が猛ダッシュで蘭を回収し、そのまま扉の中へ飛び込んでいく……それを見守った孝は自らもその場から消え去った。パンダが下を向いた時には、蘭どころか人間たちもいなくなっていた。
そこに残されたのはリンゴとバナナくらいだった。パンダはおもむろにそれをつかみ、一口噛み締める……彼はどこまでも能天気だった。
『食べたかったな……あれ。』
まんまと笹を手に入れたシュラインたちはその足で繁盛本舗へと向かう。幽霊なのになぜか家族と一緒に寝ていた親父を叩き起こして笹を見せると、狂喜乱舞したまま店の連中を叩き起こして明日の百貨店の出展に向けて徹夜での支度を指示する。そして約束通り、釜飯をいくらでも食わせてやると言った。周囲は蘭の帰宅時間を心配したが、親父はこうなると誰の言うことも聞かない。やむを得ず、全員が実に素直に親父の好意を受け入れた。
しかし親父はただ恩人をぼーっと待たせる気はなかった。繁盛本舗の広い庭の一角にござを敷き、美しく色づいたもみじの舞うところで酒やジュースなどを用意させ、最高の舞台で釜飯のできあがりを待ってもらうんだと言った。その心遣いには草間たちは大喜びだった。さっそく酒をかっ食らう草間。お酌は零がやっていた。
シュラインはお祭り騒ぎになりつつある周囲を見て微笑んだ。その姿を見た草間が頬を赤く染めながら、満面の笑みでこう言った。
「情けは人のためならず、ってな。こういう時もあるんだよ、こういう時も。まぁ、この計らいは予想してなかったけどな。」
「楽しくやりましょ、シュラインさん。」
零が差し出したお猪口を受け取り、それに日本酒を注いでもらうシュライン。
「ま、今回はそれでいいわよ。」
さっきまでの苦労はどこへやら、シュラインもそのどんちゃん騒ぎの輪の中へ入っていくのだった……秋の風情とうまい飯がそれをさらに盛り上げるのだった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ /女性/ 26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
0550/矢塚・朱姫 /女性/ 17歳/高校生
1990/天音神・孝 /男性/367歳/フリーの運び屋・フリーター・異世界監視員
2170/四方峰・恵 /女性/ 22歳/大学生
2163/藤井・蘭 /男性/ 1歳/藤井家の居候
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■ ライター通信 ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。今回のテーマはまたもや『ギャグ』でした。
募集時に「かなりナンセンスに近いギャグ」と書きましたが、内容はどうでしょうか?
個人的には頭で想像できるイメージが非常にナンセンスです(笑)。
シュラインさんは二度目のご登場ですが、今回も実行犯です(笑)。
今回はちゃんと武彦さんと零ちゃんとのシーンも盛り込ませていただきました〜。
私のシナリオでは緩みっぱなしの武彦さんですが、いかがでしょうか?
他の皆さんとの絡みもじっくりお楽しみ頂けたら嬉しいです!
なお、今回もいつものように他の皆さんと若干違う描写場面があります。
どこがどう変わっているのかを楽しんで頂けたら幸いです。物語の数だけ楽しめるようがんばります。
最後のシーンはメンバーが集まってから考えました。きれいで楽しい思い出になることを祈って書きました。
この風景がキャラだけなく、皆さんにとってもいい思い出になることを祈ってます。
今回は本当にありがとうございました。また別の作品でお会いしましょう!
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