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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


アメリカン・ソウル


 グロックとベレッタを横撃ちしながら突っ走っていくクソガキどもの相手は疲れる。
 ゴドフリート・アルバレストは、急な休暇願を上司のデスクに叩きつけると、旅支度を始めた。同じような暴挙に出たのは、確か半年以上も前だ。彼は清く正しく且つ真面目に、毎日毎日クソガキの相手をしていた。そうして、たまにぷちんと糸のようなものが切れるのだ。こうなったが最後、誰もゴドフリートを止めることは出来ない。彼はスーパーチャージャー搭載のコルベット・スティングレイをカッ飛ばし、何処かヘ何日間か息抜きに行ってしまう。
 ぷちんと切れて街中でレミントンを連射するよりはましなので、カリフォルニア・ハイウェイ・パトロールも、何も言わなかったが。

 そうした久々の休暇で、ゴドフリートが行くのは、何もない田舎だった。よく、ヨセミテを走るのだ。アメリカ大陸は広く、ゴドフリートが行ったことのない土地は山ほどあったし、きっと死ぬまでにすべてのハイウェイを走り切ることすら出来ないだろう。だが彼は、カリフォルニアが好きだった。どんなに暇があっても、行きたいところがあっても、彼は大概の休暇をカリフォルニアで過ごした。
 今回も、広大なヨセミテで動物の声でも聞きながら、コルベットを走らせるつもりでいたのだが――

「……重い」
 後部座席に荷物を積み終え、さて運転席に……と思ったところで、ずずん、と身体が重くなった。体重は352ポンドとはいえ、自分で自分の身体が重いとはついぞ思ったことがない。まるで厄介な悪霊か怨霊を、一気に背負い込んでしまったかのようだ――
「って、お前かァ!」
 ちりりん、からん、ころん、
「久しいのう、土佐犬」
 紅色のキモノの少女が、ゴドフリートの首に絡めていた腕を離し、ちりんと地に降り立った。ちりんと、と言うのは――彼女が履いているゲタだかゾウリだかいう履物に、鈴がついているかららしいのだ。彼女が歩けば鈴の音が聞こえる。魂を掻き乱す音だった。
 ゴドフリートはこのニッポンの少女になつかれて久しい。名を九曜魅咲。
「まあ、確かに久し振りだがなァ……どうかしたか?」
 ゴドフリートの問いに、魅咲は黙って手紙を差し出してきた。
 手紙は、ふたりの共通の親友からのものだった。
 要約すると、『魅咲を預かって下さる親切な方へ。私はこれから3日ほどN.Yに行きます。かの街は治安が悪く、不貞の輩が多いので、魅咲には不適切な街と言えましょう。そんな輩が減るのは警察にとっては好ましいことでしょうが、一寸の虫にも五分の魂があります。それにあまりに処理すべき数が多くて魅咲も疲れるでしょうから、カリフォルニアに置いていきます。親切な方、数日だけですが魅咲をどうぞよろしく。甘い物でも与えておけば少しは静かでしょう。お裾分けしてあげて下さいね』……といったところか。
「要約出来ねェほど長い手紙だ」
 ゴドフリートは唸り声を上げた。
「しかもアイツ、N.Yをムショ扱いしやがってるな。……今度会ったら、その偏見叩き直してやる」
 魅咲はすでに、無断でゴドフリートのジャケットのポケットに手を入れて、甘いロリポップを手に入れたところであった。


「用意なんざァ、一人分しかしてないぞ。それでもよければ連れてってやる。カリフォルニアで行きたいところはどっかあるのか?」
「お主は何処へ行こうとしていたのだ?」
「ヨセミテの大自然に触れ――」
「つまらん! お主の趣味はつまらん!」
「……ヨセミテをなめやがって」
 むかむかと腹を立てながらも、魅咲が助手席に乗り込むことには文句を言わず、ゴドフリートはコルベットを走らせた。
 つまらんと言われようが、ゴドフリートは大自然に向かうつもりだった。都市に行かせては、魅咲がN.Yに行かなかった意味がない。何も治安が悪くて悪人が居るのは、N.Yだけではないからだ。自分が通った都市で変死者が出るのは気持ちのいいことではなかった。きっと、やめろと言っても、魅咲は魂を導き続けるだろうから。

「のう、腹は減らぬか」
「お前腹なんか減るのか?!」
「減っては都合が悪いのか」
「いや、べつに……」

 物思いは、いやに現実的な訴えに破られた。
 すでに走り始めてから1時間が経過していた。
 ゴドフリートは、小さな町のショッピングモールに愛車を停めた。


「不味いのう」
「お前……そんだけ食っといて何言い出すんだ」
「この国の人間はみな舌がどうにかしている。味がしないか、塩っ気が多いか、甘露で煮詰めたように甘いかだ」
 どうやら、このモールのレストランの料理は、味がしない部類に入るものだったらしい。他にも、かたいだのくさいだのと文句を言いながら、魅咲はぺろりとゴドフリートに劣らぬ量を平らげた。魅咲は気分が愉快になるようなことを何ひとつ言わず、ゴドフリートもなぜ自主的にこの子供の姿をした存在のお守りをしているのか、まったく理解できなくなってきていた。ひょっとすると、自分は自分を陥れることに生き甲斐を感じる、潜在的なマゾヒストなのでは――いや、考えたくもない。ゴドフリートは湿った顔でかぶりを振ると、インスタントと思しきコーヒーを飲み干した。
 ……魅咲が、いなくなっていた。
「おいこら、またお得意の――」
 魅咲が消えたことは、何を意味するか。
 ゴドフリートは慌てて、ドル札をテーブルに置くと、レストランを出た。

 あの男。
 子供連れ。
 妻の買物に付き合っている。
 微笑んでいる。
 金髪とはしばみ色の家族。
 だが、あの男。
 週に何度か、ベッドを抜け出し、ビデオデッキに秘密のテープを入れている。
 同じような夜中に、こっそりとネットで買いつけたテープ。
 血。
 悦楽。
 魅咲は、男が家族に隠れて観ているビデオに、スナッフフィルムという俗称をつけられていることを知らない。しかし知ったところで、何が変わる?

「おい!」
 ゴドフリートが呼ぶと、魅咲は振り向いた。
 ほう、と溜息をついたのは、何故なのか。
「よくぞ我が居場所を突き止めおった」
「何がよくぞだ。周りの人間の視線を辿れば簡単だったぞ。お前の格好は映画でしか見たことない人間ばかりなんだからな」
「左様か」
 魅咲はじっと見つめていた家族連れから目を離した。
 その赤い目に飛び込んできたのは、『SALE』のポップと、青やピンクの極彩色だ。
「おお。土佐犬、我はあれに興味があるぞ」
「水着ってお前、もう時期は終わって……おい!」
 ゴドフリートの巨体は、そのままずるずると幼子によって引きずられていった。

 休暇は三日間だ。
 それも、急な休暇だった。愛車以外に交通手段を使うことなど考えてはいなかった。ゴドフリートは――魅咲がつまらんと文句を言うことは承知していたが、一方では自然の血からで唸らせてみたいとも思っていた。
 ゴドフリートは2日目、愛車を空港に置いて、魅咲とともに朝一番の小さな航空機に乗った。

 魅咲はゴドフリートに35ドルで買わせた水着を触りながら、車内でむっつりと頬を膨らませていた。
「のう、我は、この水着を着たいのだが――水場からは離れていっている気がするぞ」
「黙って乗ってろ」
 レンタカーは5時間以上も走り続けた。荒涼とした大地を、対向車をまったく見ない車道が貫いている。日が傾き、空が大地のような色になり――魅咲はずっと、その荒れ果てた何もない風景を見つめ続けていた。途中、寂れたダイナーがあり、ガソリンスタンドがあった。つまらなさそうな顔の、日本語などコンニチワすら知らない人間が店番をしていた。ふたりの間から、なぜか自然と会話が消えた。ゴドフリートは沈黙を持て余してカーラジオをつけたが、気の利いた音楽は流れてこなかった。あくびが出そうなカントリー・ミュージックか、砂嵐の唸り声か、ラジオはともかく、ひどく無愛想だった。

  あんせんこんせん やっこんせん
  向こう見いやれ しっけぇ見いやれ
  帆っかけ船が 味噌つつく

 突然、助手席の魅咲が歌い出した。ラジオの代わりを務めてくれたらしい。鈴のついた下駄で拍子を取って、あの手鞠でもついているかのように。

  あわれはとんでけ 日は暮れる
  おお月、出えやれ 出てかわれ
  名古屋の名古屋の中娘……


「水など無いではないか」
「有ったのさ。大昔の話だけどな」
 ゴドフリートは魅咲をおぶり、誰もいない道を歩き続けた。ここは穴場だ。地元民だけが知っている。
 視界が開けて、ゴドフリートの背の魅咲は――おお、と小さく声を上げた。
「もうすぐ、ここも閉鎖される。空からしか見えなくなるんだ。お前のことだから、テレビでだって見てないだろうと思ってな」
「ここは何処ぞ? 名はあるか?」
「『壮大な渓谷』だ」
「ぐらんど・きゃにおんか。覚えておくとしよう」
 渓谷は、果てしなく続いている。ゴドフリートは魅咲を下ろした。錆びたフェンスが、ここが穴場だということを示していた。
 からん、ころん、
 鈴の音は、果てしなく遠い過去の大河に響き渡る。今は乾いた風が吹き、赤茶けた風景は赤い空に溶けていた。魅咲の瞳の中でも、溶けている。魅咲は黙って渓谷を見下ろしていた。最早この大河で泳ぐことは出来ないが、魅咲の眼前には、轟々と音を立てて、赤い岩を削りながら流れる大河が広がっている。
「ぐらんどとは、素晴らしいという意味合いもあることばであったな」
「おウ、よく知ってるじゃないか」
「我も学習くらいはするぞ」
 魅咲は目を細めながら、ふと南東に目を向けた。
「魂を感ずる」
「その先に、ラスベガスがあるな」
「左様か」
「欲望の街だ」
「そのようだ」
「夢の街でもあるんだけどな」
 行くか? ここと同じで、見る価値はある。
 ゴドフリートは口には出さなかった。
 魅咲はその無言の問いに、緩やかにかぶりを振ったのだ。
「久方振りの休暇なのじゃ。一時、雑踏を忘るるも良かろうて」
「俺が? お前が?」
「ふたりが、だ」
 魅咲は南西から目線を外し、ゴドフリートを見上げて微笑んだ。
 ゴドフリートは、このアラミサキのそんな微笑みを初めて見た。
「のう、我は、日が暮れるまでここに居りたい」
「この辺りはすぐ寒くなる。俺が寒いと思ったら、下りるからな」
「それで良い」
 からん、ころん、
 魅咲は飽かず、渓谷を見つめていた。
 日が暮れて、火星が光りだしても、ゴドフリートは寒いとは思わなかった。
 欠けた月が出るまで、彼は、寒いとは言わなかった。

 明後日からはまた、クソガキどもとの追いかけっこ。
 そして、血と欲で目を塞がれた人間たちのお守り。
 ふたりは、束の間明後日のことを考えた。
 何も考えずに眺めていたかったが、なかなか難しいことだった。ふたりは鈴の音とともに谷を去る。去ることを考えたくもないままに。
 さあ、それでも、帰るとしよう。
 コルベットと親友が待っている。




<了>