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優しくて迷惑な感謝の気持ち
彼女の日常は喧騒と騒動に満ちている。
満ちるなというほうが無理であるきっぱりはっきりと。
別に彼女がもの凄まじい悪人であるとか、心に黒い物を飼っているとか、そうしたことではない。
言ってしまえば彼女自身には何の責任も無い事柄である。大人しくて内気。人見知りして口下手。男性恐怖症で泣き虫な、愛らしいたおやかな性格なのである彼女は。人によっては鬱陶しがるだろうが、それは騒ぎとはイコールではない。
しかし彼女の日常は喧騒と騒動に満ちている。
満ちるなというほうが無理であるきっぱりはっきりと。
何故なら、
「ああ、また翼が看板に当たってしまいました……」
彼女はラクス・コスミオン。顔と胸は女性で、体はライオン、鷲の翼のスフィンクス、であるからだ。
目晦ましの法は万能ではなく、そして目晦ましを使ったからといってその身体が現代日本の風土に合うわけが無い。
器物破損は日常茶飯事、加えて喧騒の中に目晦ましが通用しない人間が居ればそのまま阿鼻叫喚。
実に当然の事だが。
彼女の日常は喧騒と騒動に満ちている。
満ちるなというほうが無理であるきっぱりはっきりと。
その迷惑を蒙るのは主に彼女ではない。
残念ながらラクスは外貨(出身エジプト)には実に弱く、加えて己が日本の風土にそぐわないとはあまり思っていない。
では誰が迷惑を蒙るのかといえばラクスの大家――その本人からしてみればラクスはペットのようなものなのだが――である。
だから、
「なにかお礼をいたしましょう」
そう、ラクスは決意した。
実際の所何もしないで居るのが一番のお礼で、加えて好事家の大家はそうであるが故にラクスの起こす騒動など何程のことも無いという事は、当然理解していないラクスであった。
『いりません』
にっこり笑ってつき返された衣装を抱えて、ラクスは途方に暮れていた。
「こ、これ以上のものを……」
一寸涙目、後ろ足はすっかり地に懐き、その『素晴らしい贈り物』を抱きしめた腕は悲しみに震えている。
「彼の女王もこれほどの品は手に出来なかったでしょうに……」
しくしく。
緑の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
『ラクス。現代日本でこの格好で出歩いたら周りから小銭を投げられてしまいますよ? 小銭ならまだいいですけど……』
ふう。
そう言って大家さんは首を振った。それはそれは疲れたように。
何がいけなかったのかラクスはさっぱり分からなかった。
彼女の持てる力、実家の『図書館』から取り寄せた最高の素材で魔力と言う魔力を駆使して夜なべして作り上げた最高の一品である。サイズもぴったり合うはずなのに。
抱きしめた贈り物をじっと眺めて、ラクスははらはらと涙を落とした。
何が、一体どうして……?
じっと見つめているとはっと閃くものがあった。
「ああ……!」
そうかそうだったのか!
頃は木枯らし。
しかしこの衣装は確かに魔よけとしては最強のものであり冷暖房完備ではあるが、残念ながら腕を覆うものは黄金で象嵌された腕輪だけ。
「……きっと寒いと思われたのですね……!」
ああ、実は暖かいんですといっても今更だろう。それに小銭を投げられてしまうという事は、冬になっても夏物を着ているしかない手元不如意な人と思った周囲の人々が、哀れに思って施しをしてくれるのだ。きっとそうに違いない。大家さんはお金には困っていない方と聞いている。きっとそれが屈辱だったのだろう。
「では……これは御気に召さないですね」
どうしましょう?
「ああ、そうです、そうしましょう!」
すっかりへちゃんと寝ていた翼を広げ、ラクスは立ち上がった。
その場に置き去りにされたその贈り物。
金糸銀糸に重いほどの黄金の彫刻。腕輪や額飾り髪飾りまで用意されたものの見事なクレオパトラ風衣装。勿論頭上に飾るボールモドキも完備。
こんなものを着て外を歩けば間違いなく小銭を投げられるだろう。
――チンドン屋と思われて。それで済めばいいが子供に石を投げられるかも知れず、下手を打てばお巡りさんに不審尋問を受けてしまう。
『ラクス、お仕置きされたいですか?』
コメカミに青筋など立てた大家さんが笑顔でラクスの次なる贈り物を叩き返すのは数時間後のこと。
それは装飾品で、やはり魔よけとしては最高傑作だったが――残念なことに人間の目玉などを模した黄金細工。つけて歩けば変人として2メートルは他人に距離をおかれるだろうというシロモノであったという。
「なにがいけないのでしょう……」
しくしく。
嘆く彼女の日常は喧騒と騒動に満ちている。
満ちるなというほうが無理であるきっぱりはっきりと。
何もそれは外見だけが原因のことでもないらしいが、それも含めて彼女は至って無自覚なのであった。
優しくて迷惑な感謝の気持ちは、多分当分届きそうもない。
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