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垣根を越えて
■突撃 〜北斗〜
多分こうして自分でお膳立てしなければ、一生言い出せないのだろう。そんな自分をよくわかっていたから、前もって「行く」と言っておいたのだ。
(覚悟、覚悟だ)
それを決めなければ。
俺は――いや、俺たちは、先へは進めない。
「パン」と両手で顔を叩いて、俺は歩き出した。
今日俺の背中を押してくれるのは、兄貴ではなく夕日だけだ。
(夏菜のことに関しては、誰にも頼りたくない)
そんな俺を象徴するように。
軽やかとはいえない足取りで、石和家へと向かう。
俺はいつも玄関からは入らない。庭の垣根を越えて、リビングの窓から進入しているのだ。
(垣根と窓を飛び越える)
その瞬間。
俺はほんの少しの、優越感を味わう。
それが俺たちの、”近さ”だと思うから。
「――あ、北ちゃん! いらっしゃ〜い」
ひらりとリビングに降り立つと、待ち構えていた夏菜が声をかけてきた。
――ドキン
心臓が大きな音を鳴らす。
(き、聞こえてないよな……?)
目をそらしてテーブルの方を見ると、お茶の用意がしてあった。しかし今は、それに手を伸ばすわけにはいかない。
(ダメだ)
それを飲んだら、いつもの雑談になってしまう。
――ドキン
うるさい心臓に、俺は釘を刺した。
(覚悟を決めたんだろう?! 守崎・北斗!)
「夏菜!」
「は、はいっ?」
突然大声で呼ばれて、夏菜はぴくりと震えた。そして立ったままの俺を見て、訝しげに首を傾げる。
「どうしたの? 北ちゃ……」
「好きだ!!」
「?!」
■葛藤 〜夏菜〜
私の目は、多分とんでもなく丸かったと思う。
(北ちゃん……?)
今、何て言ったの?
訊き返す必要もないほど、はっきりとした言葉で私の耳に届いた。それはおそらく心の奥底で、ずっと待ちわびていたもの。
世界が赤く染まる。すべてのものが、熱をもって動き出す。
私はゆっくりと頷いた。
強く握りしめた北ちゃんの手が見えて、自然と笑顔になる。
「――夏菜も、だよ?」
(私のために)
きっと凄く、勇気を出してくれたんだろう。
そう思うと、余計に嬉しかったのだ。
「……た」
「え?」
反応を訊き返した私に、北ちゃんが抱きついてきた。
「ぃやったぁぁーーーっ!!」
そしてそのままぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「ほ、北ちゃん?!」
「あ、ごめんッ」
嬉しさのあまりか大胆な行動をとってしまった北ちゃんは、我に返ると慌ててその手を放した。
「ううん、大丈夫」
(私も嬉しい)
北ちゃんを抱きしめたいくらいに。
同じくらい大胆なことを考えて、私も負けじとさらに赤くなった。
色を失ってゆく空とは裏腹に、色を帯びてゆく私たち。
「……座ろっか」
「あ、ああ」
失われてゆく色を惜しむように、窓際に並んで座った。いつもと同じ距離なのに、今日はなんだか近く感じる。
熱が伝わってくる。
優しい、空間。
「――今度、ここの庭でバーベキューでもしような?」
視線の先に広がる庭を見て、北ちゃんが呟いた。食べ物を連想するところが、いかにも北ちゃんらしい。
「えー、夏菜は花火がいいな♪」
「じゃあバーベキューと花火だ! ……どっちも季節はずれだけどなっ」
「あ、ホントだぁ」
2人して笑った。
けれど私は、どこか笑いきれていない。
(遠い日――)
この庭で、家族皆で走り回っていた日のことを、思い出していた。
★
こんなにも遠く、感じるのは何故なんだろう。
(思い出は色褪せないのに)
どうしてこんなに、懐かしいんだろう。
ぼんやりと眺めていた。
改築をせざるをえなかった家とは違い、昔と変わらない庭。
(でも多分、それだけじゃない)
北ちゃんが、似た空気を持っているからだ。
距離も懐かしさも、似たものと出会って初めてわきあがる感情。誰もまったく違ったものを見て「懐かしい」なんて思わない。
(思わないから)
”同じ”にしてしまいたくは、なかった。
そっと、隣の北ちゃんを盗み見る。
「夏菜の両親ね、魔獣と魔獣使いに殺されたの」
そんなことは言えない。
「だからね、ずっと捜してるの」
言えるはずがない。
「仇を討つために――」
言ったら巻き込んでしまう。
(北ちゃんの性格なら)
きっと一緒に捜すって、言ってくれるだろう。でもそれではダメなんだ。
(巻き込みたくないの)
これは私の――私たちの問題だから。
視線を、庭の方へ戻した。
(本当は、黙っているのも辛いんだ)
いつかバレた時に、嫌われるんじゃないかって。
(怖い)
私は。
どちらも怖い。
だから今の私には――
「!」
北ちゃんが優しく手を握りしめてくれた。私の凝り固まった心をとかすように。
私も、そっと握り返した。
(今の私には、こうして想いを返すことしかできない)
ただそれだけは確実に、伝えていこうと思った。
■答え 〜北斗〜
握り返された手の温もりに、俺は少し安心した。それが赦しのように思えて。
(もどかしいな……)
この温もりみたいに、簡単に気持ちが伝わればいいのに。
そんなことを考えた。
俺にはどうしても、訊きたいことがある。
それはさっきの夏菜の意味深な視線のことでもあるし、所々改築されたこの家と、夏菜の兄貴の態度のことでもある。
(夏菜には両親がいない)
そのことはわかっていた。ただその理由が、交通事故とは思えなかったのだ。
(何か、あったんだろうな……)
笑顔の合間に時折、ほんの一瞬だけ見せる表情。それに気づいた時、俺は夏菜の心の奥に隠された何かの傷を悟り、そして自分の気持ちを悟った。
(よく見てなきゃ、気づくワケねーもんなぁ)
気づいてしまったら、恋心なんて雪だるま式だ。さらに見ているうちに、夏菜が背中への接触に極端な反応を見せることにも気づいた。
隠された心の傷と、関係がないはすがない。
(告白して)
もしうまくいったら、きっと訊きだせるだろうと思っていた。けれど夏菜の気持ちを思えば、結局は訊くに訊けないのだった。
(いつか――話してくれるよな?)
伝わる手の温もりで、夏菜に呼びかける。
答えなどいらないんだ。俺は勝手に待っているから。
ここで。
夏菜の隣で。
(その垣根を)
越えられる日を――。
(終)
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