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<東京怪談ノベル(シングル)>


人間万事塞翁馬

思えばあの山に入ったのが……運の尽き、か。
まったく、俺はついてねぇ。
このクソ面白くねぇ世界とおさらばするつもりでいたのが、何故かまだこうして生きている――



寂れた寺の裏にある墓地は何時来るか知れない訪れる者たちを待ち侘びているように見える。
微かに降り落ちる細い糸のような雨に墓石は薄っすらと色を変えて、珍客を見守っている。
忌引弔爾は傘を持たず、代わりに日本刀をだらりと右手に提げ、ひとつの墓の前に立っていた。
『普通』の人が見れば、新しい墓の前に立つ一人の背の高い男が悲嘆にくれている様に見えなくもない。
だが、弔爾は向き合っていた。
一人の、肉体の器を無くした母親と。



――面倒臭かった。
それは今でも変わらねーが、あの時はもっと強く思ってた。
毎日くだらない事ばかり流れてくるテレビ。
ウザイほど街に溢れる人間。
奴らが話す言葉は底なし沼の底から漏れてくるように異質で不快だった。
そんな世に俺は嫌気がさしていた。
毎日やる気もする事もなく、どんどん……医学用語で言やぁ鬱のような感じになってたんだろう。
ある日、目が覚めると生きてるのも面倒臭くなった。
だから、死のうと思った。
だがそこからが問題だった。
初めは簡単に部屋で手首でも切って死のうかと思ったんだが、そうなるとこの部屋に他人が入ってくるかも知れねぇ。
管理人に警察だか救急だか、だ。
まぁ、ほとんど物が無いような部屋だが、それでもプライバシーってもんがある。
……ダメだ。
次に俺は街へ出た。
大都会・東京。
こんなうるせーとこで死ぬなんてもっとご免だ。
俺は街から離れた。
ただ、足の向くままに移動しているとあの山を見つけたんだったな……
周りは畑と田んぼばかりで、遠くに何軒か家が見える程度という人工建造物が極端に少ない場所だった。
それに、人通りがない。
こりゃあ良い。ここなら誰にも見つからないだろう。
ただ、散歩するように山に入った。
人が通ったような跡はなるべく避け、のんびり斜面を登って行った――



『何を泣いておるのだ?話を聞こう』
弔爾の斜め下、すぐ脇から男の低い声がした。
女の霊は悲しげな瞳を涙で濡らし、顔を弔爾に向けた。
半分透けた女の体ごしに濡れている墓石が見える。
弔爾はぼんやりと、死んだ奴が着る服はみんな透けんのかな、などと思っていた。
『はい。……娘の事が気がかりで……毎日、ここに来ては私が天国へ逝ける様にと願っていくのです。今日も……』
そう言い、目を伏せた女につられて弔爾も視線を足元へとずらした。
そこには真新しい小さな花束が備えられている。
『そうか……それはさぞ心残りであろう。子の居ぬ拙者だが、お主の気持ち痛い程分かる』
憐れむ声音をぼうっと聞きながら、弔爾は煙草が吸いたいなと思ったが、この雨だ。すぐにしけもくになってしまう。
『だが、この世はもうお主のいる場所ではない。……判るな?』
弔爾は視線を声のした方へ落とした。
そこには誰も居ず、弔爾の持つ日本刀があった。
だが、声はその日本刀から発せられている。――俗に、妖刀という。
刀が言った言葉に女は苦しげ、というより寂しげに目を伏せた。
「……無理やり成仏する事はねぇ」
女が顔を上げた。
「逝きたい時に逝けばいい。この世に留まっている奴なんてのは幾らでもいる。娘の姿を見て、大丈夫だと思ったら逝けばいい」
『なっ!貴様は何を戯けた事を……!』
男の慌てた声がしたが、弔爾は気にしていなかった。
むしろ、自分の言った言葉が可笑しく、少し口元だけで笑った。
それがまた意思を持つ妖刀の癪に障ったらしい。
『何を笑っておる!大体貴様という奴は昔から――』
『あの……』
説教が始まるかと言うところに女が声を出した。
しかめっ面で耳を押さえようとしていた弔爾は女の顔を見て、息を飲んだ。
女は、笑っていた。
まるでそこだけ晴れたかのように、すっきりとした笑顔を弔爾に向けて深くお辞儀をした。
『有難う御座います。きっと、私は誰かにそう言って欲しかったんだと思います』
「……そうか」
『はい。有難う御座います』
母親の笑顔というものがこんなに美しいものかと少し驚きつつも、これでここに居る必要はなくなったと判断した弔爾は踵を返した。
墓地を出、寺を後にした弔爾は黙ってしまった刀を横目で見て、優越感にほくそ笑んだ。
あの女の笑顔に刀は無理に成仏しろとは言えなくなったのだ。珍しい弔爾の勝利だった。



――山は見た目より深かった。
しかも、人の踏み入らない所を歩いているので足元が不安定だった。
何度か滑り落ちそうになりながらも歩き続けた。
だが、やはり日頃何の運動もせずおまけに普通の革靴で山歩きは無謀らしい。
木の根に足を取られ、数メートル滑り落ちた。
その時にどうやら右目をやっちまった。
痛む右目に手を当てると、ヌルリと生暖かい感触と血が指を伝って落ちた。
それでも立ち上がり歩く。
なんでここまでして歩いてるのか、自分でも不思議だったが足は進んでいた。
と、緑の合間に建物が見えた。
堂のようだったが、誰も訪れた様子がなく荒れ放題の無人堂だった。
俺は、疲れた足を引きずり、その堂へと入った――



『おっかえり〜!ねぇねぇ、遊ぼうよ』
部屋に入るなり飛びつくようにやって来た随分と昔の格好をした子供を見て、弔爾は一気に不機嫌な顔になる。
「……嫌だ。俺は風呂に入る」
『えー?駄目ー遊んでからー!』
霊である子供はダメダメと大きな声で叫びながら弔爾の周りを回る。
『弔爾。童は今が一番遊びたい盛りだ。貴様は日がな一日何もせん不精者なのだ、相手くらいしてやれ』
「あー……うるせぇ」
今度こそ両耳を塞いだ弔爾は妖刀を無造作に放り出すとさっさとバスルームの戸を閉めた。
やれやれと戸に背を凭せ掛け、板越しに聞える男と子供の喚き声に息を吐いた。
「俺は、何をしてんだろーな」
ぽつり、と呟いた弔爾は自嘲気味な笑みを浮かべた。
死を望んでとっとと逝きたい男と、死んで尚この世に留まるガキに口煩い妖刀。
あの母親がどこか自分に似ていると、弔爾は思った。
逝こうと考えつつも、この世に留まる。だが、それが別に苦痛ではない。
(たまにウザイが……)
弔爾はポケットから煙草を取り出すと火を付けた。
肺一杯に吸い込んだ煙を吹き出した弔爾はチリチリと先の燃える煙草を見た。
「……煙草が吸えるのも良いよな」
自分自身に対する言い訳だったのか、弔爾はそう言うと煙草を咥えた。



――堂の中は暗かった。
ま、こんなとこに誰かいる方が不気味だ。
俺は勝手に半分壊れた扉を開け中に入ると、埃の積もった床に腰を下ろした。
あまりの粉っぽさにムっとなったが、しばらく我慢してると埃が落ち着いてきた。
そして、それから良く堂の中をみると中々良いな、と思った。
中は外見ほど荒れてねーし、何しろ厳かな感じがする。
俺が厳かだとか何だとか言うのは可笑しい気もするが、こんな時だったからな。何かを求めてたんだろう。
『ここで何をしておる?』
そう。あの馬鹿刀の最初の言葉はこれだった。
慌て驚く俺を他所に声は続けた。
『何故にこの場に居る?』
それが問答の始まりだった。
なんだかんだと言い合う内に、妖刀に取り憑かれてしまった。
おまけに死ぬ事ができねぇと来たもんだ。
まったく、やってらんねーぜ。
慌しいし、時に死だの何だのを忘れそうにもなる。
面倒くせー面倒くせー。それでも、今の生活を少し愉しんでる自分がいるのがむかつく。
……………まぁ、いいさ。
今更ウダウダ考えるのも面倒だしな。
どうにでもなるだろ――


『おい』
「……なんだよ?」
『……大丈夫だと思ったら逝けばいい、か。貴様も一丁前の口を利く』
「ふん。一本取られたってか?」
『戯け。まだまだだ。貴様のその腐った性根を叩き直してやる』
「うえっ。てめぇもさっさと逝け、馬鹿刀」
『ふん。覚悟しておけ』
「…………」