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<東京怪談ノベル(シングル)>


喜べ祝えナタ−レ!

 降誕祭に、良い思い出などなかった。
 近づくと嫌でも耳に入る言葉。

  Natale con i tuoi, Pasqua con chi vuoi.

(降誕祭は家族と、復活祭は恋人と――)
 イタリアでは母親が、子供に何度もそう言い聞かせる。言い聞かせられた覚えのない僕でも、知っているくらいに。
 その言葉どおり多くの人々は、その日故郷の家族が待つあたたかい家へと帰る……という。
(――そう)
 僕はそれすらも、知らなかった。
 僕の降誕祭と言えば、儀式に始まり儀式に終わっていた。僕よりもずっと高位の聖職者たちを前に、遠慮と緊張が入り混じる中執り行われる荘厳な儀式の数々。
(あるいは)
 それらの中で得た感動や戒めも、僕にとっては良い思い出であったのかもしれない。
 それが”世界”だと、思っていたから。

     ★

 そんな僕の考えが覆されたのは、他の誰でもなく師匠のせい――おかげだった。
 本国の修道院から師匠に引っ張り出されて間もない頃、僕は生まれて初めて、俗世色の降臨祭に触れたのだ。
 降臨祭の前日、師匠が僕を迎えに来た。
「師匠? 降臨祭は明日でしょう?」
 戸惑う僕を、「いいから、いいから」と笑顔で引きずって街へと連れ出した。
 あとから聞いたところによると、降臨祭当日は”あの言葉”が忠実に守られるため、ほとんどすべてのお店が休みになるのだという。そのため師匠は前の日に僕を連れ出したのだ。
 形式ばった、儀式ばかりの神聖な聖俗のものとは違い、多くの人たちが陽気に歌い踊る世俗の降誕祭。「それでも彼らは今日のこの日、動物の肉は食べない」と、師匠は教えてくれた。確かに出されたものも魚料理ばかりだった。
(そうなんですね)
 彼らは宗教や儀式をないがしろにしているわけではない。ただその喜びを、僕らとは違った形で表しているだけなのだ。
(師匠はきっと)
 僕にそれを教えたかったんだろう。
 翌日師匠は、僕を家に招いてくれた。
「あなたの家はここですよ」
 そう言ってもらえたような気がして、僕はとても嬉しかった。
(”良い思い出”が変わった)
 そして今――それが、増えようとしている。



 師匠のお遣いで街に出た僕は、その寒さにコートの襟を寄せた。そろそろ息も白い。
(冬が近い)
 そしてまた、あの日がやってくる。
 ショーウィンドウには既に、赤と緑の飾りつけ。嫌でもそれを意識させた。
(あれから一年以上かぁ……)
 あの時の僕は、聖俗と世俗の祝い方の違いにとても驚いていたけれど、この街はまたそのどちらとも違っていた。
 オルゴールはあたたかな音色で鳴り響き、宵闇をめまいがするほど煌びやかに電飾が彩る。当日には、人々の雑踏も初雪に包まれて声を失うだろう。
 異教の街は、あまりにも違っていた。
(それでも)
 それを嬉しいと感じるのは、僕が成長している証拠だろうか?
 修道院に閉じこもっていた頃には、想像もできなかった世界。日々。特に東京へ来てからは友人もたくさんでき――ここには、笑顔の素敵なあの人もいる。
(今年は皆で、祝いましょう)
 彼らが僕の、今の家族。
 そして復活祭には――
「!」
 先ほどと同じ笑顔が浮かんで、僕は1人顔を赤らめ立ちどまる。追い越してゆく人々は不思議そうに僕を振り返って、僕は顔を隠すように両手で覆った。
(あくまで希望ですよっ、希望!)
 自分に言い訳をして、それからまた人ごみに紛れる。
 その瞬間、僕は神父から”人間”へと戻った。



 すべての人々が、宗教という枠を越えて。
 ともに喜びあい、祝いあう日。
 それが12月25日に設定されたわけを、僕は忘れない。
 異教にも寛容でありたいと願う僕にとって、それはとても大きな意味を持っているから。
(異教的な要素を、取り入れる間口を)
 そんな譲歩から、降誕祭は世界へと広まった。
 ”人間”なれば、きっと意味なんてわからなくてもいい。
 来たるべきその日には。
(ともに喜びましょう)
 祝いましょう!





(終)