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◆タイトル:指輪の開く扉
◆OP
ルナティック・イリュージョン。ここは月の出から月の入りまで営業する、ちょっと不思議なアミューズメントパーク。海を望む広大な敷地はかつては臨海工業地帯と呼ばれていた場所だった。煙突も機械も取り除かれ、かつてのすすけたイメージはすっかり変わっている。ここは現実から離れ非日常を紡ぐ夢の世界。ひとたびその門(ゲート)をくぐった時から、あなたは月の旅人となる。
総合案内係、黒澤紗夜の元にその小さな落とし物が届いたのは玲瓏たる満月が西の地平線に沈み、閉園した直後の事だった。
「これが?」
紗夜は落とし物を左手のてのひらに乗せた。綺麗で華奢なリングだった。白熱灯の光を浴びてリングの中央に埋まった石がキラリと光る。
「アルテミス広場のベンチのところに置いてあったんですよ」
ロボット達に任せきりにせず見回りをしていた桜庭螢が見つけたのだった。螢が言うベンチとは園内のあちこちに置かれた白い2人掛けのもので、カップルで遊びに来たお客様がよく座って話をしている。
「大事なものならすぐにお客様から連絡があると思ってここに持った来たんだ。あとはよろしく頼むよ」
まだ見回りが済んでないのだと言い、螢は足早に去っていく。紗夜は視線を手の中のリングに落とした。
「‥‥珍しい落とし物ですね。きっと持ち主の方はお困りでしょう」
紗夜はそのリングを遺失物預かりのBOXに丁寧に納めた。
「それからもう3ヶ月ですの」
紗夜はわずかに眉を寄せた。
「こんなものがこれ以上ここにあるのは良くないことなのですけれど、月の出ている間はルナティック・イリュージョンが営業しています。ですからここを離れて持ち主の方にお届けする事も出来ません。それで皆様にこれをお預けしますので、落とし主の方にお返しして頂きたいのです」
紗夜は小さなケースを取り出し、それをパカッと開いて見せた。よくある宝石箱の中に指輪が収まっていた。うっすらと乳白色をした楕円形の石は光の加減によって、ほんのりと青みを帯びて淡く輝く。地金は細いけれど銀色に鈍く光っている。一見して、サイズは9号ぐらいだろう。ごく一般的な女性の指にあう大きさだ。
「銀のブルームーンストーンのリング‥‥ですけれど、これは月が出ている間は普通のリングとは言えません。ですからくれぐれも注意して取り扱ってください。特に‥‥普通の人にはない特別な力を持つ方には何か危険な事が起こるかも知れません」
確かな事はわからないとしながらも紗夜は心配そうにそう言い、手のひらの収まる宝石箱をしっかりと閉じてからそれを差し出した。
・依頼内容:3ヶ月前の落とし物を持ち主に返却する
・落とし物は銀素材の指輪でブルームーンストーンがついている
・サイズは#9である
◆ノベル
天薙撫子は黒澤紗夜から小さな宝石箱を受け取った。この中に例の指輪がある。撫子は慎重にその箱を開いた。中からは銀色の指輪が現れる。その中央部分には青みがかったムーンストーンがはまっている。
「今はまだ月が出ている時間ですから気をつけてください」
「美しいものですね」
鹿沼デルフェスが血の色を浮かす瞳でじっと指輪を見つめる。確かにそれは有能な彫金細工師が丹精こめた逸品であった。石を留める爪も地金を彩る精緻な飾りも滅多に見られないものだ。通常、人の手でここまで彫金を施す場合どうしても色々な部分がざっぱになったり、大振りになったりする。けれどこの指輪はあくまで華奢で繊細な出来上がりとなっていた。
「人ではない、もっと緻密な目と指を持った方の作品みたいに見えますね」
デルフェスは素直に感想を言った。人よりも細かい物を見る目を持ち、人よりも細かい作業を可能とする腕を持つ者でなければこんな指輪は作れない。
「そうですわね。それに、この石もとても美しいですわ」
思わず目を奪われてしまう。そしてその視線は石に釘付けとなる。淡い光さえ仄かに蒼い光を含んで反射する。その柔らかく優しい蒼が心に染み入る。みるみる世界は蒼一緒に染まっていく。妙に現実感が薄れ蒼い色だけが視界を覆い尽くしていくようだ。けれどそれが少しも不快ではない。どこかで心地よい音楽さえ聞こえてくるような気がする。
「‥‥これ以上は危険ですわ」
やんわりと言って紗夜が宝石箱を閉じた。
「あ‥‥」
まるで催眠術がとけたように、撫子の目の前に日常が戻ってきた。ごく普通の色彩と音‥‥ありふれた会議室だった。目の前には紗夜、そして横にはデルフェスが座っている。2人とも心配そうな表情をして撫子を見つめていた。
「確かに‥‥甘美で危険な指輪かもしれませんわ」
撫子はつぶやく。霊視は月が落ちた後でなくては出来ないだろうと思った。
撫子の見たてによれば、指輪に何らかの霊が憑いているという様子はなかった。と、いって普通の指輪とは思えない。
「どうもよくわかりませんわ」
撫子は集中していた気力をほっと緩める。撫子とデルフェスはアルテミス広場にきていた。もうすぐ開園の時刻なので、辺りはウサギ型の清掃ロボットが何匹も可愛らしい仕草で働いている。
「ブルームーンストーンは『愛の予感』を意味する石です。きっと大切な方から贈られた指輪です。きっとなくしてしまった方はお困りでしょう」
デルフェスはこの指輪の持ち主が気の毒に思える。
「もうすぐ月の出ですわ。手がかりがこれ以上ないのですから、ここで待ってみてはいかがでしょうか」
撫子が言うとデルフェスはうなづいた。そもそも指輪はここのベンチに置かれていた。この場所が安全だという保証はなかったが、他に思いつく手がない。撫子は愛用の『糸』を今日も持参していた。その時になれば、瞬時に対応する自信がある。また、デルフェスは自分が防御力に優れた存在だということをちゃんと把握していた。
「でも、せっかくルナティック・イリュージョンまで来たのに自由に遊べないのは残念ですね」
デルフェスはにっこりと笑った。
中空に月がかかる。冷たい夜風がアルテミス広場を渡る。すぐ近くの噴水からはイルミネーションに輝く水の雫が風に飛ばされてあたりに舞い散る。それが更に気温を奪っていくようで冷気がコートに身を包んだ2人の身体を少しずつ凍らせていくようだ。
「なにか暖かい飲み物を買ってきましょうか?」
デルフェスが撫子を気遣う。撫子をが礼を言いかけたとき、唐突にそれは始まった。
「‥‥光が」
輝く月から零れてくるかのように、光が雪の様にキラキラと降ってくるのだ。幻想的で美しいがそれは撫子とデルフェスのいるこのベンチにだけで、他の場所には何もおこっていない。
「み〜つけた!」
子供っぽくて可愛らしい声が遠くから聞こえた。2人がその声の方へと顔を向けると走ってくる女の子が見えた。年齢は中学生ぐらいだろうか、長い黒髪を1本の三つ編みにして、しっぽの様にゆらゆらと揺らしている。
「お姉さん達、あたしの羽衣持ってるでしょう?」
「「羽衣?」」
撫子もデルフェスも首を傾げる。
「あの、指輪の事をこのあたりでは羽衣というのですか? それともこの指輪の銘が羽衣なんですか?」
デルフェスは撫子にとも、その不意に現れた少女にともつかない口調で頭一杯に広がった疑問を口にする。
「指輪が羽衣なの」
少女は撫子の手から宝石箱を素早く奪い、蓋をあけて指輪を取る。声を上げる間もなく指輪は少女の左中指にピッタリとはまった。
「へ〜んし〜ん」
少女の緊張感のない声が響く。閃光の様な光がまぶしく輝き反射的に目を閉じる。すぐに目を開くとそこには白く優美な衣装をまとった少女がふわりと浮かんでいた。浮かんだままの少女は撫子とデルフェスの手を交互に握りブンブンと振り廻す。
「ありがとう、ありがとう! おかげさまでおうちに帰れるわ。一時はもう駄目かと思っちゃったけど、やっぱ諦めちゃだめよね」
満面の笑みを浮かべて礼を何回も言う。
「じゃ!」
短くそう言うと、少女はどんどん空へと登っていった。姿が見えなくなると降っていた光も消える。なんでもなかったかのように辺りは月光に照らされていた。
「なんだったんでしょう」
「さぁ‥‥なんだったのでしょうねぇ‥‥」
風の様に現れて去っていった少女に2人は詳しい事も聞けぬままだった。だが、どうやらここからどこかへと移動するためのものらしい。つくづく、衝動的に指輪を自分の指にはめたりしなくてよかった、と撫子とデルフェスは思った。
ともかくこれで指輪は持ち主の手に戻ったのだろう。依頼は無事完了した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0328 / 天薙撫子 / 女性 / ぴちぴち年齢 / 霊能調査員?】
【2181 / 鹿沼デルフェス / 女性 / 年齢不肖 / 石鑑定士?】
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■ ライター通信 ■
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お待たせいたしました。ルナティック・イリュージョン・指輪開く扉をお届けいたします。今回はなんとも可愛らしい顛末となりました。お二人が『まず指輪をはめてみる』という行動をしていたら、いったいどんなお話になったのかなと思うと、ほっとする反面ちょぴり残念です。次回もまた機械がありましたら、ルナティック・イリュージョンをどうぞよろしくおねがいします。
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