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<東京怪談ノベル(シングル)>


【秘恋】
 3時間目と4時間目の間にあたる休み時間。3時間目が体育の授業でしかもプールであったために教室には女の子しかいない。プール横に位置する更衣室は世の常で女子専用。男子はプールからちょっと遠くにある体育館横の更衣室で着替えている。しかも4時間目は理科の授業で、光合成の実験に使う葉をその足で男子が取りに行っているためにこういう絵図が出来ていた。そして男の子がいない教室ではその男の子の事でここぞとばかりに女の子たちはおしゃべりに花を咲かせていた。
「えー、嘘ぉー。あんなのがいいのー」
「え、え、でも、優しいよ」
「うわぁー。顔、真っ赤だよぉー」
「かわいいー」
「私はね、私はね・・・」
 などと何組の誰がかっこ良いだの、別の男子が良いだのおしゃべりに忙しい女の子達の楽しげな声は途切れる事は無い。
 そんな楽しげな空気に満たされた教室の窓側・前から3番目という特等席に座って、濡れた髪を左手の指先で弄りながら夏の風に横顔を撫でさせているのは加賀沙紅良。
 彼女は頬杖つきながら黒板に男子のランキングまで書き始めたクラスメイトたちを眺めている。
(あーぁ、黒板に名前まで書き始めたよ、この娘たちは)
 と、苦笑いを浮かべていると、突然、黒板に男の子の名前を書いていた子が沙紅良を振り返った。
「ねえねえ、沙紅良ちゃんはどんな人が好き?」
「へ? 俺?」
 突然そんな事を訊かれて、さすがの沙紅良も面食らってしまう。自分を指差しながら青色の瞳を瞬かせる彼女をいつの間にか全員が見ているではないか。そんなクラスメイトたちの興味津々の視線を感じながら、沙紅良は苦笑い。そして濡れた髪を掻きあげながら普段は姉御肌の勝気で毒舌家の彼女はしかしトーンが一定な口調で押し出すように言った。
「あ、そうだな……強い奴。うん、強い奴がいい」
 そんな沙紅良の言葉に女の子たちはきょとんとした。そしてその転瞬後に黄色い悲鳴をあげる。
「わぁー、なんか沙紅良ちゃんらしぃー」
「そうよねー。男は優しいだけじゃなくって強くないとねー」
「強いって言えばさ、3組の……」
 などと女の子たちは沙紅良の発言を元にまたいっそうおしゃべりに花を添えるのだが、しかしその誰もが気がつかなかった…

『あ、そうだな……強い奴。うん、強い奴がいい』

 と、言った沙紅良の銀の前髪の奥にある青の瞳が僅かに遠くを見ていたのを。
 沙紅良はそれに内心安堵しながら、より白熱した男子論を語る女の子たちから窓の向こうの光景に視線を変えた。
 濡れた銀糸のような前髪の奥にある青の瞳に映るのは運動場で遊ぶ子どもらに、フェンスの向こうにある道路を走っていく車だが、しかし沙紅良が見ているのは懐かしい天上界……そこで出逢った彼の優しく微笑んだ顔だった。

 加賀沙紅良。それは人間界においての名前で、彼女の本名は華眞と言った。
 風族四天王・東風王配下の華眞と言えば、気流を自由自在に操り、風から作り出す双長剣や体術による接近戦が特に得意な武闘派として知られている。精神感応能力や遠距離会話能力、そして驚異的な跳躍力や脚力を有した彼女は数々の武勲も上げていた。
 そして天の原にある宮で今夜催わされていた宴の主役もその華眞であった。だがしかし、どうした事か、その宴の主役である華眞は宴の席から離れて、ひとり宴会が開かれている宮の庭を歩いていた。
 天上界の夜に吹く風は満開の桜の花びらを虚空に舞わせるだけでなく、華眞の銀糸のようなさらさらな美しい髪をも優雅に舞わせる。
 その風に遊ぶ髪を無造作にしかしそれすらも美しい彼女にとっては無意識の洗練された仕草で掻きあげながら、華眞はその髪と同じ銀色の瞳を夜に満開の淡い薄紅の花を咲かせる樹の枝へと向けた。
「こんな所でひとり花見酒か?」
 華眞はほんのちょっと不器用な口調でそう桜の樹の枝に問いかけた。もちろん、それは独り言ではない。
「ああ、そうだよ、華眞。僕はどうもあーゆう賑やかな席は好きじゃないからね」
「だからって、今夜の宴は我らが隊の功績を褒め称えるためのものだ。その主役が宴の席にいないでどうする?」
 華眞の責めるような口調に樹の枝の方でそっと肩をすくめるような気配がした。
「我らが隊、ではないだろう。華眞、君の功績を褒め称えるための物だろ。ほんと、すごいよ、君は」
 その声のなんと優しく労わりに満ちた事だろう。それはこの無限とも思える桜の花びらが夜の虚空に舞い狂う夢幻の光景にひどく似つかわしいそんな声だった。その声にほんのりと頬をその花びらと同じ桜色に染めた華眞だが、それを見られるのを嫌うように桜の樹の方に背を向ける。そしてちょっと怒ったような声を出した。
「褒められている気がしないな」
「褒めて、るよ?」
 不思議そうな声。小首を傾げる気配。華眞はぎりっと小さく歯を鳴らす。そして突然、90度くるっと半回転したかと想うと、そのしなやかな脚力を生かして一気に気配がある桜の樹の枝に飛び移った。
 右手の酌の中の酒に花びら一枚浮かばせている彼は目を瞬かせる。
「なんだよ、華眞?」
「何でもない」
 何でもない、などという事はないだろうにしかし彼女はそう言うと、彼の右手にあった酌を取り上げると、それをいっき飲みした。彼は呆れたように肩をすくめる。
「なんだ、華眞。また酒を飲みすぎて、それで宴の席を追い出されて、ご機嫌斜めだったのか?」
 友達と喧嘩をして、それを親に怒られて拗ねる近所の女の子に優しく接するお兄さんのような口調の彼。風族四天王・東風王配下の華眞と言えばその上げた武勲の数でも有名だが、同じぐらい酒好きで酒乱の彼女は宴の席で上げた多くの武勇伝(失敗談)でも有名なのだ。大方また宴の席で酒を飲みすぎて、失敗をやらかして上司に追い出されたのだろうと、彼はからかうように笑った。
その彼の女のような美しい顔に浮かぶ優しく穏やかな表情に華眞は頬を膨らませながら尖らせた唇を動かした。
「違う・・・よ」
「ほんとに?」
「・・・・・・・ああ」
「その間は何だよ?」
「うるっさいな。そっちのも貸せ」
 華眞は彼から強引に酒瓶も取り上げると、酌に酒を注いだ。透明な液体の上で揺れる薄紅の花びらが銀色の瞳にはとても美しく……そして儚く見えた。
 華眞は横目でちらりとまるで幼い子どものように傍らの彼を見る。樹の幹に背を預ける彼は頭上の満開の桜を見上げていた。花を愛でる彼の瞳は本当に優しく、そしてその顔は儚いほどに美しい。まるでそのまま風に舞う薄紅の華霞の中に溶け込んで消えてしまうかのように・・・。
 そんな胸に浮かんだ想いに逆らうように華眞は彼の顔を銀糸のような前髪の奥にある銀の瞳で見据えると、少し厳しい口調で彼に問い掛けた。痛々しい胸の傷に巻かれた包帯を胸元から覗かせる彼に。
「その傷、部下をかばったからって・・・」
「え? あ、ああ、そうだね。だけどたいした事は無いよ」
 上目遣いの目で見る華眞に彼は何とも無いと笑った。この人はいつもこうなのだ。好戦的な風鬼には珍しく、彼は戦いを好まず穏やかな時を好み、誰かの為に自分が犠牲になる事を躊躇わない。それが華眞を苛つかせるし、同時にとても胸が痛くなるほどに心配させる。だからいつも同じような事を訊いて、そしていつもこうやって華眞は叫んでいる。
「たいした事あるよぉ。自分の体を自分の血で染め抜いているあんたを見て、俺は…俺は、ものすごく胸が痛かった。何で…何で他人の為にそんなに一生懸命になるんだ? 俺には分かんねーよ」
 心の奥底から押し出すような声。責めている様な…それでいてほとんど泣き声のような……そんな切ないほどの感情に塗れた声。下唇を噛んだ華眞は自分もそんな声を出すのだと、驚いていた。だけどそれと同じぐらいそんな自分は嫌いではないと思えた。
 そしてこれもいつもと同じように彼はそんな華眞に優しく微笑むのだ。
「華眞と僕とは違うからね」
「なんだよ、それは?」
 きっと睨めつける。だけどその銀の瞳が見つめる彼の顔には優しい笑み。そして華眞はその優しい表情から逃げるように瞳を逸らさせる。
「ずるいぞ、そんな表情は・・・」
「ごめん」
「・・・」
 風が吹く。薄紅の舞姫たちはいよいよその風に舞いの曲の拍子をあげて、激しく狂おしく踊る。そんな息も出来ぬような薄紅の嵐の中で、彼と華眞は見つめ合った。
「謝らなくってもいい。ただ、約束して。本当に自分の命が危なくなったら・・・そしたらその時は自分の命を最優先すると。あんたの敵は俺が倒すから。お願い」
「ああ、わかったよ、華眞」
 そして華眞と彼は薄紅の花びらに包み込まれながら、その唇と唇とを重ね合わせた。

 風は血と火の匂い、そして争いの音色しか運ばなかった。
 最前線で戦っていた華眞を取り囲むのは天の原の宮に謀反を起こした者達の虎の子の部隊だ。
 その猛者たちを相手に華眞は双長剣を振るっていた。
「俺は風族四天王・東風王配下の風鬼・華眞。我こそはと想う者は前に出て来い」
 その声は威風堂々。勇敢に叫ぶ華眞。多くの武勲を上げている彼女を倒せば、その者の名は英雄の名となろう。そして彼女の損失はそのまま敵軍の敗因へと繋がる。故に彼女の前にはひきり無しに敵軍の猛者たちが進み出てくるが、
「俺に勝てると思ってんの?」
 にこりと不敵に笑う彼女はその彼らを舞いを踊るようにして優雅で繊細な剣捌きで倒していった。
 戦場の空気はもはや飽和しきれぬほどに濃密な緊張とプレッシャー、そして血の臭いに満ちていた。それは歴戦の武将である華眞にとっても馴染みのある空気なのだが、しかしその空気になぜか胸にしこりのような物を感じた。まるでぎゅっと胸を鷲掴まれているような……。
「なんだ、これは・・・?」
 敵の左胸の急所を刺し貫いた剣を抜きながら、彼女はその形の良い眉を寄せた。どうしようもなく彼女は胸に焦燥感を感じる。
 そしてその想いに急かされるままに、仲間の声を無視して彼女はひとり北東の方角に走り去った。

 そこで見た物はなんだったろう?
 まんまと敵軍の虎の子の部隊という囮に引っかかり、そのために戦力が薄くなってしまっていた自軍の全滅した光景であったろうか?
 それともその名を広く天上界にとどろかせる華眞の首を狙って向かってくる敵軍の者達だろうか?
 いいや、違う。華眞の視界は真っ白だった。何も映ってなどはいない。
 そう、確かこの全滅した軍には・・・
「・・・嘘だ。こんなのは嘘だ・・・。俺は信じない・・・。俺は信じないぞ、こんなのは・・・」
 強き戦士の本能で斬りかかってくる敵将どもを薙ぎ倒しながら、華眞は呟いた。そうだ。彼は約束した。自分と約束したのだ。だから・・・
「うるぅぅぅわぁぁぁ」
 それはまるで気高き獣の咆哮かのような叫び声だった。完全に我を失った華眞は独り敵軍の中に斬りこんでいく。そう、彼だけを求めて。
 そしてそのまさしく鬼か修羅かのような彼女の姿に敵軍の兵士たちは恐れをなし、彼らはただその場に茫然と立ちすくんだ。
 そんな中で剣を滅茶苦茶に振るっていた彼女の動きは止まる。心臓すらも止まっていた。彼女の大きく見開かれた瞳は仲間の体に覆い被さったまま背中から剣で刺し貫かれている彼の姿を見つめていた。あっという間にその光景が溢れ出した涙で歪んだ。
 よたよたと頼りない足取りでその場に立った彼女は己の剣を血を吸って湿った大地に刺すと、彼の腹部を刺し貫いていた剣を抜いて、彼を抱き起こした。
 腕の中の血塗れの彼はそんな凄絶なる死を迎えたとは信じられぬほどに穏やかな顔で死んでいた。その訳を華眞もすぐに悟った。彼がその身を盾にして守った仲間はまだ生きていたのだ。それは今日初めて出陣した少年兵であった。
 それに目を瞬かせた華眞はその涙に濡れた顔にくしゃくしゃにした花束かのような何とも表現しがたい表情を浮かべた。そして懐から取り出したハンカチで血と、華眞の涙で濡れた彼の顔を拭きながら、語りかける。
「馬鹿。本当にあんたは馬鹿だよ。なんて馬鹿なあんたらしい死に方なんだろうね。だからさ、俺はあんたとの約束を守るよ。あんたは俺との約束を守ってくれなかったけど・・・だけど俺は・・・」
 そして彼女はすぐに迎えに来るから、と囁いた彼の遺体を丁寧に大地に横たえると、彼が守った仲間を背負った。そして右手で彼の剣を握り締めて、ようやく呪縛から解き放たれたかのように再び襲い掛かってきた敵軍に突っ込んでいった。

 そしてそれから数日後の夜。天の原の宮では此度の騒乱でまた名誉ある武勲を立てた華眞を褒め称えるための宴が開かれていた。
 しかしどうした事か、その宴の席に主役であるはずの華眞は姿を現さなかった。
 彼女の姿は半年前に彼と唇を初めて重ね合わせたあの桜の樹にあった。彼はもういないというのに、しかし桜の花びらは変わらずに咲き誇っていた。
「馬鹿だよ、あんたは。半年前のあの日だって、追い出されてここに来たんじゃない。あんたの姿が無かったから・・・だからフクロウに教えてもらって…来たってのにさ。本当に何もわかってくれていなかったんだから・・・馬鹿ぁ・・・」
 あの夜、彼がそうしていたように桜の幹に背を預けて、華眞は桜の花びら一枚浮かせた酒を飲んでいた。
 ただただ薄紅の花びらはあの日あの時のように静かに夜の虚空を舞っている。背中に感じる桜の樹の温もりはとても温かくって・・・。
 彼女は枝の上で両足を両手で抱え込むと、両膝に顔を埋めた。そうしたらもう押さえがきかなくなって口からしゃくりが零れ出してしまった。
 ただただ彼女は、優しく包み込んでくれるかのような桜の花びら舞う中で幼い子どものように声の限りに泣いた。


 一人残されるのは嫌。俺より先に死ぬような弱い奴はもう好きにならない。だから強い奴がいい。あの恋は誰にも秘密・・・


 そんなどこか浅い眠りの間を意識がたゆたう間に見た夢かのように過去の切なく悲しい記憶を思い起こしていた沙紅良の意識を現実に戻したのは、
「あ、やばい。男子どもが戻ってきたよ」
 セミの鳴き声に重なって黒板の前に集まっていた女の子たちが悲鳴のような声を上げて大忙しで黒板を消し始めたのは教室の入り口で見張り番をしていた女の子が叫んだからだ。
 開けっ放しの窓から吹いた一陣の強い風。額に張り付いていた濡れた前髪を右手の人差し指で掻き上げながら、沙紅良はその風に一筋の滴が伝う頬を撫でさせながら青い目を細めた。そんな彼女らをどこか眩しそうに眺めながら。