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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


裏切りのオラクル【The oracle of betrayal】


【0】
 アメリカのカリフォルニア州サンノゼ市。
 ガラスを多様し、光が多くはいるように設計されたギリシア風のビルの4Fで、一人の女性が緩やかに波打つ黒髪をソファーに寝そべったままかきあげた。
「まったく、野蛮もここまで極めれば芸術ですこと。虚無の境界? かしら? まあそんな組織名はよろしくてよ。破壊したければすればよろしいし、世界を壊すのが本懐と思われるならばそれで結構! でも内通者がいたにしては全くもってエレガントでないやり方ですわね!」
 女性にしては朗々とした声で、世界的に有名なネットワーク系企業のCEO(最高責任者)である女性、キアラは、政府により秘匿されているテロリスト達の名前も含め、隠すことなく一息に吐き捨てる。
 48時間と少し前。
 非常識この上ない夜中3時。不法侵入者を感知したセキュリティシステムがベルを鳴らすと同時に、極秘開発をメインとした開発棟の一部が倒壊した。
 幸い、メインのサーバーなどは地下部分にシェルターとして稼動しており、また人もその場所にいなかった故、けが人などはほとんどいなかったのだが。
 盗まれたモノがあった。
 一つは"Gorgon"と呼ばれる三位一体のウィルスプログラム。
 もう一つは"Deucalion"計画のマスターファイル。
「"Graiai"を使って、昨日から広まり始めた"Gorgon"の感染源を逆探知した。正確な場所を特定するのにはまだ時間がかかるが、日本の東京、新宿あたりが発生源だろう」
 女性の前に立っていた、この企業のナンバーツーの技術者であり、世界的なハッカーFuliesの一人である"ティシポネ"の名を持つ男が薄っぺらい紙切れをひらめかせた。
「"Gorgon"はどうでもよろしくてよ。あれはいずればら撒くつもりでしたの。でも"Deucalion"計画のマスターファイルが盗られたのは手をうつべきね。虚無の境界にも内通した"Delphi"にも解析できるとはおもえませんけど、警察の……とくに日本の警察のあの部署の手に渡ることだけは避けたいですわね」
「広域犯罪捜査共助準備室……か」
 ティシポネの緑の瞳が暗く曇る。
 おそらく、ワクチンソフトを作れるとすれば、テトラのキアラか、自分か、あの部署ぐらいだろう。
「その手の"能力者"からの防衛はあなたの担当でしたわね。でしたらその責任にかけて、取り戻してらして」
 くっ、とキアラは喉をならした。
「ああ、そう。Hydraをつれていくとよろしいわ。ボディーガード代わりにね」
「……監視の間違いだろ?」
 ――それとも裏切った"Delphi"の抹殺か?
 肩越しに冷ややかな視線をなげかけながら吐き捨てると、ティシポネは白衣のすそをひらめかせながらサンルームを出ていった。
「何も私を裏切るのは、"Delphi"だけとは限らなくてよティシポネ」
 誰もいないサンルームで咲き誇る黄色い薔薇を握りつぶしながら、嫣然とキアラ――いや、メガエラは微笑んだ。
 その暗い瞳は、神託よりはやくすべてを見通していた。

 テトラシステムがテロリストらしき者達に爆破されたニュースが、全世界をかけめぐって5日目。
 犯行声明もなく、FBIの捜査も依然すすんでないからなのか、情報は徐々に減っていった。
 変わりに世間を騒がせだしたのが「Gorgon」と呼ばれる風変わりなコンピュータウィルスだった。
「"Sthenno"が負荷をかけてコンピュータ機能を麻痺させる。次は"Eurysle"がネットワーク機能を掌握し、ウィルス自身の複製を無制限にばら撒く。最終段階が"Medusa"で、こいつが起動したら……」
「したら?」
 目の前で淡々と説明を続ける緑の瞳の青年を見る。
「スクリーンセイバーがランダムに起動し、動画が数秒流れ続ける」
「ジョークソフトか」
 そういえば、一昔前に感染したら、有名なオカルト映画の女性が画面いっぱいに表示されて悲鳴をあげるとかいうくだらないウィルスが流行った。あれの別バージョンだろうか。
 たかだかそれだけの説明のために、自分をゴーストネットまで呼び出したというのなら、おふざけにもほどがある。
 そう思っていると、青年――アキ、と名乗る男は眼にかかる茶色い髪をはらって肩をすくめた。
「普通の人間には……な」
 すこし骨ばった、けれど長い指先でカフェの隅にあるパソコンのEnterキーを押す。
「サブリミナル効果、知ってるか?」
 ああ、あの、何百秒かに一枚、全然関係ない映像を組み入れて見る者を暗示にかける奴。
 ぼんやりと考えていると、アキはもう一度Enterキーを押した。
「"Medusa"のスクリーンセイバーには同じ効果がプログラムされていて、特定の条件を持つものに暗示をかける。その暗示は回数をこなすごとに深く、強くなっていく」
「その暗示、とは」
「同族を無意識のまま排除せよ。敵意なく偶然を装い排除せよ。特異な力もつ者達よ……だ。ついでに言えばワクチンも元のコードに頼る部分が多くて、マスターを取り戻さないことにはなんともできないし、テトラシステムのキアラか、それと同等の世界レベルの技術がある奴じゃないと作れないだろう。おそらく世界に五名もいない」
 はっ、と息を吐き出す。
「そのプログラムのマスターを回収するのがアンタの目的で、こちらへの依頼って事」
 場合によっては、盗んだ奴を殺して、か。
 アキの後ろに控える、人形そのものの仮面の表情をした金髪碧眼の少女を見る。
 隙のない動作や、無駄のない肉付き、そして先ほどから陽の光を反射さえながらあやつるバタフライナイフの動きから、一目でアブナイ……暗殺だの抹殺だのも出来るタイプの人間だとわかる。
 ヒュドラ、と呼ばれた少女を皮肉げに観察していると、アキが重々しい声で続けた。
「場所は新宿の辺り。おそらくは"Delphi"が、テロリストを手引きし、手を組んでウィルスを盗み出し,
そのまま奴が持っているだろう。――今回はダーティで人を選ぶ仕事だ。金に出し惜しみはしない」
 ゴルゴン。
 強い女、遠くに飛ぶ女……そして、支配する女。か。
 全くたいしたブラックジョークだ、と、ネットカフェの外の人通りを眺めながら想う。
 おそらくまだ隠している事はあるのだろうが、取り戻す、あるいは始末するだけでいいのなら破格の仕事ではある。

 さて、どうする?


【1】
「久しいな。何ヶ月ぶりだろうか」
 くしゃり、と紅く燃える髪をかき混ぜる。
 窓の外を何気なく見ると、サングラスの薄い闇を通してなお、派手派手しいクリスマスのイルミネーションが目に映る。
 点滅する赤、黄、緑のライト。
 無関係に点滅するそれは、どことなく東京に住まう人々に似ている。
 変わりなく、関わりなく、定められたルールのままに動くだけ。
 ネットカフェの内部は暖房が効きすぎていて、吐き気がでるほど空気がぬるかった。
 聞こえるのは、キーボードをはじく音と、マウスをクリックする乾いた音だけ。
 ――呼び出して、これか。
 黒月焔は呆れ半分、好奇心半分の心中をかかえたまま、前後逆に椅子に座ると、背もたれの上にひじをついてアキを見上げた。
「まぁ、そんな事はどうでもいい。それにしても逞しい女どもに囲まれて、顔がニヤついているようだな、アキさんよ」
「いちゃついてるように見えるか?」
 アキは眉間にしわをよせ、心底いやそうに金髪の少女をにらむ。
 少女は日本語がわからないのか、相変わらず、銀色のバタフライナイフをもてあそぶ。
 外のイルミネーションと同じく、焔やアキの対話とは関係なく、関わりなく、定められたルールで繰り返されるかすかな金属音。
 威嚇しているつもりだろうか。
(だとしたら、三流だな)
 くっ、と焔は咽をならす。
 本気で殺なら、絶対に殺意も殺意を知らしめる牙も見せない。
 となると、このHydra……ヒュドラと呼ばれた少女の役目は、監視、か?
 乾いた唇を舐める。
「ま、新宿ならよく知ってるところだ。得体がしれないものを無理に探すよりかは、よくわかる奴に任した方がいいだろう」
 吐き捨てる。
 もっとも、アキにしてもそれを承知の上で、自分を呼びだした節があるのだが。
 倫理に反するといえば、そうなのかもしれない。
 敵対していた者と手を組むと、顔をしかめられるかもしれない。
 だが、それがどうした? という想いがある。
 善だの悪だのは関係ない。
 ただ、面白ければそれでいい。
 立ち上がり、ブースを出ようとする。
 と、出口をふさがれた。
 アキでもない、ヒュドラでもない。
 まったく別の、体格だけは大人の、だけどその顔立ちはまだ少年といっていい若さにある人物に。
「また厄介事に絡んでるねアキちゃん」
 今までの話を聞いていたのか、そいつ……確か鷹科碧だったか……が言った。
 何度か顔を合わせた事がある。
 あれは、そう。
 警察庁のバカ警視が死にかけた時だったか?
「なんで、だ?」
 あからさまな狼狽をみせて、アキがつぶやいた。
「ぶらついてたらアキちゃんがいたからじゃん。声かけたのに無視はひどいよね」
 碧はわざとらしく頬を膨らませる。
「だから驚かそうとおもって後つけちゃってさあ」
 ひょい、と肩をすくめて笑う。
「全部、聞いちゃった」
 長いため息をついて、アキは手を振った。
「だめだ、関わるな」
 忘れろ、と続けると、振ったアキの手首をとって碧が笑う。
「平気だよ」
 まるでゲームをするかのように、軽く言い捨てる。
 その事が気にさわったのか、アキが語気を荒らげて吐き捨てた。
「何が平気なんだ」
 緑色の瞳が、暗く濁る。
 だが、碧はひるまない。アキと同じように、いや、それ以上に暗く陰る闇を瞳にただよわせながら、言葉を紡いだ。
「最悪殺して奪い返せって言ってるけど、その点俺は問題ないよ」
「碧」
「そのプログラム、能力者を殺すように出来てんだろ? って事はほっといたら俺の大事な人たちも危険に晒されるって事だし」
 アキの手首をつかんだ碧の手の節が、白く浮き上がる。
 自分自身と、アキに言い聞かせるように、かすかに、だが着実に力を込めて、言う。
 碧は、これ以上ないというほど無邪気な笑いに、無邪気とは相反する瞳の暗さを添え、一言一言を区切るように、だがしっかりとした声でささやいた。
「それなら、俺は殺るよ」
 ――信念、だろうか。
 あるいは狂信。
 ひゅっ、と口笛になりそこねた息が焔の唇から漏れた。
 他の声など聞こえない。
 ただ一つ。守りたい者だけの為に、あらゆる罪も罰もその身に受けようとする。
 本当の痛みも、悲しみも、別れも、この世の中の残酷さや汚さも知らない、無邪気な子供らしい……だけど、子供にしては凄惨すぎる決意。
「やめろ、そんな事いうな」
 かすれた声でアキがいう、心なしか顔が青ざめているのは、捕まれた手首の痛さだけではないだろう。
 何が?
 何がこいつをこんなに怯えさせている?
 他人など関係ない、快楽に正直であるような軽薄さですべてを見るこのハッカーを。
 碧の「何」が怯えさせている?
(面白い、かもしれんな)
 これはタダの依頼じゃない、もっと大きな仕掛けがある。
 直感的に焔は感じた。
 取り戻すだけの、ガキの使いな依頼じゃない。もっと、ねじ曲がったナニかが潜んでいる。
 ――それを目にするのも、一興か?
「まあ、人手は多いほうがいいさ」
 割って入るように言う。
 どうあがいたって、精神的に気圧されてるアキでは碧を振り払えない。
 こんな眩い決意を持つガキに、勝てる奴なんていやしない。
 今振り払ったって、どうせこそこそかぎ回るに決まってる。なら、いっそ最初から行動を把握できる位置に置いておいた方がいい。
 頬に刻み込まれた龍とともに、あざ笑う。
 と、アキは二人かかりではかなわないと察知したのか、不意に目をそらした。
「……好きにすればいいさ」
 責任を放棄した口調でアキがいう。
 何があっても知らない、というところか。
 碧は、一瞬だけ困ったような顔をしたが、すぐに気をとりなおし、おし、と叫んで、背伸びをしたあとで、コートの襟についたフェイクファーにあごを埋めて、上目遣いに、アキと焔みて、よろしく。とつぶやいた。
「ところで、そこの金髪のガキンチョ。また、人形なんかじゃねぇよな」
 ネットカフェの扉を出て、冷たい空気をどこか心地よく感じながら焔が言った。
「なに?」
「……緑のを思い起こさせる……」
 機械的な動き、機械的な目線。
 感情の感じられない瞳。
 なのに人間そのものな姿。
 かつて、あの、警察庁の得体のしれない警視が持ってきた依頼。
 東京タワーを中心に起こった事件を思い起こす。
 焔の言葉が理解できなかったのだろう、アキは何度か瞬きをすると、何いってるんだか。と吐き捨てた。
 知らなくても無理はない。
 依頼を持ってきたのはこいつじゃない。
 ――榊千尋。
(そしてアキ――榊千暁、か)
 想ったよりやっかいな事になりそうだ。と、数時間前に草間興信所で受けた依頼を思い出して、目を細める。
「とりあえず、さ。なんか喰おうよ。これから歩き回ったら夜中までかかりそうだろ」
 十七時。夜飯にはいくらなんでも早すぎるが、確かにこれから歩き回れば夜中までかかるだろう。
「喰う事ばっかし」
 呆れたようにアキがいう。
 先ほどの狼狽を露ほども見せない。
 こいつの思考の切り替えの早さだけは、賞賛ものだといつも想う。
「なんだよー。アキちゃんだって喰う事ばっかじゃん? あ、そうそう。デリーズの冬メニューの「まるごと林檎のコンポート」もう喰った? メチャうまいよ。アレ」
「ウルスペお子さまランチじゃなきゃ何でもいい」
 ウールコートの襟を寄せながらアキがいうと、碧が次々にファミレスの名前と新メニューを上げはじめる。
 これから人を殺すかもしれない集団では、とてもではないが、ない。
 だが、こんなモノかもしれない。
 普通に振る舞える奴ほど、冷静に殺せる。それを焔は知っている。
 しかし、だ。
「……それにしても、プログラムって何だ?」
 今回の依頼で、一番わからない単語を口にのせた。
 瞬間、アキと碧が動きを止めた。
「焔さん、マジ?」
「勘弁してくれよ、おい」
 異口同音に言われてしまった。
「む、ひょっとしてそれは、「いんたぁねっと」の「あどれす」とやらなのか?」
 場が、完全に凍った。
 ――その後焔が、ファミレスで新製品メニューに囲まれながら、40分にわたる「基礎コンピュータ用語講座」を二人からたたき込まれたのは言うまでもない。


【2】
 冬用に、オレンジと黄色でカラフルにデザインされた、ファミリーレストラン・でリーズの店内は、家族連れから、学生、恋人、商談中のサラリーマンでほぼ満席状態だった。
 だから、窓側の隅っこに多少変な男三人連れが座っていても、忙しくて目を回しているウェイトレスは気にもしない。
「ねー、マジあの人放ってていいの? 食べないの?」
 トリュフとチキンのクリーミードリアを食べたあとのスプーンで、碧は窓の外を指した。
 外にはこげ茶色のコートをまとった金髪の少女が、まるでマネキンのように立ち尽くしている。
「ほっとけ。ボディーガードだから食うなって上からいわれてんだろ」
 端でノートパソコンを開きながら、アキがめんどくさそうに答えた。
「ていうか。監視ぽいよね」
「ぽい、じゃなくてそのものだな」
 にやにやと猫のような目をして黒月焔がいう。
「何の悪事をやらかしたんだか」
「あのなぁ、お前らなぁ」
 ちくちくと言葉でいじり倒す二人に、アキがたまりかねて叫ぶ。
「あ、エビフライもらい」
 唐突に碧はフォークにもちかえ、運ばれてきたばかりのアキのエビフライハンバーグから、さっくりとすばやくエビフライを強奪して口に運ぶ。
「あああっ?! マジで食うかっ?! エビフライハンバーグじゃねぇだろ。エビがないと」
「だって、飯くってるときにパソコンあつかってるアキちゃんが悪いんじゃん」
「その通りだな。なんでもかんでも同時にやろうとするから、大事なものを奪われる。いい教訓だなアキさんよ」
 サングラスをずらして、焔が見下すようにアキを見る。
「逆探知ってのは、時間がかかるんだよ」
 ぐうともきゅうともつかない変な声を出しながら、アキは携帯電話をノートパソコンにつなぐ。
 おそらくそれを使って、ウィルスの発生源を逆探知しているのだろう。
「どのぐらいだ?」
「一時間ってトコロだな」
 特に食事するでもなく、まずいといいたげにコーヒーだけを口にしていた焔が、不意に立ち上がった。
「だるいな。それは」
「ん?」
「待っていてもしかたないだろうが。俺はちょいと知識仕入れるために書店を回ったあとで、テロリストの方を調べるか。能力者を殺したがっているようなセクトをな」
 ファミレスの雑踏で誰も他人に気にしてないからいいものの、軽い口調でとんでもないことを言う。
 書店によるというのは、おそらく先ほどまでのコンピュータ用語説明が完全に頭にはいりきれなかったからだろう。
「書店はいいが、テロリストってのは」
「いくつかあるだろうが。ここいらでまだ騒ぎたがる奴らが。上海系から吸血鬼、製薬会社に陰陽師集団。なんでもござれだ」
 サングラスを指先で直し、瞳を隠しながら焔は口の端をかすかに持ち上げた。
「そいつらと取引して新宿に潜んでいるって奴を追いかければ…って、安易かな?」
「いや、多分それでいいだろう。こちらも場所が特定できたら連絡をいれる……が」
 ノートパソコンから目をはなさず、キーボードを打ちつづけていたアキがふと指をとめた。
「が?」
「”Kyrie eleison”――虚無の境目には気をつけろ」
 OK、と軽く答えるが早いか、焔はコートをひらめかせ、ファミレスを後にした。
 もちろん、出口で金髪の小娘……Hydoraを嘲笑するのを忘れずに、だ。


【3】
 新宿駅前から少し歩いた場所。
 伊國屋書店の三F……コンピュータや情報工学、電気関係の本が並んでるエリアに一人の男がいた。
 黒いレザーパンツに黒いコート。
 高温の炎の中で輝く紅玉石のようにどこまでも赤い髪。
 ワイルドに少しだけのばしているひげの下には、精巧に刻まれた龍の入れ墨。
 この人間のるつぼな新宿でも、その異質な外見と独特な雰囲気は嫌でも目立つ。
 こと、ひょろっぽそい学生やサラリーマンがたむろしている「三Fコンピュータ専門書売り場」ではなおのこと、だ。
「ふぅ、ブランクが長かったというのにきついな」
 訳の分からない書名に辟易しながら、それでも何とか自分に理解できる程度の本がないかと探してみる。
 『おじいちゃんいもわかるインターネット!』とか『すぐにできるホームページ』とかならんでいるが、そもそもインターネットとかホームページという単語がよく分からない。
「ぷろぐらみんぐ…って、何だろ。まぁ、いいや。すくりーんせいばーとは……すくりーんせいばぁ?」
 分からないまま奥へ進む。
 専門書の分野に入り込んでしまっているが、最初から点で知識がない焔がそれに気づける訳もない。
「でぃえぬえーすぱいらるすくりぷと。その変貌自由なろじっくと可能性?」
 それでも頑張って、数分は耐えていた。
 書店の女性店員が、焔の精悍な横顔にみほれつつ、でも面倒起こされちゃ怖いわ、なんて想いながら遠巻きに見てるのも気にならないぐらい集中していた。
 が。
「だー、わかんねぇぞおい」
 両手で髪をかき回す。
 無造作ヘアも、ここまでかき回せば行きすぎだ。
 と、かすかに笑い声がした。
 人が真剣なのに笑うとは、どういうつもりだ、といらつきながら振り向く。
 深く、暗いダークワインレッドのカシミヤのセーターが目に入った。
 そしてアースカラーのパンツ。
 非の打ち所がない英国貴族スタイルのエレガントな着こなしの上には、恐ろしいほど繊細でとぎすまされた相貌があった。
 顔じゃない、と直感的に理解した。
 こいつのこの完璧な、神が作った彫像のような顔すらも、添え物にすぎない。
 燦然と輝く、明けの明星、堕天使の王の名を冠する星のように静かに、苛烈に燃える黄金の瞳。
 それがこの青年……斎悠也に圧倒的存在感を与えているのだ。
「お久しぶりです」
 おやつをもらった子供のように無邪気に笑う。
 だが、天使のような微笑みの顔の中に堕天使の魅惑的な黄金の瞳がある。
 警戒、した。
 まさかここでやり合うつもりはないだろうが、これは何かをたくらんでいる、と。
 その焔の警戒を見抜いたのか、悠也は興味もなさそうに、焔の隣にたち、書架から一冊の本を手にとってめくると、ふと手をとめて目の端で焔をとらえたままつぶやいた。
「さて、アキさんとどんな取引したんです?」
 綺麗な指先が、ひらいたままのページの一点を指さす。
 そこには白衣を着てきまじめそうな顔でコンピュータに向かう、アキの……いや、情報工学の研究者としてのチアキ・タディアス・サカキの写真が載っていた。
「ぎ、ぎくっ」
「わかってるんですよ」
 もういちど、アキの写真を指先ではじきながら言う。
「プチ家出中のオトモダチから、面白い奴らがそろってネットカフェでこそこそしてるってメールを頂きましてね。次からは新宿のネットカフェなんか使わない方がいい。」
 本を閉じて書架にもどす。
「俺は、新宿に女の子という密偵をごまんと放ってますから」
 にっこりと笑いながら恐ろしい事をいう。
 だが、恐ろしいのは、それがはったりやヨタ話では決してない、という所だ。
 実際その気になれば、そこらの女性すべてから知りたい情報を手にいれる手管をもっているのだ。
「何をやっても、女の目があるかぎり、筒抜けって訳かよ」
 信じられない、といった顔で言うと、悠也は目を細めた。
「その、堕天使の目をした天使の微笑みはな、そこらを歩いてるお嬢ちゃん達だけにしな。俺はそういう趣味はないんでね」
「俺は異性でも同性でもどっちでもいいですが」
「はぁ?!」
 あわてて振り向いたとたんに、積み上げ台の雑誌がばらばらと床に落ちる。
「まあ、そんな関係になりたくなかったら、俺の言うことはちゃんと聞いてくださいね」
 からかっているのか、本気なのかをまったく読ませない口調で気軽に続ける。
 完全に、負けている。
 焔は雑誌を拾いながら、渋々と、しかし簡潔明瞭に告げた。
 草間に榊千尋が持ち込んだ依頼。その依頼で探してるブツと全く同じブツをFuliesが探していること。
 奴らの目的はウィルスメールではなく、一緒に盗まれた別のファイルであること。
 そして奇妙な少女、Hydoraの監視を。
「なるほどね。榊さんのところに来たメールも、何か噛んでますね」
 書店のエスカレーターを降り、人の波を抜けるように歩きながら悠也がいう。
「Perseusは父を殺すという神託を受け、海に流された息子。そして、メデゥーサを倒した英雄。最後に結果的に父を殺した息子。か」
 水商売の呼び込み男、カラオケBOXのアルバイター、女子高生。
 そんな雑多な騒音のなかで、思考をとぎすまさせる。
「うぃるすとやらはペルセウスが倒せて、その居場所はPrometeusが知ってるという事か」
 言うと、悠也がマフラーを押さえながらうなづいた。
「ペルセウスとはおそらくウィルスをとめるアンチウィルスのパターンファイルのことですよ」
「ぱたーんふぁいる?」
「と、特効薬みたいなものだとおもってください」
 幼稚園児のように、タバコを口にもっていきかけた姿勢のまま、きょとんと訪ねる焔に悠也は苦笑しながら告げる。
「"Sthenno"、"Eurysle"、"Medusa"」
 呪文のように悠也が抑揚をつけてつぶやく。
「"Gorgon"というのはギリシャ神話の三姉妹というのはご存じですよね?」
「ああ、醜悪な顔に永遠の命の長女と次女、そして元は美女であったがアテナの不信を受け、蛇頭の化け物になった末妹のメデューサだろ?」
 蛇頭と表現するあたりが、焔らしいと、笑いながら悠也は先を続けた。
「スティンノーが「強い女」、エリュスレイが「遠くに飛ぶ女」そしてゴルゴンが「支配する女」……今までのパターンからいってFuliesは必ずギリシア系の呼び名や命名を行い、その意味通りの役割を割り当てます。止まらない女「アレクト」や嫉妬する女「ティシポネ」のようにね」
「なるほど。ということは、「ペルセウス」が「ゴルゴン」を……つまりはそのうぃるすとやらを殺す事ができる特効薬か。そしてその特効薬は」
「プロメテウスが持っている、と。……とりあえず、プロメテウスが何か、を探さないと」
 歩みを止める。
 新宿のブラックホール。
 先ほどまでの呼び込みも、学生の嬌声もない。
 ただひたすらに静かな……静謐ではない、ただ音のない空間が二人の前にあった。
 横切る影は人ではなく、不吉といわれる黒い猫。
 誰もが避けたがる、犯罪のるつぼといわれる一角。その境目に並んで立つ。
「ともかく先にアキさんに連絡をとっていただきましょうか?」
「なぜ?まあ聞かなくてもわかるが」
 酷く旧式の携帯電話をコートのポケットから取り出す。
「アキさんと連絡をとり、ファイルを警察関係に渡さない事を条件として、目的のファイルを先に手にいれた方が管理するように、取引させてもらうよう言ってもらえます?」
「なるほど。榊の奴と、弟の競争に、俺らが横やりをいれて、いずれかのチームが取ったモノ勝ちということにするのか……面白いな」
「そう、面白いでしょう」
 好奇心に、ちらちらと光る紅の瞳をまっすぐに見る。
「いずれにしても榊警視はどこか信用ならない」
 いままでがそうであったように。


【4】
「取引しませんか?」
 新宿の外れに近い路地裏で、合流するが早いか悠也が言った。
「よろしければワクチンを作りを手伝わせてください。プログラムも専門分野なんです。お役に立てると思いますよ」
「お前ら」
 アキがため息を付く。
「そのマスターファイルの他にも何かありそうですしね」
 かまわず悠也が続けた。
 そうだ。ウィルスのソフト以外にも別のソフトがあるはずだ。
 問題はそれが「何」のソフトか、という事だ。
「もう一枚のディスクの内容は何だ」
 サングラスをずらして、焔がアキを、そしてその後ろに影の用に寄り添うヒュドラをにらむ。
「それについては黙秘する。依頼人の事情を聞かないのが一流なんじゃないのか?」
「なるほど」
 何を馬鹿な、と言いたげなアキの言葉に、分かった、と悠也が頭を縦に振る。
 だが、焔と碧は見逃さなかった。
 微かに悠也がその金の瞳で合図を送ったのを。
「壁に耳あり障子にメアリーさんだなっ!」
 碧が動いた。
 人より数倍優れた反射神経は、ヒュドラが反応するより早くその体に蹴りをたたき込んでいた。
「ぐっ」
 うめきながらヒュドラは何とか持ちこたえ、4人に向かってナイフを放つ。
 銀色の矢のように、迷い無く急所を狙ったナイフが飛来してくる。
 しかし、これ以上の特異な事件にかかわってきた碧や焔に取っては、どうという事でもない。
 わずかな動きで焔はナイフをかわすと、意識を集中した。
 途端、金属のような高い音が微かになった。
 ヒュドラの顔色が変わる。
 焔の瞳が胎動するかのように、魔力で明滅し始める。
 刻まれた龍の刺青がうねった。
 そして少女が軽く後ずさる。
 彼女の脳内では、自分が放ったナイフが己に戻ってくる幻覚が繰り返されているハズだ。
 微かな狼狽の隙をぬって、碧が手首をひねり上げる。
 ナイフが手から放れ、落ちるより早く、いつのまにか後ろに回り込んでいた悠也が手刀を少女の首筋にたたき込んだ。
 うめくまもなく、崩れ落ちる。
 最後のあがきか、すがるように碧に手を伸ばし、コートの裾を握りしめたが、そのまま地面に倒れ伏す。
「ボディーガードの割になさけない」
「お前ら……」
 動けずにいたアキが、再度うめいた。
「ん? どうだ? 監視の目が無くなってすっきりしただろう?」
「これで話したいことが好き勝手に話せるでしょう」
「あー、でも、アキちゃん、裏切られたとか想われちゃうかもね。ごめんな」
 あはは、と碧を含め悪辣な男三人が笑う。
 こうなっては、もうどうしようもないだろう。
 裏切ったと想われること間違いない。
「あきらめたら? もう、絶対裏切られたって想われるし。どーやっても言い訳できなさそうだし?」
「たった今、そう言う立場に追い込んだのは誰だ!」
 いらだちもあらわにアキが叫ぶ。
「んんん? 見られてる方がいいとは、なかなか変態な趣味をもっていたんだな」
 からかうように焔は口にした。
「冬でも関係ないですからね、真の変態は」
 相づちをうつように悠也がいう。
「誰が変態だ」
「おや、失礼。でもああでもしないと、いつまでもうだうだ悩んで、テトラと手を切るきっかけ作れなさそうでしたので。微力ながらお手伝いしたまでです」
 軽い口調で、辛辣な批判を交えながら言った悠也の言葉に、焔は賛同だった。
「さて。まずはもう一つのファイルの話から聞かせてもらおうか。当然、こことは別の場所でだが、な」

 先ほどまで悠也と焔が居た、闇が巣くう場所との境界線に4人はいた。
「一つ気になっていたんだがな、テトラについてだが」
 ポケットからタバコをとりだし、火をつけると焔は煙とともに言葉を吐き出した。
「特異な力を持った者を互いに殺し合わせる暗示。深層意識に刷り込ませる幻覚。精神を支配する。何だか俺の力に似ているような…って、気のせいか?」
「そうともいえないさ」
 息を切らせながら、アキがいう。
 運動不足なのか、四人の中で一番先に息が上がっていた。
「キアラが俺のナニを一番気に入ってるか知ってるか? そして嫉妬の対象である異能力者である俺を手元に置いているか」
 白く濁る息の合間に自嘲的につぶやく。
「裏切られるのが好きなんだろ」
「それもあるが」
 焔の茶々を軽くながして先を続ける。
「能力をプログラムで発動できることに興味があったのさ」
 携帯電話に「魔法陣」のプログラムを入れ、衛星を介在して地上にコンピューターが導き出した完璧な陣を描いて攻撃する。
 アキの陣魔法を思い出す。
 同じ事を考えていたのか、悠也が腕を組んで路地の壁に寄りかかった。
「なるほど。詳しくはしりませんが、白魔法や黒魔法は幾何学の範疇だといいますしね」
「レプリカ、ウィルス、まさか」
 ある考えに行きついて、焔は言葉を止めた。
「お察しの通り。他の能力も発動できないかと研究していたわけだ。とくに東京は、人種のるつぼだ。サンプルを集めるのに都合がいい」
 そして開発された何かが、どう使われるか。
 聞くまでもない。
 兵器、だ。
 キアラ自身は、兵器にしようとは想っていないだろう。
 ただ純粋な好奇心で、知識を探求するゲームの一つとしてその研究に挑んでいるだろう。
 相対性理論を作った学者が、原爆を生み出すと考えることもなくただ、己の知識の追求を行っていたのと同じに。
「もう一枚のファイルは」
「デュカリオン計画」
 悠也の問いに、簡潔に答える。と、碧が何度か目を瞬きさせた。
「あの雨がふって地球が沈むって……ヤツ?」
 ギリシャ神話の洪水伝説を思い出したのだろう。碧の言葉に、アキはいや、と頭をふった。
「ダムだ」
「ダムぅ?!」
「東京都および近県のダム管理プログラムを完全に乗っ取るプログラムだ」
「そんなもの……」
「そうとも言えませんよ。東京の小川内ダムは総貯水量一億八千五百四十万立方。半分でも東京ドーム九十杯の水があります。それが一気に放水されるとなると、まさしくデュカリオンの洪水ですよ」
 想像の域を超えているのか、悠也の解説に、碧は口をあけて指先で頬を数度かいた。
「そして放水された後せき止めても、急に水はたまらない。東京大渇水という訳か。なるほど。テロリストがほしがる訳だ」
 やれやれ、と肩をすくめて焔はタバコをブーツのかかとで揉み消した。
「キアラはそれを使ってゲームをするつもりでいるのさ」
「ゲーム?」
「見ての通り、あの女はプライドが高いからな。前回アレクトの件のお返しをしたいらしくてね」
 確かに今まで数度か、Fuliesとの戦いがあった。
 そして、何とか力を、そして知恵を使ってくぐり抜けた。
 それが気に入らないのだろう。
「つきあいきれんよ。キアラのやり方にも、虚無の境界にもな!」
 吐き捨てて、手近な壁をアキは殴りつけた。
「虚無の境界って、テトラをおそったテロリストだろ? 全部こわしちまえーっていうエライおおざっぱな教義の」
 そこで言葉を切ると、碧は苦笑して続ける。
「そしてアキちゃんがさっきいってたように、誤って罠であるウィルスの方を起動させて大騒ぎしてる?」
「ほう」
 意識するより早く、言葉が漏れた。
 確かにそれならつじつまは合う。
「止められるのはテトラのキアラか、あなたしかいない。……となれば、貴方を探して「作らせ」ようとする筈ですね」
 ならば、榊警視の方のメッセージは罠。だ。
 悠也の言葉が終わるより早く、全員がそれを悟った。
「榊警視がこの事件にかかわってるなら、あのメッセージをおとりにおびき寄せて……人質にするつもり?」
「アホだな」
「うん、アホ榊以上にアホだとおもう。アレが素直に人質になるタマかよ」
 間髪いれずに焔と碧がつっこむ。
 さすがにこれはフォローのしようがない。
「まあ、それはおいておいて、根本的な問題を解決しましょう」
 それ以上つっこむのは哀れだと想ったのか、悠也が話題を転換させる。
「そうだな。まずアキさんよ。アンタが「何をしたいか」だろう」
 人差し指をつきつけて、眉間を三度つつく。
 うっとおしげに、アキは焔の指先を払うと、最初から決めていたかのように言葉を口にした。
「まず、ワクチンを作成してそれをネット上にばらまく。当然それに必要なウィルスプログラムを奪還する。だ」
「ほうほう、そして?」
「俺は「デュカリオン」をキアラにも虚無の境界にも渡す気はない」
「そしてそうする事はあの天才の予測の上にあるのだろうな」
 軽口めかせて、確信を付く。
 だからこその監視だったのだろう。
 それは託宣――オラクルだ。
「Oracle(神託)にDelphi(神託を授ける地)……さて、どういった未来を示すというのかね」
 まあ、退屈はしないだろうが。と言葉をしめくくり、唇の端を数ミリだけ持ち上げてみせる。
「さしずめ今の状況は「メコネの籤」といったところでしょうか」
 ひょい、と肩をすくめる。
 牛の分け前を巡ったギリシャ神話を思い出す。
 人と神で牛を奪い合い、メコネの神殿においてプロメテウスが策略をもちいて、神に骨を選ばせ、人が肉を食らう事をみとめさせた話。
 私怨で世界をゲームの舞台としおもちゃのように壊す嫉妬の女神たるキアラにも、すべてを無に返そうとするテロリストの「虚無の境界」にも、肉を選ばせる訳には行かない。
「とりあえず、相手が出てくるのを待っている余裕はありません。こちらから踏み込みましょう」
 宛然と笑って、悠也は指先を空にさしむける。
 と、高いビルの隙間をぬって、ひらりと雪の様に、白い蝶が舞い降りた。

【5】
 しめった薄暗い通路を降りる。
 と、角を曲がった場所で、ほのやかに蒼い光がまたたいていた。
 時折電子的な音と、かたかたという音。そしてファンが回る音が続いている。
「やれやれ。ようやく本拠地というところか」
 焔がつぶやいた瞬間。
「そちらも出てきて頂きましょうか」
 金属をひっかくような、高く掠れた声がした。
「Delphi」
 アキが漏らす。
「どうやら強襲は出来ないようですね。結界を抜けた時点で出入りがバレていた。という事でしょうか?」
「多分ねー。それにしても地下基地とかベタだよなぁ」
 両手を頭の上で組んで碧が言う。
 ひょろいハッカーの一人や二人、すぐ片づくと想っていた。
 たとえ集団にしても、焔と悠也がいれば何とかなるという自信もあった。
 だが、その自信もすぐに覆された。
「早く出てこないと、恋人がどうなってもしらないぞ」
「恋人ぉ?!」
 ベタな台詞に笑おうとして、笑えなかった。
 三人がアキの方を視ると、アキがあわてて頭をふった。
「いや、そんなはずは絶対に、あり得ない」
「と、いうことは」
 あわてて走り、通路を駆け抜ける。
 と。
 そこには病的に蒼白い肌に白髪の男が、草間興信所の財布を握る蒼い瞳の女性の頭に銃をつきつけて立っていた。
「シュラインさん?!」
 異口同音に焔、悠也、碧が叫ぶ。
「ごめんねぇ。やっちゃった」
「本当にやらかしてくれましたね。驚きです」
 アキと同じ声で、しかし違う方向から声が聞こえた。
「ヒロ」
 ぽつりとアキが漏らす。
「さて、どうしたモノかな。これは」
 実に感動的じゃない双子の再会だな。と冗談めかせて言った焔の言葉が、やけにコンクリートの壁に反響しつづけていた。


【6】
 歪んだ結界から抜け出した先は、コンクリートで四方を囲まれた地下倉庫だった。
 そこいら中においてある木箱には、大量のおがくずと、そして、鈍く光る鉄のかたまり……ライフルだの拳銃だの、果てにはロケット砲とおぼしきものまで詰め込まれていた。
 いくつか蓋をされたままの木箱の上には真新しいディスプレイとキーボード、そしてパソコンなどがおかれており、4名ほどの男が必死でキーボードを叩き続けていた。
 時折甲高い電子音がなるのは、おそらくパスワードロックを解除するのに失敗している音なのだろう。
「すごい」
 ささやくように碧海がいう。
「まったく、大した情熱です」
 嫌そうに言うと、榊はポケットから携帯電話を出した。おそらく応援の警察官を呼ぶつもりなのだろう。
 だが、それは果たせなかった。
「おい、あれ」
 月斗が顔をこわばらせて、倉庫の中央を指す。
 そこには、いつもより若干着ぶくれしたシュライン・エマが、両手をガムテープでぐるぐる巻きにされたまま、頭を拳銃でつつかれながら、歩いている姿があった。
「あらら。ま、こうなるんじゃないかなと想ってたりしましたけどね」
 いつも通り緊迫感のない声で榊がいう。
「いい加減姿を現したらどうかね?」
「そうします」
 あっさりと、榊が答える。
 結界を抜けた時点で、おそらく気づかれていたのだろう。
(何とか、しなきゃ)
 碧海は想ったが、この状況ではどうにもならない。
「そちらも出てきて頂きましょうか」
 容貌を年老いたものに見せている白髪をうっとおしげに振り払い、シュラインを人質にとっている男が笑った。
「Delphi」
 と、榊によくにた声が響いた。
「早く出てこないと、恋人がどうなってもしらないぞ」
 せかすようにデルファイと呼ばれた男が続ける。
「まさか草間さんとか……ねぇか」
 月斗が苦笑する。
 いくつかの足音が乱雑に響いた。
 そして。
「シュラインさん?!」
 聞き慣れた声……焔、悠也、碧が、異口同音に彼女の名前を呼んだ。
「ごめんねぇ。やっちゃった」
 ぺろり、と舌を出して笑う。
「本当にやらかしてくれましたね。驚きです」
 ひょい、と肩をすくめて榊がいう。その後にあたりに聞こえるか聞こえないかの声で「まあ、人質になって取り乱さず、冷静でいるあたりは上出来」とつぶやいた。
 かき消えた榊の言葉の後に、酷く榊に酷似した声が聞こえた。
「ヒロ」
 視線の向こうに、榊によくにた、だけど若干おとなびた顔立ちに肩まで伸ばした髪を持つ男がいた。
「さて、どうしたモノかな。これは。実に感動的じゃない双子の再会だな。アキさんよ」
 冗談めかせて言った焔の言葉が、やけにコンクリートの壁に反響しつづけていた。
 だが、当の双子同士は、視線を合わせようとはしない。
 一人は悠然とその存在を無視し、もう一人は怯えるように視線を逸らして逃げた。
「まあ、一応要求をききましょうか。聞かなくてもだいたいわかるのですが」
 物事には手順というのがありますからね。
 悠也は言って、近くにある空き箱の端に腰かけて足を組んだ。
「デュカリオン計画を発動させるキーワードと、ワクチンの作成だ」
「予想通りですね。そんなことだろうとおもった」
 榊がうなづく。
「私としてはワクチンがいただければそれでもかまわないですが」
「千尋さんっ」
「アホ榊っ、てめぇ」
 鷹科兄弟がそれぞれ抗議するように叫んだ。が。
「まだ死者がでたわけじゃないですからね」
「超法規的措置というわけか。なるほどな。法を杓子定規に解釈するだけなら、六法全書もった幼稚園児にもできるからな」
 司法取引をしよう、ということなのだろう。
 テロリストを見逃すかわりに、シュラインとワクチンをよこせと、逆に要求しているのだ。
「なんて言うか、したたかなヤツだな。おっさん」
 呆れたように月斗がいう。
 彼も同じで、ワクチンが手にはいり、弟たちが元にもどればいいのだ。
 今テロリストを倒す必要性はない。
「相変わらず、警察官らしくない台詞ね」
 頭に銃をつきつけられているのをものともせず、いつもの調子でシュラインが皮肉をいう。
「そうでしょうか? 警察官僚らしい考えしていると想いますよ。国家としての国をどうまもるかが私には重要な事ですから」
 あはは、と世間話をするように笑う。
「でも、もしそれに応じてくれないというのなら実力行使ですかねぇ」
 周囲を見渡す。
 倉庫にいるテロリストは二十名。
 戦って勝てない数ではない。
「ここでシュラインさん尊い犠牲になってください。とかいったら私だけ悪人ですよね」
 微かにうつむいて、目線だけを上げる。
 勝手に、体が震えた。
 月斗はふるえを止めるために両肩をだいた。
 榊の緑の瞳が、冷たく、底知れない輝きに満ちていた。
 悪魔より狡猾に、神よりすべてを見抜くように。
(怖い)
 碧海も、また、かつての事件の時と同じ榊の眩い瞳に、胸を押さえる。
「さて、シュラインさん、最後の言葉はありますか?」
 冷たい榊の瞳に、本当に見殺しにされるのではないかと、背筋が凍る。
(何、どういうつもり)
 瞳で問いかける。
「最後の、言葉はありますか?」
 もう一度、聞かれる。
 最後の言葉?
 最後の……?
 はっ、と息をのんだ。
 そして。
「あああああああああぁあぁぁ」
 腹のそこから、力一杯叫んだ。
 自分の持ちうる限りの最高の高音で。
 人の聴覚限界に近い高い、高い、オクターブのかかりすぎた声で、咽が痛むまでさけんだ。
 たまらず、デルファイが耳を押さえた。
「焔さん、悠也さんっ、月斗くん」
 榊の真意を読んだ碧海が、気の裂帛を放ち、手近にあった木箱を飛ばして壊すと同時に叫んだ。
「承知してます」
 混乱の中、短く告げると、悠也は流麗な動作で木箱をけって地面に降りると、まるで踊りに誘うように手刀を空にすべらせ、デルファイの喉元を突いて、シュラインを抱き留め保護した。
「よし、こい。伐折羅大将! 急々如律令っ」
 ポケットから符と小さな木像を取り出し、月斗が呪を唱える。
 と、顔を溶岩のごとくそめ、身の丈ほどある宝剣をふりかざした神将が現れる。
「いけっ」
 人差し指と中指で符をはさんだまま、自分の額の真央と、敵の場所を指し示す。
 残像を残しながら風のごとく間合いをつめた式神の剣が、武器のつまった木箱ごと敵をなぎはらう。
「若いってのは、良いことだな」
 自分もまだ若いくせに、焔は老人ぶって言うと、自分に向かってライフルの照準を合わせようとしていたガスマスクの男二人を睨んだ。
 刹那、空気が歪んだ。
 焔から一瞬の、しかしそれだけに鋭い殺気が放たれた。
 全身にからみつくように彫り込まれた龍が、焔の気が揺らぐのにあわせてなまめかしく身じろぎした。
 瞬間、焔から照準をずらし、お互いの頭に銃口を向ける。
 幻覚ではない。
 強い催眠の力。死してなお説けない催眠の能力を解き放つ。
 理性は残したまま、体だけが焔の想うままに動かされていく。
 そして。
 銃声がして、二人の男の頭が、まるでトラックにぶつかったスイカの用に砕け散った。
「っと。これはあまり、教育上によろしくないか」
 頬に一滴だけ跳ね返ってきた返り血を指先でぬぐって、ぺろりとなめて焔が笑った。
「アキちゃん!」
 血にまみれた戦場と化した倉庫を、アキが駆け抜ける。
 見止めるが早いか碧もそれを追う。
 そこに襲いかかろうとする男達を、ある者は拳で、ある者は回し蹴りで昏倒させながら後を追う。
 と、アキは動いているパソコンの一つの前に来ると、ピアノを弾くように旋律的にキーボードをはじきはじめた。
「解除するぞ」
「え」
「ウィルスを解除するから、防御頼む」
「合点承知っ!」
 短く言うと一瞬だけ瞑目し、息を整え、気を満たしていく。
「おらおら、近寄るとあぶねーぞ! 今日の俺はマジに出血を大サービスだからなっ」
 言葉通り、気の白い光を体に当てられた男が、内から血をはきながら数メートル吹っ飛ばされる。
「そろそろ、終幕にしましょうか」
 ほとんどテロリストを制圧した、と関知した悠也が、シュラインの手からガムテープをはぎとってつぶやく。
「適当に身をまもっててください」
「適当にって……もうっ!」
 シュラインが聞き返す間もなく、悠也は倉庫を走り抜けシュラインの視界から消える。
「それを持って行かれると、困るですよ」
 逃げようとしていたデルファイの前に、唐突に現れしな悠也は言葉にした。
「な、何の事だ」
「デュカリオン計画。時代錯誤もいいところです」
 腕を組み、呆れた表情をつくりあげて言う。とたんにデルファイが胸を押さえた。
「なるほどやはり「そこ」でしたか」
 突如、奇声をあげて、デルファイが悠也に遅いかかる。
 それはもはや正気ではない、目が血走り、口からよだれすらたらしながら、手をめちゃくちゃに振り回す。
「最後のあがきにしては、っつ」
 頬を爪がかすり、一筋の血が流れる。
「このっ」
 手加減する余裕などない。
 地面を蹴ると、片足を軸にして足を斜めに振り上げた。
 鈍い音がして、デルファイの鳩尾に悠也のつま先が吸い込まれる。
 胃液を吐きながらデルファイは倒れると、エビのようにのたうち回り、奇声とも悲鳴とも突かない声を上げ続ける。
 変だ、と感じた時は遅かった。
 血を吐いて、病的な白さをしていた顔が、土色に変化した。
 息が、途絶えた。
 あわてて抱き起こして首筋を見る。と、小さい牙がささったような痕があった。
「まさかっ!」
 おいてきた筈の少女を思い出す。
 彼女の名前は……ヒュドラ。
「アキさんが、危ない?」
 その可能性に気づくが早いか、デュカリオン計画のファイルをデルファイの胸ポケットから奪うと、悠也は元来た道をかけもどる。
 戦闘はほぼ終わっていた。
 ただ、コンピュータの前でしきりにキーボードを打つアキだけが、せわしなく動いていた。
「アキさん!」
 悠也が叫んだ瞬間。
 銀色のナイフが戦いの合間を裂くように、倉庫を横切り、アキの体に突き刺さった。
「え?」
 きょとん、とアキが目を見開いた。
 そしてナイフがささった脇を触り、血がその指先を汚したと同時に倒れた。
「アキちゃんっ!」
 碧が叫ぶ。
「どこだっ」
 予想外の出来事に焔が目を血走らせて周囲を見る。
 再び飛来する数多のナイフ。
 だが、それは一瞬のうちにすべて砕け散り、細かい銀の砂礫となり、空気を舞った。
 誰の力か、などと考えている余裕はなかった。
 ナイフが飛来した方向を計算する。
 ヒュドラの居場所を……アキの命を狙う暗殺者の居場所を頭の中で導きだす。
「悪いな、手加減する余裕は、ない」
 そこにいる、と確信した場所に向かって一気に距離を縮めると、焔はブーツに隠していた細身のナイフを抜き取る。
 そして目の前に立ちつくすヒュドラの頸動脈を狙い投げつけた。
 血の花が倉庫中に広がる。
 肉という圧力をうしない、血管という檻から解き放たれた血が倉庫を染め上げる。
 だが少女は笑っていた。
 唇が最後の力で微かに動く。
 Hydraの血は毒。
 裏切り者は死。
「馬鹿が」
 吐き捨てる。
 哀れむ気はない。彼女は信じた者に殉じたのだ。
 そこまで信じられる、狂える何かがあるというのは幸せなことだ。
 歩いて、倒れたアキと、そのそばにしゃがんで叫ぶ碧のそばに行く。
 碧のダッフルコートの裾を荒々しくつかむ。
「くそ、やっぱりだ。あいつ気絶する前にコートに発信器つけてやがった」
「え……」
 碧が青ざめる。
 記憶がよみがえる。
 確かにあのときコートの裾を捕まれた。あのとき、発信器をつけられた。
 だから。
 俺のノ性デ?
「出血は少ないな」
「毒です」
 悠也がかけより、短く言う。
「デルファイがやられました。ナイフには致死性の毒があるはずです」
 俺が、なんとか治癒系の術でおさえますが。とつぶやき、目を閉じたままうめくアキを見る。
 解毒は毒の種類がわからなければ、出来ない。
「アキちゃん、俺、どうして」
 完全に理性を失った緑が、手をとりながら、泣きそうな顔でいう。
 事実、目の回りには涙がたまりかけていた。
「……ト」
「え?」
「ラスト、解除ワードだけだから。打って……くれ」
 うっすらと瞳を開いて、アキが碧を見る。
「だって、俺」
「こんな、馬鹿やってる、暇ねーの。こうしてる、間に、ウィルスがどれだけ広まると」
「しゃべらない方がいいです。消耗が激しすぎると、体が……」
 術に耐えられない、と悠也がいいかけるのを制止して、アキは体を起こす。
「ていうか、俺、まるご、と、林檎コンポート喰ってない、し」
 に、と笑う。
「碧君、責任を感じてるならやりなさい」
 いつの間に来たのか、榊が冷たい口調で命令した。
 だが、反発する気にはならなかった。
「OK、どうすればいいんだ? 教えてくれよ」
「半角英数、文字」
 ――Dabit deus his quoque finem.
 アキが最後の解除ワードを告げる。
 ふるえる指でタイプする。
 と、画面白一色に変わり、何度か明滅する。
 ――Running CounterVirus Program
 ネットワークを中継して、ワクチンを配布します。とコンピュータが告げた。
「やった」
 月斗が短くつぶやく。
 これで弟達は元に戻るのだ。
 が。
 このままではアキが……榊千暁が死ぬという事が、本当の喜びから月斗を隔てていた。
「どう、すれば」
 碧海がつぶやく。
 だが、榊だけは、兄の千尋だけはどこまでも冷淡だった。
「立って下さいね」
「おい」
 さすがの焔も制止しようとした。
 だが、榊はただひたすらに冷たい目で倒れたアキを見下していた。
「プライドがあるなら、自分で立って、ナイフをぬくんだね。……アキ」
「この、アホ榊てめぇいい加減にしろよ!」
 碧が叫んだ瞬間、アキが笑った。
 笑って、ゆっくりと立ち上がり。
 そしてナイフを抜いた。
「これで、満足か? ヒロ」
 あざけるように、怒るように、そしてどこか悲しげにアキがいう。
 と、榊は微かに笑った。
 一瞬だけ同じ顔の、同じ瞳が触れ合った。
 そして。
 アキが倒れた。
「ちょっ」
 シュラインがあわてて駆け寄る。
 だが、もう、アキから血は流れては居なかった。
 気を失ってはいたが、アキは穏やかな呼吸で眠っていた。
「どういうこと?」
 いぶかしがるシュラインの前で、榊はくるりと背中を向けた。
 そして肩越しにひらひらと手を振った。
「傷、なおしておきましたから」
 全員が絶句した。
「あ、それとあと一時間後に応援よびますから、警察に合いたくない人は逃げてくださいね」
 軽く言ったまま、榊は倉庫を出ていく。
「ち、千尋さん」
 碧海が榊を追いかけた。
「まあ、これで解決って事かな」
 月斗が訳がわからないままつぶやいた。
「そうですね」
 寝息を立てるアキの横で、悠也はポケットからデュカリオン計画の磁気ディスクを取り出すと、焔に渡した。
「燃やしてください、焔さん、お得意でしょ」
「ん……」
「ない方がいいんですよ。こんな代物は、ね」
 呪文が微かに聞こえた。
 焔の指先に火がともる。月斗も呪でそれに力を貸す。
 どろり、とプラスティックが溶けていく。
 異様なにおいなのに、なぜか心地よく感じるのは、血と硝煙のにおいで鼻が壊れたからだろうか。
 人騒がせなファイルが炭化し消えた倉庫に、密やかに冬の風がはいりこんできた。
 そして、それと同じくひそやかに。電子の世界でワクチンがウィルスを中和していっていた。
 だけれど、それは、誰もしらない。
 ここに居た者達以外は。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0599 / 黒月・焔(くろつき・ほむら) / 男 / 27 / バーのマスター】
【0454 / 鷹科・碧(たかしな・みどり)/ 男 / 16 /高校生】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは立神勇樹(たつかみ・いさぎ)です。
 今回はちょっと特殊な事象が起こったのですが。
 いかがでしたでしょうか?
 こちら側のパラグラフとしては「私を裏切るのは、"Delphi"だけとは限らない」というキアラの言葉をキーに「最終的にアキが裏切る」のを見抜くと、キアラ側にファイルが渡らないように動く事になっていました。
 また見抜いた上で手助けする、と答えた場合は、かなり有利に展開する事にもなっていました。
 ともあれ、参加していただいてありがとうございました。