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<東京怪談・PCゲームノベル>


眠れる街

■救難信号、受信

 千代田区の地下に人知れず広がるその領域に、足を踏み入れられるものは少ない。
 いちどでも案内されたり、招待されたものであれば、たやすく、二重橋駅からそのまま地下道を歩いて進めば、その場所に到達できるのだが、どういうわけか、その場所があることを知らないものたちは、決して、そこへと続く道に足を踏み入れることがないのである。斯様に、不可思議な場所であったが、そのような所が存在するということが、あるいは、現代の東京という土地を象徴していると言えたかもしれない。
 ともあれ、この場所にやってくることができる見えざる資格を与えられているもののひとり、蒼月支倉は、その日も、まるで学校帰りになじみの店に立ち寄るように、顔を見せたのである。
 ただいつもと違うのは、手には発砲スチロールのケースを抱きかかえていたことと、二人連れ――友人の、常雲雁が一緒にいたことだった。
「こんにちは! ……あれ?」
 元気よく挨拶したかれらを出迎えたのは、黒服に黒眼鏡の無個性な職員たち――かれらこそがこの場所の住人であったが、何度もここに出入りしている支倉にも、それぞれの人物の氏名であるとか、そもそもいったい何人の人間がここにはいるのか、わからないままなのだった――と、よく見知った顔であった。
「シュラインさん? こんな所でどうしたんです?」
 そこは、うす暗く、くだびれた事務デスクが並んだオフィスである。いちばん奥の机のあたりに、彼女がたたずんでいたのである。
「知らないの? 呼ばれて来たんじゃないのね」
 シュラインが逆に聞き返してくる。支倉は目をしばたいた。彼にとってシュライン・エマは草間興信所で会うべき人物であって、まさかここ――宮内庁地下の『調伏二係』の事務室で会うのはちょっと奇妙な感じがする。
「これを八島さんに、と思って……。ズワイガニなんです。ちょっといいのが手に入ったから」
「八島さんは留守なんですか? せっかく蟹鍋パーティをしようと思ったのに」
 雲雁がそう言って、屈託なく笑みを見せる。彼のほうは大きな鍋を担いでいたのである。
「それがね……」
「まったく人騒がせな!」
 シュラインの言葉をさえぎって、割り込んできたのは、天樹燐だった。
「八島さんが巻き込まれた以上、お助けしないわけにはいきませんけれどね。よりによってこんな日に……」
 彼女は、厚手のセーターをすっぽりと着込んだ上にマフラーを巻き、目深にニット帽を被った、いささか厚着ないでたちだった。だが、テディベア柄の愛らしいセーターの背中に、長大な日本刀を背負っているのが、なんとも異様である。
「燐さん? なんだか顔が赤いですよ」
『熱があるのだ』
 持ち主のかわりに、支倉の問いに答えたのは背中の刀だった。
「えっ。それはいけない。食べるなら消化のいいもののほうがいいです。残念でしょうけど蟹鍋はちょっと」
「ユンさん、違うと思う……」
「熱の四十度や五十度では休んでられません。精霊が暴れていると聞いては。まったく、どうして精霊さんというのはこうも人騒がせな……」
『主よ、あまり人のことは言えないのでは――』
「いったい、何があったのか説明してくださいよ! 精霊が暴れてるって? 八島さんがどうかしたんですか?」
「私がご説明します」
 いつのまにか、支倉と雲雁のうしろに、一人の男が立っていた。
 黒服に黒眼鏡のおなじみのスタイル……だが、この男に限っては、いささか体型に貫禄があるので、そのぶんだけ個性的だった。スーツの胴回りあたりのボタンがぎちぎちになっている。
「私は宮内庁『調伏二係』の榊原と申します」
 男の声は陰気だった。
「わたくしどもの係長の八島がですね、少々、出先でトラブルにまきこまれたようでして。八島のファイルにお名前の挙がっていた方に、ご助力のお願いのお電話を差し上げていたところだったのですよ。蒼月支倉さんと常雲雁さんですね。お二人にもお願いをしようと思っていたところでした」
 ふたりは顔を見合わせる。
 榊原と名乗った男の後ろで、これも黒いスーツの、ただし、だいぶくたびれた格好をした男が、ふん、と鼻をならした。この男は黒眼鏡はしていないから、『二係』の人間ではないようだった。
「そのファイルとやらに俺の名前も載っていたわけか。どうやって調べたか知らんが、マメなこったね」
 三十代そこそこの、精悍な風貌の男である。
「ご紹介しますと、こちらは藍原和馬さんです」
 榊原が言った。紹介された男は、うっそりとかすかに会釈しただけだった。
「それと、巌嶺顕龍さん」
「えっ」
 はっと、シュラインが振り変えると、いつのまにか、そこには巌嶺顕龍の長身がすっくと立っていたのだった。こんな大柄な男だというのに、まったく気配がなかった。
「隠居の身で役に立つかどうかはわからんがね」
 顕龍は言った。
「さて。これでみなさん、お揃いになりました」
 榊原が告げる。
「皆さんにお願いをしたいのは、八島の救出です。今朝ほど、八島は中森市にある中森市立博物館へ向かいました。そこで、学芸員がギリシアから取り寄せたある品物についての鑑定を行うためです。それは古い壷だったのですが――どうやら八島の危惧したとおり、『ヒュプノスの壷』なる特殊な品物だったようなのです」
「ヒュプノス……というと、ギリシア神話の眠りの神様のことですよね?」
 雲雁が言った。
「ええ。もちろんそこから名付けられてはいますが、それに封じられているのは、神性というよりは精霊の類のようなのです。さきほど、八島から連絡がありまして、ああ、それは録音されてるんで、せっかくだからお聞かせしましょう」
 淡々と解説する榊原。そして、どこからか取り出したレコーダーの再生ボタンを押す。
「すまないが……わたしのファイルから人選をして、助けを……よこしてくれないか。『壷』を開けてしまったんだ……。そう、解放された『眠りの精霊』が、かたっぱしから周囲のものを眠らせはじめている。しかも……精霊による『眠り』には……もうひとつ……困った効果が…………」
「大変だ……」
 雲雁が思わずつぶやく。
「ま、そんなわけでして」
 ため息まじりの榊原の言葉は、上司を心配しているのかいないのか、今ひとつ判然としない。
「すでに中森市内では、眠りの精霊による被害が出始めているようです。八島が最後に伝えようとしたことが何だったのかはわかりません。八島自身も、どうやら精霊による魔法の眠りにとらわれてしまったようなのです……。そこでお願いです。精霊の力を無効化する『血清』が、少量ですが用意できましたので、これを持って中森市に向かっていただけませんか。八島の目を覚ますことができれば、事態を収集する方法がわかるのではないかと思うので」

■救出斑、出動

 そして、二台の車が、人知れず、宮内庁から出発した。
 中森市に向かう電車は、事故という名目で、その手前までの折り返し運転にされている。道路も検問がしかれ、事実上、市を封鎖する格好だ。
「まったく、関係省庁に働きかけてこれだけのことをするのにも一苦労ですよ。終ったら終ったで情報管制も敷かねばいけませんしね」
 榊原は心底、面倒そうにこぼしていた。
 一台目の車を運転しているのは、和馬である。
「本当はこのままドライブとしゃれこみたいところだが」
 ちらり、と助手席のシュラインを見遣って、口元に笑みを浮かべた。
 後部座席には燐が、すこしの間だけでも、と、横になって身体を休めている。
 和馬は、俺の車に男は乗せないと言い張って、勝手に同乗者をふたりの女性陣に限定してしまったのだ。
「よかったのかい、血清打たなくて」
「そうね」
 シュラインは小首を傾げてこたえた。
「一応、様子見ということね。用意できた血清は八島さんのぶんを含めて7人ぶんだけ。いざというとき、一つしか残っていないのは危険だと思ったの」
「しかしそれじゃあんたが……いや、それはいいか。俺と一緒にいればな」
「頼もしいのね」
 くすくすと、笑った。
「それにしても『ヒュプノスの壷』、か――。『タナトス』じゃなくて一安心、ってところかしら?」
「『タナトス』は死の神だったな」
「ええ。眠りと死の兄弟神。……八島さんの電話だと、ただ眠らされるだけじゃ済まないみたいね」
「なにか、心当たりが?」
「そうね、いろいろ想像できることはあるけれど――ま、街に行ってみればわかることだわ」
「だな。……そういや、あの旦那も、血清打たなかったようだが、あっちは平気かね」
 そう言って、バックミラーで後続の車に視線を投げた。
 二台目の車は顕龍が運転手だ。
 当然、こちらの乗員は支倉と雲雁。
「巌嶺さん、さっきトランクに積んでらした箱は何なんです?」
「ん。ああ、あれか。『蜂』だよ」
 雲雁は、さらりと返ってきた答えに、首を傾げた。
「ハチ……って虫の蜂?」
「そのとおり。といっても、巫蟲の蜂だがね」
「魔力を授けられた虫ということですね」
 雲雁の目がすっと細められた。一見、気のいい好青年然とした雲雁だったが、東洋の魔術の類の知識は並みではない。
「例の血清を呪蜂の女王蜂に与えて、卵を産ませているのだ。中森市につくころには、針の毒に血清をもった蜂が大量に育っているという寸法でね」
 ハンドルを切りながら、にやりと頬をゆるめる。
「なるほど。人を刺して眠りを醒ます蜂ですか。……ふふ、ぼくらは注射でまだよかったような気がしますね……。なあ、支倉。……ん、どうした」
「え。ああ」
 支倉は、なにか考え事に没頭していたようだった。
「どうかしたかね」
「いえ……。ただ榊原さん……あんまり、八島さんのこと、心配していないみたいだったな、って思って」
 出発前のことを、支倉は思い出していた。
「八島さんはぼくたちで絶対、助けますからね!」
 そう言った支倉に、榊原はちょっと意外そうな顔をしたのだ。
「八島は、あなたがたとずいぶん個人的なつきあいをしているようですね」
「え。個人的っていうか……」
「まあ、今回は、八島がいちばん事情がわかっていますから、その救出が優先されるわけですが、本来なら、別に私たち『二係』の職員はそんなに尊重されるものではないんですよ」
「え、でも……」
 そんな言い方はないのではないか――言いかけた支倉に、ぴしゃり、と、榊原は言ってのけたのだ。
「私たちのかわりは、いくらでもいます。われわれはそういう存在なのですよ。前任の係長――八島の兄もそうでしたから」
 しん、と、車内に、しばしの沈黙が流れた。
「八島くんは」
 口を開いたのは顕龍だ。
「そういう世界に生きているということだ。……きみたちは若いが、世の中にはもっと非情なことも不条理なこともある。しかし……さしあたり、八島くんを救うために、私たちは動いているだろう?」
「そう……ですね」
 やがて、二台の車は中森市に入ろうとしていた。
 話が行き届いているらしく、検問はかれらを無言で通してくれる。
「……!」
 がばり、と、和馬の車の後部座席で、燐が身を起こした。
「どうしたい?」
「本当に大丈夫なの、燐さん」
 運転席と助手席の二人が口々に声をかけるのへ――
「います」
「えっ?」
「街中に……精霊の力が及んでいるようですね」
 熱に臥せっていたとは思えない、しっかりした口調で、燐は言った。
「でも……静かよね」
 そう――。
 まさしく、街は眠りについていた。
「みんな寝ちまったようだぜ。見なよ」
 路上には――無数の、車が停まっている。かれらの車は、それらの合間を縫って走っているのだが、すれ違う瞬間、見えたのは、ハンドルにつっぷして眠っている運転手たちの姿なのだった。
 まだ日は高い。
 真っ昼間の街に、起きて活動する人や車がないというだけで、都市というものはこれほどまでに静かで、そして異様な印象を与えるものだろうか。
 それは、さながら人類が滅び去ったあとの、未来の廃墟の光景だといっても通用するような、不思議な世界として、かれらの目の前に広がっているのだった。
「居眠り運転に注意したほうがいいようね」
「停まっている車を避けるほうが手間だぜ」
 車ばかりではない。通行人たちも、みな、手近な建物の壁にもたれたり、あるいは歩道によこたわったり、とにかく、突然の急激な眠気に耐え切れなかったとでもいうように、その場で眠りこけているのである。
「問題の博物館だけど――」
 シュラインが何かを言いかけた……そのとき!

■眠れる街、蠢動

 赤いレンガでできた、壁である。
 そんなものが、3秒前までは存在しなかったことなど、全財産を賭けたって構わない、と思いながら、和馬はブレーキを踏みこむ。
「もう、うっとうしい!!」
 心底、苛立った声で、燐が叫んだ。
 瞬間、壁の真ん中が吹き飛んで、穴が開く。和馬の車がそこに滑り込んだ。いかに急ブレーキをかけたところで、その穴が開かなければ激突は免れなかっただろう。
「た、たすかった」
 ひゅーっ、と、息を吐く和馬。この際だ。同時に、車のフロントグラスもまた瞬時に蒸発してしまったことについては何も言うまい。
「なに、あれ!」
 シュラインが叫んだ。
 かれらの後方では、顕龍の車が続いて壁の穴を抜けてこようとしていた。
 だが。
「巌嶺さん、危ないッ!」
 雲雁に言われるまでもなく、すでに彼はハンドルを切っている。
 ずがん、と、鍵爪をそなえた巨大な足がアスファルトにめりこんだ。
「やれやれ!」
 さすがというべきか、顕龍はさほども動じていないようだった。
「これが、『眠りの精霊』……ではないようだ! 眠らせるどころじゃない」
 それは、おおざっぱにいうと、爬虫類と人間の中間のような姿をした怪物だった。鞭のような長い尾がうねり、コウモリのような翼をはためかせている。
「あれは……」
 くわっ、と、それが口を開けたかと思うと、牙の並んだ口から火の玉が吐き出された。
「おっと!」
 それは、車に命中するかに見えたが、その寸前の空中で見えざる壁に遮られたように消し飛ぶ。
「大丈夫。僕の結界で充分、防ぎ切れます。先を急ぎましょう。あれが何かわからないけど、八島さんを助けて事情を聞いたほうがいい」
 雲雁が言った。
「そうするとしよう」
 顕龍はアクセルを踏み込んだ。だが、先を行っている和馬の車はもう見えなかった。
「あれ、ジャーバワックだ」
 ふいに、支倉が言った。
「何?」
「ユンさん知らない? ゲームだよ。ネットゲームに出てくるモンスター」

「ゲームのキャラクター……ということ?」
 シュラインが問う。
「そ。『闇の森』ステージで出てくる……結構、カタくて厄介なんだ」
 和馬は意外にゲームに詳しいらしかった。
「なるほど。なんとなく読めてきたわ。それより、顕龍さんたちを置いてきちゃったけど」
「あの旦那たちなら大丈夫だろ。急ごうぜ。道は頭に叩き込んできた。こっちが近道だ!」
 ぎゃん、と、急なカーブに、タイヤが悲鳴をあげた。走っている車も歩行者もいないのをいいことに、猛スピードでとばす和馬。
「見えてきた。あれだと思うが……ずいぶん、前衛的な建物じゃねえ?」
「冗談!」
 シュラインは絶句した。
 行手にあらわれた博物館らしき建物は……奇怪なオブジェのように変貌していた。
 ひとつの建物の外壁から、まるでキノコが生えるように、あきらかに別の建造物が突き出しているのである。シュラインの見たところ、その怪奇な寄生建築物は……ピサの斜塔であり、ギザのピラミッドであり、パルテノン神殿であり、アンコールワットであった。一体、いかなる神の悪戯か、狂気の建築家の手によるものか。
 車は建物の裏手の駐車場につけられた。
 3人は足早にその元・博物館(と言うべきだっただろう。どう考えても、もとからこういうものだったとは思えない)へと向かう。和馬が血清の入ったジェラルミンのケースを手に提げていた。
「お! また何か出やがるぞ」
 まさにかれらの行手を阻むがごとく、地面から、なにかがあらわれようとしていた。それは腐臭を放つ死者の群れだ。かっと牙を剥き、朽ちかけた腕をふりまわして襲い掛かろうとするのへ――
「小物には構ってられません!」
 燐が、止める間もなくそのゾンビたちの群集に突進していったのである。
「お、おい!」
 腐敗した怪物に触れるのをためらいもせず、ばったばったと投げ倒し、蹴散らし、波をかきわけるように進んでいく。
「気が立ってるなあ、オイ」
「私たちも急ぎましょう」
 燐に投げ飛ばされたり、蹴倒されたりしたゾンビは、その瞬間、塵のようになって消滅していた。もとよりそうした性質のものだったのか、燐の能力によるものかは、シュラインには判別しかねるところだった。二人が追いついた頃には、燐はすでに博物館の裏口を――これは能力を用いて――『解体』してしまっていた。
 かれらは戸口をくぐり、そして――。
『危ない! 彼奴らがいるぞ、主よ!』
 燐の刀が、警告の声を発した。
 シュラインは、天井にはりついて、彼女たちを待ち伏せしていたものの姿を見た。半透明の、人型をしているが、昆虫のような羽をはやし、衣服はまとっておらず、性の特徴はない異形であった。
(『眠りの精霊』――!)
 耳障りな、ケタケタ笑う声。
 それの羽ばたきとともにまき散らされた鱗粉が、シュラインの上に降り注いだ。

「なんですか、あれ!」
 支倉が感嘆の声をあげた。
 かれらが傍を通り過ぎた民家のひとつが、壁といわず屋根といわず、生クリームやスポンジやフルーツやチョコレートにおおわれていたからである(少なくとも、そうとしか見えなかった)。さながらヘンゼルとグレーテルのお菓子の家。ほんの一瞬、これなら妹を連れてくればよかった、との思いがよぎった。
「お菓子の家だね」
 顕龍の応えは、おどけているのか真面目なのか、判然としない。
「こっちはお金だ」
 雲雁が言った。なるほど彼の言葉通り、別の家は紙幣の洪水に埋もれていた。
「食べ物に金とくれば、あとは当然……おっと、この道は避けよう」
 顕龍が急に脇道にそれた。前方でうごめいていたものを見たからだった。
「えっ、なに、なに?」
「支倉は見ちゃダメだ!」
 雲雁がなぜか顔を赤くして、歳下の友人が後ろを振り返ろうとするのを押しとどめた。
「どう思うね」
「眠った人の……夢ですね」
「やはりそう見るか」
「八島さんはこのことを言ってたんだ!」
「はやく事態を収集したほうがいいようだな。完全に都市機能がマヒしてしまっている。眠りどころか、これはシステムの死に等しい」
「ええと、あれが市立博物館だと思うんですけど……わあ、また妙なことになってる」
「よし」
 かれらが到着したのは、博物館の正面玄関だった。
「すこしでも人を起こそう。厄介な『夢』も減るはずだ」
 車から降りるや顕龍が、トランクを開け放った。
 羽音を響かせて、眠れる街の空へと散っていく蜂たち。
「シュラインさんたち、もう着いているかな」
 支倉は館内に駆け込んだ。中は無人で、しんとしている。電灯は消えていて、薄暗かった。
「支倉、気をつけて! 何かいる!」
 建物の奥の闇の中で、あやしい二つの光が灯った。

■被災者、救出

 咆哮を上げて突進してきたもの。
「く、車!?」
 それは真っ赤な車体も毒々しいオープンカーだ。
「『急々如律令』――!」
 雲雁が呪を放つ。支倉を守るように地面から突き出した白い光の槍が、車体を串刺しにした。
 エンジンの唸る音が、憎々しげに響く。
「これ……僕たちが前に闘った……」
「そうなの?」
「そうか、『八島さんの夢』だ! 近くにいるよ!」
「おおい」
 駆けてくる人影がある。
 シュラインを背中に担いだ、和馬だった。あとに、白刃を抜いた燐が続く。
「シュラインさん!」
「やられたのかね」
 顕龍も合流した。
「おかげでひどい目に遭ってる」
「私が『解体』すると言ってますのに」
 燐が鼻息荒く主張する。
「人間はさすがに寝覚めが悪くていけねえや」
「人間?」
 響いたのは銃声だ。
 思わず、皆、姿勢を低くする。
「ええっ、草間さん!?」
 よく見知った顔の男があらわれるに及んで、支倉が鼻白んだ声をあげた。
「俺たちを襲ってくるんだ」
「『シュラインさんの夢』はこれかぁ。なんかちょっと美化されてるような気もするけど……」
「微笑ましい気もするが。彼女に目を醒ましてもらうよりないか」
 顕龍がそっと開いたてのひらの上で、一匹の蜂が羽を震わせていた。
「痛そう」
 思わず目をそらす支倉をよそに、蜂の針が、シュラインの腕を刺した。
「んん……」
 たちまち、草間探偵の姿がすっと薄れて消えてゆく。
「あ、あれ……私……」
「立てますか? あとは僕が。みなさんは八島さんを探して」
 雲雁の言葉に従って、かれらは動き出した。
「たぶんこっちです。精霊の気の強い名残りを感じますから」
 燐が先導して、かれらは地階への階段を下った。燐がなにげなく手をかけた階段の手すりの一部が、じゅっと音をたてて消滅したのを見て、和馬はぎょっとなった。
「オイオイ、なんか、制御が効かなくなってきてねえか」
「ちょっと暴れすぎて、熱がまた上がったみたいで」
 燐は言った。
「早く終らせて、家に帰りたいです。ああ、もう、あとで八島さんには絶対、なにか奢ってもらいますからね!」
 果たして、地下の一室には、古々しい壷を前に、一人の男が倒れている。
「八島さん! やーしーまーさーん!」
 支倉がかけよってほっぺたをはたいでみるが、まるで反応がない。死んだように(だが呼吸はしているようだった)眠りこけているのだ。
「よっしゃ。待ってろ」
 和馬が、守り切ったジェラルミンのケースを開ける。アンプルに注射針をつきさし、血清を吸い込んだあと、すこし零して空気を抜く。
「手際がいい。注射の経験が?」
「そいつぁノーコメント」
 顕龍の問いをはぐらかして、和馬は、八島の腕に針を沈めた。
「あ……」
「大丈夫ですか。八島さん、僕がわかります?」
「あ、ああ……助かった……」
 黒眼鏡の男は、ゆっくりと身を起こした。
「おはよう、と言うべきかな」
「え……、あっ、巌嶺さん。いらしていただけたんですね、わざわざ私のために……」
「さあさあ、それより次はどうすりゃいいのか教えてくれよ」
「かれらを封印しなおさないと。『壷』の呪力を活性化させます。ああっ、燐さんは近付かないで! 精霊に反応して封印してしまう!」
 壷をのぞきこもうとしていた燐をあわてて制止する。
 そして、八島真は立ち上がった。
「さあ。お目覚めの時間です」

 それは、享楽的な少女のようにも、わんぱくな少年のようにも見える。
 羽をひらひらとはためかせ、あらゆる生けるものを魔法の眠りに誘う粉をまきちらしながら、騒々しい笑い声をたてて、飛び回っているのである。
「一匹じゃなかったのね」
 シュラインが呻いた。かれらの上を飛び交っている精霊たちの数は、十をくだらない。
 おかげで、あたりは魔法の鱗粉がもうもうと舞って、空気が煙るほどだったが、血清を接種したシュラインと雲雁はもはやその影響を受けることはなかった。
「あ、八島さん!」
 やがて、大きな壷を抱えた八島たちが戻ってくる。
 その壷を目にした途端、精霊たちのあいだに恐慌が起こった。甲高い悲鳴のような、さえずりのような声をあげてばたばたと乱れ飛ぶ。
「雲雁さん、シュラインさん、すいません。ご足労いただいて。あとはかれらをひっつかまえて壷に放りこんでいただければ。力は強くありませんが、なにぶん不死なので、そうするのが一番なので」
「オーケイ」
 ぽきぽき、と、和馬が指の骨を鳴らした。
 不穏な気配を察知して、精霊たちが怪鳥のような叫び声をあげ、急降下してきた。
 迎え撃つ和馬の喉が、獣の唸り声にふるえる。
 精霊の体当たりをかわし、ヘッドロックで抑え込んだ。
「大したことねえ」
 吐き捨てる。
「『急々如律令……飛ぶものは地へ、這うものは戒められよ』」
 雲雁の呪文とともに、数体の精霊が飛行の力を失って床に墜落した。文字通り、羽を失った虫のようにもがく。
 そこへ、青白い炎の玉が襲いかかった。ごう、と、火に包まれて、絶叫をあげる精霊たち。
「ちょっと可哀想な気もするけど」
 支倉の放った狐火だった。
 そのとなりに、刀を構えた燐がすっと並び立つ。
「話し合いができれば、と思ったのですけどね。残念ですが」
 一息に跳躍する。
 白刃が、光の軌跡を描いた。
 風に花が散るように、また数体の精霊が地に墜ちる。
「当節の人は忙しいものでな」
 顕龍の手の中で、きらりと細い針が光った。
「眠ってばかりもいられない」
 しゅっ、と、放たれた針は、正確に、狙った敵に突き刺さる。
「やれやれ」
 シュラインは、動かなくなった精霊を抱えると、壷へと運んだ。不思議なことに、それはほとんど重さがない。ふわふわとした雲のような手ざわりなのだ。
「なんだか恥ずかしいわ。強がらずに最初から血清を打ってもらっておけばよかった」
「『夢』の内容は一種のプライヴァシーですからね」
 八島が傾けた壷の中に、それを放り込むと、たちまちそれは形を失って、どろりとした液体になる。その様相で、何千年も封印されていたのだ。
「私もたまたま見た『夢』が例の怪物で助かりましたよ」
 黒眼鏡の上の眉毛を、ぴん、とはね上げた。
「私の頭の中には国家機密が山ほど入っていますからね」



「本日、中森市内の工事現場で、不発弾が発見され、一時、付近住民が非難する騒ぎがありましたが――」
 キャスターが無表情に伝えるニュースに、和馬が唇をゆがめた。
「不発弾ねえ……」
「闇の領域の出来事は、闇に属するものだけが知っていればよいこと。無用な混乱は必要なかろう」
 と顕龍。
「達観だね。旦那は闇に甘んじてい続ける気かい」
「自分は違うとでも?」
「ノーコメント」
 そして、手にした缶ビールをぐびりとやった。
 ちょうどそこへ、榊原が戻ってきて、ぎょっとした表情でたちすくむ。
 『調伏二係』の応接スペースに、カセットコンロが置かれ、そこで、鍋が湯気を立てていたからである。
「もうそろそろいいんじゃないかしら」
 鍋をのぞきこんで、シュラインが言った。
「カニ!カニ! さあ、八島さんも早く」
 支倉がはしゃいだ声をあげた。
「ポン酢、取ってもらえません?」
「わっ、燐さん! 帰ったんじゃないんですか!?」
 雲雁の隣に、いつのまにか燐が坐っていた。
「目の前で蟹鍋がはじまっているというのに、すごすごと帰れるわけ……が――」
「わーっ、だ、だいじょうぶですか!」
『すまぬ……人騒がせでな』
「と、とりあえず、寝かせてあげて。八島さん、毛布とか……できたら、冷やせるもの、ないかしら」
「あー、はいはい、ちょっと待ってくださいね」
 つと、席を離れた八島とすれ違いざま、榊原がぼそりと呟くように言った。
「知りませんからね。ただでさえ、どんな処分があるかわからないのに――」
「かれらがいなければ、どうなっていたと思います?」
「『一係』が処理したでしょうよ! 八島さんは民間人と交わり過ぎです」
「榊原くん。先だっての『界鏡現象』をはじめ、東京はそんな悠長なことを言っていられるときじゃない。光と闇、人と魔の境界は、確実に揺らぎはじめているのですからね。……きみも鍋をいただいたらどうです」
「…………」
 榊原は無言できびすを返すと、部屋を出ていった。八島は肩をすくめる。
「この影響で、中央線の『中森』から『八王子』までの区間が、一時、運転を見合わせていましたが、作業修了後の午後5時には――」
 街が、ひとときの魔法の眠りに包まれていたことを、記憶しているものは僅かだ。
 ひとしれず現実はゆらぎ、そしてまた戻る……。
 東京の、ある冬の一日のことであった。

(了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【1028/巌嶺・顕龍/男/43歳/ショットバーオーナー(元暗殺業)】
【1533/藍原・和馬/男/920歳/フリーター(何でも屋)】
【1653/蒼月・支倉/男/15歳/高校生兼プロバスケットボール選手】
【1917/常・雲雁/男/27歳/茶館の店員】
【1957/天樹・燐/女/999歳/大学生(精霊)&何でも屋】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。『眠れる街』をお届けいたします。
なぜか最後は宴会になってしまいましたが……

>シュラインさま
相変わらず鋭いプレイングにドッキリのライターです。
「血清を打たない」オプション(というか罠(笑))を選んでくださったので
『草間さん』の登場になりました。フフフ。

それでは、またの機会にお会いできればと思います。
ご参加ありがとうございました。