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<東京怪談ノベル(シングル)>


『嘉神先生の憂鬱なる休日』
 眠い。眠くって、眠くってしょうがねー。
 俺、嘉神真輝は東京の待ち合わせ場所の代名詞であるハチ公前で大きなあくびをしながら突っ立ていた。
 今日は日曜日。高校教師の貴重なる休日だ。週休二日制? 冗談だろう。かえって仕事が増えたんだよぉ、馬鹿政治家ども。普段は授業が終わっても部活の顧問に、それが終わったら次の日の授業の予習。しかも放課後に職員会議が入れば午前様は当たり前。土曜日だって教師は休みじゃない。やる事はたくさんあるし・・・。それに土曜日の半日が無くなった負担は大きいんだ。つまりくどくどとこれだけ愚痴を言ったが、結局は俺は・・・
「眠い・・・」
 俺はもう何度目かわからんあくびをしながら頭を掻いた。コンビニで買ったブラックコーヒーもたいして効力を出さなかったらしい。
「ったく、冗談じゃないな」
 本当ならばこの時間は温かい布団の中でぐっすりと眠っているはずだったのだ。低血圧・低体温の俺にとってはその時間は冗談抜きで、一週間のうちで一番の楽しみな至福の時である。だがその時間は妹の買い物に付き合えという命令で無げに切り捨てられた。それはまあ、いい。俺よりも背が高かろうが(←別にこれはコンプレックスじゃねーぞ。いいな。絶対にコンプレックスじゃねーからな)妹は妹。かわいい妹なのだ。しかしそのかわいい妹は、貴重なる休日の至福の時をこうやって犠牲にしている兄の事をどう想っているのであろうか? ぜひとも俺はそれを妹を正座させてじっくりと小一時間程問い詰めたいと想った。
「今、何時だ?」
 俺はズボンのポケットから携帯電話を取り出した。AM10時32分。
「ふざけろよ。32分も遅刻じゃねーか」
 確か昔、かつて付き合っていた恋人とデートで見た映画にこんなのがあった。待ち合わせの時間に遅れてきた時間=相手を想っていない度だと。
「はは。兄をなんと想っていやがる」
 俺は携帯電話を開いた。そして素早く妹の携帯電話の番号を呼び出す。そして通話ボタンを押そうとした時、
「おわぁ」
 いきなり鳴り出したポルノのメリッサのメロディーに俺は悲鳴をあげてしまった。顔の熱さを感じながら液晶画面を見る。違う意味で体温があがった。
「あのやろー、今ごろなんだ。まさか・・・ドタキャンするつもりじゃないだろうな」
 得てしてそういう時の予感は当るものだ。生徒相手に日頃、教師として不信をライフワークにしてるのも伊達じゃない。
『悪い、兄貴、急用で行けなくなった』
 携帯電話から聞こえてきたこの言葉を聞いた俺はきっと次の獲物を選別している連続殺人鬼そっくりの笑みを浮かべていたに違いない。
「・・・」
 俺は何とも言えぬ煮え滾る怒りを感じながら、携帯電話をたたんだ。
「あのやろー。今度の給料日に絶対に何かを奢らせてやる」
 と、これからどうしようか? 俺は前髪を掻きあげながら、天を振り仰いだ。太陽の位置はもう高い。いくらなんでもこれから家に帰って寝るつもりにはなれない。
 手持ち無沙汰な俺は取りあえずズボンのポケットの中のタバコの箱を握りしめながら、喫煙スペースまで歩いていくと、大きなため息を吐いてくわえたタバコに火を点けた。吐くのは紫煙だが、しかしそれにため息が混じっているのは説明するまでもないだろう。
「さてと、どうするかな、これから・・・」
 などと、ぼやいていると、なぜか俺の周りにいた奴らが喫煙スペースから離れていった。そこにいるのは俺だけになる。怪訝な想いに眉を寄せると、
「あー、君、君。何をやってるんだね。何を。君は未成年だろう」
 威圧的な声。そちらに顔を向けると、こちらに向かって警察官が二人やってくる。
「ったく。絶対に何か高価な物を買わせてやる」
 俺は脳内でものすごくかわいい妹に高価な物を買わせている光景を想像しながら、財布の中から免許書を取り出した。

 タバコを吸う気も失せた。かといってやはりこのまま家に帰るのもなんか悔しい。しょうがないので、俺は買い物でもしようと街に出た。・・・・・・そう、これを俺は後にものすごく後悔する事になる。
 その後悔の根源は無意味に爽やかな笑みをその流行だかなんだか知らんが自分では絶対に決まっているなどと想っているのであろう手入れをした顔に浮かべながら馴れ馴れしく片手をあげて、俺に話し掛けてきやがった。
「やあ、君、ひとり? ねえ、どうかな。これから俺と一緒に昼飯でも食べない? もしももう食べてるならさ、どっかに遊びに行こうよ。どっか行きたい場所ある? リクエスト、なんでも聞くよ」
 ・・・ぷつんと頭の中で何かが切れた。
「・・・じゃねー」
「え? なんか言った?」
 よく聞き直す時にする耳に手をつけて聞く、というゼスチャーをおどけてするそいつに俺は怒鳴っていた。
「男が腑抜けた声を出してるんじゃねー」
「え? え? え?」
「いいか、よく聞きやがれ、俺は男。男なんだよ。名前は嘉神真輝。歳は24歳。正真正銘の男。おなべじゃねー。あー、この格好を見ればわかるだろうがよぉ。あぁ、おい」
 相手の男は完全に絶句している。だけど俺は口からっていうか心から溢れ出してくる言葉を止められない。
「いいか、よく聞きやがれ。俺は教師なんだ。大変なんだよ。ものすごく。授業の予習とか、準備とか。会議とか。なんか問題が起こればあちこちと走りまわらないかんし、生徒の相談にだって乗る。時には親のもだ。友達には女子高生に毎日囲まれて羨ましい奴とかって言われるけど、その女子高生が大変なんだよ。何度注意しやがっても俺を『まきちゃん』って呼びやがる。ああ、俺のキャッチフレーズは、『まきちゃん』じゃないって言ってるだろーが(−−) 『まさき先生』と呼べ、だよ。そりゃあ、生徒に嫌われるよりも生徒に好かれた方がいいさ。しかし、そりゃあねーだろう。『まきちゃんだ』ぜ。教頭には俺の指導力が悪いからだって嫌味を言われるし。だけどそれは指導力のせいじゃねーよ。童顔だ。童顔。この童顔のせいなんだよ」
 俺は自分の顔を指差して、唾を飛ばす。
「そうさ。さっきだって、この童顔のせいで煙草を吹かしていたら、警察に未成年と間違われて補導されかかったさ。ったく、なんだってんだよぉ? ああ、そうだ。本当ならこの時間はいつも布団から起き上がって、背伸びしながらあくびしてんだよ。笑っていいともの再放送か、アッコにおまかせをBGMにしてよ。その後に昼飯の準備して、新婚さんいらっしゃいを見て、ぜってー、それってウソォだろーとかって笑いながら突っ込んでんだ。それが一週間の疲れとストレスとを解消する俺の楽しみだってんのに・・・」
 俺は男の胸倉を両手で鷲掴むと、
「それをあのクソ生意気に俺よりも背の高い妹に邪魔された挙句に、おまえまでにも女と間違われて、ナンパまでされて・・・。どうしてくれんだよ、この怒りはぁ。あぁ?」
 と、一方的に怒鳴っていた俺の両手に震えが伝わってきた。見れば男の体が震えている。顔にははっきりと怒りの表情が浮かんでいた。そして今度はそいつが俺に唾を飛ばして怒鳴った。
「知るかぁ、んなのはよ。この女顔がぁ。はん、なんだかんだ言って本当はその女顔、自分でも気に入っていて、女子高生に『まきちゃん』って呼ばれるのも嬉しいんだろぅがよぉ。だいたい俺は教師が嫌いなんだ。んで、おまえの科目は何なんだよぉ?」
「家庭科だ」
 誇るように言った俺にそいつはしばしきょとんとすると、大声で笑った。
「あはははは。家庭科ぁ。男の癖に家庭科かよぉ。やっぱ、オカマじゃんか。女顔の家庭科教師はオカマで決まりだぁ」
 やってはいけないゼスチャーをやりながら汚い顔に侮蔑の表情を浮かべて、そう嘲った男に無論、俺はキレた。ああ、俺はキレましたとも。
「いい度胸だ。家庭科教師として料理と裁縫の腕を超一流にまでに極めたこの俺のすべてを否定するような事を言いやがって。俺の愛し誇りを持つ家庭科を愚弄した罪は重いぞ」
「なんだよ、まきちゃん。強がっちゃって」
 ・・・こいつ、死刑決定。

「追ってきたらホモと見なす」
 俺はそう捨てセリフを残してそこから立ち去った。え? 喧嘩の勝敗? そんなのは俺の圧勝に決まっている。こう見えても実は空手4段だ。空手などの武道は相手と拳と拳とを交える事でお互いを高めるものであるが、同時に己の身を守るものでもある。そして手を先に出してきたのは向こうからであるから、これは正当防衛だ。
 さてと・・・
「ネクタイでも買っていくか」
 明日からは衣替えの準備期間も終わり、生徒たちは完全に冬服だ。だから俺もネクタイを季節に合わせて新調しようと想ったのだ。しかし・・・

「いらっしゃいませ。彼へのプレゼントですか。でしたらこちらのデザインなんて今、流行で若い方に人気ですよ。彼氏さんはどんなタイプですか?」

 にこりと極上の営業スマイルを浮かべる彼女を前に固まった俺はただ、もう帰ろう、と心の中で涙を流しながらしみじみと想っていた・・・。

「はぁー」
 気がつけば俺は校舎裏の来客用駐車場で火のついていない煙草をくわえながらげんなりとため息を吐いていた。憂鬱な気分のままに休日を終了して、そして俺はまだそれを引きずっている。
「はぁー。長いなー、今日から一週間・・・まだ月曜日か・・・」
 頭を掻きながらため息を零していると、
「あ、いたいた」
 と、頭の上から声がした。首を逸らして振り仰げば2階の窓から女子生徒が三人、身を乗り出して手を振っている。
「こら、危ないからやめなさい」
 と、注意。しかし注意された方は俺を見ながらくすくすと笑っている。俺は眉根を寄せて怪訝顔。と、その中の一人が他のくすくすと笑う(なんかすごく嫌な感じで俺を見て笑っている)二人に何かを言われながら、俺に叫んだ。
「昨日、まきちゃん、ナンパされてたでしょー♪」
 ぽろりと煙草が口から落ちた。
 その声を聞いた他の生徒たちが一斉に俺を見やがる。
 俺はただそんな生徒たちに煙草をくわえ直しながらぎこちない笑みを浮かべる事しかできなかった。
「つーか、まきちゃんて言うな」