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見えざるものと、写らざるもの
【伍宮春華の悪戯】
俺の馴染みの探偵のおっさんの家は、凄く居心地がいい。
別に、ここに人外の存在がことごとく揃っているから、とか、そんな理由からじゃない。
今の俺には居場所があるし、俺を俺として受け入れてくれる友人も、たくさんいる。俺の背中に黒い翼が広がっても、絶対に、驚いたり恐れたりしない人間たちだ。
「春華は春華だよ。羽があっても、風を操れても、不思議な術を、たくさん、たくさん、使えても」
認めてもらえることの嬉しさを、この世界の住人たちが、教えてくれた。
平安の時代の人々は、素朴だったけど、排他的だった。目に見えないものは全て悪であり、徹底した排除の対象でしかなかった。構って欲しくて、害の無い悪戯ばかりをしていた俺を、あいつらは、結局、最後の最後まで、仲間には入れてくれなかった。
孤独を抱えたまま眠りについて、気が付けば、千年の時が経過していた。
今は、俺を封じ込めてくれたことを、心の底から感謝できる。
俺は、この世界が好きだ。雑多で、いい加減で、曖昧で、人の心は荒んでいる!なんて叫ぶ奴もいるけれど、人間は確実に変わってきていると、そう思う。
おっさんの事務所のように、天狗である事実を隠す必要も無く、大っぴらに遊びに行ける場所ができるなんて、考えたこともなかった。
「春華くん。お客さんが持ってきてくれたショートケーキ、残っているんですけど、食べます?」
おっさんの義理の妹が、俺の前に皿を置く。紅茶も淹れてくれた。いや。別に、ケーキが出るから居心地がいいわけじゃないぞ。うん。
「そうだ。春華。日本平安古美術展とかいうチケット、もらったんだ。暇なら行ってこいよ。そういうの好きだろ?」
おっさんが、ほれ、と、俺に券を手渡す。好きってほどじゃないんだけど……ただ、懐かしくて、馴染み深くて……いや。これを好きっていうのかな。
「おー。あんがとー!」
学校の友達でも誘おうか。同じ天狗仲間のあいつにしようか。
うちの巨大マンションに住み着いている奴らでもいい。一緒に遊び歩く友達は、たくさんいる。
と、ブブーッと、チャイムが鳴った。
いつも思うんだけど、ここの家の玄関の呼び鈴、古いよなぁ。あんな音のブザー、今時、うちのマンションだって使ってないぞ?
「おい! いるかぁ!?」
のしのし、と音を立てて、上がりこんできたのは、隆之だ。やっぱ熊に似ているなぁ。今度から熊のおっさんって呼ぼうかな。
「んあ? 春華じゃねぇか。来てたのか。おまえも暇だなぁ」
「よけーなお世話!」
隆之だって暇じゃないか。日曜の真昼間に儲からない探偵に会いに来るなんて、暇だって自分で証明しているようなもんだぞ。
「隆之こそ、チョー暇人! 仕事しない奴は食うべからずだぞ」
「日曜にまで仕事させる気か……って、春華、おまえ、なんだその妙な口調は」
「俺のクラスの女子が、よくそうやって喋ってるんだよ。これが今風なんだって」
「騙されてるぞ、おまえ、それ……」
「そうなのか??」
それよりも!と、不意に叫んで、隆之が事務所の主に詰め寄った。写真を机の上に並べる。俺もそれを横から覗き込んで……おー、お見事。ばっちり写ってるし。
目には見えないけど、確かに居るものたちの、姿。
「目には見えないけど、こうして写真には写るんだから、不思議なもんだよなぁ」
写真の方が、よっぽど確かだ。
そんなこと、言ってる。
「俺は、写真に写らないものしか、信用しないぞ」
ちょっと、カチン、ときた。
あんな、作られてから、何百年も経っていない機械ごときに、全てが写ってたまるもんか。俺みたいに、存在はしているけど、写らない生き物だって、たくさんいる。
「なぁ、隆之のおっさん。一枚撮ってよ」
むくむくと、悪戯心が湧いてくる。
いいぜと笑って、おっさんが、シャッターを切った。何枚も。何枚も。
すぐに現像して、明日届けてくれるって。
「頼んだよ。隆之」
明日が楽しみだ。人物はなーんにも写っていない風景写真を手に持って、呆然としているおっさんの顔が、目に浮かぶ。
「こんな悪戯なら、罪は無いよな?」
こんな悪戯なら、きっと、おまえは悪い妖怪だからと、閉じ込められることもない。
【武田隆之の迷走】
「どういうことだ、こりゃあぁぁぁ!」
自宅に帰り、早速現像した写真を前にして、俺は思わず絶叫した。
この日も律儀に部屋を片付けに来た我が甥っ子が、暗室の扉の向こうで、叔父さん、何があったっ!?と切羽詰った声を上げている。
俺はそれには返事をせず、もう一度、丁寧に丁寧に……それこそ熱い眼差しで穴でも開けられるくらい熱心に、もう一度、写真を見つめた。
やっぱり、写って、ない。
仮にも中堅カメラマンと自他共に認められてきた今日この頃。この俺が、まさか、被写体をことごとく外しまくった、などという異常事態が起こるはずもない。
然るに、これは、一種の心霊現象って奴なのか!?
妙なものなら星の数ほども写しているこの俺だが、さすがに、写るべきものが写っていないなどという事象は、初めてだった。
「ふっ……。心霊現象上等! 写してやるぜ! この俺がっ!! 覚悟しとけよ、春華ぁ!!」
暗室で、分厚い胸板を逸らし、高笑いしている中年男が、約一名。
ああ、わかっているさ。この上もなく不気味な光景だったに違いない。その証拠に、甥の奴、こっそりとドアの隙間からこの様子を眺めた後、いそいそと、タウンページで精神病院を探し始めやがった。
叔父さん、疲れているんだよ……だと?
「この俺に不可能はない! 写してやるぜ! 伍宮春華! お前の笑顔、お前の寝顔、間抜け面、悪戯が見つかって教師にこっぴどく叱られている姿までも! 全部この俺がものにしてやるからなっ!!」
はっ。いかん。
これでは、ただの変態だ。
「よし。ここは行動を慎重に……」
そして、俺は、パパラッチと化す。…………誰だストーカーなんて言ってやがるのは。
普通のカメラでは、現像するまで、上手く撮れたかどうか確かめる術が無い。
俺は、とりあえず、カメラ付携帯とポロライドカメラを用意した。貴重なシャッターチャンスを逃さないために、フィルムもしっかり大量に用意した。
ポラのフィルムってのは、どうもサイズがでかいんだよな。ジャケットにぎゅうぎゅうと押し込んで、一応、目立たないように黒のキャップ帽も被って伍宮の学校に侵入したが……。
「先生―っ! 変な人が茂みに隠れていますっ!! カメラ持ってます。痴漢かも!!!」
ええい。邪魔だ。女子中学生!
誰がお前なんぞ撮るもんか。俺の目的は、後にも先にもただ一人! 伍宮春華だ! 顔洗って出直して、ついでに五年ほど成長して来い!
「伍宮春華! こっち向けコラ!」
まずは平和な朝の登校風景。不意打ちを一枚。驚いた伍宮の顔を撮るはずが、ファインダーの向こうには、Vサインでにっこりと笑う奴の姿が。
……ちくしょう。もしかしなくても、なめられている?
「そしてやっぱり写ってないぃぃ!」
一時間目は、国語。伍宮のクラスは、二階。俺はお約束のように木によじ登った。枝に張り付いて、身を乗り出して、激写の瞬間を狙う。ストーカーではない。断じてない。
絶対に違う……と言いたいが、傍から見れば、やはり怪しいこと極まりない絵だっただろう。窓の方を向いた伍宮が、一瞬、硬直する。
「ふっ。伍宮。俺は絶対にお前を撮ってやるからな!」
「ご苦労様」
伍宮が、そう言って、カーテンをしゃっと引いた。
……くそう。今時の中学生は。なんて小憎たらしいんだ!
「シャッターチャンスは、カーテンにより、あえなく撃沈」
カーテンは、結局、二時間目の数学も俺の邪魔をした。仕方ない。三時間目の体育にかけるぜ!
三時間目は、バスケットボール。伍宮はかなり運動神経がいい。大活躍じゃないか。
どちらかと言えば小柄な体が、信じられない高さまで飛び跳ねる。背中に羽でも生えているみたいだ。いやいや。そんな馬鹿な話があるもんか。俺は思わず苦笑する。
何にせよ、一生懸命、伍宮を撮った。生き生きとコートの中を駆け回るあいつの姿を、この時は、正直、純粋に、心惹かれる被写体として捉えていた。
が、出てきた写真は、ボールが一人で遊戯する、ある意味、心霊写真ばかり。例に漏れず、伍宮の姿はない。なんでだ!?
「あいつがダンクを決めたところを、撮ったはずなんだがなぁ……」
背中に翼があるような、あの跳躍の瞬間を、カメラに収められなかったのが、残念だ。
四時間目は、社会科。
体育で疲れたらしい伍宮は、ひたすら寝っぱなしだった。ちなみに、寝姿も撮れないことが判明。
そして、給食と昼休み。
小さいくせに、伍宮は大食だ。
ああ、それにしても、腹減った。俺も何か食おう……と近所の店でカレーを食べているうちに、昼休みが終わってしまった。食後の一服が悪かったか……。
五時間目。
音楽か。伍宮は……。
…………………。
いや。人間、欠点の一つや二つはあるもんだ。音痴は決して罪ではない。伍宮は、俺に英語の歌なんか歌わせるなぁ!と叫んで、今度は、音楽室の片隅に飾られている和楽器の横笛を手に取った。
おいおい。あんな物、吹けるのかい……と思ったら。
マジか!? すげぇ上手いぞ!? 今時の中学生は、和楽器も吹けるのか!?
何せよ、これは素晴らしいシャッターチャンスだ。俺は夢中で小さな奏者を撮り続けた。写っていてくれという願いも虚しく、出来上がった写真には、あいつの姿は、やはり皆無。
「…………はぁ」
ったく。疲労感が増していくぜ。
そして、ついに、学校が終わった。
【悪戯の行方(春華視点)】
放課後立ち寄った馴染みの探偵の事務所には、先客がいた。
隆之のおっさんが、今日一日の戦果を恨めしく眺めやりながら、テーブルの上にずらずらと写真を並べている。
授業中の無人机の上で、なぜか空中遊泳している、鉛筆の写真。
どう頑張っても、ひとりでに動いているようにしか見えない、コートに踊る、バスケットボールの写真。
和風な音色を奏で、周りをうっとりとさせている、まるで自動式のような横笛の写真。
改めて……不気味だ。
心霊写真だよ。これ。どう見ても……。
「世の中には、写真には写らないけど、しっかり存在しているものも、あるって事なんだよなぁ……」
しみじみと、俺を見やる隆之の真剣な顔が、可笑しくて可笑しくて。
隆之はまたカメラを構えて、ファインダーの中から俺を覗いた。俺の姿は、記録としては残らないけど、ただレンズを通して見ただけなら、確かにそこに在るものとして、影は映る。
隆之には、にんまりと笑う今の俺の姿が、どう見えているのだろう?
この生意気な小僧っ子めと、怒ってる?
この俺がしてやられるなんてと、呆れている?
それとも……。
目の前に居るのに残像が残らない俺が、気味悪い?
「よっしゃ! 伍宮! 俺が、いつか、絶対に、お前の記念すべき制服姿を撮ってやるからな!!」
ちょっとシリアスが入った俺とは対照的に、隆之は前向きというか何と言うか……いや懲りないだけか。
まぁ、こんな隆之だから、俺も悪戯をしてやろうと思ったわけで。
なぁ、隆之。これを見せたら、どんな顔してくれるかな?
俺は、悪戯心満載の笑みを浮かべて、一枚の写真を取り出す。
隆之が撮った写真の中から、唯一、一枚だけ、俺が意識して姿をフィルムに残したものだ。もちろん隆之には見つからないように、こっそりと、風の術で抜き取っておいた。
大好きな体育の授業で、大好きな玉入れ……じゃなかった、バスケで、俺が逆転のシュートを決めた、あの瞬間。隆之の、絶対にこれだけは撮ってやる!という気合が物凄く伝わってきて、ついつい、天狗らしくもなく、仏心なんて起こしてしまった。
「別に、写ろうと思えば、写るんだけど」
隆之の目が、点になる。
俺は、堪えきれずに、腹を抱えて笑い出した。
こんのぉぉぉ!!!
真っ赤になって怒る隆之。でも、次の瞬間には、ふっと表情を引き締めて、お互い顔を見合わせて、二人で笑った。ぼろっちい探偵事務所に、天井が抜けそうなほど、声が響く。笑って、笑って、笑って……なんだか、わけもわからず、涙が出そうになった。
「ああ、俺、やっぱり好きだなぁ……。ここ」
悪意のない悪戯は、責められない。
ここが、俺の……今の俺の、生きていたい場所。
ちょっとここで、後日談。
あれから一週間、俺は、相も変わらず、パパラッチに追い回されている。
何故かって?
今度、何とか写真コンクールとかいうのがあって、そのテーマが、「少年」なんだって。
少年なんか、その辺に、いくらでも転がってるじゃないか。
なんで俺が……。
「伍宮! そこで一枚!! コラ笑え飛べ躍れー!!!」
…………誰か何とかしてくれ。
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