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<東京怪談ノベル(シングル)>


愛の咲く場所

「結婚しようか」

 天気の話でもするかのように、あたしは付き合ってる彼にプロポーズされた。
 大学の時の同級生で、今は割とイイ会社のサラリーマンしてて、笑顔の素敵な……奇特なヒト。
 彼とは結構長い付き合いで、勿論嫌いじゃないし、結婚するには申し分ない相手。
 ……なんだけど、どうして『奇特な』ってつくのか、それはあたしの今の職業を知っていてこんな事を言ってくるから。
 あたし──藤咲 愛はいわゆる夜のオンナ……それも、ぶっちゃけて言えば『女王様』なのよ。
「……彼、ノーマルだったはずよね」
 思わず結構とんでもない事を呟いてしまったけど、あたりにそれを聞きとがめる人はいない。
 平日の昼間。郊外にある墓地にそうそう人影なんてあるはずもない。
 いきなり言われたってすぐ返事なんてできないからって言ったあたしに……彼は笑顔で承諾してくれて、これはちゃんと考えて返事しなくちゃって思ったあたしは、それからお店を二週間ばかり休むことにした。

「こんな時ばっかり顔出して……って怒ってる?」
 掃除を済ませて花を添え、お線香の白い煙を視界にとらえながら、あたしは墓石に向かって声をかける。
 目に映るのは長方形の御影石。だけどあたしが見ているのは数年前に別れた両親の姿。
 高校生になって最近色気づいてきた弟の事をひとしきり報告した後、ふいに問い掛けた。
「ねえ、父さん、母さん……あたしの幸せってなにかな……」
 勿論、応えなどあるはずもなくて。
 静かに手を合わせながら思い浮かべるのは、まだ両親が健在だった頃の家庭。
 『幸せな結婚、幸せな家庭』
 …──それは、両親を襲った突然の事故によって失ってしまった、あたしが心から欲しいもの。
 彼と結婚すれば、失ったそれを間違いなく手に入れることが出来る。
 だけど……何故だろう。
 二つ返事で直ぐに返事が出来ないのは、何故?後一歩のところで躊躇させるこの言葉にできない感情はなに?
 結局、二週間ずっと悩んだけれど答えなんて出なかった。
 なんだかんだで、困った時の神頼みとばかりに墓参りにきたけれど、やっぱり駄目だった。
「……仕事だから、そろそろ行くわ。また……来るから」
 長いようで短い沈黙の後、あたしは両親に別れを告げて立ち上がる。
 今度来る時の報告が、どんな内容かはわからないままに。

「あっ!愛姉さまっ」
 華やかなネオン瞬く歌舞伎町───…SMクラブ『DRAGO』。
 店のドアを開けた途端、響き渡るのはあたしの事を姉のように慕ってくれてる、後輩の元気な声。
「待ってましたよ、愛さんっ!やっぱり愛さんがいないと!」
 しがみ付いてくる後輩の頭ごしに見えるのは、待ちかねたように声をかけてくる男性ホールスタッフの笑顔。
「……もー、失礼しちゃうっ。お客様ったら、みんながみんな『愛様はまだか?』って言うのよ」
 来春成人式を控えた後輩は、ファンデののった頬をぷくーっと膨らませて、まるで告げ口するみたいな調子であたしが休んだ二週間の様子を報告してくる。
「……仕方が無いでしょう?あたしの鞭は一度味わったら、やめられないんだから…」
 ふふふ、と笑いながら後輩とともに更衣室に向かう。
 コツコツとハイヒールの音が響く、四角いコンクリートの宮殿の中で繰り広げられる、支配する者、される者達のごっこ遊び。
 ネオンが瞬く間だけの、幻のように儚い快楽という名の遊戯。
 ああ…──。ココなんだ、今のあたしの居場所は。
 優しい旦那様と、可愛い子供に囲まれて……そんな、あたしがほしかった『幸せな結婚・幸せな家庭』には、程遠い世界だけれど。
 あたしは今ココで必要とされている。
 そしてココはあたしにとっても必要な場所。


 その翌日──。
 いきつけの喫茶店に彼を呼び出して、あたしは二週間も待たせていた返事をした。
「まだ、仕事を続けたいの」
 期待をもたせるような、ずるい返事かもしれない。
 だけど、これがあたしにとって彼に返す事が出来る、一番の答えだった。
「……そう」
 膝の上にのせた、緊張からか僅かに汗ばんだ手の平に視線を落としたあたしに、投げかけられるのは穏やかな、穏やかな声。
 そっと視線を上げると、まるであたしの返事を予期していたかのように、気を悪くした風もなく、ふんわりと優しく包みこむような彼の笑顔とぶつかった。
 急ぐでもなくゆっくりと、柔らかく微笑みながら告げられる返事は、
「いつまでも、待つよ」
 という、優しい一言だった。


 幸せな結婚……幸せな家庭……。
 何よりも欲しかったもの。
 だけど、今は……今のあたしが居たい場所は、そこには無いから。
 だからまだ暫くは、あたしは夜に咲く愛の華になる。




  ─FIN─