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<東京怪談ノベル(シングル)>


執事…ある朝の独白

 ■使用人の朝■

 カーニンガム邸の朝は遅い。
 …というのは正しくないかもしれません。正確に記すならば、この邸宅の主人であるセレスティ・カーニンガム氏の朝が遅いのです。
 私の名は……使用人如きが名を申し上げるのは感心しません。ですから、今は何も聞かずにいてくださいますでしょうか。
 身分は?と申されるのでしたら、『私は執事という任についている者でございます』と、お答えできます。
 私のことは執事とお呼びください。

 さて、カーニンガム邸の朝の様子でございますが、この邸宅の主人が未だ夢の淵で寛いでいる間に、使用人たちはそれぞれの仕事を終えているのが常でございます。
 庭師は朝積みのタッジーマージーの刈り入れを。メイドたちは、朝食兼昼食の用意をすでに終えて、シャツやリネンのアイロンがけに入っております。
 無論、洗濯などはとうに終わって、洗濯物が晴れた空の下で翻り、秋の空を白い花のように彩っており、今、私はそれを奥庭で眺めている次第であります。
 
 ここ、東京の地に邸宅を構えたときはセレスティ様の好みの建築物を探すのに苦労いたしました。私もセレスティ様も随分と悩んだものでございます。
 ですが、悩んでいても時間の無駄。そこはあっさりと日本の不動産に見切りをつけ、土地だけを買い占めさせていただきました。
 日本の技術に不満があったわけではなく、ただ、ヨーロッパの色彩を日本に求めるのが無理だっただけなのです。
 その際には、大手不動産の会長様方に大変ご迷惑をお掛け致しました。今、思い出しても大変申し訳なかったと思っております。
 日本人に純然たるヨーロッパの色彩感覚があったらと、セレスティ様は嘆いておりました。
 ですから本土にある自分の邸宅を、こうして使用人ごとそのまま持ってきたのでございます。

 ともあれ、本日お日柄も良く、当主様は眠りの国から未だご帰還なされてはいないようでございます。


 ■総帥の朝■

 銀のトレーにブランチのセットを用意した私は、セレスティ様の寝室に行くためにそれを持ってキッチンへと向かいます。
 メイド頭に軽く話をしながら、置かれたテーブルの前へと歩いていき、ワゴンにセットを乗せれば、使用人の一人がドアを開けてキッチンから出て行きます。
 ゆっくりと揺らさぬように注意しながらワゴンを押していくのも、私の大事な仕事です。
 さほど、ここから遠くない場所にあるセレスティ様の寝室に行くのが、この執事の密やかな楽しみの一つであリます。
 姿は美しく、才能もあり、品格も十分な主人の寝姿はまさに絶品で、目を覚ましているとき以上に清楚な美しさがあれます。
 いえ……別にやましい想いがこの執事の胸の内にあるのではありません。
 それは声を大にして言えます。
 執事にとって仕えることとは、何よりも大切な『生きることへの糧』であります。
 執事の基本である「ホスピタリティ」というものは、古代ギリシア時代からの歴史を持ち、イギリスで更に磨かれた執事という職務内容は多岐に渡るものなのです。広大な屋敷や不動産の管理人、秘書、遺言執行人などで、徳のある主人に仕えることそ執事冥利につきると言えましょう。
 給料を貰えるから働くのではありません。
 『仕える』ことができるから、ここにいるのです。
 貰っている給料の10倍は働いていると、この執事は自負しております。
 この主人にならば、あと10倍働いてもいいとさえ思っている程です。しかし、この歳ともなると体は思うようにいかず、悔しい毎日を過ごしております。
 ともあれ、敬愛する主人の部屋を前にし、私めは軽く身支度を整え、ドアをノックすることにいたします。

「セレスティ様、朝でございます」
 先程の胸の高鳴りは心の奥へと仕舞いこみ、私は声を掛けてみました。
 その様な事で取り乱すようでは、執事の名が廃ります。

 『如何な事にも動ずるなかれ』
 
 主人の補佐をするのが執事の役目。
 名誉にかけて、私めは日夜、このときめきを律しているのであります。
 しかし、声が聞こえてこないようです。
 仕方なく、執事はドアを開けてみることにいたしましょう。
 ワゴンを室内に入れると、音をさせないようにドアを閉めます。
 イギリスから持ち込んだ調度品は、質素ながらに品格のある由緒正しい品々で、静かな華やかさを演出しております。
 勿論、用意したのも、コーディネートしたのも、私でございます(悦)
 パブリック類には気を使ったのでございますが、如何せん日本の商品ではなかなかイメージが合わず、仕方なくブルーと金のストライプのベットカバーだけを購入したのを憶えております。
 ですが、さすがに日本の花との相性は最高でございます。
 特に日本の百合や薔薇の品質は良く、色や形も洗練されて美しいので、切花だけは日本のものを嬉々として使用させていただいているのも事実です。
 イギリスのものとは違う、水のように澄んだ美しさが日本の花からは感じ取れます。
 イギリスの花が『静けさと豪奢』ならば、日本の花は『寂と清純』とでも申しましょうか。それが、ここ日本のカーニンガム邸の楽しみの一つでもあります。
 そう遠くないかつての事象を思い起こしつつ、様子を窺っておりますと、パサリと天蓋つきのベットの中で音がいたしました。起きてはいらっしゃるのかもしれません。
 心なしか胸が高鳴るのは何故でしょう?
 もう一度声を掛けてみることにします。
「セレスティ様?」 
 天蓋を覆う布の隙間から中が窺えます。失礼と分かっているのですが、このままではブランチが冷めてしまうので、もう一度声を掛けようと近づいてみました。
「……ん……」
 小さな吐息のような声がベットに横たわるセレスティ様の唇から零れ、じぃっと私は見つめておりますと、陽の射さぬ天蓋の下で、細い躯が寝返りをうちました。
 彫刻のようなと言えばいいのでしょうか。形容するには言葉が足りないと、この執事めは毎朝のように思います。
「…ぅ…ん……」
 白い額にかかる長い銀糸の髪が、音の無く落ちてベットに広がりました。
 水鳥の羽をふんだんに詰め込んだ上掛けを、セレスティは両手で抱き込んで包まっております。伏せた瞼を縁取る睫毛に光るものがあるところを見ますと、一度は起きようとして背伸びでもなさったのかもしれません。
 そして、やはりこの方の寝姿は言葉では言い表せぬと、つくづく思います。
 あぁ、語彙が足りない我が身が呪わしい……
 ワゴンをテーブルの横につけ、ポットの中にお湯と紅茶の葉を入れ、ティーコゼーをかぶせば、ベットの方に目を向けました。
 セレスティ様がお起きになられていらっしゃいました。気だるげな表情が何処か艶かしくも気品があり、どのような貴婦人も足元にも及びません。
 やはり、この方に使えてよかったと思います。
 毎朝が至福この上なく、これからもこの老体に鞭打って、仕えていこうと心に誓うのであります。
 美しい顔(かんばせ)を拝謁して仕事に励める幸福。

 神よ……誠にありがとうございます。

「おはよう……今日の天気はどうですか?」
 ニッコリと笑って、セレスティ様がおっしゃいます。
「はい、今日も大変に良いお天気でございます」
「そうですか。…では、今日は外で朝食を摂る事にしましょう」
「はい、かしこまりました」
「おや、もう用意してくれていたのですね?」
「このまま外に持っていけば良いことでございます」
 私は頭を下げると、カーテンを引き、窓を開けてワゴンをテラスへと出しました。
 振り返れば、ガウンを纏ったセレスティ様がステッキをお持ちになって歩いていらっしゃいます。
 銀髪は朝日に輝いて陽の光を弾き返し、私は眩しく拝謁いたしました。
「本当に……良い天気ですね」
 セレスティ様が微笑まれます。
「はい、セレスティ様」
 足元にも及びませんが、私めも微笑んで返し、テラスに朝食の準備を整え始めます。
「いつもありがとう……」
 また、セレスティ様が私に微笑まれました。

 このように、今日もカーニンガム邸の一日が始まっていきます。
 ずっと、いつまでもこの平和が続いていくことを心から望みます……

 ■END■