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明け星
「花が好きなヤツ以外に買ってもらいたくないねッ!!」
黒髪に強い金の瞳。
逃げるように去る少年らに蹴りを入れて、女性がすっくと立ち上がった。
手には鉄製の切り鋏。バラを抜き取ろうとした悪ガキを成敗して、腕組みを崩す。
「まったく、これだから困るんだよ」
自然を忘れれた都会の裏路地。その一角に、柑色の立て看板と共に鮮やかな花々の園があった。
小さく狭い店内だが、数多くの種類が並んでいる。なかでも目立つのは野に咲く花が多く、特に日本古来より親しまれているものが多いことだろう。
そして、ため息を吐き出しつつ、花篭に一輪づつ丁寧に包装しているのは店主の慈雨空月。
自然につながる言葉を姓とし、名としているだけでなく、その心身ごと自然と一体となっている女性だった。顕著に現しているのは、彼女が街を怒りと共に歩いた時――雨は激しく降り、雷鳴が轟く。黒雲が空を多い、風が東へと運ぶのだ。
出来あがった花篭を持って、空月は店を出た。店番がいないから、あまり長時間は離れられない。しかし、どうしても新鮮な花を届けたいという想いが強く、出前を買って出ることが多いのだ。
アスファルトの黒く舗装された道を歩く。闊歩する足元に硬質の感覚。いつまで経っても好きにはなれない。それは、花が咲ける優しい場所ではないからかもしれない。
ふいに足が止まる。届け先は目と鼻の先。
誰かがスイッチを押した録画ビデオみたいに、体が停止する。
ゆっくりと腰を屈めた空月の目に飛び込んできたのは、忘れられるはずのない花。叶わなかった恋を宿し封印して、野に咲きつづける花。
「メグルソウ……こんなところに」
淡い空色の花弁。細く白い柔毛に包まれた茎。一般的に知られた名は「忘れな草」だが、空月はずっとこう呼んでいた。
それは、いつか出逢いたい願いと祈りからか、自分ではもう分からない。
巡り、巡ってきっと逢える。
男勝りな空月を乙女に変える唯一の存在。当の昔に失われてしまったモノ。
ただの人として出会いたかった。そうすれば、想いを素直に伝えられたかもしれないのに……。
後悔することなど少ない。少ないけれど、無いわけではない。彼に対する想いがその強い証明となるだろう。
+
空を愛し、空を飛びまわることが面白かった幼少の頃。
同時に愛していたのは、青い空と流れる白雲、咲き乱れる小さな野花。かけがえのない命と同等の者達だった。
「やっぱり、花はいいなぁ……」
その日も、野に花を摘みに来ていた。
籠いっぱいに詰めている。友達や親切にしてくれた人にあげるととても喜ばれた。花は野に咲いているのはとても綺麗。でも、摘んだ花を誰かに贈ることで、たくさんの幸せな想いを与え、与えられるのだと知っている。摘まれてもなお人を魅了し続ける花の素晴らしさに、私は強く感心していたのだった。
ガサッ!
耳慣れない足音。山麓に近い森の奥。空を翔けることのできる私なら、事もなく辿り着ける場所。だが、ただの人には難しく時間の掛かる土地のはずなのに――。
動物の足音でもない。私は振り向いた。
そして目を奪われた。
誰?
空の精?
「こんにちは、綺麗な花だね。売りに行くんですか?」
声が出せなかった。返事をしようにも、澄んだ瞳に魅入られて動けない。彼の声が体中を巡り、彼の視線が私の頬を染めていくのを感じた。
初めての感覚。
14になったばかりの私に、降ってきた恋。
それは豪雨のよう。降りしきる雨の雫。体に染み込んで、心に跡をつけた。
「は、はい……あなたは誰?」
「名前は心を縛るものだよ。知らない方がいいこともある」
白と青の衣。まるで空。
白銀の長い髪が風に舞って、私の手の届くところで揺れている。僅かに寂しそうな目をして彼は微笑んだ。
勝手に『明け星』と呼ぶことにした。呼ぶ名を与えられなかった私に出来る、小さな喜び。朝の光にも負けない眩しいあなた。夜になっても光り続ける私の星。胸の中でこれから何度となく呼ぶだろう名前だった。
私は花売りを偽り、その花畑に通うようになった。
どこで見ているのか、私が現れると決まって彼が姿を見せた。子供の私に大人な彼。きっと周囲の人間には、不釣合いに見えるかもしれない。それでも肩を並べて花を語り、風が届ける香りを共に楽しむ幸せを、手放す気にはなれなかった。
しかし、際限なく惹かれていく気持ちの反面、時間を追うごとに胸に刺さる現実。
私はヒトではないのだ。
雷雲の精である黒飛龍――それが正体。
彼と私は生きる時間が違う。いつか彼が気づいてしまう、私が成長していないことに――。
別れが近いことを、山裾から駆け上がってくる冷たい風が知らせていた。
「ねぇ、この花の名前を知ってる?」
空色の4つの花弁。密やかにささやかに咲く野の花。彼は私の望む名で呼ぶように囁いた。
「じゃあ、メグルソウにするね」
これは願い。そして祈り。
いつか私が生きているうちに、転生した彼ともう一度出逢いたい。
零れそうになる涙を隠して、私は手を振った。彼はしばらく後に私の訃報を知るだろう。それが偽物だとも知らないままに。
さようなら、愛しい人。
『明け星』
あなたと共に見た花の名を忘れないで――。
きっと巡り逢うから。
+
喧騒の戻る夕暮れ。社名ロゴの入ったガラス戸を開けた。
「ありがとよ! また、電話してくれ!!」
配達先に礼を言って、空月は現実の土を踏んだ。
幻想の恋に想いを馳せたのは、いつ以来だろうか……。
硬い天井を破って、強く咲いていた花。忘れな草。
「そろそろ見つけてくれないと、泣けてくるなぁ」
メグルソウと名付けた想い出を、ただの想い出にしたくはないと、空月は珍しく天を扇いで祈る。
寂しげに目を細めた面影が、微笑んだ気がした。
□END□
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初めましてvv ライターの杜野天音です。
遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。以後気をつけますので。
空月さんの可愛らしい部分を濃く出してみました。メグルソウと名付けた彼女の想いが、
きっと届くと思います♪
表現的にイメージに合っていたのか不安ですが、気に入って頂けたなら幸いですvv
今回はありがとうございました!
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