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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


陰陽師

【オープニング】

 その客人は、草間が、「どうぞ」と言う前に、どかどかと勝手に事務所に上がりこみ、やはり、「お掛け下さい」と促す前に、遠慮の欠片も無い様子で、ソファにでんとふんぞり返った。
 何なんだ、こいつは……と思いつつ、そこは相手がお客様なのだから、ぐっと堪える草間探偵。
「どのような用件で?」
 とりあえず、穏便に聞いてみる。
「返してもらいに来たのですよ」
 男は、そう言って、室内をざっと見渡した。やがて、お目当てのものを発見したらしく、あったあったと、喉の奥で掠れた忍び笑いを漏らした。
「探していたのですよ。この、骨をね」
 草間のデスクの上に、小さな布の包みが置いてある。中身は、陶器の入れ物だった。このつい一時間ほど前、神社の巫女をやっているという少女が来て、探偵に託していったのだ。
 詳しい事情は話せないが、悪い奴がこれを狙っているから、三日間だけ守って欲しい、と、言っていた。
 なんだかよくわからない依頼だと思いつつ、少女があまりにも思いつめた様子だったので、草間も断りきれず、タダ同然で引き受けてしまったのだ。
 それにしても、と、草間は憮然とする。「骨」とは、どう考えても、穏やかではない。
「骨って……何の骨ですか」
「それを、貴方に、教えてやらなければならない義理も義務もありませんよ。まぁ、クラゲの骨でないことは、確かですがね」
 男は、つまらない冗談を口にして、自分で笑った。煙草の煙にむせているような、嫌な笑い方だ。草間の中で、不快感は、どうしようもないほどに膨れ上がってゆく。
「とにかく、帰ってもらおうか。中身が何かは知らんが、これは、依頼人からの大切な預かりものだ。あんたにくれてやるわけにはいかない」
 敬語を捨てた。その必要なしと判断したのだ。男はまた笑い、草間の制止など無視して、陶器の入れ物を掴んだ。いよいよ腹が立って、探偵が男の黒いコートの袖をねじり上げる。
「触るな」
 その手応えが、不意に、無くなった。男の輪郭が崩れ、男の存在が、その場から消えた。掴んだままの黒いコートだけが、重力の法則に忠実に従って、ばさりと落ちる。
「な……」
「確かに、頂きましたよ」
 姿は無くなったのに、声は、残る。黒いコートのポケットに、一枚の人型が入っていた。陰陽師などがよく使う、式神の呪符だ。
 拾い上げようとすると、それがいきなり炎に包まれた。外套を巻き込んで、さらに強く……高く……。灰の残骸すら残さず、全てが燃え尽きた。床にも壁にも一切傷を付けず、人型の呪符とコートだけが、一瞬で、消えたのだ。
「あの野郎……!」
 依頼品が、奪われた。
 探偵としては、ありえない失敗だ。
 だが、取り返そうにも、草間にはそれを実現するための手段が無い。調べるにしても、人手が足りない。時間もない。
 草間は、デスクの黒電話に飛びついた。思いつく番号を片っ端から回して、電話口に怒鳴った。
「頼む! すぐに来てくれ!」





【草間からの要請】

 草間探偵から電話があったとき、正直、面倒な、と思った。
 御巫傀都(みかなぎかいと)は、決して、暇な術士ではない。傀儡師という顔のほかに、彼には普通の高校生という顔もあるのだ。
 携帯に電話がかかってきたとき、傀都は、生真面目に数学の授業を受けている真っ最中だった。無視して地味に微分の問題を解き続けたが、携帯は、マナーモードにしてあっても、教師にその存在を気付かせてしまうほどに、鞄の中で自己主張を続ける。
 ついに、傀都は、折れた。
「すみません。急用です。早退します」
 机の上のものを手早くかたし、皆が見ている前で、堂々と帰り支度を始める。そんな身勝手は……と叫びかけた女教師の口を封じるように、傀都は、小テストの答案を、彼女の前に突き出した。
「授業の中身は、全部覚えました。後から宿題を出してくれてもかまいません。本当に、急用なのです」
 答案は、ざっと見た限り、満点だった。しかも、余分な数式を一切使わない、模範解答そのものだ。
「あ、あってはいるけど……何をそんなに急いでいるの。親御さんにでも、何かあったの?」
 このもっともな質問に、「いえ。術士としての俺を、馴染みの探偵が呼んでいるんです」とは、まさか答えられるはずもない。
 数秒のうちにあれこれと思案し、傀都は、不意に、面白い悪戯を考え付いた。腰をかがめ、まるで相手の顔色でも伺うように、自分よりも背の低い教師を斜めから覗き込む。
 怜悧な傀儡師が、本来の在るべき姿に相応しい、平凡な高校生に戻った瞬間だった。

「うちの猫が、車に轢かれたんですよ。飼い主として、これは放ってはおけないでしょう?」

 ねこ!と、教師が叫ぶ。それには無視を決め込んで、今度こそ、傀都は教室を後にした。





【術師の友】

 梅田メイカは、急いでいた。
 別に大変な用事があったわけではない。ずっと目の前にある横断歩道が、走れば赤信号に引っかからずにすむと思ったのだ。ついでに、もう少し急げば、いつもより一つ前の地下鉄に間に合うかもしれないと、期待が膨らむ。
 そのために、メイカは、光の粉を編んだような銀髪を棚引かせて、一生懸命に走っていた。
 視線は青信号に真っ直ぐに向けられ、他に注意を払う様子はない。
「で、でも、間に合わないかも……」
 いきなり、横から人影が飛び出してきた。メイカの素晴らしい運動神経をもってしても、避けるのは不可能だった。どん!とお約束のように激突する。相手は男で、メイカよりも体格が良い。
「え……きゃ!」
「…………っと」
 メイカが無様に尻餅を付く前に、素早く伸びてきた腕が、彼女を支えてくれた。連日の雨で、水分をたっぷりと含んだ路上に転がらずに済んだことを、メイカは心の底から感謝した。
「御巫さん!」
「……梅田さんか」
 悪いが急いでいる、と、御巫は、メイカとの会話も早々に切り上げて、また走り出す。
 好奇心が疼いたわけでもなかったが、メイカもその後を追いかけた。少しずつ息が上がってくる。腕の振りが鈍ってくる。やっぱり追いつくのは無理かしらと思った瞬間、傀都が止まった。
 少し不機嫌そうに振り返る。
「なんで追ってくるんだ?」
「何があったのですか?」
 メイカが尋ね、愛想のない声で、傀都が答えた。
「草間さんからの要請だ」
「私もご一緒してよろしいですか?」
「術師がらみだ。……危険かもしれないぞ」
「だったら尚更、御巫さんのお手伝いがしたいです」
 駄目だと言っても、結局は、付いて来てしまいそうな雰囲気だ。それならば、単独で突っ走られるよりは、近くにいてくれた方が良い。即座に判断して、付いて来いと、傀都はメイカを促した。
「大丈夫です。私、絶対に、足手まといになったりしません」
「知っている」
 簡潔だが、信頼していなければ出てこない反応に、安堵する。
 二人は、共に草間興信所を目指した。





【追跡】

 草間探偵が助けを求めた術師は、三人。双己獅刃(ふたみしば)、御巫傀都(みかなぎかいと)、御崎月斗(みさきつきと)。また、術師ではないが、高い戦闘能力を持つ梅田メイカ(うめだめいか)が、御巫に同行してきた。
 術師とは関係なく、たまたま草間の家に遊びに来て、事件に鉢合わせた者が、二名。海原みその(うなばらみその)と、四方峰恵(よもみねめぐむ)だ。
 
 草間に案内され、まずは、消えたコートと呪符があったという場所に、三人の術師が集った。
 みそのと恵は、これは面白い現場に出くわしたと、興味津々に彼らを見やる。陰陽師がその術を行使するところなど、滅多には見られない。術師は、彼らが有する法力については、秘匿するのが常である。
 術にも様々な流派があり、弱点もあれば利点もあった。手の内をひけらかすのは、よほどの自信家か、愚か者のすることだ。術者は総じて孤独であり、また、孤独でなければ、真の意味で、優れた能力者とは呼べないものでもあった。
 ぬくぬくと守られているような環境は、術師の力を鈍らせこそすれ、決して、プラスにはならない。
「ここが、式神の消えた場所か……」
 床にも壁にもそれらしい痕はなく、目を閉じて気配を探ったが、やはり何も感じない。通常の力では追跡が行えないよう、完全に脈を断ち切ってしまっている。
 月斗が、懐から、一枚の呪符を取り出した。
「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」
 真言は、視術の力を持たぬ者には、何か耳慣れない不可思議な音の連なりにしか聞こえない。そこに意味は見出せず、みそのも恵も、いったい何が始まるのかと、いぶかしげに首を捻るばかりである。
「薬師瑠璃光如来本願。我は汝が真なる名号を識る者也。汝を守護せし十二夜叉大将の力今ここに顕さん」
 風も無いのに、呪符が動いた。不自然に浮かび上がり、不意に白い燐光に包まれる。いびつに形が歪んだと思った瞬間、符は純白の翼を持つ鳳に変化した。
 薬師如来を守護する十二神将、西と白と金を司る、酉の真達羅(とりのしんだら)が、今、仮の姿で顕現したに他ならなかった。
「薬師瑠璃光如来本願。第三願、施無尽仏。願い叶え導く者よ。我と我が友に仇為す者の、その真なる姿を求め示さん」
 鳳が、天井近くまでも舞い上がった。そのまま、なぜか躊躇うように辺りを旋回し、不安げな嘶きを短く発する。
「これは……」
 御崎月斗が、御巫傀都を振り返る。視線を受けた傀儡師が、同じく陰陽の言霊を紡いだ。
「オン・ギャロダヤ・ソワカ」
 傀都は傀儡師であるが、陰陽道にも通じている。傀儡という術法自体が、高位の陰陽術の一つに存在しているのだ。当然、陰陽の何たるかを知らなければ、さらに難術である傀儡法は使いこなせない。加えて、式を操る術が、傀都は得意中の得意でもあった。
「迦褸羅天召喚咒。巨龍と小竜を喰らう金色の鳳よ。来たりて我が前にその力を示せ」
 傀都の符もまた、索敵には一番適する鳳の姿を取る。二羽の鳥が、術師の上空に止まった。
 だが、まだ、足りない。まだ、完全ではない。二人の術師に促されるように、今度は、双己獅刃が、最後となる呪文を呟いた。
「オン・ボダロシャニ・ソワカ」
 獅刃は、一般の陰陽師のように、符は使わない。代わりに、水晶で出来たダガー型のペンジュラムを使用する。
 ペンジュラムとは、もともとは、地下水脈を見つけ出すための「振り子」の事を指し、当然ながら、探索を目的として生み出されたものだ。獅刃はこれを精神集中の媒介として用いるが、その際に、意識は世界レベルまでも広がりを見せる。
 攻撃的な術法を数多く体得している彼だが、だからと言って、探査が不得意なわけでは決してない。過去や精神といった触れられぬ事象に対しては、むしろ、この中で、最も適性を持っている人物でもあった。
「肉眼、天眼、恵眼、法眼、仏眼。その功徳と知恵にて穏形を破壊せよ。求むるは異能の敵。炎を能くする不浄の輩」
 三羽の鳳が揃った瞬間、鳥は、弾かれるように三方へと散って行った。
 月斗の鳳は、西へ。傀都の鳳は、南へ。そして、獅刃の鳳は、北へ。
「どういうことです? 鳥が、それぞれ違う方向へ……」
 みそのが、隣に立っている四方峰恵の方へと、視線を動かす。聞く相手が間違っているよと、恵は溜息混じりに答えた。
「西アジア近代史専攻の平凡な大学生に、陰陽術のことなんか、わかると思う? 私だって、何が何だか……」
 と、救いを求めるように、梅田メイカを振り返る。
「え? 私?」
 メイカも、ふるふると頭を横に振った。陰陽師と聞けば、そういえば、安倍晴明が昨今流行っていますねぇ、と、その程度の知識しかない彼女に、術のうんちくを語ることなど、出来ようはずも無かった。
「か、御巫さん!」
 傀儡師が、やれやれとでも言いたげに、口を開いた。
「鳳を、三体召喚。三方へ追跡。ここから導き出される答えは、一つだけだ。つまり……敵は、三人いる」
「さ、三人!? 陰陽師が、三人も!?」
「正確には」
 月斗が、傀都の言葉を引き継いだ。
「一人の陰陽師が、三体、自分を造った、という方が、正しいかな。それぞれが本物だ。だから、式が三方へ向かった」
「自分を三人って……なにそれ!? そんな事、出来るの!? 分身とか!?」
「分身、などという操影術ではない。本体を三つだ。恐らく、『巫蟲』を用いて、本体を三つに分割したのだろう。邪法の中には、そういうものも存在する」
 外法には一番知識のある獅刃が、侮蔑もあらわに吐き捨てた。
「奴は、ただの陰陽術師ではない。新旧の秘術を手当たり次第に身に着けた、高位の外法術師だ……」
 強力な術を用いる際、巫蟲術では、数百の蟲を一つの甕の中に閉じ込め、そこで共食い殺し合いをさせるという。生き残った一番強い蟲こそが、術を行使するための、貴重な媒体となるのだ。
 その蟲に、己が身の一部を食らわせる。腕でもいいし、脚でもいい。蟲は、やがて、食らった人間へと変化する。分身ではない。影ではない。本物だ。本物だからこそ、術も使えるし、思考もあるし、奇跡すら呼び起こしかねない。
 そして、全てが本物だからこそ、仮にそのうちの一体を殺されても、痛くも痒くもないのである。残る「自分」は他に二人もいるのだ。つまり、三人を同時に滅ぼさなければ、巫蟲の身に「死」は訪れないのである。

「三人同時に、叩くしかないな」
 御崎月斗が、十二歳という年齢にはあまりにも不似合いな酷薄な微笑を、幼い顔に浮かべた。
「一匹でも逃したら、また巫蟲術を使って、本体を無限に増やしてしまうからな……」
 そのやり方が気に入らない。御巫傀都が、低く呟く。
 蟲の共食いに、殺し合い。明らかに邪法だ。しかも「自分」を三人創る。何てことはない。保険をかけただけではないか。よほど、他人様に怨まれる筋合いが多いのだろう。のさばらせて置く訳にはいかない。こういう輩は、悲劇を幾重にでも上塗りする。
「邪法使いを、とやかく言うつもりはない。俺も、同じ穴のむじなだからな」
 だが、双己獅刃は、他人の怨みつらみを、全て一人で被るだけの覚悟はとっくの昔に出来ている。それが無ければ、外法術師などやってはいられない。その覚悟が無い奴に、術師を騙られるなど、それだけでも不愉快だ。

「三人のうちの誰かが、骨を持っている。あるいは、全員が。術師を複数人呼んだ草間さんの選択は、正しかったようだな」
 傀都が、身を翻した。彼が担当するのは、南。梅田メイカが、私も!と彼に付き従う。
「予想以上に、厄介者のようだ。おっさん、報酬弾めよ。ケチるとろくなことにはならないぜ」
 月斗が、こちらは西へと駆け出す。既に遠くに飛び立っている真達羅が、急かすように、早く早くと嘶いた。
「俺は、北の術師を潰すとしよう。骨を持ってきた巫女の探索については、他の者がやってくれ」
 獅刃の姿が、北へと消えた。日没を過ぎ、闇が迫っている辺りの景色に、違和感もなく溶け込んで行く。

「ちょっと待ってよ。なんて乱暴な術師たちなんだ!? 叩くとか、潰すとか……相手を殺しちまうつもりかい!? そりゃ犯罪だよ!」
 四方峰恵が、青ざめる。彼女はかなりかっとんだ性格だが、根は優しくて、ついでに良識ある普通の一般人でもあった。殺人、と聞いては、黙ってはいられない。悪人にも五分の魂があるはずだ。
「人間を殺した場合にのみ、殺人と呼べるのです。魔物は、その限りではありません」
 海原みそのが、冷静に答える。恵は、え、と目を瞬かせた。
「わたくしも、気の流れを追ってみました。そして、気付いたことが、一つあります。これは、人間の気配ではありません。善き生命の力を感じません。巫蟲術なるものを使用することにより、その方は、人であることを、放棄してしまったのでしょう。むしろ滅ぼさなければ、災いを招くばかりです」
 戦いは、殿方に任せましょう。
 みそのは、そう言って、優雅に微笑む。漆黒の巫女衣装が、さらりと微かな音を立てた。
「はぁ……。海原さんだっけ? あなたも、何だか、とんでもない力を持っていそうだねぇ……」
「いえ。そんなことはありません。わたくしは、平凡なただの巫女ですわ。巫女ですから……もう一つのことの方が、気になります」
「骨を持ってきた、神社の巫女、だね?」
「はい。骨の由来、骨の正体、そして、それを持参して現れた、不思議な巫女。わたくしは、こちらの方に、むしろ興味を惹かれます。放って置くわけにもいきませんし、調べてみようと思うのです」
「それなら、私でも手伝えそうだよ。陰陽師と戦うのは、さすがに無理だけどね」
「実は、そのお申し出を、初めから期待しておりました」
 くすくすと、みそのが笑い出す。つられて恵も笑った。

「まずは、巫女様を探しましょう。骨について、面白いお話を伺えそうな気がしますわ」





【対決】

 崩れかけた何かの廃墟に、二人は辿り着いた。
 伸び放題の草葉に目を凝らすと、そこに埋まるようして、柱があることに気付いた。本来の朱色は完全に剥げ落ちているが、間違いなく、鳥居の一部だ。
 ここは、神社の跡地。
 では、原型を止めないほどに草臥れたあの建物が、本堂だろうか?
「御巫さん……」
 不安そうに、メイカが辺りを見回す。絶妙のタイミングで鴉が一斉に飛び立って、少女は思わず身を竦めた。
「な、何ですか。今の」

「……来るぞ!」

 御巫傀都が、鋭く叫ぶ。状況を今ひとつ把握していないメイカの足元に、いきなり火が広がった。氷生成能力で事なきを得たが、はっとして見上げると、すぐ目の前に、太刀を振り上げる武将の姿が迫っている。それが式神だということは、鋭利な刃が炎を纏っていることから、容易に想像が付いた。
「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・アビラ・ウンケン!」
 傀都が素早く符を投げつけ、真言を唱えた。人型をとった呪符が、振り下ろされる凶刃を辛うじて受け止める。
 メイカはわずかな隙に素早く横に転がり出て、腕を大きく振り上げた。上空に、そこだけが大気が凍りついて、無数の氷刃が生み出される。
 刃は、的確に、式の体を貫いた。そのうちの数本は、人間で言うところの致命傷を与えているようだった。千切れ飛ぶように光が弾けると、破れた札が、ひらひらと落ちてくる。

「ねずみにしては、なかなかやりますね」

 崩れた柱の影から現れたのは、陰陽師の男。確かに目の前にいるにも拘らず、気配も無ければ、足音も無かった。
「骨の奪還に来た、というわけですか。あの探偵も、往生際が悪いですね。それにしても、こんな子供を寄越すとは、よほど人手が不足しているらしい」
 男の皮肉にも、御巫は動じる様子も無い。挑発を無視して、淡々と、聞きたいことだけを聞いた。
「骨ってのは、何の骨だ?」
「あなたに教えてやらなければならない義理も義務もありませんよ」
「草間さんに答えたのと、同じ返答か。芸が無いな。クラゲの骨でないってことは、もうわかっているから、その下手な冗談は言わなくていいぞ」
「最近の高校生は、目上の者に対する礼儀がなっていませんねぇ……」
「目上の者には、それなりの礼を払うさ。だが、あんたは、ただの泥棒だ。頭を下げる謂れは無いな」
 御巫が、殊更に相手を挑発するようなことばかり言うのが、むしろメイカには不思議だった。
 傀都は愛想は無い人間だが、決して礼儀知らずでも傲慢でもない。いや、それどころか、一般の高校生などよりは、よほど大人で冷静だった。術師というもう一つの顔を持ち、既に社会に出ている身だから、物事を斜めからも見ることの出来る人間なのだ。
 そのとき、ふと、御巫の左手が、不自然な動きをしていることに、気が付いた。
 コートのポケットの中で、左手が、何かをいじっている。訝しげにメイカが眉を顰めた瞬間、彼女の携帯が、けたたましく鳴り出した。
「え……!」
 メイカは着信をテクノ・ダンス系の音楽にしていたため、何時間でも踊り続けていられそうな、持続的、あるいは催眠的なビートが、異様に高く響き渡る。この場の雰囲気にはあまりにもそぐわない、無遠慮なほどに快活な音が、周囲の静寂をたちまち掻き乱した。
「携帯……どうして? さっき見たときは、圏外だった……」
 陰陽の力場に守られている神社周辺は、ある程度予測は付いていたことだったが、やはり機械の出る幕は無かった。メイカは、氷の能力だけで傀都をサポートするために、付いて来たのだ。

「俺が奴の呪力を抑えていられるのは、ごく短時間だ。……早く!」

 ああ、では。
 これは、御巫さんが。

 折り畳んである携帯の上蓋を、勢いよく跳ね上げた。メニューを呼び起こし、「Internet」の項目を選ぶ。ほんの数秒間に過ぎない「接続中」の表示が、異様に長く感じられた。
 早く! 早く!
 暇なときに、時々アクセスしているお気に入りのサイトが、呼び起こされる。その瞬間、情報世界の膨大なデータが、物理的な殺傷を可能とする攻撃的な電子への変換を開始した。
 目には見えない何かが、流れを変化させる。「陰陽術」という、神や精に由来する古の遺産のような力の場に、人の進化こそが目覚めさせた「電子」という新時代の存在が、強引に割り込んでくる。
 それが効くかどうかは、正直、メイカにはわからない。
 式神は「神」だ。「精霊」だ。
 言わば、幻想世界の住人だ。
 魔法が勝つか。科学が勝つか。

「迷うな! 式は神でも、それを操る奴は、ただの人間だ!」

 人間。メイカの中に、傀都の言葉が、弾ける。
 勝てる。勝てる。神や精霊に対しては、それがどの程度の効果をもたらすかは、まったくの未知数。だが、人間ならば、話は別だ。相手が人間ならば、百パーセントの効果が期待できる。
 電子レベルの破壊光に耐え得る物質は、この世には存在しない!

「蝶羽電醒衝!」

 陰陽師が、身を守るために式を召喚したのが、見えた。
 それすらも食い尽くして突き進む、極細粒子の閃光。全ての景色が、一瞬、青白く輝いた。
 驚愕に顔を歪めた陰陽師が、ばらばらと崩れ去ってゆく。人間が分解されてゆく様は、それをもたらしたメイカにさえも、恐怖にも似た感情を呼び起こさずにはいられなかった。

「凄い威力だな……」

 唐突に全てが終わった後、傀都が、呻くように呟いた。
 メイカの放った電子力翼の砲撃は、狙ったもののみを破壊の対象にする。周囲には一切の害をもたらさない。
 再び開けた視界には、何かが傷ついたような痕跡は、全く残っていなかった。陰陽師だけが、消えてしまった。
 あまりにも一方的な、勝利。

「骨……骨まで、消してしまったのでしょうか……」
「今の威力なら、ありえないことではないが……」
「あ!」
 メイカが、声を上げた。先ほどまで陰陽師がいた場所に、きらりと光るものがあった。
 あの攻撃にも耐え凌いだ骨が、草葉の合間で、存在を主張する。メイカが駆け寄った瞬間、だが、思いも寄らなかった方向から、炎の筋が延びてきた。
「え……!?」
 身を守るための氷壁を召喚する暇さえも無い。狙い済ました、無慈悲なまでに正確な、陰陽の術。
 傀都が咄嗟に飛び出さなければ、メイカは炎刃に斬り殺されていただろう。少女を庇った少年の背から、肩から、どっと深紅のものが溢れ出した。

「御巫さん!!」
「あいつ……まだ、生きて」
「嘘……」
「化かし合いは、私の勝ちかもしれませんねぇ」

 陰陽師が、笑いながら進み出る。かすり傷も無かった。
「どうして……効かなかったのですか!?」
「効きましたよ」
 陰陽師は、肩を竦めた。
「消えました。もう一人の私は」
「もう……一人?」
 はっとする。『巫蟲』の二文字が、脳裏を過ぎった。
「まさか……」
「その、まさかです。この場には、二人いたのですよ。『私』がね」
「そんな……!」
「ああ、無駄ですよ。お嬢さん。この場は、再び、陰陽の力で閉ざしました。先程のような得体の知れない技は、もう使えません。他にも何か特技をお持ちのようだが、それだけでは勝てません。私のほうが強い」
 携帯に、圏外の表示が出る。傷ついた少年を庇うように、メイカは陰陽師に向き直った。
「負けません……諦めません! 絶対に!」
「頭の悪いお嬢さんだ。逃げるなら、見逃してあげますよ。私は、陰陽師以外の人間には、寛大ですからね」
 ちらりと、御巫に視線を送る。腹立たしさと憎しみが同居したような眼差しだった。
「私以外の、優れた陰陽術師は、要りません。そちらの方には、止めを刺させていただきますよ」
 既に、虫の息のようですが。
 陰陽術師が、笑う。メイカは思わず耳を塞いだ。



「化かし合いは、俺の勝ちだ」



 虫の息であるはずの傀都が、不意に、立ち上がった。
 その体から光が滲んだかと思うと、急に輪郭が崩れた。ひらひらと、メイカの手の中に、一枚の呪符が舞い落ちる。
「式神……!」
 御巫自身が、式神だった。初めから式神だったのだ。だが、式神が式神を使うなどということが、あり得るだろうか?
 メイカは、急いで辺りを見回した。御巫は、恐らくこの近くにいるはずだ。彼は、早いうちから気付いていたのだろう。陰陽師が二人いるという事実に。だから、戦いは式神に任せ、彼自身は、もう一つの罠を張ったのだ。



「オン・ヤマラジャ・ウグラビリャ・アガッシャ・ソワカ」
 


 御巫の声が響く。声だけだ。姿は見えない。どこにいるか、わからない。気配が、完全に消えていた。



「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・キリカ・ソワカ」



 骨から、煙が吹き上がる。小さな白い欠片が急速に体積を増し、徐々に、人の形を象った。骨の主の生前の姿が、甦る。
 損なわれた肉体を陰陽術によって仮再生し、さらに死者を操る傀儡法と組み合わせた、高等複合術だった。世界広しといえども、こんな真似が出来るのは、一人しかいない。
「御巫さん!」
 危ないから、下がって。
 傀都の声に従い、メイカはじりじりと後退する。傀儡法で甦った死者の人形が、ちょうどメイカを守るような形で、前線に残った。
「……この方は……」
 人形が、印を結ぶ。傀都を初めとして術師たちが何度も聞かせてくれた、陰陽の真言が、死者の口から流れ出る。骨の主もまた、陰陽師だったのだ。思わず息を呑むメイカの前で、式召喚の咒が、完成した。



「戻れ。我が友、我が僕よ。天一(てんいつ)、騰蛇(とうだ)、朱雀(すざく)、六合(りくごう)、勾陳(こうちん)、青竜(せいりゅう)、天后(てんこう)、太陰(だいおん)、玄武(げんぶ)、太裳(たいもう)、白虎(びゃっこ)、天空(てんくう)」





【骨の正体】

「本望だろう?」
 召喚された十二の式神を従えて、傀都が呟く。
「あれほど欲した、安倍晴明の式神に、殺されるんだ。俺からの、最大最後の手向けだよ。……ありがたく思いな」
 十二の鬼が、陰陽師に殺到する。悲鳴と、絶叫が、夜気をさらにひんやりと冒した。何かを噛み砕く音と、咀嚼する音と、啜る音が続いた。微かに血の臭気が漂ってきたが、すぐにも風に吹き消される。
 奇妙に長い間をおいて、やがてばらばらと式が還って行ったとき、そこには、人がいた痕跡すらも、全く無くなっていた。
「御巫、さん」
 かすれたメイカの声がする。傀都は、草むらの中から、緩慢な動作で「骨」を拾い上げた。

「これは、安倍晴明の、骨だ」
「平安の、陰陽師……安倍晴明」
「死してもなお、遺骨に残ってしまった、霊力。あいつは、たぶん、この力が欲しかったのだろう。術師なら、一度は、夢を見るのかもしれない……。晴明のようになりたいと」
「御巫さん……」
「俺は、御免だけどな」



 傀都が、式神を呼んだ。その嘴の中に、骨を投げ入れた。
「……取り返した。草間さんのところに、一足早く持って帰ってやってくれ。……頼んだぞ」
 鳳が、夜の闇の中に羽ばたく。
 迷う気配も無く、真っ直ぐに、北の方向へと消えて行った。



「所詮、借り物の力では、本物の術師になんて、なれないんだ」





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0778 / 御崎・月斗(みさき・つきと) / 男性 / 12 / 陰陽師】
【1388 / 海原・みその(うなばら・みその) / 女性 / 13 / 深淵の巫女】
【1953 / 御巫・傀都(みかなぎ・かいと) / 男性 / 17 / 傀儡師】
【1974 / G・ザニー(じー・ざにー) / 男性 / 18 / 墓場をうろつくモノ・ゾンビ】
【1981 / 双己・獅刃(ふたみ・しば) / 男性 / 22 / 外法術師】
【2165 / 梅田・メイカ(うめだ・めいか)/ 女性 / 15 / 高校生】
【2170 / 四方峰・恵(よもみね・めぐむ) / 女性 / 22 / 大学生】

お名前の並びは、番号順によります。
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■         ライター通信          ■
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ソラノです。
今回の「陰陽師」へのご参加、ありがとうございます。
まさか三名も術師の方が申し込んでくださるとは思わず、吃驚しました。

術師さま三名については、対決シーンは個別です。基本は一対一で陰陽師と戦っていただきました。
(御巫傀都さまは、梅田メイカ様と二人同時戦闘です)

なお、各所に出てくる術の真言、設定は、こちらで調べたものを使用しております。
全て文献等に出ているものですので、嘘は無いと思いますが、陰陽師自体、非常に様々な解釈が為されており、一定ではありません。
想像と違うところも多分にあると思いますが、ご了承ください。

物語は、大きく二つに分かれています。
陰陽師との対決・骨の奪還編。巫女の探索・骨の逸話編。
御崎月斗さま、御巫傀都さま、双己獅刃さま、梅田メイカさまは、対決編。
海原みそのさま、四方峰恵さまは、探索編です。
G・ザニーさまのみ、他の皆様とのプレイングの相違から、完全個別となっています。

初めまして。梅田メイカさま。初参加、ありがとうございます。
御巫さんと同時描写にさせていただきました。そのため、かなり長くなっています。
戦闘シーンの描写が、難しかったです。イメージどおりのものが、書けたでしょうか……。
それでは、またどこかでお会い出来ることを願いつつ……。