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<東京怪談ノベル(シングル)>


『if 夢の中のセレスティー』
 かのナポレオンも睡眠時間を削って、活動していたという。偉人というものはそういうものだ。己の何かを削り犠牲にして何かを達成しようとする。
 ならばこんなにも強烈な睡魔に襲われている私もかつての偉人たちが辿ってきた道を今、歩んでいるのであろうか?
 私の名前はセレスティー・カーニンガム。リンスター財閥の総帥だ。その仕事は多忙な事このうえなく、睡眠時間も極端に少ない。たとえこの私の本性が人魚でもそれは大きな問題なのだ。ならば眠ればいいのに、と想うかもしれない。事実、今日は休日なのだ。しかし、私はいつもと同じ時間に起床し、そして屋敷の応接間で色んな客人の相手をしている。もちろん、私が強烈な眠気に襲われている事など微塵も感じさせぬ笑みを浮かべながら。そう、それが私の性だ。私は他人に自分の弱みとかそういった物を見せるのを良しとしない。私の友人の一人に言わせればそんな私はひどく面倒臭い性格の持ち主のようだ。
 さて、この休日の時間を利用して私の下に挨拶を理由にして商談を持ってくる客人も途切れた。
「総帥。ご苦労様でした。今日、総帥との面談を希望なされている方々の午前の部はこれで終わりです。この後にご訪問される事になっている方がこられる時間は14時30分なので休憩の時間は2時間半あるのですが、いかがいたしますか?」
 秘書は見ようによっては整いすぎているためにかえって冷たく見える美貌に柔らかな笑みを浮かべて訊いた。
「ええ、そうですね。昼食をとった後に、私はちょっと調べものがしたいので、昼食後は書庫の方に行きます」
「わかりました」

 昼食後、私は書庫に入った。
 古い紙とインクの匂いが満ちた空気を吸い込む。
 書庫の扉を閉める時に秘書が浮かべた表情はこんなにも忙しいのにまた調べ物をしてなんてすごい人なのだろう、というような表情だった。そんな表情を浮かべた秘書を想って、私は苦笑を浮かべてしまう。明治時代の文豪が残したとある小説に出てくる教授もこんな気分で自分の家の者たちに接していたのだろうか? その教授はいつも家の者に自室で勉強してくると言って、しかし彼が自室でしている事と言えば本を枕代わりしての昼寝なのだ。では、私は? というと、私もその教授殿に倣ってここに昼寝に来たのである。
「自分が昼寝をしている姿を他人に見せるのも嫌ですからね」
 私は一人呟いて肩をすくめると、適当に棚から本を取り出して机の上に置いた。
 教授殿の場合は唯一、名の無い友にその昼寝を知られているのだが、私のこのシークレットタイムを知る者は誰もいない。
 机の前にある窓から差し込む温かい陽光に照らされながら私は数冊の本を枕代わりに眠りについた。シークレットタイム。昼寝の始まりだ。

「きゃぁぁぁーーーーー」
 私の耳に飛び込んできたのは女性の悲鳴だった。
「なんですか、この悲鳴は?」
「第3ブロックの方からよ、セレスティー」
 私にそう言ったのは25歳のしかし見た目は10代後半に見えるかわいらしい女性であった。その彼女が私の妻で、そして有能なる医者の卵である事を私はなぜか知っていて、そしてそれを知っていると気づいた時に同時に私はこれが夢である事も悟っていた。
 ここは宇宙船の中だ。私たちは婚約旅行として環境コーディネートによって人が住めるようになった金星に行く途中なのだ。
「なにしてるの、セレスティー。早く」
「ええ、わかってます」
 なぜにこんな夢を私が見ているのかはわかりませんが、まあ、夢の座興に付き合うのもいいでしょう。夢なだけに現実では味わえない物にも出会えるかもしれませんしね。
 この宇宙船では重力発生装置のおかげで重力があった。無重力ならば、足の悪い私でも自由に動けるものなのだが。しかし、それはあくまで現実での私の事。さすがは夢。私の2本の足はスムーズに動いていた。夢であるならば当然の事にしかし私は柄にも無く感慨に浸ってしまう。それはきっとこの夢の世界がやけにリアルであるからであろう。宇宙船を構成する材質も、強化ガラスでできた窓の向こうに見える暗い宇宙も。
 そう、地上から見上げる夜空に浮かぶ星はとても互いが近くに見えるのに、ここから見る星はそれぞれがものすごく離れていて、孤独であった。現在、人間は宇宙に果てしないロマンを抱いているが、果たして現実にこうやって宇宙に上がった時に今抱いているロマンを抱き続けられるのだろうか?
 そんな事をただの夢の世界で考えながら婚約者の彼女と一緒に私は悲鳴が聞こえた部屋へとやって来た。
「これは・・・!?」
 隣では彼女が絶句している。
 部屋の中には男性と女性がいた。その女性は己が身を両手で抱きしめてがくがくと泣きながら震えていた。しかし男性は全身から血を流し死んでいる。血は無重力故に球体を成して彼と一緒に部屋に浮いていた。
「彼女の方は生きているようですね」
 私は気管支に血が入り込まないようにハンカチで口と鼻を覆って、部屋へと入った。
「大丈夫ですか?」
 私はがくがくと震える彼女を抱きしめて、部屋から出る。
「セレスティー。私、検死をしてくるわ。早い方がいいと思うから」
 そう言って彼女は廊下にあった緊急用のマスクを付けて、検死をした。彼女は医者なのだ。
 彼女の検死に寄れば、彼は圧迫死なのだそうだ。全身の骨も砕け、内臓も潰れている。
 一緒にいた彼の恋人である彼女の証言ではそれを裏づけする内容が得られた。なぜか彼の体が突然ひしゃげて、そしてだらだらと血を流し続けて、苦しみぬきながら死んだらしい。
 そして彼の遺体の状況から推測できるのは、どういう理屈でかわからぬが彼の周りだけ空気が漏れて、それゆえに彼は死んだとのこと。用はペットボトルの口をくわえて、中の空気を吸うと、ペットボトルが潰れるのと同じ現象が彼の体に起きたわけだ。
「どういう事なのかしら、セレスティー?」
「さあね。現実でも心霊現象によって不可解な事件ってのは起きますが、なんせここは夢の中ですからね。どんな事件が起きても不思議ではありません」
「え? 何を言っているの、セレスティー?」
 大きな瞳を瞬かせる彼女に私は微笑んだ。
「何でもありません、冗談ですよ」
 そして私は遺体と血が片付けられた部屋に入った。部屋の空気はやけに冷たく、そして水滴が浮かんでいた。
 それを見た私はつい苦笑いを浮かべてしまう。
「セレスティー?」
「いえ、何でもありませんよ。ただ、さすがに私の夢だと想っただけです」
 そう、ここは夢の中で、この事故…いや、殺人も夢の中の出来事であるが、しかしその死んだ男の周りだけ空気が漏れてしまったという不可解な現象は夢の中の常の非現実な事象ではなくちゃんとしたトリックがあったのだ。
「すみませんが、クルーと彼女を連れてきてください。この殺人事件の真相をお話します」

「セレスティー君。これが事故ではなく、殺人事件だというのは本当の事なのかね?」
「ええ、本当ですよ」
「だけどちょっと、待ってよ、セレスティー。だったら犯人は誰なの?」
「キミにもわかっているのだろう? 被害者と一緒にいた彼女が犯人だと」
 私は犯人を見据えた。そして彼女は悠然と微笑む。
「なぜにそう想うの? それに私が犯人だというのなら、どうやって彼だけを殺したの? 私も同じ部屋にいたというのに」
 私は肩をすくめる。
「この部屋には操作パネルがあるのをご存知ですよね」
「ええ」
「その、操作パネルを扱って、部屋の気圧を下げたのですよ。つまりが彼が死んだ時、この部屋は深海と同じ状況だったというわけです。空気が漏れて、真空状態になったのではなくってね。その証拠に部屋の温度は低かったし、水滴も浮かんでいた。キミが震えていたのは悲しかったからじゃない。寒かったからだ」
 彼女はくすりと笑う。
「セレスティーさん。黄金の頭脳を持つイラストレーター兼名探偵という看板は下ろした方がいいんじゃなくって? その深海状態の部屋には私もいたのよ。だったらなぜ、私は生きているの?」
「そうよ、セレスティー」
「簡単だよ。私もキミも彼女の悲鳴を聞いているだろう。あの甲高く長い悲鳴を」
「・・・ええ」
 私はこくりと頷く。
「その悲鳴だよ。悲鳴という方法で彼女は体の中の空気を輩出した。だから生き延びられたのさ。キミだって宇宙空港のロビーで聞いただろう。彼女の趣味はダイビングだって。ダイビングにはね、緊急事態時に急浮上する時にダイビング病になるのを回避するための呼吸法というのがあるのですよ。その呼吸法を使えば、ね」
 私は優雅に髪を掻きあげる彼女にウインクした。そして彼女はぱちぱちと手を叩いた。
「さすがですわね。そう、その通りですわ。私が犯人。そして実行した殺人のトリックもその通り」
 彼女は咲いた花のような笑みを浮かべて頷いた。

「どうして、こんな悲しい事になってしまったんだろうね、セレスティー? 私にはとても幸せそうなカップルに見えたのに。すべてが嘘だったの・・・?」
「違うでしょうね。彼女は確かに彼を愛していた。だけど、同じぐらいに推理小説家としての自分も好きだったのでしょう。そして彼を愛していたゆえに、彼が自分の書き綴ってきたトリック帳を手に入れるためだけに自分に近づいて来たのを知って、その愛が憎悪に変わったのでしょうね。彼は今度、大物政治家の娘と結婚するそうでしたから・・・」
 その気持ちはわかる。自分が本来受けるべき拍手喝采を隣で見てきた彼女にはそれが許せなかったのだろう。しかしもはや彼女がそれが自分の小説だと訴えても誰も耳を貸さないだろう。そして男はそんな自分をステップにしてまた新たな高みへと行こうとしている・・・。だから彼女は自分の有能さを見せるためにこのトリックを実行した。私によってこのトリックを暴かれて、逮捕された事すらも彼女にとっては本望だったのだと想う。それによって完全に彼女の才能が世に知られたのだから。
「ねえ、セレスティー。あなたは私を裏切らない? いつか彼と同じように・・・」
 泣き出す寸前の子どものような笑みを浮かべる彼女に私は微笑んだ。これは夢だから。
「馬鹿ですね。私はいつもキミの側にいますよ」
 そして妖精のように微笑む彼女が唇を動かす・・・

 携帯電話のコール音。そこで夢は途切れた。
「やれやれ。変な夢でしたね。しかしなぜ、あんな夢を・・・」
 と、呟きかけて私は枕代わりにしていた本を見て苦笑いを浮かべてしまった。そこにあるタイトルから推測できる内容は見た夢の内容なのだ。
 そして私は懐かしい友人に会うように、最後のページを開いた。そこに彼女の私の言葉への答えが載っていた。