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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


家族の肖像

【草間の受難】

 シュラインに渡された買い物リストを片手に、草間は、慣れないスーパーで、必死にあちこちをウロウロしていた。

 どこの売り場に何があるのか、まるで見当も付かないのである。黒コショウ一瓶を探すにも、どえらい苦労だ。まして「ローリエ」「パプリカ」などと言われた日には、それがいかなる物体のことを指すかも、全然、さっぱり、わからない。
「シュライン! 俺にこんな物を買わせるな!!」
 思わず、悲痛なうめきが口を付いて出る。ローリエってのは、何だ!? ハーブの一種? 薬草か? 調味料か? 日本古来の隠し味は、醤油か味噌と決まっている! こんな苦労を背負い込んでまで、俺は、豪勢な料理とやらを食いたくはないぞ!
 握り拳を固めて心の中で抗議するが、反して、草間の足は、店員の若いお姉さんの方に向かっていた。あのー、と、声をかける。買い物リストを見せて、これは何処にあるのですか?と、尋ねる。
 まるっきり、料理などしたこともないグウタラ亭主が、何かの間違いで夕食を作ることになってしまい、ひぃこら言いながら食材を探している、の図である。微妙に外れてはいないのだが、そう思われるだけでも、ハードボイルド志向の草間にとっては、大変な衝撃だった。
「ちくしょう……。次は何だ……ア、アボガド?? 何だそれは。どういう食い物なんだっ!?」

 草間が全てを買い終えるのは、スーパー来店から、約三時間後のことであった。





【料理開始!】

 草間が決死の覚悟で揃えてきた食材を前にしつつ、嬉しそうな女が二人。
 ぐったりとした探偵をソファの上に追い立てて、いそいそと料理に取りかかる。
 試してみたいメニューは山のようにあったけれど、実際に三人で食べる量には限界がある。零と検討した結果、品目は五品に決まった。

 グリーンアスパラのブロシュット、きのこのソテー生ハム包み、ソースラヴィゴット。
 牡蠣のグラタン、パプリカ風味。
 トマトの冷スープ。
 薄切り牛肉の煮込みコル二ッション風味。
 さくらんぼのコンポート。

 これらのメニューを聞いたとき、草間は、思わず、それは日本人の食えるものなのかと真面目な顔で聞いてしまい、シュラインと零に、左右から挟まれてのダブル肘鉄をお見舞いされた。
 まぁ、食の芸術のわからない探偵は放っておいて、ともかく彼女らの奮戦が始まったわけである。



「何だか、豪華な料理ですね。作るのが恐れ多いです」
 慎重にアスパラの皮を剥きながら、零が感嘆の溜息を吐く。何となく危なっかしい手つきを、ちらちらと見守りつつ、シュラインは、鶏肉をトマトのソースの中に放り込んだ。
「ベースはフランス料理だから。でも、名前は豪勢なんだけど、かなりアレンジしてあるのよ。ロブスターの代わりに、牡蠣を使うとか。トリュフをやめて、舞茸にするとか」
「か、かなり材料が違うような気がするのですが……」
 舞茸をトリュフの代わりにするなど、さすがはシュライン。大胆である。が、これはもちろんお金の問題もあるが、それ以上に、高価な食材に慣れていない草間の胃袋を気遣った結果でもあった。
 彼女の所長は、大体において体が安上がりに出来ているのだ。キャビアだのトリュフだのを与えて、舌が痙攣でも起こされては溜まらない。
「次はミキサーにかけて……」
 呟いたシュラインの口が、思わず固まる。
 そう。ここは、草間興信所。シュラインのマンションとは違うのだ。ミキサーなどという無駄に贅沢な台所用品が、存在しているはずもない。
 シュラインは考えた。零も考えた。ミキサーが無い。どうしよう?
「義兄さーん」
「武彦さーん」
 見事にハモる。呼び出され、何も知らない草間を、女たちの笑顔が出迎えた。
「はい。へら」
 と、シュライン。
「はい。ボール」
 と、零。
「だまが無くなるまで、しっかり掻き回してね」
 語尾にハートマークが付きそうな、それはそれは優しげな笑顔で、ミキサー並に掻き回せと、のたまう二人。……けっこう鬼である。

「それにしても、やっぱり、ミキサー、欲しいわね……。せめてハンドミキサーでもいいから。今時へらで掻き回す家庭なんて、ちょっと無いわよ」
「でも、それなら、あの破滅的な音のブザーと、骨董品と化している黒電話の方が、問題です。あの黒電話を見た瞬間に、逃げてしまうお客さんもいるくらいなんですよ」
「確かに、部屋に入ってあの黒電話がいきなり視界に飛び込んできたら、少々不安になるわよねぇ……。ありえないもの。あれを三十歳の若さで使用しているなんて、武彦さん、年齢、誤魔化しているとしか思えないわよ」
「シュラインさん……。少しはフォローしてください……」
 ほろほろと零が泣いているのは、決して義兄を哀れに思ったせいではなく、玉葱が目に沁みただけである。心霊兵器が玉葱ごときに苦戦するのも妙な話だが、この興信所に来てから、零は、明らかに良い変化を遂げていた。

 より人間らしく。
 より少女らしく。
 
 いずれ彼氏でも連れて来てくれたら、大騒ぎよねと、苦笑する。草間にとっても、シュラインにとっても、零は、大切な、かけがえのない妹だった。種族云々は、この際、関係ない。草間もシュラインも、そんな事を気にしたことは、一度も無かった。

 これだけは、自信を持って、言えること。
 
「でも、備品もいいけど、やっぱり、温泉にも行きたいわよね」
「え。でも。贅沢じゃないですか?」
「たまの贅沢は、人を磨いてくれるのよ。何事も経験は大切にしないとね」
「そ、そういうものですか」
「そういうものよ」
 じっくりと煮込んでいる肉から、口の奥を刺激するような芳香が立ち昇る。絶妙のタイミングで、シュラインが、牛肉をフライパンから下ろした。
「でも、シュラインさん」
 ついに、最後の一品。
 さくらんぼの種抜きを、零が始めた。もちろん、そのための専用器具など草間家には無いから、地道に手作業である。
「ブザーや黒電話なら、ずっとずっと残りますけど、温泉は、行ったらそれで終わりでしょう? やっぱり、勿体ないような気がします……」
 コトコトと、さくらんぼを鍋で煮詰める。綺麗な朱色が広がって、何となく、シュラインと零が、顔を見合わせて微笑んだ。
「あのね、零ちゃん。何かを残したいのなら、ブザーや電話より、温泉の方が、有効かもよ?」
「え?」
「インターホンも、電話も、どんどん最新のものが出てくるでしょ? それに伴い、価値も機能も、どうしても落ちてきてしまうわ。でも、温泉は、そうじゃないでしょ?」
「温泉が、ですか??」
 不思議そうに、零が首をかしげる。
 シュラインが出来上がった料理を運び出すのを見て、慌てて零もそれに従った。
「温泉がそうじゃないって、どうしてですか??」
 せっかくのフランス料理だが、食卓には、ナイフとフォークではなく、箸が並ぶ。これが草間家のしきたりだ。
「そうねぇ……」
 待ち草臥れて、ソファの上で不貞寝していた草間を、シュラインが引っ張ってきた。
 三人揃っての、食事風景。





【家族の肖像】

「想い出は、ずっと、残るものでしょ? 新しいも古いも関係なく。大切な記憶は、ずっと、錆付かずに残るものだから、温泉も良いかなって、思ったのよ」
「思い出……私にも、残りますか?」
 いやに真剣な面持ちで、零が尋ねる。シュラインが、笑いながら、頷いた。
「残るわよ。当たり前でしょ。零ちゃんは、武彦さんよりも、よっぽど記憶力が良いんだから」
「どうせ俺は忘れっぽいよ」
「そこでさりげなくひがまないの。武彦さん」
「誰がひがんでなんか……」
「義兄さんは」
 零が、堪え切れなくなったように、声を立てて笑い出した。

「義姉さんにかかると、形無し」

 うるさいぞ、と、草間が、箸を皿の上の肉に突き立てる。行儀悪いわよ、と、シュラインが、草間を睨みつけた。
 実はさりげなく零が爆弾発言を醸したことに、大人ふたり、まるで気付いていなかった。



「私、ここに来て、本当に良かったです……」



 平凡な家族の像の思い出が、今日、一つ、増えた。