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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


逢魔が時

「くしゅん」
少女の小さなくしゃみを聞き留めた者はいない。人気のないところで出た、風邪の前兆だった。近頃は寒くなってきたのう、と小さな鼻を抑えて本郷源は呟く。そして二三歩前を歩いている相棒、にゃんこ丸を抱き上げると柔らかな毛皮にそっと頬を埋める。
「お主は暖かいのう」
陽射しが随分長くなっている、学校からの帰り道であった。
 近道になるかと思い入った裏通りは見覚えのない景色ばかりで、太陽の沈む西だけが確かだった。高いビルに挟まれているせいか周囲には薄暗い闇が落ち、六歳の源にとって空は思い切り仰向かなければ見えない場所にあった。夕暮れの空が曖昧な色の光を、四角く切り取るように落としていた。
「はよ帰らねばな」
寒いし、腹も空いてきた。今晩はにゃんこ丸が煮込んでいる自慢のおでんを食べよう。そう思って源がビルの影を踏みつけ歩き出そうとした時。
「お嬢さん」
背中から声をかけられた。
「源のことか?」
他に誰もいないようなので振り返ってみると、ハンチング帽に格子のベストと太いズボン姿の、大きな鞄を抱えた、要するに古臭い身なりの男が立っていた。
 きっちり上から下まで和装という源の服装も古いといえば古い。だがそれなりに洗練されたものを選び敢えて身につけていたし、実際源によく似合っていた。しかし目の前の男は中途半端に古臭い上、正直野暮ったかった。それでも源が踵を返さなかったのは男の、帽子の下の笑顔が誠実そうだったからだ。
「なんじゃ」
「写真を撮らせてもらえないかな?」
「なにに使うのじゃ」
しかし、いくら誠実そうだからといって見ず知らずの人間にものを頼まれて即座に応じるほど源は馬鹿ではない。子供だが、自身の頭で考え生きている。すると男は源の不審を感じ取ったらしく、胸ポケットから名刺を一枚取り出し、源に手渡した。
「僕は怪しい者じゃなくて、そのビルに入っている雑誌社のカメラマンなんだよ。今度出る雑誌のために君と、その猫の写真を撮らせてもらいたいんだ」
源はにゃんこ丸を抱いたまま、男と名刺とビルとを三角に見回した。ビルはコンクリート造りの古い様相ではあったが、てっぺんの辺りに確かになんとかいう出版社の看板が打ちつけられている。そして名刺にもその出版社から発刊されているらしい雑誌の名前、聞き覚えはなかったが。
「……まあ、よかろう」
わずかばかり思案した後、源はこっくりと頷く。やはり、男が嘘をついているようには見えなかった。
 にゃんこ丸を抱えたまま源は、その雑誌社とやらが背景に入るよう位置を決め、つんと顎を尖らせた。顎を持ち上げると大きな瞳がさらにも大きくなるのだった。形が決まったようなので、男はこれまた古そうなカメラを構える。
「いくよ」
シャッターを切った瞬間、タイミングよくにゃんこ丸が大きなあくびを一つ。
「……」
「…もう一枚、じゃな」
年の割には寛容な源、自分から妥協する。
 だが写真撮影は「もう一枚」では終わらなかった。普段は相棒という名にふさわしく源の意思を汲んでくれるにゃんこ丸が、このときばかりは片時もじっとしていなかった。男がシャッターを切ろうとするたび横を向いたり、前足を源の肩に突っ張らせて体を伸ばしてみたり、尻尾を振り上げて邪魔をしてみたり。猫という生き物は時に自身の分身であるように思えるのだが、時に最もままならない生き物と化すものである。
「まあ、これだけ撮ればどれか使える写真もあるだろうさ」
フィルムが切れたのを潮時に、男が肩をすくめカメラを下ろす。途端ににゃんこ丸が目を細めて喉を鳴らす。勝手な奴じゃと源は深い溜息を吐く。
「悪かったね、ありがとう」
できあがった写真は必ず使うから、男が笑いながら握手の右手を差し出してきた。期待せずに待っておると源も手を伸ばそうとする、と、また鼻がむずむずしてきて。
「くしゅん」
再び目を開けると男はどこにもいなかった。音も立てず一瞬で、煙のように消えていた。
「……あいつ、どこへ行ったのじゃ?」
辺りを見回してみたのだが、源の他には誰もいない。それどころか陽はさらに傾き、色彩が変わり、辺りの景色までさっきと違って見える。コンクリート造りに思えたビルも、よく見てみれば近代的な全面ガラス張りである。数分間の記憶全てが不確かで、まるで化かされたような気分だった。
「逢魔が時じゃ、にゃんこ丸」
夜を迎える寸前には闇が来る。闇は魔物を連れて来る。魔物は人を弄ぶ。かつて退魔師として働いた源も、つい惑わされたものらしい。
 首を傾げたまま源が立ち尽くしていると屋上に看板を掲げた、目の前のビルから男が一人古雑誌の山を抱えて出てきた。分厚い眼鏡に風采のないスーツ、カメラの男とは違っていたがやはり野暮ったかった。たまには、ある一定の傾向をもつ人間にばかり出会う日もある。
「うわあ!」
男は実にタイミングよく出口でつまづき、持っていた雑誌の山を道路にばらまく。
「見事じゃな」
一部始終を見守っていた源が感心するくらい、絵に描いたような失敗だった。
 慌てて拾い集める男を手伝い、源も足元に落ちていた雑誌を数冊拾い上げる。その一冊に何気なく目を落とし、題名にふと心引かれる。さらに表紙の写真を見て、息を飲む。
「おい」
「は、はい?」
日頃から叱咤を浴び続けているのだろう、強い語気には反射的に弱く出る本能が染みついているような男の返事。
「この雑誌、どうするのじゃ?」
「どうするって……捨てるんですけど」
「ではこれを源にくれぬか?」
源は手にとった雑誌の表紙を自分に向けて、男に差し出す。男は構わないですけどと言いながら雑誌の裏表紙に度の強い眼鏡を近づけ、細く印刷された奥付を確かめる。
「でもこれ、三十年くらい前の雑誌ですよ?どうするんですか?」
三十年前、と言われてまた源の目が軽く見開いたのだがすぐ元の色に戻った。にゃんこ丸の目はさっきから夕焼けの色を写して茜色に染まっている。
「三十年前では貰ってはならぬのか?」
鋭く男を一瞥する源。幼い頃から瞳の強さで望むもの全てを手に入れてきた、駄目だと言われたことなど一度もない。いや、言わせたことなど一度もない。
 結局、気合というものは先手必勝なのだろう。つまり早く強気に出た源の勝ちだった。戦利品を手に源は上機嫌で帰途を辿る。見慣れない裏通りも大通りに出てみればすぐ現在位置の把握ができたし、家までの帰り道も見当がついた。
「それにしても」
源は、三十年前の雑誌をあらためてじっくり見やる。月刊アトラス十一月号、特集は「猫」について。表紙を飾っているのはコンクリート造りのビルを背景に立っている、大きな目をした和装の少女と、遠くを見つめる茜色の目をした若い猫。
 男は本当に、源の写真を雑誌に使ってくれたのだ。それも表紙に採用して。まさかその少女が三十年後、同じ姿で彼の写真を手にとるとは思ってもみなかったはずだが。
「魔に逢うたのう」
果たして弄ばれたのは源と男、どちらなのか。それとも雑誌を手に微笑む源が、弄ばれたようで実は魔を弄んだのかもしれない。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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1108/本郷源/女/6歳/オーナー 兼 小学生

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
正式なウェブゲームの形にならず申し訳ありませんでした。
夕暮れ時の少し気が遠くなるような風景。
そんな不思議な感覚を、味わっていただければ幸いです。
ありがとうございました。