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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


華食む石


●序

 眩し過ぎる月光は皓々と夜を射抜き。
 けれど無数の遮蔽物の、その先にまでは及ばずとみえ、影となりし闇はいっそう色濃く黒に染まるばかりである。
 件の石は、斯様に明るい月夜に“現れる”。
 近くを線路が通り、それでも丑三つ時ともなれば不気味な静寂に包まれる。
 墓地である。
 小さな寺の建物もみえるが、狭い敷地のほとんどは大小の墓石が建ち並び、周りを古い木々が取り囲む。
 一角に、殊更鬱蒼と繁る場所がある。立ち入れば、湿った空気が肌を撫で、如何にも、という雰囲気で、中央に土が積まれ隆起した地面がみえる。
 その上に、石が。
 一抱えもありそうな、変哲のない大きな石がひとつ、どっしりと置かれているのである。傍には花入れが一対あるばかり。
 無縁仏と伝えられるが、何時から何故そうなのかは知れぬ。檀家の年寄りの幾人かが、時折自家の墓のついでに世話をし、献花しているのだそうである。
 そこに、花を食う石の噂。
 供えられた供華が、夜の間に消え失せる。
 それだけではない。
 見たという者の話に因れば、花が石に吸い込まれたのだと、云う。

「……怪談?」
「そのお墓の周辺ではさ、結構な噂になってるんだよねえ」
 からりと笑って、やけに間延びした調子で勝手に話を進める男は、名を乙木という。彼方此方から様々な噂を収集してきては、こうして草間武彦に何故か報告しに来るのである。
「実害はないんだろう」
「うん、確かに今のところ目撃談だけしかないね。その目撃者っていうのも、特にそれを見たからといって何か変わったことがあったかといえば、そうでもない」
「よくある怪談話のひとつだと思うが」
「そうだね、でもこれ本物だし」
「……見たのか」
「見ちゃったんだよ、先月」
 乙木はさらりとそう言って、傍らのショルダーバッグからファイルを取り出した。
「これ、少ないけど噂の内容を纏めたやつね。……万が一忙しいのなら、他の人に頼んで貰っても構わないからさ。急ぎでもないしね」
 草間は渋面を作ったが、とりあえずこうした依頼が得意そうな面々を思い浮かべて電話帳を引き寄せた。


●一、集合

 乙木が草間に調査を依頼した数日後、待ち合わせ場所――噂の石がある墓地の最寄り駅――に訪れたのは、大神森之介、藍原和馬、シュライン・エマの三名だった。
 シュラインは駅に向かう前に草間興信所に立ち寄り、乙木の残した噂の内容を纏めたというファイルを、人数分コピーして持参していた。
「武彦さんが言った通り、詳しいことは書かれていなかったけれどね」
 苦笑しながら二人に渡すのは、A4サイズの紙が四枚、クリップで束ねられているだけだ。
「で、今回は調査が目的、と考えていいのか?」
 視線は文字を追う儘、和馬が問えば、
「多分、そうだと思いますよ。調査の上で、現象を抑えることが必要になったなら、俺、やってみたいことがあるんですけど」
 森之介が答える。
「これだけの情報じゃ判断のしようがないわね。とにかく、各々情報収集に努めましょ」

 乙木のファイルに纏められていたのは、以下の事柄だった。
 ・墓地の場所(簡易地図付き)
 ・石の写真
 ・噂の内容
 ・目撃者の氏名及び住所

 噂の内容というのも、電話で草間が説明した以上の情報は得られず、地図の方も手書きで書き殴ったような、という有様で、シュラインは地図を新しく買い求める破目になった。お蔭で二人に渡した方には、しっかりと最新の地図が追加されている。流石、あの探偵の居る興信所で事務員を務めているだけあって、準備に余念がない。
 それぞれの大まかな行動予定と、携帯電話での連絡方法を確認したのち、三人は一旦駅前で別れた。

 住宅街の中にも、まばらに昔ながらの、といった風情な商店が存在する。
 和馬は墓地に向かいつつ、それら一軒一軒の店先の様子を見遣った。ほとんどが家族経営であろう、どこか郷愁を感じさせる佇まいは、なかなかに味わい深い。
 と、優れた嗅覚が、僅かな特有の甘い香りを感じ取る。
 目当ての店を遠くに見つけて、和馬はひとつ息をつくと、その大きな体を揺すって歩を進めた。


●二、調査

 店の前に立つと、気配に店の奥から若い女性の顔が覗く。
 反射的に笑みを返したが、相手の反応からしてあまり好意的には受け取られなかったようだ。
「いらっしゃいませ、どういった花をお探しでしょうか」
 それでも相手が客と分かると、表情をがらりと営業スマイルのそれに変えて出てくる。藍色のエプロンの胸元には『フラワーショップ リリィ・どりぃむ』のロゴ。
 和馬は石に供える花を持っていこうと、花屋を探していたのだった。
「墓に供える花を貰いたいんだが」
「お墓ですか? ご葬儀ではなくて」
 ちらりと店員は和馬の黒スーツに視線を送る。
「間違いなく墓に、だ」
「お花の種類はどうしますか?」
「任せる。俺はこーいうのには詳しくないんでな」
「はい、ではご予算の方は……」
 予算、と聞かれても相場が分からぬ。財布の中身を思い浮かべ、とりあえずその半分の値段を適当に言った。
 聞いた瞬間、目を見開いて、しかしさっきよりは格段にいい笑顔になったところを見ると、少々高めの金額だったのかもしれない。渡された花束はふたつ。どちらも「墓に供える花っぽい感じ」だとしか思わぬが、やけにボリュームがあるような気はした。
 去り際、
「墓地ってのはこの辺かい?」
「左にまっすぐ行けばT字路にぶつかります。そこを左に曲がってください、すぐですよ」
「寺の住職やら坊主やらは、今の時間居るかね」
「お寺に御用ですか?」
「まあ、挨拶にな」
「お寺、ありませんよ」
「は?」
「あそこの墓地は、二駅先のお寺の所有ですから。そこにはお寺自体はないです」
 和馬は寺に赴いて情報収集の予定を変更せざるを得なくなった。一応寺の大まかな所在を聞いておく。
「ありがとよ」
 片手を振って歩き出す。
 過ぎてゆく電車の騒音が、束の間住宅街に反響し、微かな振動を齎らした。
 ゆっくりとした歩みで町並みを眺め、暫く周辺を散策してみることにした。

 黒スーツに仏花、これで墓地に向かうとあっては案外似合いかもしれない。そういえば葬儀屋で働いたこともあっただろうか、どうだろう、と考えて、すぐに諦めた。多分あった、としか言えぬ。あまりにも長い時を渡り、数多の職をまた、渡り歩いてきた。就いたことのない職業の方がきっと少ないだろう。
 ぐるりと周辺を歩いてはみたが、代わり映えのしない似たような住宅が並ぶのみで、大したものは見つけられなかった。日は暮れ始め、辺りは朱の光に満たされる。改めて墓地を目指す。
 前方にT字路らしい分かれ道を見つけ、すぐその先に線香の香り。墓地。何気なく通り過ぎようとして、和馬は其れに気付いた。
 ちょうどT字路の突き当たり、不自然な跡がある。
 正面の家の塀が、一部分だけ新しく――といっても、一年以内、という新しさではない。それなりには古いだろうが、そこだけ壁の色が変色し、塗り直されていると分かる。塀の下の地面には、そちらにもやはり同じような跡がみえた。
 場所柄、交通事故の跡だとは思うのだが、和馬が感じたのはそれだけではなかった。
 通常起こり得ない、力の痕跡。
 呪術か、それに近いものであろう。
 術を使って視てみようかと、辺りの気配を探ってみる。
 と。
(なんだ?)
 墓地の方向。
 不可思議な力が働いていると容易に知れる。
 思うより早く体は動き、すぐさま墓地の敷地に踏み込んで、その右手の奥に変異の正体を突き止めた。
(ありゃあ、確か森之介とかいう)
 駆け付けてみれば森之介は、石に手を添え何やら苦悶の表情を浮かべている。
「おい!」
 その肩を強く掴み、和馬は森之介を現へと引き戻し、
「大丈夫か?」
 見上げてくる視線に、無事を確かめる。
 森之介は惚けたように暫く視線を彷徨わせていたが、それもすぐに呼吸とともに正常を取り戻したようだった。心得はあるのだろう。
 和馬はその時、初めて石と対面した。
 石は夕日の色を纏い、半面に昏い闇を忍ばせて、其処に在った。


●三、花喰

 風に、辺りの僅かな木々は、乾いた音を立てて葉を落とす。
 日は暮れ、夜に。
 しかし代わって天に昇る月は、思いの外明るい。不揃いな墓標に刻まれる、死者の名前を読み取るのでさえ、容易なほどである。
「花が石に吸い込まれたっていうと、ビジュアル的には美しいがね」
 和馬は萎れかかった花束を、とん、と肩に担ぎ、石の前に立った。
 その下では、シュラインが花入れに溜まった雨水を捨て、軽く容器を拭う。和馬に渡された花を幾つかの束に分け、それぞれに活けた。
「随分と量が多いのね。それに高そうな花ばかり」
「適当な値段で作ってもらったら、こうなったんだよ」
 なんとかすべての花を収めたが、森之介の汲んできた水は通常の半分ほども入らなかった。やはり少し多かったようだ。
「花を吸い込もうとしたら、花入れから抜けなくて吸い込めない……なんてことにはなりませんよね」
「……それはそれで、興味深い調査結果が取れそうだがな」
 三人は、宵の中の石を眺めた。

 日没とともにこの墓地に再び集合し、今に至る。
 それぞれの調査の末、石自体について明確なことは分かっていない。けれど、恐らく。
「道祖神、か」
 シュラインの話に、和馬はついと墓地の入口を振り返った。
 視線の先、壁の向こう側には、T字路がある。
 和馬もそこで、『何か』を感じ取っていた。
「俺も言われて見てきましたけど、間違いないと思います」
 感応能力に優れる森之介の同意に、石の正体はほぼ間違いなく、嘗てT字路に置かれていた石像とされた。
 主に分かれ道や村の境に、標として置かれる神、道祖神である。
「でも、道祖神って何かしらを掘り込んであるものじゃないかしら。文字や、仏像なんかを」
 昼間に石を観察した森之介も、日が落ちてから調査した和馬もシュラインも、特に変わった様子は石からは感じられなかった。
 無論、外部からは、である。
 『内側』を調査した森之介が視たのは、映像だった。
 今日のような、明るい月夜。幽かに照らし出された風景は、若干異なるものの、あのT字路の場所だった。角度の具合からして、突き当りの塀の、恐らくはその下であろう。僅か見上げるような視線の位置だった。
 そして、突如近付いてくる鋭く強い光に、目は眩みこそしなかったが――。
「映像は、そこまでだったんです。それが繰り返し」
 軽く息をついて、自分が視た事柄を話し、森之介は視線を石に遣る。
 先ほどから意識は石に向けられているが、今のところ何も感じられない。
「シュライン、石が花を吸い込んだっていう時間は具体的に分かったか?」
「まちまちね。午後七時の時もあったし、深夜二時に見たという人も居たわ」
 和馬は舌打ちして、墓地の塀に寄りかかった。
「……そんな時間に、お墓で何してたんですか、その人」
 至極当然の疑問だ。
「その時には既に噂になっていたらしいわね。夏の夜の風物詩といえば?」
 なるほど、肝試しでわざわざ丑三つ時に墓地を訪れたところ、ある意味「本物」に出くわしてしまったということだろう。
 あの、と暫くの逡巡ののち、森之介は問いを口にした。
「この現象、抑えなくちゃいけないんですか?」
 和馬とシュラインは顔を見合わせ、そして再び森之介を見た。
「……さて、どうするかね」
「特に害はないのよね、今のところは」
 怪現象ではあるが、それは害のないものである。
 昨今、この程度の現象は大して重要視されない。それほどに、ここ東京では日夜不可思議な現象が起こり、目撃され、時には人の命をも奪っている。今回の現象に関して言うならば、放っておいても問題はなさそうなものである。
 第一、そもそも乙木からの依頼には、明確な指示はなされていなかったのだ。
「……俺の能力は、あくまで感応能力なんですよ」
 森之介はゆっくりと言葉を選ぶ。
「過去視は出来ない筈だと……思うんです」
 森之介が石の『内側』に見た映像は、明らかに過去の出来事だった。
 実際にT字路を見て、確信した。あの眩い光が車のヘッドライトだったとすると、推測は容易い。

 過去に、あのT字路で交通事故があった。
 その際、T字路の突き当たりに置かれていた石像が、恐らくは破壊ないし破損し、ともかくその場所から離された。

「それに俺、感じたんです。――痛みを」
 石に視た映像が過去視でないとするならば。
 物に感じる筈のない痛みを感じたということは。
「! おい」
 和馬の声に、刹那外していた視線を戻す。

 それは、音もなく。光もなく。
 自然の流れのように思えた。
 花の一本が、すい、と引き寄せられるように花入れから抜ける。
 そして、石に溶け込むようにして、消えた。
 花が石に、吸い込まれた。

 ――華食む石。


●四、墨染

「なにか感じるか」
 問いに、森之介は集中し、石を『視た』。
「……少しだけ、石の下の方に」
 熱を帯びたような幽かな光が、石の下部に内包されている。視覚では認識できぬその光は、とても優しいものに感じられた。
 その間にも石は、一本、あるいは数本の花を一度に、その内に取り込んでいる。
 唯、静々と。
「下か。調べてみるか?」
「触っても大丈夫かしら」
「少しの怪我なら平気なんだが」
「少しの怪我で済めばいいけれどね」
 こうして見ている分には良いが、触れたところで何も起こらないとは限らない。念のため、すぐに石に触れることは避けた。
 二人の傍ら、森之介は一歩、石に近付く。
「俺が石から感じたのは、車に追突される時の、驚きとか、恐怖とか、痛みとか、そういったものだったんです」
 それって、ただの石――物なら、感じないものですよね、と。
 視線は石に注がれた儘。それでも現象は止まず。
 儀式とも違う、あまりにも自然な行為。
「石になにか、別のものが憑いてるってことか?」
「分かりません」
「あるいは、石、それ自体が感情を持っているってことも考えられるかな。……石に話を聞ければ、一番早いんでしょうけれど」
 僅か苦笑して、シュラインは青の双眸を細めた。
「それで、森之介くんは何をしようとしているのかしら?」
「……出来るかどうかは分からないけど、この現象を、鎮めたいなって」
 違う、と。森之介は声ではない声を聞いたのだ。
 この石に。

 ――これは、『私』ではなく、

 それは、どういうことなのか。
 何故、花をその身に取り込み続けるのか。
「具体的に何を?」
 森之介はひとつ、大きく呼吸した。
 夜気は研ぎ澄まされている。
「舞を」
 囁くように。
 けれどよく通るその声音に、言葉は拡散せず薄闇に響いた。
 装束も、面も、扇もない。
 足場すら覚束ぬ。
 それでも。
「今も続いているのが、哀しみかもしれないのなら……俺、舞うよ」
 伏せられた目線に決意を窺わせる強い光を宿し、森之介はそろりと型を取った。既に所作は、体が覚えている。
 激しい動きを伴わずとも、吐息にも似た静かな仕種に、そっと、心ひとつ、乗せて。
 森之介は、舞った。 

  深草の野辺の桜し心あらば この春ばかり墨染に咲け

 追悼に、詠まれた歌と聞く。
 桜にさえ、死を悼み、喪の墨染色に咲いてくれと詠んだ男の許へ、「この春ばかり」ではなく、「この春よりは」と詠むことを、願う桜の精である。

  深草の野辺の桜し心あらば 此春より墨染に咲け

 霞も雲も明けゆくというのならば。
 その真意すら知れぬ眼前の石にも、なにかが通じてくれぬだろうか。
 森之介は祈るような気持ちを、己の裡のみに留め置き、舞を締め括った。


●五、七星

「……あ」
 森之介は舞い終えて一息吐き、はっと振り向いて、背後に佇む和馬とシュラインを思い出す。
 ええと、と照れたように笑って、二人の視線が、自分を通り越していることに気付き、再び――石を見た。

 石は、花を取り込むことを止めていた。

「俺の舞、届いたのかな」
 呟きに、和馬は「さあな」と腕を組み、
「お前さんが舞っている間に、段々吸い込むスピードが落ちたと思ったら、この通り、終わる頃には完全に止まっちまった」
 シュラインは取り出したペンライトで、石の表面を具に観察する。初めて見た時と変わらぬ、変哲のない、大きな石だ。
「どうだ? 触っても突然腕が吹っ飛ばされる様子もねぇか?」
「色にも、温度にも変化はなさそうね。……森之介くん、『内側』も問題ないかしら?」
「……さっきより弱まってますけど、やっぱり下の方にぼんやり光が視えます」
 和馬は手近にあった細い木枝をひとつ折ると、ぽいっと石に向かって投げた。
 小枝は石に当たると、ぱしりと小さく音を立てたものの、何事もなく重力に従い、石の表面を滑って地面へと到達する。
 視線で二人に了解を取り、和馬はまず、右の人差し指で石へ触れた。問題ない。続いて掌全体で触れ、石を押し遣るように力を籠める。ひんやりとした特有の冷たさが伝わるのみで、やはり変わったところはなかった。
 そのまま石の下へ両手を差し入れ、持ち上げようとする。
「俺も手伝いましょうか?」
「このくらいなら問題ねぇよ。一人で充分だ」
 一抱えもある、岩にも近い大きさを持つ石は、しかし和馬の軽い掛け声とともに、ごと、と見合った重量音を僅か響かせて、反された。
 不安定な土の地面の上に、やはり不安定な形状の石はぐらりぐらりと揺れを繰り返したのち、安定する。和馬は底面に付着していた土を荒々しく落とした。湿り気を多分に含んだ土は容易に纏わり付く。
 ご苦労様、と声を掛け、シュラインは早速石の調査を再開する。土を払おうと石へ手を伸ばしたところへ、
「ストーップ。待て、シュライン」
 振り向くシュラインへ、ニ、と口の端だけで笑んでみせ、森之介へは
「お前、もう一回水汲んで来い」
 と、顎で墓地の入口方向を示した。
 森之介は軽い返事とともに、桶を手に水場へ駆けて行く。
「手が汚れることぐらい、構わなかったのに」
「女に汚れ仕事をさせちゃあ、俺のポリシーに反するんでね」
 女性には優しく、野郎には厳しく。
 それが藍原和馬のモットーである。
 水で浚って、すっかり付着した土を落としきった石に、改めてペンライトの丸い光が当てられる。
 やはり、剥がれたように石の欠如した部分が現れた。
 そして。
「これって……」
 光が、その線を追う。
 小さな円が線上に幾つか並び、一部分は破損した部分に係っていたようだが、残りの五つの並び方に、法則性をすぐさま見出した。
「北斗七星、よね?」
 石像の表面には、七つの星が刻まれていた。
「道祖神ってのは、こーいうもんも彫るもんなのか?」
 即答を避け、思案の表情のシュラインの横で、森之介は両手を石に添える。
 半眼に、視界を対応させるは『内側』。
 再びの。
 森之介の集中を邪魔せぬよう、和馬とシュラインは動向を見守る。
 雲が月に懸かり、刹那地上に更なる闇を落としていった。
 森之介が、軽く息を呑む。
 『声』は、一言。


●六、転成

「……それで?」
 沈黙を破ったのは、シュラインの凛とした声である。
 うーん、とさっきから何度もその感覚を思い出している森之介は、「やっぱり、それだけです」と申し訳なさそうに微かな苦笑を向ける。

 ――『私』は転ず。

 森之介が再び石に聞いた声は、それだけだった。
 同時に感じたのは、先程とは全く違う――満たされたような心地であったと云う。
「転ず……石を反したことを言っているのかしら。それが、石にとって何らかの意味を持っていたと?」
 目紛しい速さでシュラインは考えを巡らせる。
 水場へ手を洗いに行っていた和馬が戻ると、
「セキカントウって知ってる?」
 足元に転がる石像の、現時点で一番相応しいと思われる名を尋ねた。
「セキ……?」
 石敢当。
「またはイシカントウとも。中国に伝わる魔除けの石。日本では九州、沖縄に多く見られる」
「詳しいな」
 すらすらと説明を口にするシュラインは、ちらりと視線を遣り、「事前の情報収集のお蔭で、今は石材店でも働けそうな知識量よ」と笑ってみせた。流石、あの探偵の(後略)。
「引っ繰り返っていた石。反されて、元の正常な位置に。それによって『私』は転ず。それは良い、こと……?」
 シュラインは纏めようと、今までの現象から読み取れたことを次々と頭の中で繋げてゆく。
「……『逆』ってこと、かしら」

 目的とは違った場所に、違った形で置かれた石像。
 それによって、石は本来の役目を失った。
 石の本質は、花を吸い込むことではない。

 ――……違う。
 ――これは、『私』ではなく、

 そして、石は元に戻された。

 ――『私』は転ず。

 上は下へ、下は上へ。
 内は外へ、外は内へ。

 石の役目は、決してその身に「取り込んで」、「食らう」ことではなかった。
 悪鬼を「退け」、魔を「祓い」、災厄を「防ぐ」。

 すべては、逆、だったのだ。

 *

 音もなく吹く風に、遠くに近くに聞こえる電車や車の騒音が、やけに大きくこの町には響く。
 水桶を所定の位置に戻し、森之介は二人を振り返った。強くなる一方の寒さに、両手をコートのポケットに突っ込む。
「ひとつだけ、分からんね」
 和馬。
「なぜ、吸い込んでいたのが花だけかってこと?」
 シュライン。
 おう、と頷いて、和馬は闇に沈む墓地を眺める。
 雲が多くなってきた。月は墨染色の簾に隠されて、ぐっと輝きを心細くしている。
「……花が好きだった、じゃ駄目ですか?」
 零された森之介の呟きに、返答はない。
 言葉を継ぐ。
「石に感情があったのなら、それもありかなって」
 白い息。
 ふと、雲が途切れ、月明かりはまた、夜を照らし出した。


●終

 そのまま墓地で解散と相成ったが、二人が駅へ向けて帰路についたのに、和馬はひとり、残った。
 なんとなく、気になっていたのだ。
 墓地を進み、既に本日何度凝視したか知れぬ石に、また出会う。『内側』を視ていない和馬にとって、外見だけに限定して言うならば、夕暮れから全く変わりのない石であった。ただ、現在はその身を反し、並ぶ花入れの片方には、一本の白い小振りの花が残る。
 屈んで、躊躇いなく両腕でしっかりと石を包む。己の体の、“流れ”を意識し、爪先まで滞りなく漲るその流れに、力を加え、血の記憶を呼び覚ます。
 ざわり、と。
 奥底から生じ、一気に溢れそうになる力を、頃合に止めて腕に集中させた。
 そして、石を、今度は反すのではなく、持ち上げる。
 獣人の血を引く和馬には、造作もない。
 一応人の気配がないのを確かめて、石を墓地から運び出す。無論、運び先はあのT字路だ。
 いとも簡単に移動は完了し、平坦なコンクリートの上に石を乗せると、やはり安定が悪い。周囲を見回し、目に付いた墓地の枯れかけた枝を見繕って数本折る。二度目だ、「悪いな」と草木に心の中で詫びを入れる。石の下に、転がらぬように、なんとか枝を敷くことに成功した。
 息を吐き、見下ろしてみれば、五つの星が月明かりを受けて、在る。
 和馬は戻り、既に石のなくなった空間に立つ花入れから、最後の一本を抜き取って、今度こそ墓地を後にした。
「食い残しだ」
 石の許、はらり、落とす。
 白菊は、くるりとひとつ回転して、ひっそりと石に添うた。

 <了>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1533/藍原・和馬(あいはら・かずま)/男性/920歳/フリーター(何でも屋)】
【2235/大神・森之介(おおがみ・しんのすけ)/男性/19歳/大学生 能役者】

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■         ライター通信          ■
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初めまして、香守桐月(かがみ・きづき)と申します。
本依頼にご参加頂き、ありがとうございました。
初めての受注ということで、緊張しながらの執筆でしたが如何でしたでしょうか?
オープニング文章をもっと練るべきだったと反省……精進します(汗)
「一」の最後の部分と、「二」そして「終」は個別の物語となっております。

藍原・和馬様
初めまして、ご参加ありがとうございます。
すっかり力仕事担当になってしまってすみません(笑)
イメージを崩さずに描写出来ていたか、少々心配です。大丈夫でしたでしょうか。
少しでもお楽しみ頂けたなら、幸いです。

この度は本当にありがとうございました。
またお会い出来る機会がありましたら、宜しくお願い致します。