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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


終わらない星空の夢を

 外車などと言うものは大概周囲の視線を悪戯に集めてしまう。
 しかしイヴ・ソマリア(いヴ・そまりあ)の目にしたその車の場合、それだけではすまなかった。
 休日の街頭、地味を装った美女の目の前に滑り込んできたその車に、数人が悲鳴をあげている。口を開けたまま固まったもの、卒倒寸前のもの、様々だが単なる『外車』ではそんなことにはならないだろう。
 こんなものを街中で乗り回すものがいるのかという、羨望よりは呆れに近い心情である。まあ無理もないが。
 ポルシェ。一言でそう言ってもそれは例えばカローラだのマーチだの言うような商品名ではない。社名である。イヴの前にとまったその青い車は911シリーズGT2。現行生産車の中では最強モデル。値段はざっと2000万を下らない。都心から離れれば一戸建てが買えてしまうのだ。またこのメーカーの車は扱いがデリケートだ。修理にもまたとんでもなく金を食ってくれる。
 つまりまあ要するに日本のせせこましい道路事情にはかなりそぐわない車なのである。
 視線を集める動く一戸建て様のドアが開かれる。そこから覗いた顔に、イヴはきょとんと目を瞬かせた。
「ケーナズ?」
「乗りたまえ」
 助手席に身を乗り出してドアを開けた男は、指先で軽く眼鏡を眼鏡を下ろし悪戯っぽい眼差しでイブを見上げる。ケーナズ・ルクセンブルク(けーなず・るくせんぶるく)だ。
 イヴを収容した車は滑らかに発進した。それに幾人かがついに卒倒したがそんなことはイヴもそしてケーナズにも、知ったことではなかった。

 どうしたの?
 と聞いてくるイヴに、ケーナズは含み笑いを返すばかりで答えない。
 突然土日の予定を開けておけと連絡がきたと思ったらこの拉致にも等しい連れ去り劇である。イヴが不審に思うのも無理はないが、ケーナズはその不審をとりあえずは無視した。
 ハンドルを握る手も軽く、そのまま軽快に車を走らせていく。
 くすくすという笑い方がイヴを不安にもさせ、同時に期待もさせた。
 少なくともこの恋人はイヴの嫌がることはしない。若干の不安は残っても。
 なら下手に問い質すよりそのサプライズを楽しみにするべきだろう。

 そして当然の事ながらその期待は裏切られる事はなかったのだ。

 最早人目を気にしなくともよい箱根の山中で、地味を装った美女は本物の美女へと様変わりしていた。途中寄ったブティックでケーナズがイヴに買い与えた装備である。そうしたちょっとした変装が必要なのも芸能人と呼ばれる人種の難儀な所だが、そんなことをイヴは気にしてはいなかったし、ケーナズもまたさして煩わしくは思っていない。
 増して今この瞬間には。
「――……!」
 声もなくイヴは天を見上げた。
 冷気はさして感じない、感じるどころではないと言うのが正しい。
 満天という。その言葉の意味を始めて知った気がしていた。
 済んだ空気の中、冴え冴えと白い輝きを放つ。良く良く見れば星にはそれぞれ色があり、そしてその色は暗色の空に宝石よりも尚美しく輝く。
 声もなく星に見とれていたイヴが連れの――誘拐犯が正解かもしれないが――存在に気付いたのは、その誘拐犯が己のコートを広げてイヴの身体を包みこんだ時だった。
「冷えているな」
「……ケーナズ」
 身を包む暖機に、イヴは漸く自分が震えていた事に気付いた。それほどに夢中だったのだ。
「星が美しいのは分かるが、あまり私を忘れないで欲しいものだな?」
「星にまで焼きもちを焼くの?」
「知らなかったか? 男は自分の女神を見つければ誰でもこうなる」
 さらりと言ってのけたケーナズに、イヴはかすかに頬を染める。そうしてあっと思い出した。
 つい先日二人でプラネタリウムに赴いた。確かにその星空も美しくはあったが、上映が終わると同時に現実に引き戻された瞬間なんともつまらない気分にさせられたのだ互いに。
 自分が居た場所は幻想の世界ではなく街中で、そして同じ幻想を同じ箱の中で多くの人間が共有していたと知った時、感動は急速に薄れた。
 しかし今天に広がるイルミネーションは違う。
「――この為に、わざわざ?」
「やはり本物がいいだろう?」
 答えは間接的に成される。戸惑いながらも嬉しげに微笑むイヴの表情を楽しみながら、ケーナズは天を指差す。
「あそこに大きく星が見えるだろう?」
 恋人を腕の中に閉じ込めたまま、ケーナズは星の講釈を始めた。

 夢の一時はまだ終わらない。
 イヴが冷え切る前にその場を辞したケーナズはそのままイヴを予め予約しておいた旅館へと連れこんだ。ケーナズが乗りつけた車に、旅館のものもまた目を白黒させたがそれは本当に余談である。
 手の込んだ料理を食べ、そのまま各部屋に付いている家族風呂へと移動する。それもまた夜空が見える事が売りの露天風呂で、先日はあっさりと冷めてしまったイヴの夢はいまだ終わりにならない。
 小粒でありながら女性らしい肢体を湯に沈め、イヴは相変わらず夜空に夢中だ。先刻ケーナズからいくつかの星座の見分け方を教えられたのがそれに拍車をかけている。
 同じく湯に浸かりながらケーナズは苦笑する。こうまで喜ばれるのは嬉しいのだが、さっぱりと自分を忘れてしまっているのは少々予想外だ。
 ゆっくりと湯の中を進み、ケーナズはイヴの背後に忍び寄った。
「イヴ?」
「え?」
 突如として耳元で囁かれた声に、イヴは小さく声を上げる。同じほどにささやかな水音を立てて湯から伸びてきた男の手は、イヴの肩を滑りその二の腕をそっと掴み締める。
「ケーナズ?」
 問いかけはどこか甘い。
 ケーナズはその甘さに釣られるかのように開いた片手で女のうなじをかきあげ、白いその肌に唇を落とす。ビクリと跳ね上がるイヴの反応に、そのままケーナズは肩口にまで唇を滑らせた。
「……あ」
 イヴの声が甘さを増そうとしたその瞬間、ケーナズは動きを止める。
 続くであろう刺激を期待していたのか恐れていたのか。少なくとも覚悟はしていたイヴは不思議そうにケーナズを振り返った。
「どうしたの?」
 問いかけにケーナズは苦笑する。
「がっつくのは飢えた男のする事だろう?」
 それでもそっと湯に薄桃色に蒸気した体を抱き寄せ、ケーナズは囁く。イヴは笑った。
「飢えてないの?」
 挑発的なその言葉にケーナスは目を細めた。
「そうだな飢えているかな。君には常に」
 いって、ケーナズは今度はその唇に己のそれを重ねた。

 そして終わらない夢は濃密な夜を越えて、朝を迎えるまで続いたのだった。