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<東京怪談ノベル(シングル)>


美の報酬

 つい先日、偶然関わる事になった男がボディビルをやっていた。女性に興味はあれども結婚の文字に興味はない……、ボディビルに人生を捧げたような逞しい男だったが、その男の悩みを解決する為に、あげはは珍しくもスポーツジムなどと言う所に足を踏み入れた。
 そこに並んだ運動器具の数々……、汗の匂いと、健康的な雰囲気。
「やっぱり、運動は良いわね。私も身体を動かそうかしら」
 ……と、思っても不思議ではない。
 考えてみれば、もう随分運動らしい運動をしていない。19歳と言う若さで体を鈍らせてしまうのもどうか……、と思い、あげはは店の常連やら知り合いに会員を募集しているスポーツ関係の教室の資料を集めて貰った。
 結果、山と積まれたパンフレットを前に、あげはは少し悩んでいる。
「うーん……、こんなに沢山あると悩んでしまうわねぇ……」
 エアロビクスに水泳、柔道、ジャズダンス、ヨガにテニスにetc……、どれもやってみたいような気がして、なかなか一つに決まらない。
ヨガあたり、とても健康的な気がするのだが……、と言っても、パンフレットの中の一つ、柔道は除外しても良いだろう。既に二段であることだし。
「今更柔道の道場に通うというのも……ちょっとあれだし、水泳でも……」
 呟いて、あげははスイミングクラブのパンフレットを開く。
 時間と費用を考えると、一番都合が良いようだ。
 最後にプールに入ったのが何時なのか、もう思い出せないがその時泳げていた事は確かだ。今更沈む等と言う事もないだろう。
 エアロビクスやヨガを皆でわいわいやるのも良いが、1人コツコツメニューをこなす水泳の方が自分に向いているような気がしないでもない。
「うん、やっぱり水泳にしましょう……」
 健康的だし、ダイエットにもなるし、と言ってあげははパンフレットに折り込まれていた入会申込書にサインをした。


 大きく息を吐き出して、あげはは水から頭を出した。
「ぷはぁ!」
 ゴーグルを外し、手で軽く水滴を払う。それから、プール内に設置された時計を見た。
「あら、もうこんな時間なの……?」
 そんなに長く泳いでいたつもりはないのだが、気が付くと2時間が過ぎていた。
 途中に休憩を挟みながらのトレーニングメニューは既にこなし、少し遊んでいたつもりだったのだが。
「大変、早く帰ってあげなくちゃ……」
 愛犬の散歩の心配をしつつ、慌てて水から上がる。その体に纏うのは黒のシンプルなスポーツ水着。水泳を始めるにあたり、当然水着を買う所から始めたわけだが、花模様の派手な水着もどうかと思い、クラブ内で販売されていた水着とキャップ、ゴーグルをセットで購入した。
 更衣室げ向かいながら、あげはは夕飯のメニューを考える。
「少し遅くなってしまったから、簡単に済ませなくちゃね……ええと、厚揚げと蒟蒻があったから……」
 ネギを買って帰って……と、手早くシャワーを済ませ、タオルで水滴を拭いながら更衣室へ入ると、何やら騒がしい。
「あの、どうかしたのですか?」
 隣のロッカーを使っている女性に声を掛けると、
「あなた、すぐにロッカーの中を調べた方が良いわよ」と、返事。
「え?私のロッカーですか?」
 言われるままにあげははロッカーの鍵を開ける。そこに、きとんと折り畳まれた衣類とバッグ。
「バッグの中よ。お財布。また盗難があったみたいなの」
 言いながら、女はあげはのロッカーを覗き込んできた。
「まぁ、盗難ですか?物騒ですね……」
 あげはは素直にバッグの中を見て、そこに財布がある事を確認する。そっと中を覗くと、入れてあったお金も無事だった。
 ……確かに、普段更衣室は人気が少ない。一応各ロッカーに鍵は付いているが、全員クラブ生と言う安堵感もあってか、時折鍵をかけない者もいるし、鍵を開けたままトイレや化粧室に行ってしまう者もいる。
「……そう言えば今、『また』と仰いました?」
 バッグをロッカーに戻しながらあげはは尋ねた。
「そう、『また』なのよ。一昨日にもあったばかりなのよ……。この2日間警察が来たりして、結構大変だったみたいなのに、まただもの。物騒よねぇ。おちおち泳いでもいられないわ。あなたも気を付けた方が良いわよ」
 溜息を付く女性に、あげはも頷く。
「本当に。でも、被害に遭った方もお気の毒に……」
 女性専用の更衣室だ。となると、当然犯人も女性……、クラブ生なのかスタッフなのか、と考えて、あげははふと、「私の能力で探せるかも……」と思う。
 と言っても、自分の持つ能力を人に説明するのは一苦労だ。説明出来たとしても、信じて貰えるかどうか分からない。
 それどころか、下手に関わっては自分の身が危険になるかも知れないし、もしかしたら、共犯と疑われてしまうかも知れない。
「……でも……」
 暫く迷ってから、あげはは女性に盗難のあったロッカーを聞き出した。
 このまま盗難事件が続けばこのスイミングクラブの信用に関わるし、犯人の罪も重くなって行く。そして、折角入会したのに、気持ちよく運動に励む事が出来ない。
 自分の能力で犯人が特定出来るものか、出来たとして、それをどうすれば良いのか検討もつかないが、何もせずにいるよりは恐らくマシに違いない。あげはは大急ぎで着替えを済ませ、バッグから愛用のデジカメを取り出した。


 盗難騒ぎで少しぴりぴりした空気の漂う更衣室で、何か少しでも妙な事をするとイヤでも目立ってしまう。
 あげははざっとロビーとプール内を見回し、現在建物内にいる女性クラブ生を数えてみた。
 プールで泳いでいるのが3人、ロビーで喋っているのが5人、そして、更衣室にいるのが2人。プールの3人の内の1人は、ついさっきあげはと喋った女性で、たった今中に入ったばかり。これからメニューをこなす事を考えれば、少なくとも1時間半から2時間は更衣室に戻って来ないであろう。あとの2人も、あげはより2時間程遅れてやって来たはずだ。ロビーの5人は既にメニューを終え、手には荷物を持っている。お喋りが終われば帰るだろう。そして残る更衣室の2人……、自分と、もう1人は今、水着に着替えたばかりの女性。
 この女性がプールに入ってしまえば、当分この更衣室に入ってくる者はいないだろう。……運良く、次のクラブ生がやって来なければ。
 あげはは女性がプールに向かうのを確認して、極自然な動作で1件目の盗難があったロッカーの前に立った。
「このロッカーね」
 番号を確かめて、あげははじっとその扉を見る。
 使っていたのは50代半ばの女性で、財布から5万円を抜き取られたらしい。外してあったアクセサリー類(ダイヤやサファイアのゴロゴロついた高級だが趣味の悪い物だそうだ)は触れられていなかった。
「本物の宝石なら、質屋でお金に出来たでしょうけれど……、偽物だったのかしら、それとも、現金が必要だったのかしら……」
 呟いて、あげははデジカメを構える。
 一昨日、このロッカーに触れた人は一体誰。中からお金を盗み出した人は?誰が、何故そんな事を……?
 デジカメに、過ぎ去った時間に、ロッカーに語り掛けるように念じて、あげははシャッターを押した。
 モニターに映像が映し出されたが、確認は後に回して2件目の盗難があったロッカーの前へ移動。
「2件目は、現金2万円……、」
 こちらも、外してあったアクセサリーは無事だったそうだ。因みに、被害者は20代のOLだ。
「2件合わせて7万円の被害なのね……、でも、一体どうして盗もうなんて思ったのかしら……?そんなにお金が費用だったのかしら?」
 例えどんな理由があっても犯罪である事に変わりはないのだが。
 2件目の盗難騒ぎがあった時間、あげはは気持ちよくメニューをこなしていた。温かい水の抵抗をはね返し、しぶきの音を聞いていた。折角の気持ちよさも、盗難などと言う話しを聞くと吹き飛んでしまった。
「犯人は、泳いだ後に盗んだのかしら……?」
 そんな事を呟きながら、あげはは再びデジカメを構える。
 犯人が写るようにと念じながら、シャッターを押す。電子音とフラッシュ音が僅かの時間差で静かな更衣室に響く。
「さぁ、どうかしらね……」
 デジカメと荷物を持って、あげははロビーに移動した。
 ソファに腰掛けて、じっくりと考えながら写真を見てみるつもりだ。


 あげはが取った写真は4枚。
「あらまぁ……、」
 予想以上に決定的な瞬間が、その4枚にはきっちりと納められていた。
 1件目のロッカーの前に立って、バッグから財布を取り出している女性。それから、その財布から現金を抜き出している瞬間。
 2件目のロッカーの前で、現金を自分の服のポケットに仕舞っている女性。そして、何喰わぬ顔であげはと話しをする様子。
「まさか……」
 物騒ねぇ、あなたも気を付けた方が良いわよと言った、あの女性本人がそこに写っている。
「いくら人は見かけによらないと言ってもねぇ……」
 まさか、盗んだ張本人が平気な顔で「物騒ね」などと言うとは……。
 盗みなど、しそうにない女性だ。
 あげはより少し背が高く、すらりとしていて綺麗だ。同じクラブ内の水着を着ていても、あちらの方が様になる。化粧は少し濃いようだが、顔つきは穏やかで優しそうな雰囲気。普段身につけている洋服やアクセサリーも趣味が良い。
 そんな女性が、どうして人のお金を盗んだりするのだろう。
「……困ったわねぇ」
 呟いて、あげははデジカメをバッグに仕舞う。
 この写真を警察に見せれば、あの女性は確実に逮捕されるだろう。しかし、どうやって写真を撮ったのか、女性が盗みをしている現場を見ながら止めることもせず暢気に写真など撮ったのか、とあげはが警察に話しを聞かれるハメになっても、困る。
 念写しました、と言ってそれが信じて貰えるだろうか?あげはの持つ能力についての説明にどれ程時間が掛かるだろう?時間をかけて説明したところで、それが認めて貰えるだろうか……?
 溜息を付いて、あげはは時計を見る。
 あの女性がプールに入って、1時間。
「仕方がないわ……、いざとなったら、柔道の心得だってあるんだもの……」
 どうにかなる、と自分に言い聞かせて、あげはは荷物を持って更衣室に戻る。
 説得して、自首を促してみるつもりだ。


 どう話しを切り出したものか……と考えている内に時間が過ぎ、あの女性が濡れた体を拭いながら戻ってきた。
 あげははぎこちなく笑いかける。
「あら、あなたまだいたの?」
 自分が犯人であると、あげはが気付いているなどと思いもよらない女性は自然にあげはに笑い返す。
「……、あの、私少しお話があって……」
 首を傾げる女性に、思い切ってあげはは切り出す。
「私、見たんです……」
「え?何を?」
「あの……、信じて貰えないかも知れませんが、私、盗難の犯人を……」
「いやぁね、冗談はよしてよ。そんな事、私に言ってどうするの?警察に言わなくちゃ……」
 僅かに、女性の笑みが引きつった。
「そうなんですけれど……、迷ってしまって……」
 怪訝な顔をする女性に、あげははゆっくりと告げる。
「あの、あなたが犯人だなんて……」
 途端に、女性の顔から笑みが消えた。
「やめてよ、そんな事、例え冗談だって許されないわよ?どこに証拠があるの?」
 やはりそうきたか、と溜息をついてあげははデジカメを取り出す。そこに写った写真を、女性に示す。
「……どうして……、待って、あなた、いなかったわよ?私、確認したもの。ちゃんと、人がいないかどうか……」
 説明しなければならないのだろうか、自分の能力を。もし、信じなければでっち上げだとか合成だとか、言い逃れが出来るのだが……。
「でも、私、見たんです……。あなたが、取るところを」
 写真についての説明は省いて、あげはは言い張る。
「……信じられないわ……、でも、写真が何よりの証拠よね?」
「は、はい」
 ゆっくりと首を振って、女性は近くの椅子に腰を下ろす。そして、自分のハンドバッグから1枚の写真を取り出した。
「それ、昔の私なの」
 あげはが受け取ったのは、目の前の女性とは似ても似つかない太ったどちらかと言えば、器量の良くない女性の写真。
「整形したの、私」
 溜息を付いて、女性は語り始めた。
 惨めだった自分の生活。整形で生まれ変わった今の自分。お金で作り上げた、美しい自分。
「とんでもない金額よ。安月給のOLにはとても支払えない……、でも私、どうしても綺麗になりたかったの……」
 借金に借金を重ねての手術。給料はローンの返済に消えてゆき、日々の生活は苦しくなるばかり。
 それでも、もっともっともっと綺麗になりたいと言う願望が心の底から沸き上がってくるのだと言う。鼻をあと少し高くして、瞼も二重に。豊胸して、エステにも通って……。
「今のままでも、十分綺麗だと思いますけど……?」
 あげはの言葉に、女性は首を振る。
 どんなに綺麗だと褒められても、男性に言い寄られても、女性に嫉妬されても、足りない。もっともっと美しくなりたいと言う気持が、押さえられない。美しくならなくてはいけない、と思うのだと。
「でも……、盗んだお金で、本当に美しくなれると思いますか?」
 外見がどんなに美しくなっても、心が醜くなっているのではないだろうか。そう思っても、流石に口には出さないあげは。
「自首して頂けませんか?」
 あげはの言葉に、女性は素直に頷いた。
 見付かったら自首しよう、とは思っていたのだそうだ。
「見ていたのがあなたで良かったわ……、不思議ね。私、悪い事をしたのにあなたに責められたんじゃなくて、慰められたような気がする……、優しい印象があるからかしら?」
 あげはは答えずに、少し微笑んでみせた。
「さよなら」
 女性は言って、ロビーへ向かった。
 数分後、ロビーが騒がしくなり誰かが『盗難の犯人が見付かったって!』と言う声が聞こえてきた。
「………………」
 あげはは無言でロビーを見る。女性が、スタッフに連れられて玄関を出るのが見えた。
 それを見送って、あげははデジカメの写真を消去する。もう、必要ないから。
「さぁ、帰らなくちゃ!」
 自分を励ますようにわざと大きな声で言って、あげははバッグを肩に掛けた。



end