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<東京怪談ノベル(シングル)>


恋人は空の白

 私は日光が嫌いだ。そんな自分を吸血鬼のようだと揶揄してみても、それは人魚であった頃の名残ゆえ仕方がない。
(本当は)
 お金さえかければ、治せるものなのかもしれない。けれどそれをしてしまうと人魚であった自分の過去がすべて消えてしまう気がして……私はそんな自分を楽しむ方を選んだ。
(天気のいい日は、外に出なければいい)
 ある意味簡単なことだ。
 外にさえ出なければ、強い光も高い気温もない。屋敷の中は”快適”の一言だから。
(しかし私だって)
 外に出たいと思うこともある。そんな時は曇りの日を選んで――お相手は空に浮かぶ雲。デートは流れに任せて、行き着く場所へ行こう。



 庭の小さな池に映る、流れる雲を眺めていた。そうして初めて空を目にした時のことを、思い出す。
 人魚は基本的に水中出産であり、物心がつくまではずっと水中で過ごす。水面に顔を出すだけで対人間の様々な危険が訪れるし、まだ肺呼吸をするには早いからだ。
 そんなわけで私も、しばらくは空の高さも海の広さも知らずに育った。
(海の広さ――)
 海に住んでいた私なら知っているだろうと言う人もいるかもしれないが、住んでいるからこそ客観的に見たことがなかったのだ。
 たとえば今、私たちは陸上で生活しているが、多くの人は自らの生活圏内で活動していて、それがどのくらい広いかなど大して意識していないだろう。
 しかし飛行機に乗って空からその場所を眺めればどうだ?
(客観的に見て、初めて理解する)
 だから私が水面に顔を出した時、空を見上げた瞬間よりも感動したものだ。
「ああ、なんてことだ……」
 世界は2種類の青からできていることを、これまで知らずに生きていたなんて。
 広がる青い絨毯の下で泳ぎ、この高い空を支えていた。
 それはとても衝撃的なことだった。
(今でこそ)
 私は雲が流れていることを知っている。けれどその時私は流れる白を見て、空が動いているのだと思っていた。その動く空を支えるために、海が存在しているのだと。
(空が動く)
 そのことには何の疑問も持たなかった。
 何故なら海も、動いていたから。
 世界の躍動を感じて、その日私は眠れなかったのを憶えている。
(ずいぶんと、初々しい思い出ですね……)
 その頃の幼い思考を思い出して、自然と笑みが込み上げてくる。
 今の私には初々しさの欠片もない。700年も生きていれば当然なのかもしれないし、それが悪いことであるのかどうかもわからない。何故ならそうでなければ、ここまでなれなかったかもしれないからだ。
(ただ――)
「――ご主人様? どうなさったんですか、池なんか見つめて……」
 声をかけられて、後ろを振り返る。使用人の1人がモップを持ったままそこに立っていた。
「いえ、ね。散歩の途中で昔のことを思い出していたのですよ。それよりキミこそ、どうしたんです?」
 モップは室内で使う物であって、屋外で使う物ではない。すると使用人は小さく舌を出して。
「廊下をモップ掛けしていたら、庭にご主人様がいるのが見えたから、何をしてるのかなーと思いまして」
「また余所見しながらやっていたわけですか」
「ごめんなさーいっ」
 この使用人、よく気がつくいい娘なのだが、その”気がつく”までの過程でよく失敗をするのだ。たとえば余所見をしながらモップ掛けなんていつものことで、余所見をしているおかげで壁や窓の汚れに気づくのはいいのだが、置いてある壺などに柄をぶつけて落としたりする。
 それでも私が彼女をクビにしないのは、彼女の明るさが気に入っているからである。
(光が苦手なら)
 せめて明るい人物を傍におきたい。無邪気なままの、遠い昔を。
「――キミの空は、まだ動いている?」
 そう信じていた頃の瞳を彼女の中に見つけて、私は問い掛けてみた。彼女は一瞬きょとんとした顔を見せたが、すぐに笑って。
「もっちろんです! わたしの空はぐるぐ〜る回ってますよー」
「ま、回ってるの?」
「そう、わたしを中心に!」
 つまり彼女は、世界は自分を中心に回っているのだと豪語したのだ。
「あっ、訊いておいて何笑ってるんですかー?!」
「すみません、あまりにも予想以上の答えだったので」
 確かに動き続けている。
(彼女の中では)
 未だ雲ではなく、空が動いているのだ。
 世界が、生きている彼女を見守っている。
(躍動しているのは)
 世界ではなく彼女。
(私もこんなふうに、生きられたらいいですね)
 既に7世紀以上も生きておいて、私はそんなことを考えた。
(まだまだ)
 これからなのだと。
「――ところでご主人様?」
「え?」
 突然振ってきた使用人の、顔を見返した。
「一緒にお出かけする恋人なんか、いらっしゃらないんですか?」
 曇りの日には独りで散歩する私を、ずっと不思議に思っていたのだろう。
 私はにこりと笑って。
「恋人なら、いつも私を待っていてくれていますよ」
「え?! ど、どこでですかっ?」
 私は指差した。
 私を外の世界へといざなってくれる、空の白を。





(終)