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ドミノ
痛む身体を引きずって、今日も街路を駆け抜ける。
ゼファー・タウィルはウインドブレーカーのフードとサングラスでひた隠し、今日も日課のランニングをしていた。
駆け抜ける度に冷たさをはらんだ風が頬にあたり、前日の試合で滅多打ちにされたキズに染みる。
更に嫌なことは拳にも蹴られた太腿にさえもその痛みが襲うことだ。
いつもにこにこ、リングを降りれば穏やかなゼファーでも、その痛みは彼の表情を――もとい彼自身を不機嫌にさせた。
(畜生、あの対戦相手の野郎、人の事サンドバッグの如くめたくそにしやがって……)
何処にぶつけていいのかわからない怒りがゼファーの中に再び、ふつふつと湧き上がる。
次回、そう次回こそは!
(見てやがれ、逆に貴様をぐっちょんぐっちょんのけっちょんけっちょんにしてやる!)
ぐっと握りこぶしを作りながら、不意に視線をとある方向へ向ける。
すると。
自分と同じ白皮症の子供が公園で苛められていた。
白く映える白銀の髪、紅いウサギのような瞳にそれと相応するような真っ白な――黄身がかった白ではない澄んだ白い肌。
それだけで苛めの理由になってしまう。
『自分』たちと違う――という事が何か劣等意識ないし優越意識に拍車をかけるからだ。
――かと言って『同じ』人間など居るわけもないことも事実だが。
だが、それらの方向に向かう事もせず、ゼファーはちらりと横目で見るだけに留めた。
子供の、泣く声が耳にやたらと絡みつく。
数回、ゼファーは首を振る、迷い振り切るように。何かを砕くように。
(苛められる方が悪いのさ……それに、キズが痛むし……)
そうだ、それに殴られたこの顔を見られたらこちらまで「化け物」扱いだ。
昨日の事だけで充分に嫌な気持ちを味わった、なのにこれ以上嫌な思いをすることも無い。
走り抜ける。
子供の――泣く声は、もう聞こえることは無かった。
+++
公園から、やや離れた数キロ地点。
先ほどの子供の事もどうやら頭の隅に追いやることが出来たそんな時。
がしゃんっ――と、振り向かざるを得ないような音が後方で、した。
振り返ると。
ふうふう、息をはきながら重い荷物を持つ細身の女性が見え。
(ああ、あんな細い女性が大荷物を持てばな……)
納得、と心の中で拳を一つ作ると。
何事も無かったようにくるりと踵を返し。
再び走る。
とにかく走る。
誰が文句を言おうと――いや、実際には誰も文句を言わないだろうが…まあ、それは置いておいて、がむしゃらに、走る。
色々なことがぐるぐる回る。
万華鏡をまわした時のようにぐるぐる、ぐるぐる、形を変えてはゼファーの中へ何かを落としていく。
むしゃくしゃしてた。
不機嫌だった。
第一、傷が痛むし口を開くのも億劫だ。
――けど、ならば鍛錬なんて今日は休めばいいものを。
(いいや、休めばその分、身体はなまる……だから、なんだ)
だから、仕方ない。
そう、仕方――無いんだ。
手伝えないわけじゃない、ただ今日は出来ないだけ。
だから、出来る鍛錬だけをする……それだけの、事だ。
そして、いつも足腰の鍛錬のために渡る長い歩道橋をかけあがる。
歩道橋下、流れるように消えていく車の音だけが耳に届く。
まるで追い立てるように。
いいや――本当に追い立てられているのかも、しれない。
(……莫迦なことばっか考えてるよな、俺)
車にまでこんな事を考えてしまうあたり、どうしようもなくて苦笑が浮かぶ。
長い、長い歩道橋をどうにか渡り、さて下ろうかとした時、前方でよたよた歩く老人の姿が見えた。
長い歩道橋を渡りきって、ある程度疲れたのだろうか。
どこか所在無さ気で、気になった。
が、気になっただけで視線を元に戻そうとした、時。
(あれ……? あの爺さん……)
危ない!と思ったのが先なのか。
老人が階段を踏み外したのが先なのか。
ゼファーは、何を考える間もなく能力を使っていた。
自分以外の人物は全て止まる――時を止める、能力を。
(……人が、落ちるかもって言うのにどうしたって見て見ない振り、なんて出来ないだろ……!?)
誰に言い訳しているのか、ゼファーは老人の近くへ行くとその小さな身体をひょいと、持ち上げ――おぶる。
ほっと、一息をつく。
何かが出来た、事に対してなのだろうか。
この気分は少しだけ、ゼファーを良い気分にさせた。
+++
とん、と一段、ゼファーが階段を降りる。
全ての空間に色合いが戻り、止められていた――時が戻る。
「……おや? ワシはどうしていたのかね?」
背中越しに老人の声。
「ん? 爺さん、コケそうになって気ィ、失っちまったんだよ…で、俺がおぶってるわけ」
本来は能力を使い時を止めてから、おぶったのだが老人は納得したらしく、
「そうかい、親切にどうもな……あんたの様な、良い孫が居たらねえ……」
と、誰に呟くでもなく呟いた。
その言葉に、ゼファーは本日二度目になる苦笑する。
「俺はそんなにじいちゃんばあちゃんに孝行してないよ。何年か前にケンカしちまったきり、電話さえよこしてないんだから」
……そうだ、全くと言って良いほど良い事なんて一つもしなかった。
いつも不安にさせてばかりで迷惑をかけてばかりで。
あれだけ心配してもらえて、愛してもらえていたのに下らない口論でケンカになって。
それきり、だ。
気まずくて、今も電話さえかけられない。
だが老人は「そうかそうか」と繰り返しては背中越しで笑うばかり。
「……何がおかしいんだい、爺さん」
「いや、あんたは本当に良い人じゃと思ってな?」
「……だから、俺は……ッ!」
違うんだ、そうじゃない。
良い人なんかじゃなくて、俺は絶対に。
言いたいのに言えない言葉はそのまま、石のように重く心の中へ置かれる。
なのに。
「あんたが自分自身を、どう思ってらっしゃるかは知らんよ。だがね――悪人は何も気にしないものなんじゃよ」
「――は?」
「だから、あんたは良い人なんだ。気になって仕方がないことがあるんじゃろ?」
「――――どうして、そう思う?」
「さて……何故かな? 多分きっと……」
「うん?」
「――あんたより、長生きしてるからじゃろうて」
ほっほっほ。
老人の明快な笑い声がゼファーの耳に心地よく響いた。
だから、ゼファーも老人へとこう告げる。
「俺さ……この最後の一段、降りきったら引き返してみるよ…気になって仕方ないことがあったんだ」
「うんうん、それがええじゃろて」
老人の肯定の言葉が何よりも強くゼファーの中にある何かを溶かして行く。
のどに気持ちよい成分をおくる薄荷飴のように。
最後の一段。
降りると、ゼファーは老人を下ろし「じゃあな」とだけ言うと振り返ることもなく再び来た道を引き返した。
本当は。
色々と気になっていたんだ。
大荷物を持つ女性も、苛められている白皮症の子供も。
だけど色々と自分に嘘をついて誤魔化して。
そんなのは――つまらないのに、さ。
不機嫌になるのは、もう止めにしよう。
昨日より、今日。今日より、明日。
出来ることを、己の中の思いのままに出来ることが何よりも大切だって――そう信じたいから繋げる。
今、此処にある気持ちを。
―End―
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