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<東京怪談ノベル(シングル)>


その男、修羅につき

 鬼伏凱刀は不機嫌だった。
 凱刀は人を殺すことをなりわいとしている。
 金を積まれ、依頼されれば、どのような殺しでも請負う。だから、日々、闘いを呼吸するように暮らしているのだ。
 彼に対峙した者が、気押されるような気分になるのは、なにもその鋭い眼光や、見るからに戦闘的に鍛えられた巨躯の印象からだけではない。文字通り、殺気を身にまとっているからだ。血の匂いが、昏い陰となって、まとわりついているのである。
 そんな凱刀であったから、請負った仕事において、好敵手と出逢えることはむしろ悦びでもあった。
 外法の術を身につけ、鬼を統べる凱刀に狙われて、その命をながらえることのできる標的は少ない。いや、皆無だといってもいいだろう。だから、その仕事をより骨のあるものにしてくれる敵の存在は、凱刀にとって心躍るものだったのである。
 それが――
「なんだと」
 低い声が喉にからみつく。
 紫煙のけぶる、地下の酒場だ。
 たまたますれ違った好敵手(ある意味、狭い世界のこと、時にはそういうこともある。凱刀はまた、一瞬前まで敵同士として闘っていた相手と、悪態こそつきながらも同じカウンターに並んで酒を飲める人間でもあった)――、彼は、自分はもうあの仕事は降りる、と言い残して店を出ていったのである。
(いろいろと余計な部分まで見えてしまってな。見えてしまうともう見ないフリは出来ないのが性分。なに、前回の件でじゅうぶん、働いたつもりだ。あとはどう転ぼうと――本人の因業しだいだろうな)
「きどりやがって」
 がつん、と、乱暴に、ストレートのジンが入ったグラスを叩き付けるように置くと、寡黙なマスターがちらりと横目で凱刀を見遣った。
 それは楽しみにしていた餌のおあずけをくらった猛犬の唸りに他ならぬ。
 そんなわけで、鬼伏凱刀は不機嫌なのだった。
 もっとも。
 彼が機嫌がいいときを、見たことがあるものなど、ほとんどいない。

 男はさいごにもういちど握手を交わすと、部屋を辞した。
 何人かいた黒服の男のひとりが、客を送りに出ていく。
 イスラムの紳士は、ソファーにくつろいで、満足そうに髭をなでていた。
「うまくゆきますか」
 おずおずと発言したのは彼の秘書だ。
「いくとも。……日本人は金と利権がありさえすればよいのだ」
 目で合図をすると、黒服の男がさっとひざまづき、ケースをささげもった。男は、そこに並んだ葉巻の一本をとりあげる。
「われわれの争いのことなど、ほんとうには理解していない。だがそれでいい。かの地区への米国の派兵をやめさせるなり遅らせるなりすればそれでいいのだ」
「かれらがアメリカに強く出ることができなかったら?」
「ふん。そのときは――」
 ホテルの一室に、葉巻の深い香りがただよった。
「聖なる鉄槌が振り降ろされるまでのこと」
 男の目が、あやしい企みの愉悦に細められる。
「手筈はどうか」
「それはもう、いつでも……。この国は、テロ工作には不慣れです。たやすいことかと」
 秘書は頭を垂れた。
(だが――)
 彼の脳裏には、しかし、先日の一件が一瞬、よぎった。
(呪術の類には長けている)
 雇った護衛のための術者は、先日こそかれらのあるじを守り抜いたものの、それで及び腰になってしまったものか、その後は、護符の類をくれただけで、接触を絶ってしまった。物理的な護衛の数を増やしもしたし、行動予定や滞在場所の秘密もいっそう厳重にしたので、そう心配することもあるまいが――
「すこし、失礼します」
 秘書は、席を立った。
 部屋は、狙撃を避けて厚くカーテンがしかれ、密閉されていたこともあって空気が悪かった。それでなくとも、部屋中に濃密な陰謀の気配がよどんでいるような気がするのだ。それも無理はない。
 かれらの国と民族は、長い長い闘いの歴史を歩んできている。
 今も、故郷では、銃声がとどろき、爆音が渇いた空気をふるわせ、砂の大地が同胞の血を吸っている。
 だがそれは、必要なことなのだ、と思う。その闘いをより有利にすすめるために、かれらは遥か極東まで足を運び、密かな活動を行うことも。たとえそれが、新たな闘いの火種をまく行いだったとしても、である。
 しかし――
 このときのかれらにはひとつだけ誤算が……あるいは、あまく見過ぎていたことがあった。
 それは、武器を取って闘うものは、同じく武器による反撃を受けるということである。
「…………」
 秘書の男は、しばし、廊下に出て、深呼吸をくりかえした。
 が、ふと気づいてしまった。
 例によって、この階のワンフロアが貸切られており、廊下の端には護衛のSPが立っているはずであったのだが。
 ――いないのだ。
 勝手に持ち場を離れるはずがない。
 ホテルの廊下は、照明が暗めに設定されている。
 厚い絨毯の上には、秘書の男ひとりの影だけが、孤独にゆれているだけだった。
(――……)
 じわじわと、緊張の汗がにじみでてきた。まさか。
 彼は背にした扉を開けて、部屋にもどった。異状を報告せんとして、そして――
 息を呑んだ。
 男が、いる。
 さきほどまで、彼自身が坐っていた場所にかけ、黒革につつまれた長い脚を組み、男は葉巻を吸っていた。
 ふう――と、男の唇が煙を吐き出し、残忍な微笑にゆるんだ。
「よォ」
 眼光に、魂までもが射抜かれるようだった。
 秘書の男は、部屋のドアを背にして立っていた。彼に気づかれることなく、この部屋に入れたはずなどないのである。仮にそうしたところで、部屋の中にもSPがいる。
 だが……頼もしい黒服の護衛たち、そして、彼のあるじたる紳士は――
 微動だにしていなかった。
 そしてその姿勢のまま、その顔色は青褪め、目は、信じられないような恐怖と苦悶に見開かれていたのである。汗が、かれらの肌を伝うのが見てとれた。
「ァ……」
 かぼそい声で、誰かが呻く。
「バカな。おまえは誰だ。一体何をしたんだ!」
 秘書は声を荒げた。だが、次の瞬間、彼もまた、仲間とボスの身の上に起こったことを身をもって体験することになった。
「……う――っ」
 全身から血の気がひき、手足から見る見る力が抜けていく。それは急激な貧血に似ていた。だが身体は、なにかに抑えつけられ、戒められているように、指一本、自分の言うことを聞かなくなってしまったのだ。
 キィ……キィ……と、耳障りななにかの音――いや、声。
 彼は、自分の背中に、なにかが張りついているのを感じた。まるで小さな赤ん坊を背負っているようだった。
 ぐるぐると目眩が襲う。それは……耐え難いほどの空腹と、渇きであった。
 彼は、自分のあるじもまた、ソファーに縛り付けられ、情けない表情で、声なき声で助けをもとめていることを知った。そして、彼の目には、あるじの肩の上に、小さな、人型をしているけれどもっと醜悪で奇怪ななにものかがとりついているのも目にした。アレが、自分の背中にもとりついているに違いないのだ。
 そう……せんに、この国で雇われた暗殺者がおくりこんできた東洋の怪物。
 たしか、オニというのだということを、彼は思い出した。
「このままにしておいても、おまえたちを餓死させることは出来るわけだが」
 黒革に身をつつんだ男が言った。
「もっとも、餓鬼の呪縛にとらわれたやつらは、たいがい、肉体が死ぬ以前に発狂することがほとんどだ。どこまで持つかは……ふん、なるほど、貴様らの因業しだいというわけだな。あいつもたまには上手いことを言う」
「な……なに……が……目的――だ」
 彼はかろうじて、声を出した。
 渇いた舌が、うかうかすると口蓋に貼り付きそうになる。
「貴様らのたくらみを話せ。場合によっては、そっちにつかんでもない」
 男は面白そうに、唇をなめた。
「そのほうが、骨がありそうだったらな」
 これが鬼伏凱刀である。
 中東からやってきた男たちは知るよしもない。
 自分たちにさしむけられた刺客が、闇の世界ではどれほどの畏怖をこめて名を囁かれる男であったかということを。それが、かれらの唯一にして最大の不幸であった。
 それを知らなかったから、かれらは苦しい息で語り尽くした。
 極東の島国を訪れた裏の理由と、水面下ですすめられつつある、後ろ暗い計画についてを話してしまったのである。それ以外に、助かる道はないと思えた。だが、かれらは間違っていたのである。
「テメエら、この国をアラブの戦争に巻き込む肚か」
 静かに、凱刀は問うた。
 問われているものたちは、すでに消耗の限界に達しており、満足な応えを返せそうにない。
「……だがそうなったら――すこしは日本での俺の仕事も繁盛するかもしれんな」
 すっくと、立ち上がる。
「た、頼む……」
 イスラムの紳士の口から命乞いの言葉が漏れた。
 凱刀の、薄いくちびるの端が釣り上がる。
「俺は殺し屋だ。姿を見られて広められたとあっては飯の食い上げにある。……そのくらいは、わかるな?」
 ひっ――と、誰かの喉が鳴った。
 壁に落ちた凱刀の影がぞわりと泡立ち、それを門口にして、異形のものがあらわれ出ようとしていた。男たちはそれに見覚えがある。頭に二本の角をはやし、長くもつれた黒髪をふりみだした鬼女だったのだ。
 鬼が手に握るは出刃包丁。
 肉を切り、骨を断つ、凶悪な刃が、ぎらりと輝いた――。

 それを地獄と呼ばずに何と呼ぼう。
 あるいはそれは修羅道の光景であったのか。
 頭が痛くなるほどの血の匂い。暗い部屋には、ぴちゃぴちゃ、ずるずる、と、不快な音だけが響いている。それは……無数の餓鬼たちが、“後始末”のために散らばった血肉を貪る音に他ならない。
 すでに生命をうしない、白く濁った幾対かの目だけが、ソファーで葉巻を吸う凱刀をうらめしげに見上げているばかりだった。
 彼は――満足げな微笑を浮かべている。
 鬼伏凱刀が機嫌がいいときを、見たことがあるものなど、ほとんどいない。
 なぜならば、そんな人間はことぐとく、死ぬからである。
「さて」
 凱刀は独り、呟いた。
「次はあの優男の首だな――」

(了)