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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Fever-Fever
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室内にはなんともいえない香りが立ち込め、ガス中毒になりかけた人のごとく震える手で窓を開けて換気をしようとした彼の手は、恋人の優しい手によって阻まれた。
「ダメよ、ケーナズ。風邪引いている時は冷たい風にあたったら良くないらしいわ」
と、可愛らしい恋人はケーナズを布団に押し戻す。ナイチンゲールも顔負けの天使のような仕草とは裏腹に、その行動は有無を言わせない。
首根っこをむんずと掴まれて、枕に押し付けられた。沖縄の「ハブ捕り名人」が、ハブを捕らえるのと同じように無駄がない。

死ぬかもしれない、と彼は思った。
風邪では死なないだろう。
だが恋人……イヴ・ソマリアの愛に埋もれて死ねそうだ。
「熱が出た時には、身体を暖かくするといい…のかしら。西洋では身体を冷やすって書いてあるけど。んー……」
人差し指を唇に宛てて、イヴは真剣な顔で手引書を読んでいる。その名も「家庭の医学・魔界版」。
おどろおどろしい表紙に、目を引く血文字。「特別付録!自殺に見せかけた殺し方」とかついている。彼女の故郷でベストセラーらしい。
近所の本屋にいって、是非とも家庭の医学(人間版)を買ってきてくれと思ったがもう遅い。
人間世界の医学について書かれたらしい家庭の医学・魔界版は、微妙に誤情報が混ざっている。
「熱を冷ますには、冷やすべきよね!」
と恋人は結論に達したらしかった。
「待っててね。今、お風呂に水と氷を張ってくるから」
「いや」
咳混じりに、慌ててイヴを引き止めた。
風邪を引いたとき熱を出すのは、体内のウィルスを高温で駆逐するためである。途中に咳をはさみながら、ケーナズは必死にそう説明した。ここは暖かくして安静に、汗をかくのが一番なのだ。
ここでイヴを納得させなかったら、彼は雪でも降りそうなこの真冬日に、氷が浮かんだ水風呂に飛び込むハメになる。
心臓麻痺で死ねると思う。
幸いなことに、イヴは医学の知識もある恋人の言葉を信じてくれたらしかった。
どうにか一命は取り留めた。だが、まだ彼には最大の試練が残っている。
「食欲は?」
「……あんまりないな」
これだ。現在モデルハウスのように整然としたケーナズの台所には、紫色の煙が立ち込めていた。異様な臭いが部屋中に充満し、身の危険すら感じている次第である。
イヴの作る病人食(魔界版)だ。
怖いもの見たさで覗いた鍋の中身は苔色だった。中から覗く食材は雄雄しくぶつ切りで、その様はまるで底なし沼を連想させる。
イヴは料理が出来ないわけではない。ただ、魔界で育った彼女の料理と、人間の食べる料理が異なっているだけである。
「魔界の料理は人間の口にはあわないかも……」
と不安そうに彼女が言うので、思わず言ってしまったのだ。
「キミが作る料理なら、どんなものでも食べられる」
と。
可愛い顔と仕草でそんなことを言われれば、たいていの男はそんな気持ちになるに違いない。実際、ちょっとした焦げや塩加減など、恋人の可愛さに比べればなんてことはないはずだった。
だがその差は魔界と人間界である。スケールが違う。
だから後で激しく後悔した。
しかし、熱心に家庭の医学魔界版や料理雑誌を研究しているイヴを見て、誰が彼女を止められただろうか。たとえ鍋から飛び出ているのが「火ドラゴンのモモ肉」とか、「栄光の手の親指」とかいう食材だったとしても、自分の為に恋人ががんばって作ってくれる料理である。
食べないわけにはいかなかった。

「魔女料理だから、人間の口に合うかどうかわからないけど」
と、湯気の立った皿を持って、イヴは戻ってきた。
(紫色か……)
黒みがかっている。さっきまで苔色だったじゃないかという突っ込みは口には出来なかった。
(苔色だったら、青汁と思えたものを……)
なんでスープの上で火花が散っているのだろう。
数時間かけて煮込まれたはずのドラゴンの肉(とやら)は、何故か今でも動いている。
「ドラゴンは生命力が強いから、料理しても動くのよ」
だから滋養強壮にいいのだそうだ。
嘘でも「動くはずがないじゃない」といって欲しかったケーナズである。
「人間が食べれるように、材料を工夫しないとね」と言って、何故か魔界に出かけていくイヴを止めればよかった。人間の料理を作るのに魔界に食材を狩りに(買いに、ではないようだ)いく時点で何かが間違っていた気がするのだが、熱にやられた頭ではそこまで気がつかなかったのである。
人間界に存在する食材だったら、脂汗のにじむような恐怖は味わわなくて済んだかもしれない。
「食べてみて?一口でいいから」
と、スプーンにスープと肉のかけらをすくって、イヴはケーナズに差し出した。
強い刺激臭が目に沁みる。
(鼻が詰まっているから、どうせ味などわからないさ……)
と自己暗示をかけてみるが、目の前のグロテスクな見た目はどうにも意識の隅から追い出し難い。
だが、彼の為にイヴが作ってくれた料理である。
覚悟を決めて、ケーナズはそれを口にした。
「…………」
瞬間、部屋の空気が凍りついた。
「どう?ケーナズ。薬だから、美味しくはないかもだけど」
スプーンを口にしたまま動かない恋人に、イヴが気がかりそうな目を向ける。
ケーナズに食べさせる前に味見をしてみたが、いかんせん魔界料理で育ったイヴには、それはまともな味がした。風邪を引いた時や怪我をした時に作る、特製魔女料理(人外用)である。薬用効果も兼ねているから、スパイスが効いている。良薬口に苦しというやつだ。
まあものは試しだと、こうしてケーナズの様子を窺っているわけだが。
ものすごい努力を要して、口の中のものをケーナズは飲み下した。段々熱で火照っていた顔から血の気が引いていく。
「いや、………さすがに薬というだけあるというか」
と、感想らしきものを口にする。
薬とか食事とかいう以前に、未知の世界の味がした。
じりじりとケーナズの額に冷たい汗が浮かんで行く。忍耐と肉体の限界に挑戦したらしいケーナズだったが……。

ガバッ!と毛布を跳ね上げて、ケーナズはベッドから飛び起きた。
「あら、ケーナズ元気になったの?」
まさかこんなに早く効果が現れるとは……と思っているイヴの前を横切って、口を押さえた恋人は洗面所へと駆け込んでいく。
その横顔はスープと同じ色だった。苔色になって、紫になった。
バタン!と勢いよく洗面所のドアが閉まる。
「……ダメかな」
オーガやゴブリンや、巨人にゴーレムまで治すといわれるイヴの魔女料理も、ケーナズには通用しなかったようだった。
むしろそこまで強力だったのがいけなかったという話もある。

数十分してもケーナズが出てこない。心配したイヴが中を覗き込むと、憐れな恋人は洗面所で卒倒していた。
慌ててイヴは体格差のある恋人をベッドに運んだ。その程度のことは造作もない。魔界人のありがたさを実感してみたイヴである。
その日一晩寝込んだケーナズは、翌日には自分でも驚くほどに元気になって、夜じゅう付き添っていたイヴを喜ばせた。
それが魔女料理の効果なのかは、今ひとつ判然としない。
もう一度試してみれば分かるのかも知れないが、いかんせん命の危険が伴うので、諦めるしかないだろう。
「私がこの世界の料理を覚えた方が早そう」
イヴの料理を「美味かった」と言って聞かない恋人を前に、彼女はそう結論づけた。
「ケーナズの周りって料理上手な人が多いもんね。誰かを捕まえて、教えてもらうことにするわ」
「楽しみだな」
一晩ですっかり元気になったケーナズは、さりげなく換気の為に窓を開けながら微笑んだ。顔色は、前日に比べてかなり生気が戻っている。
「……私が上手になるまで待っててね?」
「首を長くしていることにしよう」
それまでは風邪を引かないようにしようと、内心で決心したケーナズの心中などはどこ吹く風で、二人は甘い恋人同士の視線を交わしあったのだった。