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〜残影〜 在りし日よりの我が路は。
月灯が蒼空を照らして、地上を朧に映し出す。
そこに見えるは闇の狭間。
やすらかな吐息を漏らして眠る者。
そして、この世界に生きる者達の営み。
騙し、戦い、殺し、奪い合え!
遥かな昔から続く血脈は、今も耐える事無く続く。
そう。
今、この瞬間にも。
‥‥‥霧に霞む視界の向こうに響き渡る炸裂音。
山深い中に忽然と現れた樹木の無い平地からのものであった。
いや、正確には一本だけそこに在った。
樹齢は幾星霜となろうその大樹は山桜‥‥‥だった。
「火遁! 爆散雹降の術!!」
両の手から放たれた火薬弾が空中で炸裂し、火の玉を広範囲に降らせる。
『ふ‥‥‥ふふふふ。愚かなるは人の子の浅知恵よ。木だからと言え我が魔
力に守られしこの神樹、よもやその程度の花火で燃やそうなどとは片腹痛し。
大人しく死んで地に遷り、我が血潮の贄となれ!」
空気を切り裂く音と共に放たれる鉄が如き強度の枝は、易々と男の体を貫
いて。
もう、全身を紅に染める程の傷と出血。
常人であれば、立っていることすら‥‥‥いや、意識を保つ事すら出来ぬ
受傷をその身に与えられながらも、気丈にも男はまっすぐと射抜くように桜
の木を見つめていた。
「ザマァねえな。こんな化物風情にここまで追い詰められようとは‥‥‥だ
がな、啓斗。忍たる者一度受けた依頼はどんな理由があってもどんな手段を
用いたとしても完遂しなきゃならねえんだ」
荒い呼吸に、激痛に耐えているのか小刻みに震える背中。
後ろに立っている啓斗からは表情を窺い知る事は出来ないが‥‥‥いや。
その時、一瞬だけ振り向いた顔は確かに笑っていた。
「啓斗! 忍の掟が嫌なら足抜けしかない。だがな‥‥‥」
最後の気力を振り絞ってか、驚異的なスピードで桜の古木へと駆けていく。
‥‥‥行くな、待ってくれ‥‥‥行くな! 行っちゃ駄目だ!!
追いかけて手を伸ばすが、触れたはずの服を手はするりと透かして、空を
切った。
バランスを崩して、大地に倒れこむ。
感じられる苦痛は無く、重力の縛鎖を降りきって再び立ちあがろうとする。
だが。
「外法極奥! 峻爆魂素の術!!」
『な、なんだとおおおおおおおおおオオオオオッッ‥‥‥』
閃光。
劈く爆音。
そして、舞い上がる桜の花弁。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥降り注ぐ紅雨と肉塊。
「うわあああああああああああ‥‥‥あ‥‥‥ああ‥‥‥」
布団を跳ね上げて、飛び起きる啓斗。
時計は二時を回った所を指している。
「‥‥‥また、あの夢か」
頭を何度か左右に降って髪を掻き上げて。
ふと、手を見る。
あの時、届かなかった手は‥‥‥今更どうなったところで届かないのだろう。
掴んだ感触ぐらい、夢ならば追加しても良いようなものだろうに。例え、
それが無かった事だとしても。
焦燥感を感じて布団を出る。
全身にぬったりとした感触がまとわりついていた。
「嫌な汗を掻いたな‥‥‥シャワーでも、浴びるか」
バスタオルを引っ掛け着替えを持って、風呂場に向かう。
何も考えたくない。
寝ていたはずなのに、何か疲れた。
服を脱ぎ捨て、水詮を回すと勢い良く熱い湯が飛び出してきて、啓斗の身
体を玉となって流れ落ちていく。
大きく、溜息をついて想いを馳せる。
今の俺の事を、父さんはどう思ってみるだろうな。
布団の傍らに置いた忍具に目をやって苦笑する。
生きていたら、何を教えて貰えたんだろう。
失敗してひき返しても、別の道はなかったのだろうか。
聞いてみたいけれど‥‥‥。
外法の極奥、峻爆魂素の術を使って果てたのだから口寄せすらも叶わない。
特殊な炸薬を起爆剤に、自らの魂を爆薬として爆発させたのだから。
そんな事まで想いが行って、その先を考えそうになる。
当然魂の器である肉体は‥‥‥‥‥‥。
「駄目だ、寝よう」
かつての記憶と夢の中での生々しい感覚が思い出され、啓斗は慌てて服を着
て布団に潜り込んだ。
悶々として寝返りを打つうちに、いつしかまた。
‥‥‥‥‥‥。
唾棄すべき存在。
確かに世の中は善人ばかりでは無い。
だが、確実に嫌悪の対象となる人物と言うのもいる。
悪い事にそれが‥‥‥依頼者だった。
とうに涙も枯れ果てて、虚ろな気持ちで書いた報告書。
爆発の衝撃で大地に打ち付けられた身体を引きずるように‥‥‥いや、身体
が痛いのではない。心が‥‥‥痛いんだ。
応接間で一人、待たされる。
キャンキャン鳴くスピッツの声が妙に耳障りだ。
「お待たせして申し訳無いわね。さて、あの山の木について聞きましょうか」
煌びやかな装飾品が悪趣味を飾り立て、芳香を発するはずの香水を無神経に
振り掛けて、胸の悪くなるような匂いをさせているでっぷりと太った中年女性。
ぷかぁっと煙草をくゆらせて、鼻から煙を吐き出している。
そんな彼女に無言で報告書を差し出す啓斗。
喜色万面でそれを受け取るが、徐々に表情が険しくなり‥‥‥そして。
その報告書を思い切り啓斗の顔に投げ付けてきた!
「ふざけないで頂戴! 何が活動休止状態よ!! 私が依頼したのはあの桜の
伐採の為に化物を殺すことでしょ!! 寝てるだけじゃあいつ起きるか解らな
いじゃないの!!!」
外法ではあるが、極奥とされる技である。
いかに強大な妖魔とて、ただで済む訳は無かった。
その持てる力を全てダメージ無効化結界に使ったのではあるが、この術はど
の性質にも依らない完全中性爆発‥‥‥神すらも抗う事は出来ない魂の咆哮。
しかも、爆散する筈の威力を爆心に押し留めるという、天才の最後の煌きを
放つ技だったのだから。
ギリギリまで生命力を落とした妖魔はこのオバさんが生きているうちに復活
するなどと言う事は考えられない。よってただの桜の木になったも同然と書き
記した訳ではあるのだが、まったく持って気に食わなかったようだ。
「まったくこれだから忍者なんて言うインチキ臭いペテン師なんかに頼むんじゃ
なかったって言うのよ。あんた達みたいなのはね、日光当たりで見世物になっ
てる猿と同じレベルなのよ」
押し黙って聞いている啓斗にさらに言葉を浴びせ掛ける依頼主。
血走って濁った目は常軌を逸した輝きを放っている。きっと、そう言う性癖
があるのであろう。
「一体何の為に高い金を払ったって言うの? 出来なかったって言うのならさあ、
今すぐ出しなさいよ。びた一文もからないから、出しなさいよ!」
‥‥‥こう言う依頼の場合、常識的に手付金には必要経費も含んでいるので
返却の必要は無い訳で。それは事前に交した契約書にも明記されている。
だが、口を開いたが最後、逆に依頼主を罵ってしまいそうなので、じっと耐
えている啓斗。
「なんとか言いなさいよ、このクソガキが。アンタ達みたいなクズは死んでナ
ンボなんだから、あんたも死ねば良かったのよ。使い捨ての駒なんだから‥‥
‥‥‥‥そうだ、あんた」
何か思いついたように下賎な笑みを浮かべる。
「あんたが代わりに行って父親の代用品に仕事してきなさいな。そうしたら、
お金は返してもらわなくても結構だわ」
ここに至って、ついに口を開く啓斗。
先程までの虚ろな瞳ではなく、憤怒の炎を滾らせて全てを破壊し尽くさんと
も言わんかと思わせる険しい瞳。
「‥‥‥‥‥‥ふざける‥‥‥な」
手にしていたコーヒーカップが余りに力を込められた為に粉砕されるが、血
が吹き出るのも構わずにそのまま拳を握り続けていた。
「俺の事をいくら罵るのは構わない。だが‥‥‥父さんは物じゃない‥‥‥あ
んたの腐った性根が産んだ依頼の為に散った父さんを侮辱するのは許さないっっ!」
血の滴る右手に握られたコーヒーカップの破片を投げ付けると、驚きで声も
出ないでいる依頼主の人中を拳骨で力一杯打ち抜いた!
「グルルルルルル‥‥‥ッッ」
飛びかかってきたスピッツを片手で迎撃すると、壁に打ち付けられた哀れな
犬はそのまま絶命する。
「‥‥‥な、なんて事を!」
鼻血を吹きながら犬を殺された依頼主は真っ青になってそう叫ぶ。
彼女にとっては人の命より犬の命のほうがよっぽど大事なのであろう。
「け、警察を‥‥‥」
這いずって電話に手を伸ばそうといる依頼主の脇腹脾臓の上を蹴り上げる啓
斗。
ここまで来て、自分が悪口雑言を浴びせていた人間の危険さを感じ取ったの
だろうか。苦痛に顔を歪め、がたがたと震えて啓斗の顔を見上げる。
「た、助けて頂戴。お金なら‥‥‥」
無言で右手を差し上げる。
そして恐怖に歪む依頼主の顔を覆うようにそれを翳すと、大きく一つ息を吐
いた。
「あんたがインチキって言い放った刀の斬味‥‥‥確かめるが良いさ」
目一杯開いた五指をゆっくりと曲げ始める。
「あ‥‥‥ああ‥‥‥‥‥‥ゆ、許して‥‥‥‥‥‥」
急激に全身の力の抜けるのを感じた依頼主はそう言って哀願するが、啓斗は
答えない。
そして。
五指を閉じた。
瞬間、くるりと踵を返す啓斗。
背後で何かが落ちる音がする。
そして、真っ直ぐと金庫に向かい、契約書を取り出した。
「こんな物‥‥‥こんな物!!」
吐き捨てて丸めて捨てると、落ちた床でプスプスと音を立て始めて‥‥‥発
火する。
その火がカーテンに燃え移って、室内を明るく照らし出す。
だが、その時にはもう啓斗の姿はそこには無かった。
そして、彼が再び姿を現したのは、屋敷を見下ろせる小高い陸の上。
炎の舌が屋敷全体を飲みこんで、真っ黒い煙を吐き出していた。
遠くから消防車のサイレンが聞こえてくる。
眼下の光景が映し出された双眸が潤んで‥‥‥。
大粒の涙が止めど無く零れ落ちた。
「返せよ‥‥‥ちくしょう。何でなんだよ‥‥‥ちくしょう‥‥‥父さん‥
‥‥父さん‥‥‥俺‥‥‥俺、どうしたら良いんだよ。こんな‥‥‥こんなっっ!!」
膝から崩れ落ち、声を挙げずに泣いて。
悔しさを込めて、大地を叩く。
何度も‥‥‥何度も。
皮膚が破れ、血が流れ落ちようとも痛みを感じる事すら出来なかった。
だが、真紅の自らの血液を見て‥‥‥吐き気を催す。
先程は激昂の余り血など見えなかったのだろうが、今ははっきりとその赤さが目の奥
に飛びこんでくる。
血液。
破砕された肉体。
先程まで父親であった肉の破片が纏わりつく絶望感。
薄黄色の胃液を大地にぶちまけて、涙と鼻水でボロボロの顔で泣きじゃくる。
だが‥‥‥。
絶対的な事実はいかにしても覆る事は無い。
呼べども泣き叫ぼうども、父親はもう帰ってこない。
力強いその腕。
大きな背中。
豪快な笑い声。
道を指し示してくれる存在。
一切が‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥消えた。
その日から啓斗の修羅の日々が始まった。
裏の稼業である暗殺を、依頼があれば一考もせずに請けては遂行していった。
寄らば斬る抜身の刀が如く、闇に紛れて次々と人を殺めていく。
"騙し、戦い、殺し、奪い合え!"
魂を喰らう獣の如き彼の前で命乞いする者もいた。
家族と、友人と、恋人と一緒の者もいた。
だが、恐怖も絶望も、憎悪も哀願も彼の耳に届く事は無かった。
何も見えない、何も聞こえない。
人を殺し、任務を達成する事に自らの"道"を見出していたのだから。
そんな、骸を敷いて歩くような生活をしていたある日。
任務を終えて、家へと戻り、自室の入ろうとすると‥‥‥。
「なんだ、これは?」
紙袋、であった。
誰か侵入して、こんな判りやすいものを置いてブービートラップとするのも
考えられ無くも無いのだが‥‥‥取りあえず、注意して見る。
「な‥‥‥何故っっ!?」
飛びつくように、その紙袋を手にする啓斗。
見えたのは‥‥‥懐かしい、懐かしいあの‥‥‥‥‥‥父のオーラ。
間違えようも無いその暖かい波動。
高まる胸の鼓動を押さえきれずに、紙袋が引き裂かれんばかりの勢いでそれ
を開くと、そこには一枚の鉢金‥‥‥額当てが入っていた。
「これは、父さんの?」
共に爆散したはずと思っていたが、見ると当て布が破れているので、爆風に
乗って遠くまで飛んでいったのだろう。
状態は悪くない。
急ぎ部屋に入ると、布を継いで再び頭に巻ける状態にしてみる。
「‥‥‥‥‥‥父さん」
緊張した面持ちで、それを額に巻いてみる。
そして、それを鏡に映してみようと鏡を取り出した啓斗は‥‥‥思わず目を
疑ってしまっていた。
鏡の向こうにいたのは‥‥‥父、その人であった。
「と、父さん!?」
『やあ、啓斗。
お前がこれを見ていると言う事は
父さんはもう、この世にいないと言う事だろうね』
術を使って思念を閉じ込める念映の術。生前に仕込んでおいたのであろう。
『最後の任務となった、あれはお前には些か納得の行かないものかもしれない。
だが、あの依頼主の父親は父さんが若い頃に命を救ってくれた恩人なんだ。
その娘の依頼なのだから』
そこまで言って、曖昧に笑う。
『‥‥‥‥‥‥すまん、父さんのわがままでおまえには苦労かけるな、いつも
いつも。
こう言う事を言うのは非常になんと言うか、照れるのだが』
明後日の方向を見て、こほんと一つ咳払いをする。
『俺は、お前等が俺の子供として産まれてきてくれた事を幸せに、そして誇り
に思う。こう言う稼業をしている親の元に産まれてきたお前等は逆に不幸‥
‥‥だったかな』
「そんなことは‥‥‥ない!」
鏡の向こうでぽりぽりと頭を掻く父に、聞こえる筈も無いのにそう声をかけ
てしまう啓斗。
『生活するには困らない程度の財産‥‥‥なんて、余り意味も無いかもしれな
いな。もう立派に仕事をこなせるからな』
そう言われて、胸が痛む。
今の自分は果たして‥‥‥立派に仕事をしているか?
父さんが誇りを持っていい息子で‥‥‥いるんだろうか。
『それで、だ。父さんはお前等に最後に言葉を残したろう? 死ぬなんて状況の中でそれが
きちんとお前等に届いたかどうか心配だから、もう一度言う。
正対して、真顔になって一つ、息を吸う。
『忍びの定めが嫌なら足掻けしかない。だかな‥‥‥お前はお前の信じる道を
行け。父さんは‥‥‥‥‥‥お前を信じてる。お前がどんな答えを出そうとも、
それは間違いじゃないってな』
「‥‥‥父さん‥‥‥」
鏡に、滴が一つ。二つ。三つ。
止めど無く零れ落ちるそれは凍っていた啓斗の心が解けた証なのだろうか。
鏡の向こうで笑う父。
俺は‥‥‥俺は。
この人の息子なんだ‥‥‥‥‥‥だから。
----------------------------------------------------------------[夢から醒めて、朝]
チュン、チュンチュン。
鳥のさえずりがかすかに聞こえる中、締めきったカーテンの合間から覗く朝
日に目を覚ます。
久しぶりに見たな‥‥‥あれ。
夢の中と同じように、布団の傍らに置かれた忍具に目をやる。
結局、父さんに指し示してもらった道を歩いているんだろう。
大事なものを失わないために戦う、って言う。
俺の両の手の届くところにある物は全て‥‥‥守りたい。
家族。友人‥‥‥。
ふと、一人の女性の顔が浮かんできて、慌ててそれを否定した。
いや、違う。好きとか嫌いとかじゃなくって!!
‥‥‥な、仲間だから守らなければ、だ。
あの苦い経験から学んだ、簡単に人を信じない事。
けれど、信じるに値する者達が確かにいる。
そして、進むべき道もある。
父さん、俺‥‥‥。
そう、何か誓おうとした瞬間だった。
「腹減ったーー! 腹減ったーーー!! おなかが空いたーーーー!!!」
‥‥‥アイツは朝っぱらから。
コメカミを押さえつつドアを空けると万面の笑みの弟がいる。
「オハヨウゴザイマス、兄上さま! 今日もお腹がすきま‥‥‥げぼぉっ!!」
ボディにコークスクリューブローを1発叩きこんで、悶絶する弟の顔を
挙げさせる。
「もう一寸まともな起こし方できないのか!」
怒って見せるが‥‥‥まあ。
こんな日常が1番大事なんだろうな、父さん。
きっと、守って見せるよ。
息子として。
男として。
[FIN]
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