コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


白光

 ポン、ポン、という音が耳に響き、思わず大神・森之介(おおがみ しんのすけ)は足を止めた。
「能の鼓……?」
(まさかね)
 ふと思ってから、すぐに否定する。鼓の音にしては、軽すぎる。森之介は黒髪をかきあげ、辺りを見回した。ただ見回しただけで、鼓に近い音を出すものはすぐに見つかった。森之介はそれを見て思わず黒い瞳を細めた。それは、白いボールで遊ぶ、子ども達の姿であった。ゴムで出来ているのであろうボールは、まるで鼓の音のようにポンポン、と心地よい響きをかもし出していた。
「ああ、そうか」
 森之介は静かな水面に立っているかのように感じ、すぅと背筋を伸ばした。目を閉じれば、そこが能の舞台の上であるかのようにも感じられたのだ。幸い周りには人気が無い。このまま能を舞ったとしても、恥ずかしい思いをする事も無いであろう。耳に響く心地よい響きに、身に染み付いた舞を委ねようとしたその瞬間だった。
「ああ!」
 子どもの叫びと鼓の音の断絶に、森之介は目をはっとして開いた。近付いていくと、子ども達はある一点を見て、互いに顔を見合わせていた。
「どうしたの?」
 森之介が尋ねると、子ども達は互いに顔を見合わせたままひそひそと話し合った。森之介はそれにも負けずににっこりと微笑んだまま子ども達を見回した。
「……あのね」
 森之介の笑みに安心し始めたのか、警戒していた子ども達のうちの一人が口を開いた。
「あのね、ボールが……」
「ほら、あっちにいっちゃったの」
 子ども達は口々に言い始め、そして一点を指差した。森之介も視線をそちらに移した。白いボールは、長年の歴史を感じさせる社の中に転がっていた。
「何だ、あそこならすぐに取りに行けるじゃないか」
 森之介が苦笑しながら言うと、子ども達は一様に首を振った。
「違うの。あそこは……」
「駄目って言われているの」
「入ったら駄目ってね、言われているの」
 口々に泣きそうな顔をして子ども達が言った。
「どうして?」
 不思議そうに首を傾げる森之介に、子どもの一人が暫く迷った後口を開いた。
「あそこにはね、鬼がいるの」
「……鬼?」
 森之介は改めて社を見た。そう言えば、単なる社にしては厳重に注連縄が施されており、よく見ると封印の符が貼られている。何かをそこから出さないようにしているかのように。
「怖い鬼って言われてるの。だからね、本当はここで遊んじゃ駄目だって言われてるんだけどね」
 子どもは語尾を濁した。森之介は子どもの不安を拭うかのように、小さく微笑んだ。
(遊んでは駄目だと言われても、最近では遊ぶ場所すら危ういからな)
 森之介はそう考え、子ども達を見回した。子ども達は森之介の笑みに少し安心感を覚えたようだ。最初の頃の警戒心は既に見られない。
「じゃあ、俺が取ってくるよ」
 森之介がそう言うと、子ども達は一瞬顔を綻ばせ、それから首を振った。
「駄目だよ!」
「お兄ちゃん、危ないよ!」
「鬼が出るもん!」
 口々に引き止める言葉に、森之介は頬を軽く赤らめてから子ども達の頭を撫でた。
「大丈夫だよ。お兄ちゃん、意外と強いから」
 にっこりと笑ってみせる森之介に、子ども達は再び顔を見合わせ、それから森之介をじっと見つめた。森之介はにっこりと笑ったまま、子ども達を見回す。自分を信用して大丈夫だ、と言わんばかりに。
「……本当?」
「本当に、お兄ちゃんは強いの?」
「鬼にも負けないの?」
「負けないよ。大丈夫」
 森之介が言うと、子どもの一人が首を傾げながら森之介をじっと見つめた。
「お兄ちゃんは、怖くないの?」
 不安そうな瞳で、じっと森之介を見つめていた。森之介は少し考えてから、再びにっこりと笑った。
「怖いかな。でもね、お兄ちゃんは走るのが早いんだ」
「走るの、早いの?」
 森之介はこっくりと頷き、微笑んだ。
「だからね、いざとなればもの凄い速さで逃げるから大丈夫だよ」
 子ども達の顔が綻んだ。互いに顔を見合わせ、森之介を見てにっこりと笑う。森之介はその場にしゃがみ込み、子ども達と目線を合わせながら真面目な顔で口を開いた。
「だけど、皆も逃げないと駄目だからね?俺が逃げろって言ったら、ちゃんと素早く逃げるんだよ?」
 森之介の言葉に、子ども達はこっくりと頷いた。それを確認し、森之介はにっこりと笑ってから立ち上がった。
「じゃあ、取りに行こうか」
 子ども達が不安にならぬよう、今一度微笑んだ。目には意志を秘めながら。


 社の中に一歩足を踏み入れると、そこにはただただ静かな空気だけが支配していた。
(ああ、俺はこの空気を知っている)
 森之介はぐるりと辺りを見回し、それから小さく微笑んだ。そのしんとした静寂は、能の舞台の上に酷似していた。
(……舞い始めると、音までもが奏でられそうだ)
 森之介は苦笑し、ボールの所までゆっくりと歩いて行き、拾い上げた。……まさに、その瞬間だった。
「……何者ぞ」
 地に響くような声だった。森之介は素早く顔を上げ、声の方向を仰ぎ見る。そこには、黒く大きな存在が聳え立っていた。
「……鬼か」
 森之介の小さな問いに、鬼はくつくつと笑った。
「鬼か、と問われれば、是、としか答えられぬ」
 鬼は唸るようにそう言い、またくつくつと笑った。
「鬼だ……」
「鬼」
「怖いよう……!」
 森之介の背後で、事の成り行きを見守っていた子ども達が泣き始めた。
「……童か」
 鬼がゆらりと動いた。子ども達の悲鳴が社一杯に響き渡る。
「恐怖とは、何と心地よいものか」
 子ども達の泣き声を聞き、うっとりとしながら鬼はそちらに向かい始めた。森之介は地を蹴り、すっと鬼の前に立ちはだかった。鬼は不愉快そうに爛々と光らせている赤い目で森之介を睨む。
「お前はつまらぬ。我を見ても恐怖の欠片も持ってはおらぬ」
 鬼の言葉に、森之介は皮肉そうに笑みを浮かべてから、口を開く。
「……逃げるんだ」
 森之介の言葉に、子ども達ははっとする。森之介は後ろを見ぬままボールを背後に向かって投げ、今一度叫ぶ。
「逃げろ!」
 子ども達はボールを受け取り、少しずつ後ろへと走り始めた。
「お兄ちゃんも、ちゃんと逃げてよ!」
 子どもの声に森之介は頷くだけで返した。目は依然として鬼を見据えたままだ。
「……つまらぬ。お前は我をつゆほども恐れてはおらぬ!」
 鬼の目に映るは、動じずただ皮肉そうに笑みを浮かべたままの森之介。
「何故封印されていたか、手に取るように分かるな」
 森之介の声は、落ち着いたまま静かに鬼に向けられる。
「お前は恐怖を好んだ。自分に向けられる悲鳴を心地良しとした」
「それの何が悪い?恐怖とは煽るもの、悲鳴とは賛美の歌!」
 鬼はぐっと手を握り締め、森之介を見て笑う。
「お前にも恐怖と悲鳴があるのかを確かめる必要があるな」
「愚問だな」
 森之介が冷たくそう言い放つと、鬼は酷く爪の伸びた手を振り下ろしてきた。森之介はそれを優雅に避け、鬼を見下すように冷たく微笑む。
「愚問過ぎて、退屈しそうだ」
「何を……!」
 鬼はそう言って再び手を振り下ろしてきた。森之介は再びそれを優雅に避け、意識を集中させた。まばゆい光があたりに充満し、そしてそれは一つの形となって森之介の手に具現化した。霊刀『火徳星君正霊刀・天魁』だ。
「……貴様、霊刀を用いるか!」
 鬼の叫びに小さく笑みだけを返し、森之介は霊刀を振りかざす。
「お前は自分に対しての恐怖や悲鳴を心地良しとしてきたな?」
 鬼の爪と霊刀がぶつかり、ギリギリと音を立てる。
「だが、お前自身は恐怖とは、悲鳴とは何たるかを真には理解してない。……やっと知る事が出来るな?」
 森之介の声は、静かだ。すう、と広がる水面のように、ただただ静かな時間が其処に流れているかのようだ。霊刀が爪との鍔迫り合いを制し、そしてゆっくりと霊刀は振り下ろされた。鬼は目を大きく見開き、悲鳴をあげた。
「……それが恐怖、そして悲鳴」
 小さく森之介は呟き、それから小さく溜息をついた。霊刀を手放し、それからふっと表情を和らげた。
「俺にだって恐怖や悲鳴くらいあるさ。ただ……その対象はお前じゃなかっただけだよ」
 森之介はそう呟き、社を出た。少し歩くと、子ども達が心配そうな顔で待っていた。手にはあの白いボールを持ったまま。森之介はにっこりと笑い、子ども達の頭を撫でた。
「待っててくれて、有難う」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「お兄ちゃん、鬼は?」
「鬼はね、もういないよ」
「お兄ちゃん……有難う」
 子ども達はにっこりと笑い、森之介に頭を下げた。森之介は一瞬呆然とし、それからしゃがみ込んで子ども達を見回した。心配と、安心と、感謝。それらが皆一様に出ていた。
「どういたしまして」
 森之介がそう言うと、子ども達はにこにこと笑った。そして再びボールで遊び始めた。ポンポン、と再びあの音が鳴り響く。森之介はそっと目を閉じ、音を堪能してからそっと目を開けた。辺りは既に赤く染まりかけていた。
(もう、夕暮れなんだな)
 赤い空の中の、白いボール。それを目で追っていると、ふと投げられたボールが一瞬だけ太陽の光を遮った。
「光のようだな」
 ぽつりと呟き、森之介は小さく微笑んでからその場を後にした。背中からはあのポンポン、という鼓のような音が響いてきた。実にリズム良く、そして軽やかに。

<白い光は赤い空へと響いていき・了>