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<東京怪談ノベル(シングル)>


「灯無し蕎麦」という店がある。
そこは、看板も無い、知らぬものは通り過ぎる小さな路地。
だが扉を開ければ必ず出会える店主は、こう言って笑う。
「ここは、見ェるもんには灯ィ見える。見えるもんは、来たいときくればええ、歓迎するぞい。」
この店主、妖だとか、いや、狸だとか、いろいろなホントか嘘か解らない噂は聞こえてくるだろう。
だが、その店は確かにそこにある。そして、今日も、お客が集まるのだ。
この店の「灯り」が見える者たち。酒と蕎麦、そして不思議を友とする粋な者たちが。
静かなようで賑やかなその店からの声が今日も、聞こえてくる…。

いつもは『比較的』静かなこの店が、今日は何故かいつもよりも騒がしい。
かぽっ、かぽっ。
不思議な音に誘われて、暖簾を潜った者たちは目を丸くしたに違いない。
本日ここは、唯の蕎麦屋に在らず。「第一回 大わんこ蕎麦大会」の会場となっていたのだから。
その参加者の中に、一人の少女がいた。
目の前に出された椀を嬉しそうに両手で抱え、慣れた手つきで箸を握る。
「じゅるっ、美味そうじゃのお〜。」
つばを飲み込み、うっとりと蕎麦を見つめる少女の名は本郷・源。美しい振袖におかっぱ髪。
日本人形のような、幼い外見に似合わない口調の彼女は、財閥のオーナーであり、退魔師であり、小学生であり、獣人。
そして…酒と蕎麦を愛するこの店の小さな常連である。

この大会が開かれたきっかけは、誰の言葉だったろうか?定かではない。
ひょっとしたら、源の発案だったかもしれない。
とにかく、美味しいことでは折紙付きのこの灯無し蕎麦。
腹いっぱい、とにかくたくさん、食べたいとたくさん食べたいと、言ったその提案に面白いこと好きの常連と店主がノリ本日、この大会が開催されることとなった。
ご存知かと思うが、わんこ蕎麦とは一口大の蕎麦を、次から次へと椀に入れ、食べて食べて食べまくる蕎麦好きにとっては天国とも、地獄とも言える食べ方。
ちなみに、本場岩手では、わんこ蕎麦は戦いである。食べるものと、給仕人の真剣勝負!
蓋をするまで玉は足される。椀に蕎麦がある限りは挑戦者は蓋をすることができない。そして…給仕人は蓋をされないように、すばやく蕎麦を注ぐのだ!
いかにスムーズに椀に玉を足す、給仕人の腕と心意気が試されるのだぁ!

少し脱線したので話を戻そう。
店主が思いっきり力を入れて仕込んだ蕎麦も、準備万端。客たちの用意も整ったようだ。
「用意…始め!!」
かくしてわんこ蕎麦大会は始まった。
参加者もこの店の常連であるだけあって、皆一筋縄ではいかない者たち。あれよあれよという間に、次から次へと椀が重なっていく。
その中で、一際高く椀を積み上げているものは…と見てみれば…源だった。
「つるつるっ…。美味いのお。おかわり!じゃ。」
かぽん。椀が注がれる。つるっ。二口で蕎麦は彼女の口へと吸い込まれる。
「もう一杯!」
かぽん。ずずっ、これも三口。
「いくらでも喰えるわい。おかわり!」
かぽっ、つるっ、ずずっ。
「おかわり!」
ずずずっ!っ!
驚くほどのハイペース、ハイスピードで蕎麦は消えていく。
彼女のおなかの中へと。
もう、重なった椀は、彼女の体の高さをとうに超えている。
この小さな身体のどこにこれだけの蕎麦が?これは、この店最大の不思議の一つになるかもしれない。
誰もがそう思った。
蕎麦をすする音も、いつしか可愛い音から迫力さえも帯びてきて…。
「もう一杯!」
ずずずずずずっ!
「おかわり!」
ずずずずずずずずずっ〜〜〜!
音は続いた。蕎麦をすする音も、椀に入れる音も。この戦いは永遠に続く。まるで、そんな錯覚さえ覚えるほどに…。

「ふうぅ。ごちそうさまなのじゃ…。」
源は、小さく息をつくと箸を置いた。すかさず椀に蕎麦を入れようと店主が身構えるが…、
「甘いっ!!」
かたっ!素早く蓋は閉じられた。その間0.03秒。
常人をはるかに超えた反応速度である。
「こんなものかのぉ。わしも小学生じゃしなあぁ。」
けぷっ。口から出た空気を振袖の袖で押さえて源は、にっこりと笑った。
店主の指が数える椀の数は、50を遙かに超え、70に達しようとしている。
(ちなみに、わんこ蕎麦は12〜15杯でかけ蕎麦一盛り分、男子平均50杯、女性平均30杯。)
『女の子は50杯以上食べたらお嫁にいけないよ〜。』
どこかの誰かの声が聞こえるような気がしたが…。
「?何か言ったかの?」
ぎろり、獣のように鋭い源の目に睨まれて、声はもう聞こえない。空耳か、幻だったのだろう。多分…。

どうやら、他の挑戦者たちも食べ終えたようだ。
ひの、ふっと指折り椀の数を数えていた店主が紙に数を書きつけ、確認し、こう告げた。
「っとじゃあ、優勝は源の嬢じゃのお。」
店主の声が勝者を告げる。
「えっ?わしが優勝?」
ちょっと、戸惑ったような表情で、源は店内を見回した。
猛者ぞろい、自分より、もっともっと食べるだろう…そう見込んでいたものたちの椀の数は、確かに自分より遙かに少ない…。
(なぜじゃ?わしが獣人化して、本気になって食べれば、もっともっと食べられたのに、200はいけたのに、わざと押さえ気味にしたのは、何故だと思っているのじゃあ。)
…どうやら、いろいろと思惑があったようである。
でも、そのようなことは、参加者たちには関係ないし、知らないし、知ったことではない。
「いや〜、お見事。」
「凄い喰いっぷりだったよねえ。」
「女の子とは思えないよ。ご立派、ご立派!」
「おめでとう!」
挑戦者たちも、観客たちも、賞賛の声と拍手を源に送る。だが、それはどう贔屓目に見ても…。
(絶対皮肉じゃ、嫌味じゃああ〜〜。)
源の心の叫びは当然、届かない。
こうして、財閥のオーナーであり、退魔師であり、小学生であり、獣人の力を秘めた少女。
本郷・源の伝説に「灯無し蕎麦 第一回わんこ蕎麦大会 優勝」という輝かしい文字が付け加えられることとなったのである。
『優勝のご感想は?』
「優勝なんて、いらんわい!!ああ、わしの可愛いおじょうさまのいめ〜〜じが〜〜。」
がくっ……………………。(地面に伏して、落ち込むこと約0.3秒。)
「まあいい。酒でも飲むかのぉ。店主!酒とつまみに天抜き頼む。」
「よっしゃ!」
可愛いお嬢様?一体どこにいるのであろうか……?

とまあ、こんな感じで灯無し蕎麦の日常は暮れる。
こんな騒ぎでさえ、日常である。この世界では、あやかし荘では。
あなたも、興味があればここの暖簾をくぐってみてはどうだろうか?
看板の無い店の呼ぶ、不思議な灯りが見えれば…あなたにもこんな世界への扉が開かれるかもしれない…。