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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


恐怖探偵と午後を


 11月14日のことだった。
 世間では駄作と罵られ、実際に興行収入も奮わなかったあるホラー映画の上映が終わった。だが、世間が何と言おうとも――彼らは屈しなかった。彼らとは、草間"怪奇探偵"武彦を筆頭としたホラー映画ファンのことだ。彼らは、この映画を手放しで褒め称えた。傑作だと謳った。何度もリピートした。DVDの予約をするため、金を貯め始めた。彼らの愛は、本物だった。
 シュライン・エマには知人が多く、その知人たちの中にはホラー映画好きも居たのだが、その熱心さにかけては草間武彦の右に出るものはいなかった。……と、彼女は思っている。
 草間がホラー好きだと言うことを知ったのは今年のハロウィンのことだった。草間のことをよく知っているつもりだった彼女は、少し驚いた。そのインパクトが、『右に出る者はいない』という肩書きを捏造したのかもしれない。
 シュライン・エマは、映画館を出た。
 草間は以前、言っていた。「客は俺の他に10人しかいなかった」。シュラインが観たこのときはさらに悪く、シュラインの他にスクリーンを観ていたのは3人だけだった。寂しかった。だが、この寂しさはちっとも恐怖を増長させる因子には成り得なかった。
 上映中、シュラインを困らせたのは、ポップコーンの殺人的なしょっぱさだった。間違いなく、このSサイズのポップコーンで、1日に摂っていい塩分の3倍は摂取しそうだと、シュラインが命の危険を覚えるほどだったのだ。
 目の前のスクリーンで血みどろの殺し合いが起きていることは、大した問題ではなかった。


「『フレディVSジェイソン』、観てきたわ」
「何ッ!」
 興信所に戻って開口一番、シュラインが今日の外出の目的を告げると、デスクでいびきをかいていた探偵が飛び起きた。
 草間武彦は、ズレた度入りサングラスをかけ直すと、凄まじい勢いでまくし立てた。
「ついに観たのか! 観てくれたのか! どうだった! 素晴らしかっただろ!」
「お帰りなさい、シュラインさん。コーヒー淹れますね」
「『お帰り』って、零ちゃん……もうすっかり、私はここの住人なのね」
「違うんですか?」
「シュライン、で、どうだった!」
 シュラインはしばらく苦笑したまま黙っていた。零がコーヒーをもって来てくれた頃に話し始めようと、応接間のソファーに腰を下ろす。草間が、妙に神妙な面持ちでシュラインの前に座った。
 シュラインは、コーヒーが来た後、正直に話した。
 夢魔の手にかかった男の背中がじゅうじゅう煙を上げているシーンで石焼ビビンバが食べたくなったこと。生卵がのっていて、箸でぐちゃぐちゃかき混ぜるのよ。じゅうじゅうとね、火から下ろしたのにまだいい音がして。あ、石の器は熱いから気をつけなくちゃ。今度食べに行きましょ、武彦さん。
「……」
 草間が、がくりと頭を垂れた。
 どうやら草間が望んでいたのはこういった感想ではないようだ。シュラインは慌てて映画の内容を反芻し、正直に、思ったことを話した。
 殺しても死なない殺人気がふたり、人間ならとっくに死んでいる必殺の一撃を食らいなかせらもがっつんがっつんどつき合っているのを見て、本当にふたりは一生懸命だなあと思ったこと。一生懸命な男って好きよ、可愛いところが。どんな男にも可愛いところはあるものね。
「……」
 草間が、がくりと頭を垂れた。
 これも違ったようだ。
 シュラインはここで途方に暮れた。他に感想が見つからない。エンディングテーマのノリは良かったわね、などと話しても、草間の反応を見る限り、喜びそうにはなかった。
「で、でも……面白かったわよ」
「いいんだ。どうせあの映画はマニア向けなんだ。最低でもどっちかのファンでないと楽しめないんだな。あの監督の職人技には気がつかないというわけだ…… 『チャッキーの花嫁』はまあまあだったが……やはりあのお約束なラストシーンが理解されなければならない……」
「だから、面白かったってば」
「どの辺がだ? どのように? 具体的に言えるか?」
 草間の真面目な視線に、シュラインはぐっと言葉に詰まった。探偵の質問に答えることが出来なかった。つまらなくはなかったし、迫力はあったので、1800円の価値はあると思った。だが、わからない。どこがどのように面白かったのだろう。
「前に『マイノリティ・レポート』観に行ってたな」
「ええ、まあ」
「どうだった?」
「面白かったわ」
「……どの辺が?」
「……」
「これだ! それだ! そこなんだよ!」
 いつの間にか隣に座っていた零とともに、ビシと草間に指差されたシュラインは、びくりと跳ね上がった。こんなエキサイトした草間も珍しい。ゆはり、彼は熱心だ。
「最近の映画を見る奴は、そんなんばっかりだ。映画を観てないんだよ。ただ、見てるだけなんだ! せっかく映像と音の両方で楽しめる、『夢』のような娯楽なんだぞ。上映時間だって大抵2時間だ。2時間、ぼーっと『見てるだけ』だなんて、時間の浪費だと思わないか。色々考えながらだな、映画というものは観るべきなんだ!」
「はい、理解しました」
「……武彦さん、血圧上がるわよ」
「上がってどこが悪いんだ! こういうときぐらい上がらせろ! ……俺は今観客が悪いと言うことを言ったが、最近は映画のほうにも問題があるわけだ。ただ爆発すりゃいいというものがだな……」

 30分経過。

 コーヒーは何とか冷める前に飲み干すことが出来た。
 草間武彦の言い分も何となく理解できた。草間はホラー映画ファンではなく、映画ファンだったのだ。シュラインは、草間のことを少し誤解していたことに気がつき、少し反省してみたりもした。草間の熱弁は、おそらく(いや確実に)シュラインよりも零の方が熱心に聞いている。
 おそらく(いや確実に)血圧が上がっている草間を尻目に、シュラインは何気なく、草間のデスクの上を見た。
「あ」
 ゲオのビデオケースが、ビニール袋から顔を出している。
 シュラインはソファーから立つと、草間が借りてきたらしいビデオを手に取った。
「今日借りてきたの? ……う」
 シュラインの鼓膜を震わせた、「ばばーん」という効果音は……幻聴だろう。
 おどろおどろしい字体のタイトル、それは『マタンゴ』。タイトルラベルもすり切れたこの邦画は、1963年発表だ。
「随分古い映画を借りたのね……」
「『ガス人間第一号』と迷ったなー」
「また、映画も古そうな」
「古き良き、ってやつだ」
 草間は煙草に火をつけて、満足そうに――また語り始めた。
「昔はやっぱり、今と違ってホイホイ映画は作れなかったからかもしれないが、気合が入ってるんだよ。売ろうと思って作っていたんじゃない。作りたいから、作ってた。芸術作品なのさ」
「……言えてるわ」
「お、そう思うのか」
「ピカード船長もいいけど、カーク船長はもっとよかったもの。データ少佐も素敵だけど、Mr.スポックはもっと素敵だった」
 シュラインは、目を細めて微笑んだ。
「私は、そう思うのよ」
 彼女はケースからビデオを取り出すと、応接間にある壊れかけのテレビをつけ、ビデオデッキにテープを入れた。爪が折られたビデオが、自動的に回りだす。
「武彦さん、この映画……観たことないの?」
「ああ。何だかんだで、興味あるのになかなか観られない……そういう映画ってあるだろ」
「毎日が充実してる証拠ね」
「そうか?」
「私、あるの」
「なに?」
「これ……観たことあるのよ。怖かった。怪物より、ずっと人間が。怪物なんか、隠し味なのよね。本当に怖いのは極限状態に置かれた人間だって、そう言いたいのよね、この映画」
 古めかしい音楽と、古めかしい映像が流れ始めた。
 目を細めるシュラインの横顔を、草間がやはり目を細めて見ていた。
「なんだ、シュライン……おまえ、『映画好き』じゃないか」
「そう? ただトラウマになってるだけよ」
 シュラインは答え、古い映画を観ながら、ぼんやりとまた別のことを考え始めた。
 ――ああ、今私が他のこと考えてるなんてバレたら……武彦さん、また興奮するわね。
 ペンの置き場所にも困る草間のデスクの上に、つい先ほど観てきた『フレディVSジェイソン』のパンフレットがあった。ぎらぎらと銀色に光る、豪華なパンフレットだ。銀色に光るジェイソンを見て、シュラインはそこから思い出した。自分一人で観たのか、草間武彦と零とともに観たのか、それすら思い出せない映画がある。確か……ジェイソンが宇宙に行っていた。そしてデータ少佐と戦っていたような。ああデータはビームを飛ばしていたような。ん? ちがう、ジェイソンの映画に新スタートレックの人物が出てくるはずはない。どうやら『宇宙空間での出来事』という共通点だけで、新スタートレックの劇場版と、記憶が混同しているらしい。面白かった、とは思ったはずなのに。
 ――また、ウロ覚え……。
 ちらりと草間の様子を見れば、探偵は真剣な眼差しで映画を鑑賞していた。すべての映画をこの心意気で観ろというのだろうか。疲れそうだ。疲れを知らない零は、言いつけ通り真剣に映画を観ている。
 ――公開されたら、『ラスト・サムライ』観に行きましょ。感動巨編なのかしらね。……だったら、私ひとりで行かなくちゃ……。
 草間や零とともに観に行くか、ひとりで観に行くか。シュラインは公開初日ではなく、ネットで感想が飛び交い始めたら行こうと、こっそり予定を立てたのだった。

 そうして、11月14日の午後は更けていった。




<了>