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<東京怪談ノベル(シングル)>


破滅に至る病〜匿名のHERO〜

 それは、寒い雨の日だった。
 その男は何かに追われるように現れた。真昼の公園に――。
 雨の日なのが幸いだった。大して人影もなかったのだから。
 雨の日なのが不幸だった。少ない人間ではどうにもならなかったのだから。
 男は公園に居合わせただけの人々を何と判断したのか、それは判らない。
 ただ、持っていたナイフを振り上げ冷たい雨を血に染めた。
 暖かい血潮の雨が地面を染め上げる。
 魂を失った人の形をしたものが後に残された。
 哄笑する男は自らの首を切り果てた。
 彼が何を思ったのか。何が彼をそうさせたのか。
 知る者は、ない――。


 否、そうにあらじと声高に主張する者もいる。
 したり顔で犯罪心理を説く者。公園の危険性を説く者。はたまたご近所の不安を見て神経質になりすぎだと説く者。
 数え上げれば尽きぬ程にそれらは連日テレビを紙面を賑わせた。
 重い病気で死期が間近に迫った男の凶行に、哀れというべきなのか、ただ身勝手というべきなのか世論は真っ二つに分かれていた。


 男はビデオのリモコンを早送りした。目的の報道を見る為だ。彼の手元にはノートと新聞の山。あぐらをかいて眉を寄せて見入る男にそっと茶が差し出された。
「……そんなに根を詰めると体によくありませんよ?」
「他と同じ記事を載せる訳には行かんからな」
 妻は最近痩せたようだと男は思う。苦楽を共にした恋女房がダイエットでもしたのかとちらりと思った。
 元々男が志したのは報道の道だった。しかし、配属されたのは微妙に分野の違う――所謂ゴシップを取り扱う部署だった。彼は落胆したものの日々東奔西走し、今では名前は載らないものの記事が紙面に踊るようになっていた。
 ――これからだ、これから。皆が俺の記事を待っているんだ。
 もっと赤裸々な真実を待っているのだ。
 報道の自由の元に事実を知らしめる事こそが彼の、記者の使命であると確信していた。彼は人知れず多くの人々を動かせる力を、ペンという力を持っている。
 ――俺の名を知らなくても俺の言葉は知っている。待っている。正義の名の元に全てが明らかにされるのを……!
 彼は気が付かなかった。妻の顔色が悪い事に。妻が抱える秘密に。
 気が付かなかったのではなく気付こうとしなかったのかもしれない。
「無理はしないで下さいね」
 切なげな呟きは届かない――。


 それを見ていたのは誰か。赤い着物の裾がひらりと舞う。
「さあ、どうなる? どうする? 我の導きが……入用かの?」
 幼い声が笑いながら、告げた。


 彼がその病院を見つけたのは地道な足での取材の結果による。否、見つけたは病院ではなく共通点と言うべきだろう。そこは近場では有名な大きな総合病院だったのだから、かかる人間は少なくない。
「それで、二人の関係は?」
「……同時期に入院されていただけですよ。何度か話したりはしてましたけど、……被害者の方はすぐ退院されましたし」
 執拗に尋ねる彼に答えたのは看護婦。漸くありつけた情報に男の目は爛々と輝いていた。
 ――犯人はただ自分の死期を悟って自暴自棄になっていた訳ではない。
 そうだ、そうに違いない。男は自分の推理が真実に近いルートを辿っている事に狂喜していた。だがまだだ。決定的な一言を引き出さずして如何に出来ようか。真実とは人の口から確実にそれを示唆する言葉を引き出してから使える言葉だ。
「被害者はどんな患者でしたか?」
「朗らかな方でしたから、色んな方に気軽に声をかけていましたしね」
「声をかけていた。……それは犯人にも?」
「え? ええ」
 彼の意図を知らぬまま看護婦は頷く。礼を言って踵を返した男は駆け込んできた赤い着物の少女がこけないように手を差し出した。
「危ないよ。お嬢ちゃん」
「……危ないのは誰?」
 稚い視線が男を捕らえた。幼い可憐な少女の視線を受け止めて何故だか彼は悪寒を感じた。
「こけたら怪我をしてしまうからね」
「怪我をしたら痛い?」
「そりゃあ勿論」
「傷口に塩を塗りこめるって言いますよね、あれって痛いのかしら?」
 妙な事を言うと思いながら男は頷く。
「心の傷に同じ事をしてはいけなくないの?」
「え?」
「いけなくないの?」
 戸惑う男を少女は見つめ続ける。答えを待つように。
「そりゃあ勿論いけないよ」
「ならば何故する?」
 突然口調が変わった。視線も冷徹なそれに代わる。
「御主のしている事こそがまさしくそれだろうに、何故?」
「何を突然……」
「今ならば引き返せよう、お主の今歩いている道は本当に望んだ道かえ?」
 返す言葉を見出せない男に魅咲は静かに告げる。
「次に会う時が最後。贖いの時になろう。……逢わぬ事を祈っておるよ」
 ひらりと少女は身を翻す。赤い着物だけが彼の目の端に映った。


 彼の記事が紙面に踊ったのは程なくの事だ。
 男は被害者の一人に懸想しており、そして自らの死に直面した際彼女を思い出し、道連れにと願ったのだと。
 無理心中であり、他の面々はただ巻き込まれたのだと。
 そう紙面は語る。
 死した男は何も語らず、死した女もまた語れず。
 それはまるで真実のように世論を沸かせる。
 誰も知らない筈の真実が作られていく――。
 事実は男が公園にいた人々を殺害し自らも死んだ事。
 その思いを誰が知ろうか。真実を誰が知ろうか。
 否、誰が決める事が出来ようか。
 しかし紙面は語る。それを真実として――。


 女性の家に報道陣が押し寄せる。
 真実を白日の下に明らかにする為に彼らは昼も夜もなく家に集う。
 まるで女性さえいなければ事件が起こらなかったように。
 もしや関係の一つもあったのではと彼が書けば、追従し勢いを増す取材攻勢。
 匿名の男の書く記事が世間を動かしていた。男は嗤い、更なる真実を見つけ出す。一段と細くなった妻が変わらず心配げにしている事に気付く事なく。
 いつの間にか話題の主役は犯人ではなく被害者の一人になっていた。妻と子供を失った男が自殺を図ったのは最初の報道からおよそ一月後の事であった。


「何がやりすぎだ。自粛しろだ! ふざけるな。俺が部数を伸ばしてやったって言うのに!」
 浴びるように酒を飲んだ帰り、苛立たし気に男は喚きいていた。帰り着いた家の異様さに気付いたのはドアを開けた後の事だ。
 明かり一つついておらず、人の気配もしない。男は妻を呼び家を探し回った。
 台所に影が一つ。
「愚かな男」
 謳うように告げるあの少女に会ったのはいつの日か。
「己が妻の失調にも気付かず、人の心を暴き、でっち上げるのが余程楽しいと見える」
 袖で口元を隠しほほと笑うその足元には倒れた妻。
「程なく、御主の事も暴かれようぞ、御主がやったように。さしずめ『同じ病気の妻からの情報で被害者を追い詰めた報道記者』といった所か」
 男は愕然と立ちすくんだ。
「妻が……病気?」
「御主には過ぎた妻よ。忙しい夫を気遣うあまり言い出せぬままだったのだから」
「……そんな馬鹿な」
 よろよろと冷えた妻の身体を男は抱き寄せた。魅咲は目を眇める。
「細君を本当に思うていたなら、気が付けたろうに」
 妻を抱き名を呼ぶ男は、揶揄する言葉に応えない。
「御主の行く末は言うまいか。御主と同じ報道とやらが真実を作ってくれるであろうよ」
 幼い少女の姿をした導き手の姿は消えた。しかし男は気が付く事なく妻に必死に呼びかけ続けた。


 彼の真実を報道はどう語るのだろうか――。


fin.