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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


フレデリック・モンスターファーム


 異形の死体が見つかったのは、崩壊寸前の屋敷を取り囲む森の一角である。
 猫とも犬とも鳥ともつかない奇怪なソレらは、異臭を放ち、身体の半分以上をぐずぐずに崩した姿で虚ろな視線を空に向けていた。
 だが、警察で屍骸を回収するより早く、それは灰となってこの地上から消滅した。

 生理的嫌悪感を及ぼすほどに悪意に満ちた歪な骸は、その後も幾度となく人々の目に曝され続ける。

 町の住人は囁きあった。ひそやかに、だが、確実に恐怖を含んで。
 あの森の屋敷には、禁忌を犯したものが住んでいる。
 触れていはいけない。踏み込んではいけない。心惹かれるままに手を伸ばしてはいけない。
 光や言葉、胸に抱いた想いのように、目に見えないモノはそうでなければならないからカタチを持たない。
 生命もまた、その所在をカタチに求めてはいけない。
 神の意思とも呼ぶべきものが介在している一切に触れてはいけない。
 そうでなければ。
 足元に開いた奈落の底に、自ら堕ち込んでしまうことになるのだから。
 神の領域を侵し、闇の底へと誘う穢れと冒涜の呪に関わってはいけない。

 だが、子供は、子供であるが故に戒めを解き、禁忌へと自ら近付いていく。
 オトナたちが禁じれば禁じるほどに、好奇心は募り、幼いその手を罪の世界へと伸ばすのだ。
「あの子と遊ぶんだ!」
「あの子の本、すっごいんだよ?」
 そして、犬や猫たちと同じように、子供達も1人2人と町から森の中へ姿を消していく。

 夜毎、暗い森からは獣じみた咆哮が上がる。
 そこに混じる子供たちの甲高い笑い声。
 その後に続くおぞましい悲鳴。
 彼らを追いかけ、連れ戻そうとしたオトナたちは誰ひとり戻って来ない。
 そして、異形の死体がまた1体、森の隅でばらばらに砕かれて灰に変わる。
 ヒトと獣が混じりあったかのような不吉な屍。
 その面影に森に消えたオトナを見るものもいた。
 町を覆う歪で不穏な空気は、更にその濃度を増していった。
 排除せねばならない。取り戻さねばならない。封じなければならない。止めなければいけない。
 神の秩序をもう一度この町に取り返さなければならない。

 子供たちの魂を奈落の底へと引きずり込む魔物を、この世界から滅せねばならない。 



 興信所の黒電話が、狭い部屋に悲鳴じみた音量でけたたましく鳴り響く。
 向こう側で語られる全てを聞き終えた時、草間は苦い表情を浮かべ、調査員を求めるために再び受話器へとその手を伸ばした。



 雑多な音で溢れかえる弱小スポーツ新聞社の編集部。
 電話の呼び出し音と、それに負けず張り上げられる声。飛び交う情報と、次の行動を決める支持の嵐。
 調査資料に大半を占拠され、灰皿に吸殻をうずたかく積み上げたデスクで、佐久間啓はありとあらゆる場所を網羅するかのようにネットの海を回遊しながら、その口は携帯電話を相手にしていた。
「ほお。んじゃあ、今の屋敷の持ち主は馬宮という男になってんのか……30年前にそいつが買い取ったと、そうなんだな?その後誰も接触した奴はいない、と」
 唯一空いている左手が、器用にボールペンを操って手帳に走り書きをする。
「……了解。いいネタどうも」
 受話器を置いた佐久間の口元が、にぃっと笑みの形に歪む。
「いいねぇ……実に刺激的だ」
 事件ならば掃いて捨てるほど今の日本には溢れている。
 だが、佐久間の食指を動かし、なおかつ退屈しきった日常を覆してくれるほどのものはそうそう起こらないものだ。
 アイドルの熱愛発覚や離婚、スポーツ選手のFA宣言、そういったものも確かにニュースにはなる。そして当然のことだが、こちらの事件の方が佐久間の会社の趣旨にはそってはいるのだ。
 だが、しかし自分が真実求めているものはそんなものじゃない。
 望むものは高揚感だ。時折、ほんの時折気まぐれのように自分の前へと姿を現す心地よい感覚。
「さあて、手土産もって顔出してくっか」
 掴んだネタは、多分間違いなくあの金回りの悪い男が所長を勤める興信所に流れてついているはずだ。
 記者として鍛えた嗅覚が、尋常ではない世界を捉えているのだから。
「久々に楽しめるかもな」
 ひとり呟いて、席を立つ。軽く伸びをして、パソコンの電源を落とすと、
「ちょっとそこまで出てくるわ」
 喧騒の中で声をかけて来た同僚に軽く手を振ると、佐久間は編集部を後にした。



 目が覚めたのは、どれくらい前だったんだろう。
 薄ぼけた暗い夜の世界で、ボクのもとに置かれていたのは2冊の本だけだった。
 そこに全てのメッセージが刻まれていた。
 あの人の意思を、ボクは引き継いだんだ。



 草間の何とも言いようのない渋い表情を置き去りにして、集まった調査員達は各々、シュライン・エマの手によってまとめられた調査資料に目を通していった。
 異形の死体が見つかった最初の時期、丁度今年の3月から始まり、続いたいくつもの事件の詳細。そして、顔写真を添付された行方不明とされるものたちのリスト。
 短時間でよくここまで。
 そう思わせるほど多彩な、おそらくはシュラインの持つ情報網の広さと奥深さをも窺わせるものが記されていた。
 しばらくは無言のまま、時が過ぎていく。
 武田一馬もまた、そんな沈黙の中に身を置いていた。
「なんかヤバイことが起きてる。これってオレの気のせいじゃないはず……」
 誰に問うでもない言葉が口をついて出る。
 その頭に思い描かれていくのは、最近読んだホラー小説のタイトルだった。
 いわゆる古典と呼ばれるものから、最近映画化された話題作まで、3週間で約11冊。
 クリスマスが提出日となっている課題からの逃避によって、彼の読書量は普段の6割増となっている。
 そうして得たのは、キングが偉大なる作家であるという事実と確信だった。ただし、大学側から提示されている論文作成にはこれっぽっちも貢献していない。
「尋常じゃないってコトは確かだと思うよ。私も賛成だ」
 彼の独り言めいた言葉を拾いあげ、藤井百合枝がポツリと返す。普段スーツで動くことの多い彼女の今の服装は、ジーンズにスニーカー、そしてジャケットと、機動性を重視されていた。その横には、霊刀がひっそりと身を寄せていた。
 興信所経由の調査であっても滅多に持ち出さないその武器が、彼女の危機感をそのまま表している。
「屋敷そのものについての知識も欲しいところだね。どこまでがどうオカシイのか確かめたい。大人だけが帰ってこないんだろ?でも子供は話から見てどうやら行き来も出来ているらしいし……」
「……調べていて思ったんだけどね…どうも、『あの子』って呼ばれている存在が気になってるのよ。それから……荒唐無稽な仮説を立てている自分がいて驚くわ」
 こつこつと指先でまとめられた調査報告資料を叩くシュライン。
「どうして?この事務所でどんな話が飛び出しても、私は驚かないよ。いまさらじゃないかい、シュライン?」
 出されたコーヒーを一口、それから肩をすくめて藤井百合枝が答える。
「そうっすよ!どんな話でももしかしたら正解に繋がるかも知れないんです。この際思い切って話しちゃってください」
 百合枝と武田の言葉に、シュラインの険しくなっていた表情がほんの少し和らいだ。
「………まあ、そうかもね」
 浮気調査や迷子のペット探しばかりでまるで仕事もお金も入らない頃と、怪奇関係ばかりの仕事が舞い込むが一応の報酬が得られる今、どちらが良いのかと思いつつも言葉を繋いだ。
「上手く言えないんだけど、この時点でまた調べ切れてないことは沢山あるんだけど……生物の合成、なんて信じられるかしら……可能なのかも分からないんだけどね」
 奇怪な生物についての視覚的資料は、現時点では一切存在していない。
 だが、人々の記憶が語り、文字だけが物語る、犬とも猫ともつかない獣、消えた人間の面影を残す崩れかけた異形の数々。
 それらは全て、もしかしたら森に踏み込んだものたちの『成れの果て』なのではないか。
これが、現在入手できる情報をもとに組み立てられたシュラインの仮説だった。
「神の摂理を乱すもの……赦されざる罪人の所業か」
 ロゼ・クロイツは狭い応接間の隅で調査書と向き合う視線をそのままに、低く静かに呟いた。
 人形のように冷たく、口や目元すらまるで動かない表情の下では、深く静かに怒りが揺らめいている。
 街を彷徨い、人々の中を彷徨いながら、ロゼは昼夜を問わずひたすらに闇と魔の気配を辿る。
 神の規律に反するものへと、虚構の身体を以って黒衣の修道衣をひらめかせ、罰を下すために。
 それは意識を持った瞬間に刻まれた絶対的使命であり、存在理由だ。
 自分はこの冒涜者に対し、制裁を与える義務がある。
 だから、ここへ来た。この人間たちと関わるのもまた、神の御心だと信じているから。
「キメラ、化け物……獣の咆哮も聞こえたんだよな。この話は俺に対する挑戦か何かか?」
 窓に寄りかかり、調査員と関わることを嫌うように外を眺めていた来栖麻里は、そこで初めて言葉を発した。
「まあ、いい。屋敷もバケモンも行方不明のオトナも、調査は全部お前らに任せてやる」
「また、お前は」
「俺は俺の好きにする。お前らの指図は請けないと何度も言っているはずだ」
 武田のたしなめるような言葉を遮り、来栖は下から鼻先を突きつけるようにして、挑戦的な視線で彼を睨みつける。
「一刻を争うんじゃねえのか?悠長に構えてていいのかよ?ガキが関わってんだろ?あいつらは、お前らの都合なんざお構いなしに動き回るぜ?」
 そう、それは間違いなく事実であり、真理だ。
「取り返しのつかねえ事態ってのは、もうとっくに始まってんだよ!」
 鋭い語気で武田の胸に言葉を突き立てると、そのまま踵を返し、興信所の窓からひらりと外へ飛び降りた。
「来栖!?」
 あの来栖の瞳の中にある色が、武田の心に引っ掛かる。
 一瞬、あの人を嘲るためだけに細められる金の色彩に深い傷痕を見た気がした。
 錯覚だったのだろうか。
 何度か調査で顔をあわせている。だが、いつだって来栖は自分ひとりで動くし、誰の言葉にも耳を貸さない。
 相手の真意を確かめ、秘めた思いを辿れる距離に自分はいないのだ。
「なんかあるね」
 武田の肩越しに来栖の消えた窓に緑の視線を投げ掛けながら、百合枝は小さく溜息をついた。
 こちらに視るつもりがなくても、心の炎を一瞬で燃え上がらせる激しい感情は、時に予告なく百合枝の視界に飛び込んでくるものだ。
「……多分、アイツはあいつなりに何かあるんだと、思いますけど……」
「お、調査員熱烈歓迎中って感じだな」
 突然割り込んできた声に、一同の視線が一斉に玄関口へと向けられた。
 ぐるりと自分に視線を注ぐものたちの顔ぶれを確認し、男はさらに歪んだ笑みを深める。
「ここなら美味い調理方法があると思ったんだが、なるほど。自分の勘に惚れ惚れするぜ」
「佐久間さん!」
 その場にいるものたちの中で、彼と顔見知りなのは、どうやらシュラインだけのようだった。
「よお、久しぶり。相変わらずなのな、ここは」
へらっと笑い、
「だったらコレは無駄にならねえよな」
そういって目の高さまで持ち上げられた黒い手帳と重なる数枚の白い紙に視線を集める。
「佐久間さん……あなた」
 まるで役者が揃う瞬間を計っていたかのようなタイミングで、調査員を迎えに来たワゴン車が、重い音を立てて興信所前に停止した。



 興信所の窓から次元を超え、歪な気配をなぞるように件の森へと開かれた通路を、来栖は一気に駆け抜けた。
 武田と相対した瞬間、自分の中に蘇った記憶がひどく心を苛立たせる。
 心的外傷。
 そんな人間の作った言葉で一括りにされたくはない。
「……………ちっ…ガキどもを何とかしなきゃ…俺の目覚めが悪いんだ」
 別に人助けのために動くわけじゃない。草間や、まして依頼人のために乗り出したのでは断じてない。
 ただ、何も知らず、何も理解せず、ただ好奇心と自身の欲求、そしてもしかしたら子供の世界にだけ存在する情のために禁忌を侵し、罪を撒き散らす行為が気に喰わないのだ。
「何もしらねえガキは、見ていてイライラすんだ……それだけだ」
 誰にも届かないたった1人の世界で、そんな言い訳じみた言葉を小さくごちる。

 頭の奥が、ちりちりと焼け焦げるような痛みを発しはじめていた。



 本をなぞる。1ページ、2ページ、3ページ………
 重くて厚い本の中には、たくさんの円や記号や文字が並んでいて、そこに描かれた図形も、そこに記された言葉も、ボクだけにしか読むことが出来ない。
 でも、軽くて薄い本の中身は、ボクじゃなくても読める。
 僕の家に来てくれた、森の向こうから来たトモダチ。
 名前を聞かれたから、ボクはボクの名前をここから付けることにした。



 調査員たちを乗せて山道を進むワゴン車は、けして乗り心地の良いものではなかった。
 だが、道の振動全てがダイレクトに伝わるような車内、口を開けば舌を噛みそうな状況下でも、佐久間はまるで気にする風もない。
「つまり、だ」
 黒い取材手帳を片手に持ってひらひらさせながら、彼は一番後ろの座席を陣取り、まるで講義でもしているかのような口ぶりで取材内容を上げていく。
「馬宮源蔵が屋敷を買い取ってから30年、ヤツの姿を見たものはいない。もとは遺伝工学の権威にして名医と誉れも高かったらしいけどな、一人息子を流行病で亡くしてから頭がイカレたらしい。息子を生き返らせようとして失敗こいたとか、患者で実験繰り返したとか、まあ話題はつきねえワケだ。ついでに森ん中に屋敷を買い取ったもんだから交流なんざ出来やしねえし、する気もなかったって感じだな。一応、何度か怪しげな大型車が出入りしてるのを町の人間が目撃してるって話だったが、まあ、これも2年前からさっぱり見なくなったらしい」
「なんか思い切りゴシップっすね………」
 一息に喋りきった内容に対する武田の実に率直な感想に、佐久間は不自然に真面目な表情を作ってみせた。
「ああと、一馬、だっけか?後学のために聞いておけ、青年。ゴシップの中に真実が紛れ込んでることが往々にしてあるんだぜ?ちなみに真実なんてものも、ひとつじゃねえし?」
「……そういうモンなんっスか?」
「真実はいつも2つか3つ。誰にも分からなけりゃ捏造されるし、誰かが分かれば今度は捻じ曲げられる。そうしてこの世は成り立ってんだ。以上、俺の持論」
「そういうモンなんっスか……」
「そういうもんなんだ」
 そばで聴いていた百合枝とシュラインは、武田の素直な反応と講釈然とした佐久間の言葉に笑いを噛み殺していた。
 ロゼは憮然とした表情のまま、興信所からずっと沈黙を守っている。
「本当にそんな噂があるんですか?」
 シュラインが運転席の青年を見返る。
「そうですねぇ。あながち間違いじゃないです」
 彼は微苦笑を浮かべながらも、そのゴシップを否定しなかった。
「おれの生まれる前から噂は耐えなかったし、うちの親父だって馬宮氏の姿は見ていないんです。30年引きこもりっぱなし。食料とかどうしてんだかもさっぱりなまんま。誰も近づいたりしてませんよ」
「……馬宮氏の息子さん、亡くなっているのね?」
「そういう噂です。」
「本当に誰も屋敷については知らないのかい?」
「知らないでしょうね。知ってるとすれば……」
 そこで青年は一度口を噤み、正面を見据える表情が険しくなる。
「……森で遊ぶ子供らだけですよ、多分」
 嫌な沈黙。
「さ、着きましたよ。ここが……」
 気付くといつの間にか道路は広く整備され、民家の立ち並ぶ市街地へと入り込んでいた。


「あら?」
 シュラインの聴覚が、遠くで微かに言い争う音を拾う。
 視線をめぐらせると、丁度森へ続く石段の前で、幼い子供2人が、険しい表情の男に腕を掴まれているのが目に入った。
「森には行くなとあれほど言っているだろうがっ」
「やだやだやだ!!マー君たちも待ってるもん!」
「はなして、おじさん!お兄ちゃんと行くんだもん」
 そのやり取りは、この町でどれだけ繰り返されてきたものなのだろうか。
 そう思いながらも、シュラインは思わず彼らの間に割って入っていた。その後に続くのは武田である。
「待って!あの…そんなに乱暴しない方がいいと思うんだけど」
「なんだ、あんたたち」
 子供たちの腕を掴んだまま、男は顔を顰めて睨みつける。
「なんつうか、よくないと思うんですけど。その子怖がってるじゃないですか」
「あ、こらっ」
 気を取られ、力が緩んだ男の腕を思い切り振り解いて、子供たちは、武田の背後へと回り込んだ。
 そして身体を寄せ、保護を求めるように隠れてしまう。
 シュラインは武田と視線をかわし、軽く頷きあうと、
「私たち、例の件でこちらに呼ばれたもの達です」
 彼女は丁寧に、そしてまっすぐに男を見つめて告げる。
 その言葉を継いで、今度はいつの間にか隣に立っていた佐久間が、男に話を持ちかける。
「出来ればこっちで話を聞かせてもらえないか?色々、確認したいことがあるんだ。頼むよ」
 町の噂はどの程度広まっているのだろうか。
 彼は訝しげに顔をゆがめながらも、しぶしぶといった体でその申し出に従った。
「さて、と」
 男が見えなくなると、武田は、自分の半分ほどしかない小さな子供たちと視線を合わせるように、すとんっとしゃがみこんだ。
「えっとさ、お兄ちゃんと遊ぼっか?」
 にこっと、まるで子供ような人懐こい笑顔を浮かべる。
 お互いにどうしようかと顔を見合わせ、視線を交わし、肘でつつきあう子供たち。
「ん、どうだ?」
 男から助けてくれたとはいえ、見知らぬ人間である武田にしりごみする2人。
 なかなか答えを出せずにいる。
 ちょっと考え、シュラインはここまで聞こえてくる小鳥達の様々な音色を耳で聞き分け、小鳥の声を紡いでみせた。
「あ」
 女の子の表情がパッと輝く。
「お姉ちゃん、すごい」
「他のも出来るわよ?」
 続いて、車のクラクション、学校のチャイム、扉の開く音、子供たちそれぞれの声までも正確に模写してみせた。
「シュラインさん、すごいっすね」
 武田も含めた一同の尊敬の視線が一気に集まる。
 緊迫していた空気がやわらかく解け、和んでいく。


「なんつーか、ほのぼのだな、おい」
 たった一度のやり取りで、すっかり兄妹と打ち解けてしまったらしい武田とシュラインは、いつの間にか人数の増えた子供たちを纏わりつかせながら、楽しげにその相手をしている。
「随分馴染んでるじゃねえか。保父さんの資質あるんじゃねえの?」
 子供たちを引き止めていた男からあまり有意義でない話を聞いて、少々疲れを覚えながら、佐久間は内ポケットに手を突っ込んだ。そこから煙草を一本抜き取り、口に運ぶ。
 同じように少し距離を取って木の下に佇んでいた百合枝は、くすりと小さく笑った。
「一馬はアレだね、人の心を捉えるのが上手い。シュラインは情報を引き出すのが上手いと想うけど」
「へえ、アレで情報収集かい。っと、くそ。ライター切れてやがる」
「どうぞ」
「お?なんだ、気が利くな」
 タバコは吸わないものだと思っていた女性から差し出されたのは、どこにでもある安物のガスライターだった。
「あんたの為に買ったんじゃないんだけどね」
 百合枝の肩で、重そうなリュックの中がピチャン…とかすかな水音を立てる。
「あんまり、気は進まないんだけど、ね」
 苦笑を浮かべて、ライターを再び自らのポケットへと滑り込ませた。
「そういえば、ね?2人はどこに行こうとしてたの?良かったらお姉ちゃん達もまぜて欲しいんだけどな?」
「フレディのとこにいくの」
「フレディのとこ?」
「フレディ……フレディっていうんだ?」
「うん!ええとええと……本当の名前は長くて忘れちゃったんだけど、でも皆、フレディって呼んでるの」
「フレディは…ええと、どんなことするの?」
「うんとね、本を読んでくれるの」
「フレディとおんなじ名前のネズミの絵本とか、もっと別の字がたくさん書いてる本とか」
「後ね、フレディが読み上げると、イノチを探せる本もあるんだよ」
 何気ないその言葉に、ぴしりと調査員達の神経が緊張する。
「フレディはすごい本を持ってるんだね……どんなふうに命を探すのか知りたいんだけど、教えてくれる?」
「ええ?」
 どうしよう。
 もったいぶっているようにも見える子供たちの反応に、根気強く質問を繰り返す武田のもとへするりと近付く百合枝。
「……いいものがあった。食べるかい?」
 ジャケットのポケットからはチョコレートの包みがひと粒ふた粒み粒……とまるで手品のように次々と出てくる。
「わあっ!」
 幼い兄妹の目がキラキラと輝く。子供らしい反応に、昔の妹の姿を重ね見る。
「ええとね、本を開いて呪文を唱えるの。そしたらね、グニャンッてして、混ぜれるようになるから、そうして探すの。ねえ?」
「ねぇ?」
 子供たちは気付いていないのだろうか。
 それとも、気付いてはいるが、ソレがどんな意味を持つのかまで思い至らないのだろうか。
 『友達』のことを得意げに話してくれる子供たちの無邪気さとその屈託のない笑顔に、シュラインの肌はざわりと粟立つ。
 帰らない子供たち。時折帰ってきては再び森の奥へといってしまう子供たち。
 子供たちの真意は一体どこになるのだろう。
 それとも、理由を求めるのは自分が大人のせいであり、彼らにはそんなものは存在しないのだろうか。

 ロゼの視線は鋭い棘となって調査報告書を再び繰り始めた。
そして何かを確認すると、同じ調査員たちには何も言葉を残さないままに、ひとり、黒衣を翻して森の奥へと歩き始めた。
 だが、そんな自分を呼び止める声が追いかけてくる。
「待ちなよ。一人じゃ危ない。……って一馬が言ってる。一緒に行こう」
 百合枝が笑ってそこに立っていた。
 彼女の手の動きにつられて振り返ると、向こう側で武田が手を振っているのが見えた。
「…………了解した」
 胸によぎる、なんとも説明のつかない不可思議な感覚に眉を潜ませながら、それでもロゼは百合枝の同行の意思に頷いた。



 森の中は、他のどこよりも来栖の肌に馴染む。そしてどこよりも感覚を鋭くさせる。
 シュラインが提示した調査書を読んだときから、過去からの悲鳴が耳にこびりついて離れない。ソレが煩わしくてたまらないのに、振り払うことも出来ない。
 奥から漂い、浸潤していく腐敗臭と異様な気配もまた、来栖をさらに苛立たせた。
「くそっ」
 苛立ちに任せ、視界を遮る草木を乱暴に横に薙ぎ払った。
「―――っ!?」
 嗅覚を刺激する、不快な匂い。
 シュラインがこぼした推理の正解を、来栖の鼻は嗅ぎ当ててしまった。
 唐突に姿を自分の前に姿を現したのは、四肢と思しきモノをばたつかせ、地面を這いずりながら苦しみ悶えるナリコソナイだった。
 不定形な土色の粘土細工のように胴体から触手のようなものを四方に伸ばしては縮むそれに、来栖は鋭い視線を突き刺し、素となったであろう生命の原型を求める。
 かつてそれは犬だったもの。そして植物だったもの。だが今は、純然たる生物からは遠くかけ離れてしまったもの。
 目を凝らすと、奇怪な物体に埋もれるようにして、人間に屍骸もまた、そこに朽ちて転がっていた。
 子供ならば、獣ならば、自分は―――――
 舌打ちし、獣の獰猛な爪で以って、のたうつ全てのものを刹那の瞬間に切り刻む。
 短い悲鳴じみたものを発し、それらは次の瞬間には灰となって跡形もなくこの森から消滅した。

―――――あの瞬間をもう一度……あの笑顔をもう一度………
―――――あの美しかった時間をもう一度………

 黒く淀んだ思念が渦を巻いて、まるで道標のようにひとつの方向を指し示す。
「いっそ時間を越えられたら」
 こんな姿になる前に。
 こんなことが起こる前に。
 次元を渡ることは出来る。ここではないどこかにも行ける。だが、時間を跳躍することは出来ないのだ。
 それは摂理であり掟であり絶対の真理である。
「……人間ってのはロクなことしやがらねえ」
 その先に見えるのは、病んだ廃屋。
 歪められた魂の造型が、さらに濃度を増している。
 記憶の中の炎がチリっと来栖の心の端をまた焼いた。
 悲しみとも憎しみとも似て非なる不可解な感情の痛みが、ずっと来栖を煩わせている。



 佐久間はひとり、町中をぶらぶらと歩いていた。
 調査の当てがないわけではない。
 だが、子供たちに取り入って一緒に森で遊ぶつもりも、屋敷の周辺を探索するつもりも自分にはなかった。
 面白おかしく記事が書ければそれでいい。
 奇妙な死体がいくつも見つかる森。帰ってこない子供。帰ってこない大人。その先にあるのは、30年も昔から引きこもったままの狂人が棲まう屋敷。
 ここにくればもっと面白いものが見つかるかもしれない。
 もっとリアルで、もっと真実に近いものを見つけられるかもしれない。
 明らかに不審な空気をまとう佐久間に対し、町の人間は揃って口を閉ざす。
 だが、あの禁忌の森の調査に来たのだといえば、そして、草間興信所から派遣されたのだといえば、途端に彼ら態度は軟化する。
 そうして軽くなった口からもたらされた情報はどれも、趣味がいいとはお世辞にも言えないものばかりだった。
 馬宮についての噂だけではない。
「まあ、それにしても悪意に満ちてんなぁ、おい」
 マスコミである自分の事を棚に上げ、思わず苦笑が洩らす佐久間。
 この町のオトナは、随分と迷信深い。そして、随分と噂好きだ。



 子供たちの相手をシュラインたちに任せ、百合枝はロゼと共に森の探索へと向かっていた。
 この目で現場を確認したかったのだが、木々の合間を抜けて、遠くに見え隠れするあの屋敷まで、あとどれほどこの場所を歩かなければならないのか、それを考えると気が滅入ってくる。
「たまらないね」
 何度目の溜息をついたのか、百合枝にはもう数える気力はなかった。
 屋敷を取り囲む森は陰鬱として、それでいて終始ざわざわと何事かを訴え掛けてくる。
 鳴り止まない細い悲鳴。
 炎の残り火が、魂の揺らぎとなって森の草葉でちらついている。
「………もう、何が何だか分からないものになってる」
「お前は見えるのか?」
「視える、部類かもね。少なくとも、優秀すぎる情報網を持ってるあの2人よりは」
 肩をすくめる百合枝が指している『あの2人』の名を、ロゼは思い浮かべない。
「そうか」
 短く言葉を返したその視線は、瞬時に臨戦態勢へとスイッチする。
「っ!?」
 飛び出してきたのは、灰色のカタマリだった。
 とっさに後ろへ飛び退り、獰猛な爪を寸前でかわす。
 地に膝をつきながらも霊刀を抜刀する百合枝の動作より早く、ロゼの指が空を切った。
 まるで何もない空間から召喚したかのように、彼女の指先から飛び出した銀の刃が、獣の命を一瞬で地面に縫い止め、永遠にその流れを塞き止めた。
「そは神の慈悲なり。神の御許に招かれよ」
 歪んだ命の造型が灰となって土に還る。
 伏せ目がちなロゼの口の中で繰り返される祈りの言葉を聞き取れるものは神のみである。
「ちょっとあれっ」
 嘔吐感がこみ上げ、百合枝は自身の口を塞いだ。
 嫌なものを見た。
 獣が飛び出してきた茂みの向こう側に、倒れ伏した人の姿を見つけてしまった。
 おそらく、もう息はない。
 その周りを囲むようにして、つい今しがたやられたと思しき異形の屍骸も転々と落ちていた。
 どろりとした液体に変じたそれらの中には、冷たい外気に中身を晒されながら、男にへばりついているものもいる。
「森から帰らぬものは土に還ったか」
 罪深き者に粛清を―――――
 彼女の偽りの魂が抱く神への忠誠は、闇の中で紡がれ行く残酷な遊戯に対して強い憤りを覚えていた。
「………合流、した方がよさそうだね」
「ああ」
 物言わぬ骸に十字を切り、ロゼは最後の祈りを捧げる。
「ん?なんだ、あんた怪我してるじゃないか」
 夢でうなされそうな光景から既に立ち直っていた百合枝は、ふと、ロゼの右頬に目を止めた。
 そこには先ほどの攻撃でついたのだろう、薄い擦過傷が真横に線を作っていた。
「問題ない」
 ロゼは指先で傷に触れ、ソレがこれから任務遂行の妨げになるような『故障』ではないことを確認する。
「問題ない、じゃないだろ?ちっさい傷でも侮ってると後で痛い目見るよ」
 カバンからウェットティッシュを取り出すと、百合枝は問答無用でロゼの頬にそれを押し当てた。
「女の子なんだからさ、顔は特に大事にしないと」
「……………」
「ああ、良かった。血は出ていないね」
 この身体は血を流すようにはできていない。
 だが、その事実を告げるつもりのないロゼは、ただ、慣れない接触に僅かながらの動揺を覚えながらも黙って歩き出した。



 ボクの名前を読んでくれるトモダチ。
 ボクが果たすべき使命に手を貸してくれるトモダチ。
 邪魔をするオトナはここにはいらない。




「フレディ、すごい」
「今度は?今度はどんなものになるの?」
 ワクワクと瞳を輝かせる好奇心の塊のような存在が、よりいっそう探究心を煽る。
「今度は……ニワトリかな?」
 鶏とヘビの輪郭がぐにゃりと歪み、互いの境界を越えて混ざり合うそれは、粘土を捏ねて作られる造形物のようだった。
「それからこのお花も!………えと…植物も動物もやっぱり生き物、だよね?」
 確認するように彼を見上げると、
『生き物だよ』
 ふわりと微笑んで肯定の頷きを返してくれた。
「命はどこにあるの?」
「この子の命はどこにあるのかな?」
 『生命』――――目に見えないもの。触れないもの。でも見つけなくちゃいけないもの。
「………動かなくなっちゃったね」
 一瞬蠢いただけで、後はことりと首を地面につけて動かなくなってしまったものを取り囲み、子供たちは顔を見合わせる。
「死んじゃったのかな?」
「死んじゃったんなら、埋めなくちゃ」
『魂……やっぱり見つからなかった。絵本ならあんなに簡単に集めていたのに……』
 彼らは動かなくなったものを土に埋め、手作りの十字架を立てると、再び屋敷の中へと戻っていった。
「そういえばね」
『ん?』
「ケンちゃんが面白いお兄ちゃんたちが東京から来たって言ってた」
「フレディのこと、聞いてたよ。こっちに来るんじゃないかな?」
『ふうん』
「実験のお手伝い、してくれるといいのにね」
『そうだね…ボクのお手伝い、してくれる人だといいね』
「もしあいつらみたいに邪魔したら…?」
「その時はもちろん!」
「ね?」
「ねえ?」
 ひそひそと交わされる子供たちの言葉は、どこか不穏に満ちている。

 悪い大人はお仕置きしなきゃ。
 邪魔をする、意地悪な大人なんか要らない。

 それは邪気のない悪意。善悪を自分の世界でのみ構築した価値観から生まれる残虐性。
「悪い子供はお仕置きされなくてもいいのかよ」
 夜の毛皮を纏った狼は、木の影で低く唸る。
 人間の黒い意思が渦巻き、不快な死臭が満ちた彼らだけの世界。
 巻き散らかされた魂の破片と、埋められた死体。
 裏庭で展開される、『実験』と『探求』行為。
 子供の目を眩ませ、くだらない遊びに興じている愚かな人間なら、自分はこの爪で次元の狭間に引きずり込み、ずたずたに引き裂いて、永久に動けなくしてしまうつもりだった。
 だが、子供たちの中心で闇色の厚い本を開いては、来栖にも聞き取れない異界の言語を紡ぐもの……彼はまだ10歳にも満たない子供に見えた。
 彼らと変わらない、無邪気な魂の光が宿っている。
 だがその器からは、生命の期限がまもなく切れる、そんな腐敗臭が滲み出ていた。
「お前ら皆、呑み込まれてもしらねえぞ」
 黒い想念が渦巻いて、それは次第に肥大していく。
 ソレが子供たちの中に浸潤している事実を、自分だけが感じている。
 誰かに命じられているかのように、屋敷に近付くものを阻む異形の塊をその刃で引き裂き、鋭い牙で喰いちぎりながら、来栖は子供たちを追って、屋敷の中へと窓の僅かな隙間から滑りこんだ。



 あの森と、あの森に潜む不吉な存在とは出来る限り関わりたくない。
 町の人間たちの畏怖から生じたそんな遠巻きの姿勢が、結局は調査員達の足を森の奥の廃屋へと向かわざるを得ない状況に追いやった。
 充分とは言い難い情報と、緻密とは言えない計画と共に、5人は調査対象の舞台を移す。

「今年に入ってから、森に関わった行方不明者は9名。うち、子供は4名。全員の顔は覚えたかしら?」
「大丈夫。インプット完了してるよ、シュライン」
「そうだ、子供たち。名前は、マー君、ミヨちゃん、サトちゃん、ユウ君って呼ばれてたっすよ。さっきもちょっとだけ遊びに混じっていたみたいでした」
「子供たちは全員無事、なのね?とにかくその子たちの保護を優先させなくちゃ」
「あ、でも、ケンちゃんの話では、その子たちは揃って、フレディの実験が終わるまで帰らないと家を飛び出したんだって教えてくれましたけど……」
「親の方の憔悴は激しいように見えたわ……特に家庭そのものに問題はなさそうなんだけど」
「………フレディをどうにかしないと、無理って事だね」
「……佐藤という名の男は、既に神の元へとひとりは旅立っていた。身体は半ば食われていた。生存はあまり期待できないかもしれない」
「佐藤、佐藤な……そいつも含めて、噂じゃ消えたヤツはたいてい良くも悪くも干渉的だったらしいが、ガキどもの評価はどうなんだ?」
「それはどういう意味っすか?」
「ガキどもにとっちゃ、意地悪でやかましくて嫌な存在にもなるって意味だ」
「それは……」
「ま、うるさいやつは嫌われちまうよな」
 蛇行し、舗装などされていない道を延々と歩きながら、いくつもの推理と行動予測がかわされる。
 百合枝の背では、相変わらずカバンの中で水の音が聞こえていた。
「人質…とは言えないわね。とにかくあの子達を止めて、身柄を確保。それから、おそらくは事の発端となっている『フレディの本』を取り上げましょ?」
 先頭を歩くシュラインの足が止まる。
 一呼吸の間があり、
「さ、行きましょうか」
 調査員達を振り返った。



 屋敷の内部へと踏み込めば、廃墟同然の床が軋んだ悲鳴を上げて彼らを迎え入れた。
 洋館の名にふさわしい間取り。だが、
「………なんつうか、ひどい荒れっぷりですね」
 再び率直な感想が武田の口から漏れる。
 ホコリが積もり、正面から2階へ伸びる階段や踊り場、ずらりと並ぶ扉のドアノブには蜘蛛の巣が張られている。
 高い天井から下がる年代物のシャンデリアは弱々しい橙色の光を揺らめかせているだけで、屋敷全体を照らし出す力はない。
 そして、ガラクタとも調度品ともつかないようなものが、絨毯張りの廊下や壁のあたりに無造作に積み重ねられ、置き去りにされていた。
「随分ホコリっぽいっすね。うわ、足跡までくっきり残る」
「おう…すげえな、これは」
「うわ、こんなとこまでガタガタに」
「たいした年代物ばかりじゃねえか。気をつけろよ、うっかり壊しても弁償できるもんじゃない」
「マジッすか?」
「まず俺の給料じゃ無理だな。サラ金に手を出しちまうかも」
 ひとつひとつの現状を実況しながら進む武田の独り言と、それに突っ込みを入れる佐久間。そんな2人に、後ろを歩くシュラインは、思わずくすりと小さく笑みをこぼす。
 だが、ふと百合枝の表情に目を止めると、その目は気遣わしいものへと変わる。
「どうかしたの?」
「………気持ち悪い」
 眉を顰め、暗がりにゆらゆらと蠢く思念の残り火から百合枝は目を逸らす。
「あの森以上だね……たまらない」
 歪なカタチに揺らめき、混ざり合い、言葉にならない声を上げてうねる。
 早々に調査を終えてしまいたい。
 意識して感覚を鈍らせてしまえば、少しは楽になるだろうか?
「百合枝さんも、なのね」
 武田と佐久間の変わらぬ態度に笑っていたシュラインだが、その耳にはずっと留まることなく奇怪な音が侵入してきている。
 獣でも人でも鳥でもなく、中途半端な重量と中途半端な骨格が立てる、見知らぬ音。
 少なくともこれは、まともな世界に生きるものが立てる音じゃない。
「………嫌な予感は、的中するためにあるのかしら、ね」
 
 ここには、鋭敏な知覚を有する者たちを苦しめる、暴力にも等しいものが溢れている。
 
 ロゼの肌を刺激する、背徳の気配。
 自分と同じか、それよりもさらに歪でヒトに近いモノが存在している。
「神を真似て、神に近付こうとした罪人には等しくバビロンの塔のごとき神罰が下る」
 冷ややかなガラス玉の瞳が、階段に沿って2階まで吹き抜けとなった高い天井を見上げた。
「神が与えたもうた万物の摂理を弄ぶモノ……」
 子供たちの笑い声。獣じみた唸り声。地の底から這い上がってくるかのごとき、暗い悲愴。
 虚実の存在に終止符を打たなければならない。
「ここからは分かれましょうか…あまり得策じゃないかもしれないけど、ね」
「私はシュラインと組んだ方がいいね。2階をメインに探索して、子供たちを見つけて、それから後は……」
 百合枝はずり落ちかけたカバンを肩に掛け、霊刀を握り直した。
「ん、じゃあ、オレは……」
「あ!俺、一馬とロゼ組希望な!」
「え?佐久間さん、もしかして女性2人だけでこの屋敷を探索させるつもりなんっすか?」
「断っておくが、俺はか弱い一般市民なんだ。最弱だぞ、多分」
 純粋な戦闘能力だけを言うのなら、おそらく佐久間はこのメンバーの中で下位グループに属している。
 トレーニングをやめて久しい鈍ったボクシングの勘では、ここに潜む造形物たちと対等に渡り合える自信はない。
「俺は記者だ。頭が商売道具で、草間のとこに出入りするお前らみたいな特殊能力の持ち合わせはないんだよ。護れ。そして、俺の観察眼をむしろ称えろ」
 傍観者であり、記録者の地位から退くつもりは佐久間にはこれっぽっちもなかった。



 子供たちは、あの子供とともに2階のどこかに隠れてしまって見つからない。匂いと辿ろうにも、腐敗臭と、出来損ないの異形が放つ気で何度も見失ってしまう。
 そうして、この屋敷の中で、一体自分はどれだけのモンスターをこの爪で引き裂いたのだろうか。
 来栖はひとり、闇の中で崩れゆく屍を睨みつけた。
 ゴポゴポと言葉に鳴らない音を発しながら、それは床から来栖を睨み返す。
「本当に、人間はロクなことをしやがらねえ……」
 鍵の掛かった鋼鉄の扉も、板を打ち付けられた納戸の扉も全て、空間を渡る自分には存在しないも同然だった。
「………もとは、こいつか」
 閉ざされた部屋の中では、死臭にまみれた男の成れの果てがアームチェアに身体を預けている。
 来栖が起こした空気の動きが、ゆらゆらと椅子を揺らす。
 この屋敷全体を支配する気配を辿った先にいたものが死者であることは、ある程度予想できたことだ。
 サイドテーブルには1冊の日記。
 手に取り、中を確認するつもりはなかった。
 そんなことをしなくても、何が綴られているのかは分かる。
 あの森に満ち、この屋敷に満ち、そして子どもたちを蝕んでいる歪な願いがそこから洩れ出て、来栖の意識に無遠慮に入り込んでくる。

 あの子は帰らない。あの子の声が聞こえない。どうして神は私からあの子を奪ったのか。
 何故、私に残されたったひとつの希望を、いともあっさりと奪い去れるのか。
 命はどこにある。
 魂はどこにある。
 精神と肉体と魂で人間は構成されているのなら、あの子の魂はどこにあるのか。
 この野鼠の絵本を繰り返し読んでいたあの子を、神は何故私から取り上げたのか。
 どうか、どうか、もう一度私に光を。
 私に永遠を―――――――

「化物を作って、もてあそんで、研究半ばで自分は死んじまったってわけか?どうしようもねえな」
 吐き捨てるように、嘲りの言葉を投げつける。
「………お前の残した『罪』が今度は命を捏ね繰り回してやがるんだっ!しかも不安定な身体でな」
 失われた存在をもう一度取り戻したい。
 そう望んでしまう心までも、否定することは出来ない。自分にはそんな資格はない。
 だが、禁忌の領域に入り込むことは何人たりと赦されないのだ。
 記憶の片隅で、また、焦げ付く痛みを感じ始める来栖。
 だが、意識がそこに触れるのを妨げるように、ふと、鼻が新鮮な生あるものの気配を嗅ぎつける。
 おそらくあの5人の能力者だ。
「遅すぎんだよ、お前ら………」



 皆のこと、呼んでる。マー君たちのこと、探してる。
 面白そうなお兄ちゃんたち。
 でも、でも、ボクのトモダチを探して、悪いヤツも探してる。
 あの人たちもやっぱり、おんなじ悪いオトナなのかな………



 2階に続く階段を上り詰め、そこから始まる長い廊下を、シュラインと百合枝は互いの知覚を最大値に設定して張り巡らせ、子供たちの名を大声で叫びながら歩を進める。
 ひとつひとつ、時折子供やクリーチャーと思しき足跡をホコリの中に見つけながら扉を開け放っていく。
 時折開け放した扉の向こう側から、奇怪なカタチをしたものたちが飛び掛ってきたが、それは全て、百合枝の霊刀が薙ぎ払った。
 武田は命を奪うなと言った。
 だから、百合枝もそれに従う。

 5番目に開いた部屋は、四方を本棚とショーケースのようなもので囲まれた薄暗い書斎だった。
 ガラス棚に一列に並べられた瓶は、それぞれがこぽこぽと気の抜けた音を立てており、水泡が液体の中で上から下へと消えていく。
 かつてそこには『ナニか』が入れられていたのだろう。だが今は、その片鱗すら窺うことは出来なかった。奇妙に捩れた肉片のようなものがひとつ、浮かんでいるだけだ。
「なんか、映画とかに出てきそうだねぇ」
 百合枝が興味深そうにガラス棚を覗きこみ、手を伸ばして触れてみるその横で、シュラインは険しい表情で本棚を一段一段調べ始めていた。
 この世界には魔本と呼ばれるものが存在しているのを自分は知っている。
 そして、極限られた事例ではあるが、それを手にした人間も確かに存在しているのだ。
「…………百合枝さん、錬金術って知っている?」
「賢者の石とか、卑金属を貴金属に変えるとか…小説、漫画、ゲーム、いろんな分野で耳にするね。世間一般レベルならとりあえずは知ってるよ。あんまり難しいのは分かんないけど」
「……キメラも知っている?」
「遺伝系統の異なる2種類以上の生物を合成して生み出されたもの。キメラ、キマイラ、合成獣。この辺もまあまあ『お約束』な部類だね。昔見た番組で、敵役だったよ」
「…………じゃあ、ホムンクルスは?」
「人造人間、だろ?こっちは合成獣と違って、いわゆる生物同士の融合というよりは、生成に近いと記憶してる。いろんな有機物を混ぜ合わせて、一から組み立てていくんじゃなかったかな……って、さっきから何?どうしたの?」
 淀みなく問いと答えをやり取りしていた百合枝は、ようやく、彼女の声がどんどん低く怒りを含んだものに変わっていく事に気付き、並んだガラス瓶から視線をシュラインへ向けた。
 彼女は古びだ本らしきものを手にしていた。
「それ、何?」
「………………研究日誌、で間違いないわ」
 明らかな嫌悪が滲んだ声。
 近付き、覗き込めば、日付と数行に渡る文字の羅列が何ページにも渡って記されていた。
 それを目で追いながら、次第に百合枝の顔もまた暗く厳しいものへと変わっていった。

 長い年月を掛けて、失った息子を再びこの手に取り戻そうと外道に落ちて研究を続ける男の、胸の悪くなるような記録が延々と綴られていた。
 幾度も重なる失敗。そのたびに絶望を深め、それでも諦めきれずにまた子供を作る。
 そうして男はある日を境に、嬰児を使った生体実験へとその方向を歪めていった。

『路地裏で手に入れたこの本。これさえあれば、私は…私の研究は更なる飛躍を見せるだろう。
 生命を解き、練成する術を閉じ込められたこの一冊が、いつの日かあの子をわたしの手の中に――――――』

 日付は、1年前で止まっていた。

「…………ロクなもんじゃないね」
 憤怒の情とともに、低く小さく呟く。



 お父さんの部屋を荒らした。
 せっかく作り出したあの子達を、いっぱい殺していく。
 アチコチ壊していく。
 あいつらは、やっぱり他の大人たちとおんなじ。
 せっかく出来たトモダチまで、連れ戻しに来たんだ。
 ボクの邪魔をする悪いヤツら――――――



 そこかしこの暗がりから群れて襲い掛かってくる小さき異形。
 まるで統制は取れていない。ただ本能の赴くままに、対象に向かって突進してくる様は、夏の夜に光へと群がり、やがて熱によって焼け焦げ命を落とす虫を連想させた。
 3体のサルが融合したようなもの、蛇のウロコで体表を覆われた猫のようなもの、長い毛を引き摺る犬のようなもの、翼を持って跳ね回る魚のようなもの。
 ゲージに入れられることも、培養液の中で眠ることもなく、ホルマリン漬けにもされず、ただひたすら無造作に生み出されていくものたちを前にして、吐き気がする。
 あってはならない造型はどれも、自身が存在するその事実に苦しげが悲鳴を上げている。
 いつ作り上げられたものなのか分からないが、それらは共に、終わりの時間を迎えているようにも見受けられた。
「哀れな……」
 せめてその苦痛を一瞬で―――
 無尽蔵に襲い掛かるモンスターの上げる咆哮が、空気を引き裂く。
「だめだっ」
 だが、体内から生み出される銀の刃を握るロゼの右腕は、武田の咄嗟に伸ばされた腕にとって留められた。
「完全に命を奪うのはダメだ」
「…………この者たちに、既に神が与えた生は存在しない……それでも、か?」
「それでも、もしかしたら助かるかもしれない可能性をゼロにしちゃダメだよ」
 真摯な瞳。
「僕たちじゃ彼等を救えないかもしれない。でも、シュラインさんや草間さんを通じて元に戻して上げられる人と出会えるかもしれない。だから、命まで奪っちゃダメだ」
「………………」
「だーかーらっ!俺にくんなっての!か弱い一般人だって言ってるだろうがっ!!」
 がつっ――――
 言いながらも繰り出された右フック、左アッパーが鮮やかにクリーチャーの腹部へと叩き込まれた。
「やるじゃないですか、佐久間さん。すげーキレッすよ?」
「褒めるな。んなこと言っても何もでねえぞ」
 出来る限り生命を奪いたくはない。
 そう主張する武田にいちいち文句をつけながらも、佐久間はそれに従っていた。
「リアルな怪奇体験記事になりそうだな、くそっ」
 不可解な森と不気味な廃屋に潜む奇妙な噂。
 その只中にいる自分が書く記事は、もしかしたら別の編集部に売り込むはめになるかもしれないと、頭の片隅で考えていた。


 階段の裏側を抜け、曲がりくねった廊下の一番端でひっそりと闇に沈んでいた鋼鉄の扉を3人は見つけた。
 それは、まるで何かの術でも施されているのではないかと思われるほど堅く閉ざされ、どれほど強い力で揺さぶりをかけようと、びくともしなかった。
 ロゼは無表情のままに破壊の意思を告げたが、それを押し留め、武田は自分の手を握って見せたのだ。
 握りこんだ手の中にふわりと小さく光が宿る。
 そうしてもう一度開いたその手の平には、古ぼけ錆付いた愛想のない小さな鍵がひとつ、まるで手品のように乗っていた。
「呼び出せちゃった……てことは、この鍵ももうこの世界から無くなっていたものなんだ」
 なんとも微妙な表情で呟くと、武田は2人が見守る中、どこからともなく現れたその鍵をドアノブの鍵穴に差し込んだ。
 かちゃり。
 軽い手ごたえ。
「……よくよく考えると、これって実は犯罪ッすかね」
 部屋に長く閉じ込められていた死臭が、扉が開け放たれると同時に一気に外部へとあふれ出す。
「うっ」
 思わず顔を顰めて口を塞ぐ。
「ひでえ臭いだな、おい」
 外へと流れ出て行くことで薄れた臭気をそれでも不快そうに嗅ぎながら、佐久間は武田を盾にしながらぐるりと内部を見回した。
「………なんでこんな有様になってんだ?」
 たった今まで、この部屋は閉ざされていた。
 にもかかわらず、そこには明らかについ今しがた付けたとしか思えない新しい足跡が残っており、散らかされた合計たちの屍骸が何者かに引き裂かれた痕を残して倒れ伏しているのだ。
「……鍵も開けずに進入したか?」
「…………狼だ」
「あ?なんだって、ロゼ?」
「狼がここに来ている。獣の血を引くあの男も、ここで動いている」
 アームチェアに身体を預け、ゆったりと前後に揺られているそれに、そろりと近付く武田。
「………死んでる……」
 既に肉体は枯れ果て、ミイラと化した姿を晒していた。
「神に呪を吐く愚かなるもの。この男に、あれも辿り着いていたのだ。弔う気はないらしいが」
 ロゼの瞳が侮蔑と怒りの彩をなす。
「こいつが馬宮源蔵で間違いねえな……ま、本当の名前かどうかは怪しいけど?」
 佐久間はミイラを睥睨し、後は不自然に散らかってしまった部屋を隅から順に観察していく。
 サイドテーブルの日記。薬品棚。積み上げられた本と、散らばる骸の灰。
「ん?」
 指で触れ、次いで軽く書棚の一箇所を叩いていく。
 鈍い音が続く中で、不意にはじき出された空虚な音は、カチリと歯車のあう感触のようなものを佐久間の手に伝え、
「うわあぁっ!!?
 そのままぐるりと本棚の一角が反転した。
 慣性の法則に従って、勢いづいた身体が壁の向こう側にダイブする佐久間。
「………ってぇ……」
 見事に打ちつけた顎をさすりながら上体を起こした彼の目に飛び込んできたのは、折り重なるように倒れ伏す原型を留めている人間だった。
「………ビンゴ」
「佐久間さん!大丈夫ッすか!?」
 後に続く武田もまた、半分開かれた隠し扉の向こう側から、その光景を見る。
 屋敷のどこを探しても、見つからなかった大人たち。姿を変えられたか、もしくは既に喰われてしまったと半ば覚悟を決めていた彼らを見つけ出したのだ。
「……連れて行かなくちゃ」
「本気か?」
「本気です」
 訝しげに、そしてどこか呆れたように問いかける佐久間へ、武田は大真面目に頷いた。
「助けられるなら、最善を尽くさなくちゃ。ここからが、大仕事…オレの本領発揮、ってヤツっすよ」
 それから屈託のない子供のような笑顔を見せて、薄く目を閉じると、ゆっくりと呼吸を深め、両の手のひらに精神を集中させた。
 ふわりと光が生まれる。
 彼の手のひらから、その周囲から、この屋敷では見ることのなかった優しい光が、柱となって立ち上がる。
「………」
 息の詰まるような沈黙が降りてくる。
 古ぼけた冷たい床が、まるで水面のように揺らぎ始める。
 ずず…ッ…ずずずっ……
 重苦しい軋みを上げながら、光を生み出す水の底からそれはゆっくりと姿を現した。
 ギリギリ廊下を走り抜けられる730ccのバイク。
 その後に引き摺られるようにして現れたのは、バイクに鉄鎖で繋がれたコンテナのようなものだった。
「すげ…」
「………」
 呼吸を整え、意識を集中し、精神力を消耗させながら引きずり出していく武田。
 錆付き、塗装が剥げ落ちた廃品まがいのコンテナ
 武田の膝が崩れる。
「おいおいおい!しっかり頼むぜ一馬?」
 慌てて佐久間が手を差し伸べる。
「へへ……これなら、全員助け出せますよね?」
 全身から噴き出す汗を拭いもせず、激しい動悸に呼吸を乱しながらも武田はまた笑った。
「お前、これって一体」
「あんまり難しいこと、オレに聞かないで下さいね」
 百合枝がカバンに詰め込んだものが何かを聞き、それをどうするのか聞いたときから、武田は決めていたのだ。
「さあ、ここからが大仕事です!この屋敷にいる全員を、助かるかもしれない命を、これで運び出しましょう」
 佐久間とロゼの手を借りてようやく立ち上がった武田は、そうしてバイクに跨った。



「音―――子供たちの声がする」
 全ての呼吸音、足音、鼓動を聞き分けて進むシュラインの聴覚にひっかかる。
「これは―――悲鳴?」
 一番奥の曲がり角、その向こう側から響いてくるのは、様々に混じりあった子供たちの甲高い声だった。
 研究日誌を抱え、2人は声のする方へと全力で走った。


 異形が生み出され、襲い掛かってくるその先を目掛けて跳んだ来栖を待っていたのは、本を囲んで身を寄せ合う5人の子供だった。
「ようやく見つけたぞ、お前ら……いい加減にしろよ」
 凶悪な光を相貌に宿し、鋭く刺さる視線を突き立てる。
「やめてやめてやめて!!」
「フレディにひどいことしないでぇ!」
 怯え、震えながらも、子供たちはフレディをぎゅっと抱きしめて、脅威から守ろうと必死になっていた。
「どいてろ、お前ら。………そいつと一緒に怪我してえなら別だけどな」
 一歩、また一歩とゆっくり距離を縮めていく来栖。その視線はけしてひとりの子供から外されない。
「本を渡せ。さもなきゃ、お前の身体を引き裂く」
 腕の皮膚を覆う濃紺の毛並み。筋肉は膨れ上がり、関節は変形し、彼の腕は獰猛な武器へと変じて、子供たちの頭上に振りかざされた。
「!!」


「やめて!来栖くん―――っ」
「大丈夫!大丈夫だよ、シュライン」
 反射的に子供と来栖の間に割って入ろうとしたシュラインの身体を、百合枝は両腕で引き留めた。
「っ!」
 来栖はけしてあの少年に狂気の爪を振り下ろすことは出来ない。
 それは確信であり、数秒先の現実だった。
 研ぎ澄まされた獣の鉤爪は、本を抱く子供に届くその寸前でぴたりと動かなくなった。
『待っているの』
 ふわりと彼は笑った。
 突きつけられた凶器と、晒されている生命の危機にもまるで無頓着であるかのように、無邪気な笑みを浮かべる。
『イノチのカタチを見つけるの』
 どこまでも澄んだ、無垢な瞳。だがそこに宿るのは、人ではありえない狂気の閃き。
 来栖の振り上げられた獣の腕が、躊躇いと共にそこで止まる。
 記憶のフラッシュバック――――
 あの炎の只中で、力のなかった幼い自分は命を救われた。相手の命と引き換えに。
 炎なのか、血なのか、自分の両手と相手の顔が赤く閃きながら染まる光景。
「そうじゃねえよ……命ってのはそうじゃねえ」
 来栖の表情を歪めさせるのは、
 心臓を射抜くような鋭い来栖の眼光すらも、少年は笑って受け止める。
 見るものに寒気を感じさせるほどに中身の何もない空虚な笑み。
『イノチ…コトバ…ヒカリ…ココロ……目に見えないものをボクは集めるんだ』
 大切そうに少年が抱えている2冊の本。
 1冊は、誰の目にも触れたことがないような異界の文字を刻んでいる。
 だが、もう1冊は、おそらく当たり前に本屋で見かけられる幼児向けの絵本だった。
「とにかくアレを取り上げないと……」
 シュラインの目が細められる。
『これはボクの宝物。これはボク自身。渡さないから』
 きつい光を閃かせ、フレデリックと名乗った少年は床を蹴り、来栖の脇をすり抜けて駆け出した。
「ちっ」
 獣の敏捷性ならば、来栖はけして負けない。
『こないで!邪魔しないで!ボクはボクはボクは―――っ』
 来栖の後に続こうとしたシュラインと百合枝の前に、子供たちが両手を広げて立ちはだかる。
「やめてよ。フレディをいじめないで!」
「どうしてあの子をしかるの?」
「フレディは悪いことしてないんだよ?いいつけを守ってるだけなんだよ?」
 口々に発せられる子供たちの非難が2人を取り囲む。
「わたしたちは何も、この子を苛めてるんじゃないよ」
 百合枝がゆっくりと、武田やロゼを取り囲む子供たちの前へと進み出る。
「………あんたたち、自分がどんなことをしたのか分かってるのかい?」
 犬や猫、鶏、植物……そして、人間。生を受けて存在するその重みを、この子達は実感できているだろうか。
 あの十字架の群れが持つ本当の意味を、この子達は知っているのか。
「大事なものがあるだろ?あんたたちのお父さんやお母さんも、あんなふうにオバケにされて構わないのかい?命がどこにあるのか、自分の親やトモダチで実験するのかい?今となりにいる、その子を鶏や魚や犬と混ぜ合わせるのかい?」
 諭すように、百合枝は問い続ける。
「混ぜて、壊れて、ぐずぐずになって……もう二度と遊べない。もう二度と話せない。もう二度と……帰ってこないものなんだよ」
 次第に膨れ上がってくる不安と恐怖に、子供たちの表情は泣き出す寸前まで歪んでいく。
 自分たちが何をしたのか、子供たちは子供たちの世界と視界でようやくその片鱗を呑み込んだ。
 怯え、震えだす身体。
「待っているわよ、町の人たち皆。あなた達のお母さんもお父さんも、それから友達も学校の先生も、待ってるわ」
「帰ろう?」
「帰りましょう?」
 差し伸べられた、大人の手。叱るわけでも、意地悪をするわけでもなく、自分たちを心配してくれる優しい温度。
 彼らはそれに縋った。



 武田の乗ったバイクは、意識を失った大人たち、異形、融合した造型物たち、そして、ちゃんと意識はあるが戦う気はない佐久間と、護衛に着いたロゼを乗せたコンテナを引き摺りながら正面玄関に向かって疾走していた。
 左右に揺れるコンテナの縁は、壁を削り、調度品を薙ぎ倒し、神への冒涜を為す研究設備を破壊していく。
「武田!そいつを捕まえろ!!」
 そんな騒音の合間を縫って、武田の耳に思っても見ない方向から突然声が飛んでくる。
 慌てて声のする方へと振り返る。その先には、本を抱えた少年がひとり、2階の踊り場から階段を駆け下り、全速力で自分の方へと向かって走ってくる姿が飛び込んできた。
 それより僅かに後れを取って見えるのは、有象無象のモンスターに群がられながらも、それを振り払いながら走る獣の姿だ。
 武田が反応より早く、子供は容易くバイクと壁の隙間をすり抜ける。
「え?うわ!?うわぁっっっ!!」
 避けようとした弾みで武田のバイクが大きくバランスを崩す。コンテナがそれに引き摺られ、左右に大きく触れて横へ滑り出した。
 ぶつかる。
 だが、覚悟を決めたはずの瞬間はいつまで絶ってもやってこなかった。
「…………あれ?」
 おそるおそる頭を守る腕を解き、顔を上げると、
「ロゼさん!」
 いつの間にコンテナの上に出たのか。
 彼女の修道衣の内側から放たれた無数の鉄鎖が、蜘蛛の巣のように武田をバイクとコンテナごと絡め取って急停止させていた。
「あ。有難うございます」
「何をもたもたしてる!逃げられちまったじゃねえか!」
 だが、ロゼへの礼を掻き消すように、来栖の怒声が耳もとで響く。続く、舌打ち。
「あいつが外に逃げる!その前に止めろ!!」
「捕獲、了解した。」
 ひらりと舞い降りたロゼの手が、今度は子供目掛けて鎖を放つ。
「――――っ!?」
「うわあっっ!?」
 意のままに操られる銀色の鎖は、一瞬にして幼い身体を絡め取り、空へと縫い止める。
「これでよいのだろう?」
 武田の方を振りかえり、自身の行為に対する意思の確認を行うロゼに、彼はあっけに取られながらもこくこくと首を上下に振った。
「そのままでいろよ、人形」
 捕獲のために張り巡らされた鎖を掻い潜り、不遜な態度でロゼを一瞥すると、来栖はゆっくり少年に近付いた。
「本はもらうぜ」
「ボクの本……ボクの本をどうするの?」
 身体の自由を奪われた少年は、不安に満ちた声音と縋るような眼差しで来栖の手の動きを必死に追う。
「これはお前が持っていていい代物じゃねえんだよ」
 抱きしめられていた闇色の本を子供の手から奪い取ると、
「後はお前らで始末しろ」
 ようやく追いついたシュラインへと、それを放り投げた。
「来栖くん……?」
「来栖、あんた」
 だが、言葉を掛けるより早く、獣は闇の中に解けて消えた。

「…………じゃあ、後始末と行こうか」
 百合枝が、カバンに詰めてきたガソリンを取り出した。
「手伝うわ。私も同じこと、考えていたから。あまり気は進まないんだけど、ね」



 携帯のアラームが、打ち合わせ時刻を告げて鳴り響く。
 百合枝とシュラインの手によって屋敷内に撒き散らされたガソリンは、同じくガソリンをたっぷりと染み込ませた本とともに放り投げられたライターの火を受けて一気に巨大な炎へと成長した。

 全ての悲劇を内包し、炎は罪深き生命の探求者と、その手によって生み出されたありとあらゆる異形の骸を研究施設ともども灰に還していくのだ。
 
 錆付いてぼろぼろのコンテナに背を預けながら、自分を抱きしめる大人達の腕の中で、子供たちは自身を赤く照らし出されながらそれを見つめ続けた。
 長い間、屋敷が飲まれていくかすかな音だけが周囲を占めていた。
 誰も何も言わない。
 だが、少しずつ、重く圧し掛かっていた空気は穏やかさを取り戻し始めていた。
『あ』
 彼が発した、その音を聴くまでは。
「フレディ?」
「フレディが!」
『………ボクの体……』
 屋敷で蠢くぞ受け物や、彼の持つ本によって生み出された異形と同じ末路を、彼の躰もまた迎え始めていた。
「え?何で?何でフレディまで」
『ボクも……ボクも動かなくなるの……?』
 指の先から順に、さらさらとカタチを解いていくように灰に還っていく身体。
『………ボクはどこにいくの…………?』
 命を探し、命を集める。ソレが使命。
 なのに、どこにそれがあるのかの答えも得られないまま、あの生み出されては消えていった異形と同じように、どんどん自分の中に満ちていたはずの目に見えないものが失われていく。
 戸惑いを隠せず、少年は縋るように大人たちを見上げ、トモダチを見る。
「フレディ、フレディ!!」
「いやいや!消えちゃいやだ!」
 涙を散らして、必死に取り縋る子供たち。
 いかないで、消えないで、死なないでと繰り返すそのぬくもりを肌で感じながら、初めて彼の表情に、優しさが灯る。
『…………みんな………』
 ゆっくりと、微笑む。
『…………ありがとう……泣いてくれて、遊んでくれて……ありがとう……ボクは…』
 ボクは。
 その言葉の続きが紡がれるより先に、少年はこの世界から永遠に消えてしまった。
 突然失われてしまった事実が、哀しくて、辛くて、子供たちは大声で泣き叫んだ。
 炎の爆ぜる音を掻き消すほどに強く、消えてしまった友人の名を呼んだ。
「なんだ。ちゃんと痛みが分かるじゃないか……」
 子供たちの子供らしい反応に、百合枝はただ、小さく呟いた。
「お前たち」
 ロゼの冷たく深い碧の瞳が、子供たちを正面から覗き込む。
「覚えておけ。これがお前たちの背負った十字架だ」
 そうして片腕で、半ば無理矢理に彼らの顔を燃え盛る炎に向けさせた。
「自らの罪業を忘れるな。でなければ今度は私がお前たちを浄化させる」
 ひくっと怯えて身を竦ませる子供たちに、自らの罪の重さを感覚に刻み付ける。
「ロゼ?」
「だが、神は常にお前たちを見守っている。人を愛し、正しき者に慈悲を与える」
 そう告げた目は、僅かだか優しい色を称えていた。
 全てが元通りというわけではない。
 でも、最悪ではないのだ。
 希望はまだ、ここにある。

 武田はふと、思い出したように佐久間を振り返る。
「そういえば佐久間さん、これ、記事にするんっすか?」
「んあ?ああ、まあな、そのために来たんだ。面白おかしく書かせてもらう」
 口の端を歪めて笑って見せながらも、佐久間の目は、どこか情の滲んだ色を覗かせている。
「でもまあ、そのまんま書くんじゃ芸がねえからな。多分手を加えるんじゃないか?なにしろ」
「真実はいつも2つか3つ、ですもんね」
 

 森を照らし、夜空を赤く染め、屋敷はいつもでも燃え続けていた。




END

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0423/ロゼ・クロイツ/女/2/元・悪魔払い師の助手】
【1559/武田・一馬(たけだ・かずま)/男/20/大学生】
【1627/来栖・麻里(くるす・あさと)/15/男/『森』の守護者】
【1643/佐久間・啓(さくま・けい)/男/32/スポーツ新聞記者】
【1873/藤井・百合枝(ふじい・ゆりえ)/女/25/派遣社員】

【NPC/フレデリック/男/?/生命探求者】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、こんにちは。冬季限定チョコ菓子と某のど飴のティディベア・フィギュアに心をときめかせている駆け出しライター、高槻ひかるです。
 というわけで。
 大っ変お待たせいたしました!相変わらずの遅筆で本当にすみません!そして相変わらずの文章量で申し訳ありません〜〜とんでもなくエライ長さです(平伏)
 ようやくようやく『フレデリック・モンスターファーム』をお届け出来ます!

 さて、今回のお話ですが……出来るだけハッピーエンド方向で書こうとか思っていました。
 見も蓋もないドン暗な感じだけは避けたいと思いながらの作成だったのですが、いかがでしたでしょうか?
 お待ちいただいた分も含めて、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

<シュライン・エマPL様
8度目のご参加ありがとうございます!大変お世話になっております。
今回唯一、プレイングでどんぴちゃの回答を頂きました!
いつもいつも、こちらが嬉しくなってしまうプレイングを本当に有難うございますvv
戦闘能力を補ってあまりあるその観察眼と推理によって、高槻の中では、司令官の地位が定着しつつあります☆

それではまた、別の事件でお会いできますように。