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<東京怪談ノベル(シングル)>


庶民のレストラン

 今日は珍しく定時に仕事があがり、碇麗香はほっと安堵の帰路についていた。
 早く帰れたし、どこかで夕食を食べていこう……そんなことを思い白王社の玄関を抜けようとした瞬間、人影にふと足を止めた。
「あら、あなた昼間持ち込みにきていた……」
 声をかけられ流伊・晶土(るい・しょうど)は軽く片手をあげた。
「一緒に夕飯を食べる約束したでしょう? お待ちしておりましたよ」
 持たれていた壁から身を起こし、何気なく晶土は麗香の傍らに歩み寄った。
「……あなたのおごりならついて行ってあげてもいいわよ?」
「貧乏物書きに何をおっしゃいますか」
「あら、営業の一環だと思いなさいな」
 お互い腹の内を探るように薄い笑みを交わしあう。しばしお互いに見つめあい、立場的にも弱い晶土は仕方なくあきらめの吐息を吐いた。
「ええと……中華と和食と……どちらがお好みですか?」
「そうね、最近軽食が多かったし……この近くに美味しいお寿司屋が出来たそうだから、そこへ行きましょうか?」
「す、寿司!? 寿司はちょっと……」
「仕方ないわね……それじゃあ、あれでいいわ」
 麗香が指差した先に、黄色いワゴンが泊まっていた。英語……いやアラビア語がワゴンの横に大きく書かれている。デザイン重視にかなり変形しているため、相当知識がないと読めないが、雰囲気からワゴンのタコス販売の店だろう。
「軽い夕食というところかしら。あれなら払えるでしょ?」
 一度食べてみたかったしね、と言葉を続けて、晶土の了承を得ることなく麗香はワゴン内で作業していたアラビア人に声をかけた。
「私はペッパータコスのクリームソースかけをお願いね。ねえ、晶土くん。あなたも何か食べる?」
「ええと……何がありますかね?」
 手製のメニュー看板はあまり上手でない日本語で書かれており、実のところ何が書いてあるのかよく分からない。晶土は適当にメニューの中から読み取れるものを注文した。
「ハイヨ、オキャクサン。ホワイトペッパーケチャップビネガーヨーグルト風味のタコスでゴザリマスルヨー!」
 何か時代錯誤の錯覚に陥りそうな……不思議な口調の日本語を発しながら、アラビア人は注文の品を渡して来た。ツンと鼻につく香辛料の香りを強烈に放つ、ドロリと桃色がかったものが全体にかけられた肉が薄いパンのようなもので挟まれている。恐らく食べ物なのだと信じたい……が、1口かじる勇気が出てこない。
「どうかしたの? 結構美味しいわよ」
 すでに半分程食べ終えていた麗香は不思議そうに昌土を見やる。
「あ、あの……こんなものより、やはりきちんとした食事をとりましょうか」
「あら、事件だけでなく食事も好き嫌いないようにしなくちゃ駄目よ……まあいいわ、安くて美味しいお店、連れてってあげる」

**********

 麗香が案内してくれた店は、デパートの屋上にある野外レストランだった。
 辺りが暗く、殆ど閉店しているためか人通りもまばらだ。
「ここ……ですか?」
「私も人に教えてもらったんだけどね、穴場のお店があるのよ」
 軽くウィンクを送り、麗香は後をついてくるように告げてレストランの隅へと向かっていった。
 その先に、1件だけ明かりが灯されている店があった。看板も何もないが、うどん屋らしき店にみえる。
「いらっしゃい!」
 快活そうな老人が元気な声をかけてきた。慣れた手つきでうどん玉をどんぶりに放り込み、次々とうどんを作っていく。
「あいよ、おまちー! きつねうどんとたぬきうどんね!」
 よろよろとみすぼらしい姿の男性が集まり、うどんを受け取っていく。家路につく前の一杯にと立ち寄った、疲れたスーツ姿のサラリーマンや、この辺りを根城にしているホームレス達が殆どだ。皆もくもくと自分の食事に集中しているため、もしこの中に人ならざるものが居ても、恐らく……誰も気にはしないだろう。
 ふと、少し暗闇の所に視線を向けると、やはりいた。野良の動物霊達だ。カツオと油揚げの香りに誘われて来たようだ。どうにかして餌にありつけないか、じっとこちらの様子をうかがっている。
「お待たせ、あなたは山菜うどんだったわね」
 とん、と麗香は晶土の前にどんぶりを置いた。さっぱりとしたしょうゆの香りが晶土の鼻をくすぐった。
「それで。話は何かしら? ただ単に夕飯に誘ったわけじゃ……ないんでしょ?」
「さすがは名碗編集長、お察しが早い」
 肩をすくめて苦笑し、晶土は箸を置いて真正面に見つめながら麗香に告げた。
「何でも良いんです。書かせて頂けませんでしょうか」
「……」
 視線をそらしたまま、麗香はうどんをすすっていた。少し汁を飲み、掻き揚げをかじる。
 ひとつ息を吐き出し、徐に晶土の願いへの返答を告げた。
「書いてるものはなかなかの腕前ね。エッセイとして十分売れる代物だわ……でもね、うちの雑誌は単に文が面白くても駄目なの。読者が求めているものは何か……分かっているでしょう?」
 ちらりと麗香は、先程からこちらを覗いている動物霊達に視線を向ける。麗香の視線の先に気付いた晶土はなるほどと軽く頷く。
「ならば、こういうのは如何でしょう? 我が輩、自慢ではありませんが、この付近の霊的現象に出会うことがしばしばございます。それの体験記……などというのであればよろしいでしょうか?」
「体験記ね……分かったわ、それじゃ試しに3回だけ書かせてあげる。それでアンケートをとった結果の読者の反応と、原稿の仕上がり具合を比較して、もう一度考えましょう」
 原稿の〆切りなど詳細については後日連絡するということで、2人は簡単な契約らしきものを交わす。
「……最初の取材はこの店というのも良いかもしれませんね」
 店主の老人にも動物霊の存在が見えてるのか、動物霊達に汁を少なめにし、揚げが多めに入ったうどんをあげていた。普通なら恐れる存在のはずの霊が、ここでは大切なお客として対等に扱われている。
 この店ならば、少しスパイスの効いた面白い記事が書けるかもしれない。
「良い原稿が仕上がるのを楽しみにしているわよ」
 にこりと微笑み、麗香は付け合わせのたくあんをひとつ口に放り込んだ。
 
文章執筆:谷口舞