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<東京怪談ノベル(シングル)>


あの頃は若かった

  ――トン トン
 控え目なノックに、私は手元の本から顔を上げた。
「はい?」
「ご主人様、何やらお客様がお見えですけれど……」
「え?」
 今日は来客の予定はないはずだった。
「――どなたですか?」
「お年を召した女性で――知らない方なんです」
「知らない?」
(まさか)
 また何かのセールスマンだろうかと疑ってみるが、お年を召した女性――つまりおばあさんが営業に歩いているとはどうも考えにくかった。
「……その方は、何か言っていましたか?」
「はい。ご主人様と約束していたのだと。さかんに『会えばわかる』と申しておりました」
「ふむ……」
 おばあさんが何の目的かわからないが、どうやら会うしかないようだ。
「では応接間にお通しして下さい」
「あの――」
「?」
「勝手にあがってしまわれて……既に応接間にいらっしゃいます……」
「…………」
 最近はこんなことばかりだと、私だけではなく使用人も思ったことだろう。



 応接間に着くと、待ってましたとばかりにおばあさんが喋りだす。
「おお? あんたが”ご主人様”かい? ずいぶん若いんだねぇ。あたしがもう少し若かったら確実にモノにしていたんだがね、しゃしゃしゃ」
 声が大きい上によく喋る、どこにでもいそうなおばあさんだった。こめかみには何か白いものが貼ってある。そして服装は着物にかっぽう着。
「あの……」
「じゃあ早速、例の場所に案内してくれるかい?」
「はい?」
 私は知らない。このおばあさんとは今日初めて会ったのだ。”例の”と言われても、わかるはずがなかった。
 私の反応が鈍いのを見て、おばあさんは。
「あんたもあたしを”シカト”する気かい? ちゃんと約束したじゃないか。あたしをあの場所に連れて行ってくれるって」
「…………」
 もちろん、約束した憶えはない。
「結論から申しますと――人違い、ではないでしょうか?」
「違いますわ、ご主人様。人ではなくて、建物違いでしょう」
 私の後ろから声を挟んだのは、私の分のお茶を運んできた使用人だ(おばあさんの分は私が来る前から出されてあった)。
(建物――そうか)
「おばあさん、あなたは一体どこへ来たおつもりなのですか?」
「どこへって……」
 おばあさんは、「一体何を言っているんだ」という顔をつくってから。
「もちろん図書館だよ。あんた、図書館の館長だろう?」
「!」
 謎はすぐに解けた。
(よりによって)
 ここを図書館と間違えますか。
 使用人がクスクスと笑っているのは、この屋敷には大型図書館ほどの蔵書が軽くあるからである。
「―― 一概に違うとは言えませんが、少なくともここは、おばあさんが約束した図書館ではないと思いますよ?」
「おや、そうなのかい? あたしゃてっきり……」
「もう少し行った所に図書館がありますから、そちらではないでしょうか?」
「そうかい……」
 余程大事な約束だったのか、おばあさんは残念そうに俯き……しかしすぐに、希望を持った顔を上げた。
(嫌な予感――)
「あんた、すまないがあたしをその図書館まで連れて行ってくれないか? 車で行けばまだ約束の時間には間に合うと思うんじゃ」
 その迫力に気圧され、私には断る選択肢がなかった。
(まあ、どうせ時間はたっぷりとありますしね)
 読書は戻って来てからにしましょう。
「わかりました。では外へ。車の用意は既にできておりますから」
「へ? あんた、エスパーか何かかい?」
 確かに、普通はそう思うだろう。私はこれまでの過程で誰にも「車を用意しろ」とは言っていないのだから。しかしあの運転手にとって、車の用意ができているのはいつものことだった。
「いいえ。エスパーというのなら、運転手の方ですよ。常時車ではっているくせに、私がからかいたいなぁと思った時には自らやってくるのですから」
 私が笑顔で答えると、おばあさんも笑って。
「あんた、なかなか人が悪いねぇ」
 その正直な言葉に、私たちの会話が面白かったのかそのまま部屋に残っていた使用人も笑った。

     ★

 図書館は、車で行けばすぐの場所にある。そんな図書館を私が何故利用しないのかといえば、どんな本でも読みたい時にすぐ読めるよう、手元に置いておきたいからだった。また、日本語以外の本も多いという理由もある。
 図書館へ着くと、おばあさんと連れ立って車を降りた。おばあさんをおいて帰ってもよかったのだが、”例の場所”というのが気になったのだ。おばあさんに尋ねたら一緒に行ってもいいということだったので、ついていくことにした。何故か運転手も車から降りる。
 図書館は確かに、私の屋敷と似ていて洒落た造りをしていた。
 入り口の自動ドア(この辺は今風だが)をくぐると、誰かが声をかけてくる。
「――ばあさん! やっと来たか。遅いからどうしたのかと思ってたよ」
 20代前半ほどの、若い青年がこちらへ走ってきた。
「おや、お前も来てたのかい」
 どうやらおばあさんの知り合いのようだ。
 青年はおばあさんの隣に立っている私に目をやると。
「アンタは? ばあさんに引っ掛けられたのか?」
(引っ掛け……)
 一体どれくらい深い意味で言っているのか、はかりかねる口調で訊いてきた。
 私が答えられないでいると。
「バカだねお前。あたしが引っ掛かって”おんぶにだっこ”だよ。決まってるだろう?」
「意味わかんねーよっ」
 青年の言葉に私は安心した。私も意味がわからなかったからだ。
「つまりだ。図書館と間違えてこの人の屋敷に行ったんだがね、間違えついでに送ってきてもらったんだよ。名前は、ええと――そういえば、まだ訊いてなかったね」
「セレスティ・カーニンガムといいます」
 得意の微笑みで返すと、おばあさんは頷いてから運転手へと視線を移した。
「そんでそっちが不遇の運転手だね」
「え?!」
 驚いた声をあげたのは、当然本人だ。
「――アンタ、不遇なの?」
 青年が首を傾げて問った。
「え、いえ……っ」
 その反応が面白くて、私も告げる。
「執事にでも格上げしましょうか?」
「セ、セレスティ様! 私はこれで満足しておりますし……適職と思っておりますよっ」
 あまりにも必死な様子が、また面白い。
「そんなに執事は嫌ですか」
「私はセレスティ様の”足”となりたいのです」
「!」
(珍しい)
 からかったつもりが、逆にからかわれた気がした。しかしその言葉自体は、とても嬉しいと思えるものだった。
「……あんたぁ〜イイこというねぇ〜」
 気がつくと、おばあさんが号泣している。
「お、おばあさん?」
「あたしゃあの人の”目”になりたかったんだけどねぇ……」
「ばあさん、泣くのはまだ早いよ」
 青年がおばあさんの肩を抱き、そう慰める。
 と。
「――遅いと思ったら、まだこんな所にいたのか」
 今度は奥から初老の男性がやってきた。
「館長!」
 青年が呼ぶ。どうやら彼がこの図書館の館長らしい。
「約束の時間はとうに過ぎているぞ」
 館長の呆れたような言葉に、私は思わず訊き返してしまった。
「過ぎていたら、”例の場所”へは行けないのですか?」
 私に車で送るよう告げた時、おばあさんが約束の時間を気にしていたことを思い出したのだ。
 しかし館長は不思議そうな顔をして。
「何故だ? ただ私が時間にルーズな人間をあまり好きではないというだけのことだが」
「!」
 視線をおばあさんに移した。おばあさんはあからさまに私から目をそらしている。
「おばあさん?」
 おばあさんはもう、泣いてはいなかった。
「そういわないと、車で送ってくれないと思ったんだよ……」
「なんだ、やっぱり引っ掛かったんじゃないか」
 青年は笑っていた。
(なるほど)
 ”嘘に引っ掛かった”かどうかを訊いていたのか。



 ”例の場所”に、私たちはいよいよ足を踏み入れた。それは図書館の中でも一部の職員しか入ることの許されていない、貴重な文献が保管されている地下の書庫だった。
「ここに……?」
 おばあさんが呟いた。しかし誰も答えない。
 館長が奥へ奥へと足を踏み入れる。それについて、無言の列ができる。
「――これだ」
 館長は最奥にたどり着くと、壁の前でそう告げた。
(これ?)
 コンクリートの壁をよく見ると、小さく何かが彫られているのがわかる。けれどそれが絵なのか記号なのか、よくわからなかった。
 しかし。
「ああ……っ。これは確かに、あの人の字だ……!」
 おばあさんはそう呟くと、壁へと駆け寄った。
(字――)
 私はさきほどの、おばあさんの言葉を思い出す。

「あたしゃあの人の”目”になりたかったんだけどねぇ……」

「それを残した人は、目が……?」
(だから字が)
 壁の方を向いたまま、おばあさんは小さく頷いた。
「あたしのいい人だよ。戦争のせいで視力を失って、ここの建物で働いていたんだけどね。結局その目の怪我が元で死んじまった」
「この建物は元々、盲学校として建てられたものなんだ。この地下の書庫も、元々は防空壕」
 館長が繋ぐ。
「こうしてコンクリートで加工されてからはずっと、貴重な文献が収められていたために人が入ることがほとんどなかった。しかし今回これらの文献をデータベース化するにあたって書庫内を整理していたところ、このメッセージを発見したというわけだ」
 私はもう一度、その”メッセージ”に目をやった。しかしどう見ても、やはり文字には見えない。
「しかしこれ、まさか文字だとは思わなかったでしょう?」
 私が尋ねると、館長は苦笑して。
「最初はな。こいつがいなかったら、ずっと気づかなかっただろう」
 と、青年を指差した。青年は小さく舌を出す。
「俺さあ、その人の孫なんだ。残念ながらばあちゃんの孫じゃないけどな。でもじいちゃんはちゃんとばあちゃんのことも愛してたよ。だから親父にいつも言い聞かせてたらしいんだ。この建物の地下に、ばあちゃんへの手紙を隠したって」
「!」
「俺はそれを聞いて育ってたから、地下に入る機会をずっと狙ってた。地下っていったらこの書庫しかないだろ? 最初はさ、司書とかに手紙がなかったかどうか訊いてたんだけど、どうもこの書庫に入ること自体が少ないみたいで見つかりそうになかったから」
「まさかそれだけの理由で、司書になったんですか?」
 青年が司書だということは聞いていなかったが、私はそう予想した。案の定、青年は恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「だってばあちゃんが生きてるうちに渡したかったし……」
  ――ドサっ
「?! ばあちゃん……!?」
 壁に刻まれた文字を指でなぞっていたおばあさんが、突然膝を折った。青年が駆け寄ると、おばあさんは――
「ぅおおーーーん、うおおーーーんっ」
「…………泣き声ですか? これ」
「そのようだな」
 私の問いに、館長が答える。どうやら感動しすぎで泣いているようだ。
 話はそこで切れたが、続きを予想するに――無事に地下にもぐりこむことができた青年は、壁の文字を見てすぐにそれが祖父の字だと気づいたのだろう。孫ならば祖父の字を見たことがあってもおかしくはない(たとえ意味がわからなくとも)。そしてそれを館長に報告し、おばあさんを書庫へ入れる許可をとった。しかしおばあさんだけを入れるわけにはいかないから、館長は自分も入ることにして日時を決めておいたのだろう。
「――ばあちゃん、泣くなよ……」
「うおおーーーん、うおおーーーんっ」
 青年の胸にすがってなくおばあさんが、子供のようにさえ見える。
「一体なんて書いてあったんだ?」
 青年がそれを尋ねると、おばあさんの泣き声がピタリととまった。それには皆がピクリとする。
「ば、ばあさん……?」
「お前――あたしの孫と結婚しな!」
 間。
 しばらくの間。
「――ええぇぇっ?!」
 青年はおばあさんを放すと、数歩あとずさった。勢いで本棚にぶつかり、上から数冊の本――貴重な文献が落ちる。
「おい!」
「わ〜、すみませんっ。……ってかマジ?!」
 青年は大混乱のようだ。
「私たちは行きましょうか」
 小さな声で運転手を促すと、運転手も小さく頷き、私たちは先に書庫をあとにする。
「一体何が書かれてあったんでしょうね……」
 地上へ戻る階段をのぼりながら、運転手が呟いた。きっと答えが返ってくることなど知らずに。
「”いつか2人の血が、交わらんことを――”」
「え?」
「一瞬だけ、触れたのですよ」
(私は)
 遠い過去の、強い想いに――。





(終)