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<東京怪談・PCゲームノベル>


リッキー・ホラー・ショウ

ようこそ、私の城へ。
今夜はひどい雨ですね。まるで嵐だ。
……こんな夜は、あの日の出来事を思い出します。
あれも、こんなひどい、雨の夜のことでした。
その夜、城ではパーティが開かれていたんです。
そこに加わった、8人の男女がいました。
…………。
そういえば、あなたは、あのときの客人にとても似ていらっしゃる。
ええ、お話しましょう。
あの嵐の夜、この城で起こった出来事のすべてを。


■訪問者たち

 ひどい雨だった。
 ワイパーもまるで役に立たない。
 こんな状態で、山道を走るのは自殺行為だ。やむなく、さきほどから、かなりのノロノロ運転で、橋掛惇は車を走らせている。
 奇妙な――それは、仕事の依頼だった。いや、まだ依頼になるかどうかはわからない。ただ、刺青について相談がしたい、できるなら彫りをお願いするかもしれない、電話では、男はそう言っていた。
 むき出しの腕を覆う黒い紋様。
 惇は彫師だ。その彫りの腕のあざやかさもさることながら、他には類を見ない図案の斬新さで、彼の名は知る人ぞ知るものになっていた。その高名を聞き付けて、彼に連絡を取ってきたまでは、いい。だが、電話の主は、なにか、奥歯にものの挟まったような物言いで、こう問うたのだ。
(刺青というのは、どんな皮にも彫れるのですか)
(……? どんな皮、とは。皮のハンドバッグには、彫れねえぜ)
 惇は答えた。冗談のつもりだったが、相手はまったく笑いもせずに、
(いえ。それも含めて、お会いしてからお話します)
 とだけ言った。
 ついに――雷光がひらめいた。いよいよ嵐は本格的になってくる。
「やれやれだ。…………あ?」
 惇は、思わず、ブレーキを踏んでいた。
 彼ほど肝の坐った男でなければ、腰を抜かしていたかもしれない。
 道端に、傘をさして、すうっと立った女のすがた――。
 ふたたび、雷光が、長い髪の女を照らし出した。
「おい、あんた」
 窓を明けると、冷たい雨風がぶわっと、惇の顔を襲った。顔をしかめながら呼び掛ける。
「リッキー城へ行くのか。そうなんだろ」
 この山道はその不吉な建物にしか通じていない。
「乗りな。ずぶ濡れじゃねえか」
 女は無言で、助手席に滑り込んできた。
 白い肌に貼り付く、黒髪と、唇の紅さ、そのコントラストが、どきりとするほど艶かしい女だった。
 この横殴りの雨風のおかげで、女の傘はまるで役に立たず、すっかり、そのイブニングドレスは台無しになっていた。
「ありがとう。助かるわ」
 女が髪をかきあげると、細い首を飾る黒い花のコサージュが見えた。
「貴方……夜会の招待状を持っていて?」
「あん? ああ、まあな」
「それはいいわ。丁度よかった」
「……?」
 女は、婉然と微笑んだ。
「見事な刺青ね。その腕で、私をエスコートしてくださらないかしら」
「あんた……」
「黒澤早百合。私は招待状を持っていないの。……招かれざる客だから」

 ひどい雨だった。
 藍原和馬もまた、この山道をノロノロと車を走らせている。
「まいったね」
 やっとここまで漕ぎ着けた――初デートだというのに、雨にたたられて山道で迷うとは。
 と、助手席を見遣ると、連れはうとうとしているようだった。
(それとも、むしろ好都合、か? ……いやいや、いけねえ)
 ぶるぶると、かぶりを振った。
 こう見えて彼は紳士だったのだ。
「……ここは」
 助手席で、彼女――天樹燐が目を醒ましたようだった。
「××町――たぶん、××県との県境のあたりだと思うが、なにぶん、地図にも載ってない道なもんでね」
「迷ったのですね、わたしたち」
「すまん」
「これも経験です」
 にこり、と、燐は笑った。あいかわらず、不思議な女だ――と、和馬は思った。知合ってさほども立っていない、が、彼女はいつも、どこかしら、人とは違う空気をまとっている。それを「天然」だの「ズレている」だの言う連中もいるが、和馬は、彼女のそんな雰囲気が決して嫌いではなかった。
「おい、ありゃ何だ」
「灯りですね。民家があるのでしょうか」
「道を聞くか」
 だいぶ、道の状態は悪いようだ。車は、時化た海をゆく小舟のように揺れながら、その灯りを目指して走った。だが、しだいに、雨のヴェールの向こうではっきりとしてきたのは、ありふれた民家などではない。ゴシック風――というのだろうか、およそ、テレビか本の中でしか見たことがないような、それは城だったのだ。
「……まあ、素敵」
 屈託なく、燐が声をあげた。
「これ……ラブホテルとかじゃねえよな」
 あきれたような和馬の発言に、燐がむっとしたような目で彼を見た。
「どんな方がお住まいなのでしょうか」
「俺たちゃ道に迷ってヨーロッパにでも来ちまったか。……しゃあない、降りてみようぜ」
「あっ、ちょっと、待ってください」
 外に出ると、冷たい雨風がふたりを打ち据えた。和馬は上着を脱いで、燐にかぶせてやったが、あまり効果を発揮しているとは言いがたい。
 戸口までのわずかな道程が、長く感じられた。
「もう……こんなに濡れたら、水もしたたるいい女になってしまいます」
「言ってやがる」
 苦笑しながら、和馬は呼び鈴の紐を引いた。
 ギャーッ!と、甲高い悲鳴――があがったのは、悪趣味なことに、その呼び鈴の音であるらしい。ギャーッ。
 そして、ゆっくりと、重そうな扉が開いた。

 ひどい雨だった。
「畜生、圏外だぜ!」
 いまいましげに、ウォルター・ランドルフは吐き棄てた。
「おまけにこの雨」
 困ったのを通り越して、これはもう笑うしかないな、とでも言いたげな表情。
 ふたりの男たちは、木陰に避難はしてみたものの、雨宿りにはとうてい用をなさない木の下でびしょ濡れになっている。
「どうするんだよ、キッド。こんなところでエンストだなんて」
 傍で雨に打たれているハーレーを見遣って、ユーリ・ニコルコフはため息をついた。
「山越えが近道だなんて言うから」
「近道は本当だ」
 心外なことを言われたとでもいうように、相棒は答えた。言いながらも、自身のカウボーイハットを脱いで、ユーリの頭にかぶせてくれる。
「バイクが止まらなきゃな。参った。せっかくのチケットが」
「キッドの日頃の行いかなあ」
「バカ言うな。おれはゼッタイに、今夜の特別限定先行オールナイトに行くぞ。『ラ×ト・サムライ』は死んでも観る。でないと時代劇フリークは名乗れないからな」
「時代劇……なのかな。まあ、ともかく、JAFを呼ばないとね。電話を借りよう」
「誰に? こんな山奥に、公衆電話なんてあるわけ――」
 ユーリは、豪雨のカーテンの向こうを指さした。
「ほら、灯りだよ。家がある」
 ……そして、立ち往生したバイクを押して、ふたりの青年は、その城の門前にやってきたのである。
 ギャーーーッ。呼び鈴が悲鳴をあげた。思わず顔を見合わせるふたり。
 返事がない。もういちど、紐を引く。ギャーーーッ。
 ややって、今度はいらえがあった。
「あの……」
 電話を貸していただけませんか。頭の中で、日本語の敬語表現をおさらいしていたユーリだったが、その言葉を出すことはかなわなかった。ドアから顔をのぞかせたのは、ひどく人相の悪い男だ。執事服のようなものを着ているが、それがおそろしく似合っていない。じろりと、訪問者をねめつける。この眼光に気押されずに、話ができる人間がいるだろうか。
「……ようこそ」
 だが、裏腹に、男の口から発せられたのは歓迎の挨拶である。
「みなさま、もうお集まりです」
 暗い、抑揚のない声で男は言った。
「いや、違うんだ。おれたちは、そこでバイクが故障して――」
「招待状をお持ちでない――?」
「だから……」
 男――こわもての、執事らしき男は、しばし、虚空に耳を傾けるようなしぐさを見せた。常人には聞こえない、誰かの声を聞くように。
「かしこまりました。……どうぞ、こちらへ」
「いや、あの」
「……お召し物の用意がございます。まずは、濡れた服をお召し変えになられては?」
 その目に見つめられては、ただ黙って頷くしかなかった。

 ひどい雨だった。
 一向に、勢いが衰える気配がない。
 雷鳴がとどろき、稲光りが、窓辺にたたずむ女の横顔を白く照らし出した。彼女は、その窓から、城の門に次々と駆け込んでくるひとびとを見下ろしていたのだが、そのおもてには何の感慨も浮かんではいなかった。切れ長の目に収まった瞳は冷たい。
「降りますね」
 バリトンに振り向くと、ひとりの壮年の男が、隣の窓の前にいる。
「まるで世界の終わりのようだ」
「詩人ね」
「巌嶺顕龍と申します。お会いできて光栄です、シュライン・エマ女史」
「私のことを?」
「もちろん存じ上げておりますとも。……日本を離れておられたとか」
「ええ。ここも久しぶり。でも……何も変わっていないのね」
「……かつて、この城に居た者は皆、居なくなりました。城主と、貴女だけだ」
「まるで昨日のことのようだわ。目を閉じると、浮かんでくるよう」
 雷光。
「この城の住人が、すべて死に絶えたあの夜が」
 シュラインと呼ばれた女の唇に、微笑がのぼったのを、見たものがいたかどうか。だが、すぐに、その微笑は消えて、かわりに、かるい驚きに彼女は目を見張ることになった。
 かさかさ――
 蜘蛛だ。
 てのひらほどもある蜘蛛が、顕龍と名乗った男の肩の上を這っている。蜘蛛は、ふっくらとした胴にも、八本の脚にも、短い毛で覆っている。――タランチュラ……猛毒を持つという、南国の蜘蛛。
 ふふ、と、口元をゆるませてながら、男は実になにげなく、蜘蛛を自分の手の上に移らせた。シュラインは、蜘蛛の脚の先だけに、あざやかなピンク色の毛が生えているのを見た。あたかも、八本の脚にそんな色の靴を履いてでも、いるようだった。
「わたしのレディを紹介させてください」
 顕龍は言った。なるほど、桃色の靴ならば女物だ。
「…………」
 シュラインはなにか言いかけたが、その時、近付いてきた新しい足音に、発言を中止する。
「どうぞ、大広間のほうへ。みなさまお集まりですわ」
 ひとりの少女が、ふたりに呼び掛けた。
 顕龍が、蜘蛛を持っていないほうの手を差し出す。
「両手に花、ね」
 シュラインは、彼のエスコートを受ける。毒蜘蛛を愛でる紳士は、笑った。
「両手に毒、というべきかもしれません」

■夜会――第一の惨劇

 そうして――ワルプルギスもかくや、というべき、宴は始まったのである。
 シャンデリアのろうそくの灯りが、磨き上げられた床に映り、そのうえに客たちの影がゆらゆらと踊る。どこからともなく、控え目な管弦楽の音が流れる広間は、中世の再現のようだった。ひとびとが皆、大時代的な衣裳に身をつつんでいたからである。
 バロック時代の、白いかつらの男女が多かったが、中でも、異彩を放っていたのは、少々、他とは異なった事情で城を訪れた訪問者たちである。
「着替えを用意してくれたのは有り難いが、これじゃ仮装パーティだな」
 藍原和馬の肩幅の広い長身に、髑髏の刺繍をほどこした海賊船長の服は、しかし、思いのほかよく似合っていた。豪奢な黒い海賊帽子をかぶり、アイパッチまでごていねいにしているのは、和馬自身もまんざらでもないのかもしれなかった。
 シャンペングラスを手に、すこし離れたところで、壁にもたれているスキンヘッドの男は、橋掛惇である。こちらは対照的に、見るからに不機嫌そうで、茶番に愛想がつきている、というふうだった。しかしそれでいて、裾の長い、詰襟にチャイナボタンの、中国風の衣裳が板についている。金色の龍の図柄が、派手派手しく炎を吹いていた。
 料理が並んだテーブルの傍では、中世ヨーロッパの、森の狩人の格好をした青年が、皿に料理を山盛りにしていた。キッドこと、ウォルター・ランドルフである。
「がつがつするなよ、みっともない」
「せっかくだし、腹ごしらえしていこうぜ」
 相棒――ユーリ・コルニコフは、リュートを担いだ吟遊詩人だった。ふたりが並ぶと、これはまさにロールプレイングゲームの世界だ。
 一組の男女が、柱の陰からあらわれ、滑るように入場してきた。
 男はオーソドックスなタキシードで、堂々たる体躯によく映えてもいたし、いかんせん、他のものたちがどうしても、借り物の衣裳であると知れてしまうのに対して、この紳士だけは、こういった場にいかにも馴染んでいる感じが見受けられた。細い鎖を垂らした片眼鏡が、きらりと光る。
 男にエスコートされていたのは、襟から袖口までをすっぽりと覆うブラウスに、床ぎりぎりの長さのおとなしいスカートというストイックないでたちの女だった。飾りといえるのは胸元の、カメオくらいのもので、艶ややかな髪も、頭の上でシニヨンにまとめられている。
 この男女はむろん、巌嶺顕龍とシュライン・エマだ。
 広間は二階ぶんが吹き抜けになっており、二階のテラスとは大階段で結ばれている。その階段を、今、最後の客が降りてきたようである。ふたりの女だった。
 ほう、と、和馬が息をつき、惇も、いくぶん目つきを変えた。キッドも、食べる手を止めたようだった。
 先を行くのは、天樹燐。血のような、真紅のサテンのドレスだった。大胆に胸元を開け、腰は限界まで絞られることで、上半身の身体のラインがくっきりとわかる。対して、スカートは幾重にも切り返されながら相当なヴォリュームを持って広がる。ゆたかな黒髪を高々と結い上げ、燐は、傲然とさえ見える微笑を浮かべ、階段を降りてきた。
 彼女が咲き誇る大輪の薔薇だとすれば、後に続く黒澤早百合は、まさにあやしく匂い立つ百合だった。天鵞絨の黒いマーメイドドレスは、モデル並の彼女の長身にふさわしい優雅な装いである。一見、地味に見えてしまいそうなところを、細い首が幾重もの黒真珠のネックレスが彩られていることではっと目をひく。
「みなさん、お集まりですね」
 くぐもった声が――さほど大きな声ではなかったが、はっきりと、誰の耳にも届いた。
 キィ……キィ……と、不快な金属の軋む音を立てて、広間に入場してきた人物に、人々の視線が集中する。こわもての執事が押す車椅子の上に、男(なのだろう)が一人、坐っている。礼服を着てはいたが、膝から下には冷やさぬようにか、毛布をかけている。だがなにより異様なのは、顔といい手といい、およそ、肌の見えるところはすべて、包帯でぐるぐる巻きにされていたことである。男のかたわらには、白いワンピースの少女が付き従っていた。
「ようこそ、私の城へ。私が城主のリッキー2世です……本日は、飛び入りのお客様もいらしゃるとか……」
 言って、あやしい包帯の城主はあたりを見回す(どのていど、見えているのかはさだかではない)。
「この城で夜会が開かれるのは、ずいぶん、久方ぶりのことなのです。昔は……私がまだこのような身なりでなかった頃は……毎夜のように開かれていたものですが……当時を知るものたちは、皆、死にましたもので……」
 巌嶺顕龍は、片眼鏡の中から、隣のシュラインの表情を見遣った。だが、中世貴族のお抱え教師を思わせる格好の女は、仮面のような無表情を保っていた。
「どうぞ……今宵はお楽しみください。私はこのなりですので、できるおもてなしも限られますが……娘の雫と(と、ワンピースの少女が一礼した)、これなる執事の鬼鮫が、ご用があれば承ります……」
 給仕たちが、人々のあいだを縫って、グラスを配った。
「では、よい夜に――」
 城主は、グラスを掲げた。
 ざわざわと――広間は、夜会の華やかなさざめきに充たされる。

 いつのまにか……
 あれほど荒れ狂っていた嵐も、徐々に大人しくなっていったようだった。
 そして、とうとう、雲間から月がすがたをあらわす。
 それはあたかも、嵐で人々を城へと追い込んだ今となっては、もはや雨風は必要ではなく、あとはただもう見物に徹したい、とでも、夜空が思っているかのようだった。
 冷たい月の光が、古城を見下ろす。
 その冴えざえとした明りに抱かれながら、呪われた城の、恐怖の一夜がはじまろうとしていた。

 絹を裂く悲鳴とはこのことか。
 城中に響き渡るかのような悲鳴。それに続いて、どやどやと人々の足音が交錯する。
「なんだ、今の声は」
「何かあったのか?」
 客たちは、大きな扉の前で、止まった。
「ここ……からだな」
「おいッ! どうした! 何かあったのか!?」
 重どうな扉の向こうからの、いらえはない。
「鍵が――」
「ようし、どいてろッ!」
 扉に体当たりをはじめたのは、和馬だった。
「おれも手伝う」
 ウォルターがそれに加わった。その甲斐あってか、何度目かのアタックで、扉の蝶番が外れ、音を立てて倒れる。
「あ……」
「これは……ッ!」
 そして。
 その中に広がっていた光景に、人々は息を呑んだ。

■地獄の饗宴――version: White Roses

「お、お嬢さま……!」
 執事が叫んだ。客間とおぼしき部屋の中にいたのは、雫、と紹介された城主の娘だった。断末魔の苦悶にかっと目を見開いた、無残な姿ではあったが。
「なんだ、こりゃあ……」
 和馬の目が光った。
 素人目に見ても、彼女がもう生きていないことはわかる。だが、血の一滴も零れていなければ、目立った外傷らしきものは何もないのだ。
「触れるな。現場保存しないと」
 ウォルターが言った。
「……おれは刑事だ」
 和馬のうろんな目つきを受け止めて、狩人は応えた。
「鍵が……かかっていたんだよね。でも、この部屋、他に入口が……」
 ないのだ。ニコフの言葉に、誰もがはっとなった。
 ――密室。
「これは面白い」
 顕龍が笑った。
「バカを言え」
 苦い顔つきで、和馬は言った。
 だが真相を知っているのは、壁から生えている鹿の剥製の瞳だけのようだった。

 城の中庭には、薔薇が植えられている。
 それも、白い薔薇ばかりが。
 月が、嵐にも耐えてまだ花をつけている薔薇を、祝福するように蒼い光を投げかけていた。
 白薔薇の茂みのあいだを、ひとりの女が歩むさまは、まるで薔薇の精の出現かと思わせる。どこか夢幻的な眺めだった。
「危ないぜ」
 声が掛かった。
「殺人鬼がいるかもしれない城の中を、独りで出歩くのは感心しない」
 ウォルターだ。
 シュラインは、微笑った。
「心配してくれてありがとう……でも、わたしは平気」
「そうかもな」
 薔薇の中に、しおれかかった一輪を見つけ、ウォルターは、乱暴にむしりとった。
「殺人鬼がうろつく城の中で、安全でいる方法は多くない」
「『自分が殺人鬼でいること』――?」
「そういう疑いを持たれるような振舞をするなってことさ」
「疑いが真実だったら?」
 からかうように、シュラインは言った。
 ウォルターは、ずい、と、彼女との距離を詰めた。
「なにが密室だ。ドアノブを捻って部屋に鍵がかかっているといったのはあんただ。オレたちはそれを信じて、ドアをやぶっちまったが、最初から鍵なんてかかっていなかったかもしれない。第一発見者を疑え、ってのは鉄則だからな」
 ふふふ、とあやしい笑いが、紅い唇からこぼれた。
「……あんた……何者なんだ……」

 もとより、包帯のせいで表情はわからないわけだが。少なくとも城主の声は、娘の死を告げられても、まったく動じていないように聞こえた。
「まるで、死ぬのを知っていたみたいだな」
 惇は言った。
 城の奥まった箇所に位置する、城主の私室。天窓からは、月光が差し込んできている。
 惇のうしろに立つ和馬が、うす気味悪そうに、部屋の中をみまわした。その蒼い光が照らし出すのは、種々雑多なフラスコや試験管、アルコールランプといった実験器具の数々と、おそろしく古々しい本の山だった。マッドサイエンティストの実験室か、はたまた魔術師の書斎か、といった風情だ。
「あるいはそうかもしれません」
 平然と、車椅子の男は言った。
「この城は、いつでも血に餓えている」
「…………」
「十三年前の夜もそうでした。生き残ったのは、まだ家督を継ぐ前だった私と、当時の家庭教師だったシュラインだけです。あとのものは、一夜のうちに、皆、殺されてしまった」
「何だと。そりゃ、何の話だ」
「別に。ただの昔話です。――おや」
 城主は小首を傾げた。またもや、鋭い悲鳴が、城にひびきわたったからだった。
「騒がしい夜だな、オイ」
「あれは燐の声だ!」
 ふたりの男は駆けだす。
 それを見送って、やれやれ、とばかりに城主はかぶりを振った。
「まだ終っていないのだね。十三年前の事件が、まだ」

 まさしく、葬られるように。
 白い薔薇のしげみの中に、ウォルターはよこたわっていた。
「おい、キッド! キッド!!」
 親友の身体に、ユーリがすがったが、彼が目を開けることはなかった。
「私じゃ……私じゃありません。ただ、庭に出てみたら……」
「わかってる」
 和馬が、燐の肩に手を置いた。
「おい」
 ユーリが詰め寄ったのは、シュラインだ。
「キッドはあんたと話をするっていってた」
「…………」
 女は、一歩も怯まなかった。
「アリバイはあるかね、女史」
 と顕龍。こちらへは、ちらりと、あまり愉快そうではない一瞥を送ってから、
「ないわ」
 と、彼女は答えた。
「おまえさん……十三年前もこの城にいたんだってな」
 和馬が低い声で言った。
「そして、城主とあんただけが生き残った。他の人間が皆殺しにされた夜に」
 惇があとを引き継ぐ。
「面白いお話ね。私、ミステリーは好きだわ」
 早百合が、好奇心旺盛な猫のように目を細めたのへ、
「気があうわね。私もよ」
 と、シュラインは微笑みを返す。
「朝になったら警察を呼ぶ」
 昂然と、ユーリは言い放った。
「それまで、鍵のかかる部屋に居ていただくというのは如何ですかな」
「そうね。そのほうが安全だと思うわ。私自身も」
 顕龍の提案に、シュラインはそう答えた。断頭台へ送られながら、しかしそれでも誇りを忘れない亡国の王族のような態度であった。

 そして、それから、どのくらいの時間が経っただろうか――。
 かすかな気配に、シュラインはよこたわって身を休めていたソファーから半身を起こした。
 かさこそ。
 うす暗い部屋の陰の中にあってさえ、いや、だからこそ映える、毒々しいピンク色の蠢き。
「そこにいるの?」
「女史の寝込みを襲う輩がいてはと思ってね」
 扉の向こうから、顕龍の声が答えた。
「だったら、あなたの恋人を呼び戻してくれない?」
「なぜ、戻ってきた」
 シュラインの問いにはこたえずに、顕龍は言った。終始、落ち着いた話し方をする紳士だったが、この一言にだけは、抑制されてはいるけれども、はっきりと怒気がこもっていた。
「あなた、何者なの? 十三年前の事件のこと、何か知っているのね」
「貴女が犯人だということを」
「あら。じゃあ、密室の謎を解いたのかしら? 日本の、いえ、世界の犯罪史上、最大の密室大量殺人として知られるあの事件の謎を。あなたの仕掛けたお粗末な密室もどきとは違うのよ。……手なずけた毒蜘蛛を使って殺しただなんて。検死をすればすぐにわかることじゃないの。だから、あの刑事さんも殺したの?」
「さて。その蜘蛛とやらは、貴女が持ち込んだのでないとも言い切れない」
「こんなことで私を罠にかけたつもりなら……」
 シュラインが言い終わるより早く、扉の向こうで、騒がしい物音が響いた。
 悪態をつく声。なにかが壊れる音。
 そして、遠ざかる足音と、近付いてくる、車椅子の軋み。
「…………」
 がちゃり、と、扉が開いた。
 包帯を巻いた顔が、シュラインをのぞきこむ。
「平気かね」
「…………あなた」
 値踏みするように、シュラインは城主を見つめた。
「誰なの?」

 顕龍は走った。
 古城の廊下にわだかまる闇に、外套が翻った。
「――!」
 ぶん、と、湿った空気を切り裂いて、白刃がひらめいた。
 すんでのところで、執事の振るう刀を、顕龍はよけた。
「素早いな」
 にやり、と執事は笑った。
 第二撃。今度は、頬をわずかにかすった。血が伝う。
 しかし、執事の手の甲に、長い針が突き刺さっている。
 執事は呻いた。
「何のためにこの城へ来た」
「私は昆虫の標本作りが趣味でね」
 悠然と、紳士は答えた。
「捕り逃した蝶々を、探しにきたのだよ」
 執事は、がくり、と膝から崩れる。
「針に何か……素人ではないと思っていたが」
 そして、どう、と床に臥して倒れた。
 しばし、顕龍はそれを見下ろしていたが、近付いてくる足音に、顔をあげる。
「十三年前の事件の遺族の依頼を受けた殺し屋……そんなところじゃないか? どうだ?」
「いい線をつくな」
 面白そうに、顕龍は目を細めて、相手の、包帯に覆われた顔を見た。
「少々、やり口が荒っぽくはないか。無関係な人間まで傷つける必要があったのか」
「やむをえん。……それに、彼女に比べれば可愛いものだと思うが」
「それは同意する」
「……時に城主、今夜は車椅子は必要ないのですかな」
 そう――。城主は自身の二本の脚でしっかりと立ち、歩いているのだった。
「彼女が日本に戻ってきたのは、事件を調べている探偵の噂を聞き付けたからだ。それは意図的に流された情報でね。かわりに、彼女が知らない情報があった」
「…………」
「リッキー2世は、つい先日、亡くなったということだ」
 男は包帯を解いて、素顔をあらわにした。
「名を聞こうか」
「探偵――草間武彦」
「彼女は?」
「一枚上手だ、逃げられた」
「私に任せておけばいいものを」
「事件の謎を解かない以上、彼女が死んでも意味がない」
「やれやれ」
 肩をすくめる。
「さて。巌嶺顕龍どの。当面のあいだ、われわれの利害は一致していると思うが」
「違いない。……このこわもての執事はきみの相棒かね」
「そうだが、やつぁタフだ。放っておいて問題ない。行くか」
 男たちは頷きあった。だが。
「ん……?」
 きな臭い匂いと、パチパチとなにかがはぜる音が、どこかからしていた。しだいに、空気に煙がまじりはじめる。誰かが火を放ったのだ。
「あの女!」
「やれやれ、だ」

 すべてを見ていたのは、天にかかる月だけだった。
 ゆっくりと、城に火の手がかかるのを眺めてから、シュラインは旅行鞄を手に、城に背を向けて歩き始めた。
(私に追い付いてごらんなさいな。出来るものならね)
 勝ち誇った笑みが、その口元に浮かんでいる。
 胸元には、滅びゆく城の名残りとばかりに、庭に咲いていた白い薔薇の花が一輪、揺れているのだった。



それから――
ひとりの女を追うふたりの男の追跡行が続きます。
それはまた熾烈な闘いであり……
……え?
この城が、焼け落ちたのではないのかですって?
城主は死んでいたのなら、私は誰か、ということですか?
フフフ。
野暮なことをお聞きになるもんじゃない。
ところであなた、ずいぶんとろれつが回っていませんよ。足元も危ういようだ。まるで……飲物に一服もられたようですね。
今夜は、この城で休んでいかれるといい。
まだ夜は長いのですし、物語も、終っていないのですからね――。

(完)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【1028/巌嶺・顕龍/男/43歳/ショットバーオーナー(元暗殺業)】
【1503/橋掛・惇/男/37歳/彫師】
【1533/藍原・和馬/男/920歳/フリーター(何でも屋)】
【1955/ユーリ・コルニコフ/男/24歳/スタントマン】
【1956/ウォルター・ランドルフ/男/24歳/捜査官】
【1957/天樹・燐/女/999歳/精霊】
【2098/黒澤・早百合/女/29歳/暗殺組織の首領】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2世です(違)。大変、お待たせしてしまいました、
『リッキー・ホラー・ショウ』をお届けします。

ははは、なんといいますか、「パロディ的な面白さ」にしたいなと思って企画したのですが、
考えてみれば『東京怪談』自体がもともとホラーなわけで、それをパロディにして
さらにホラーって……。なにかホラーではないものになってしまった部分も(汗)。
みなさんの、普段のイメージを残しつつも、ちょっと新鮮味のある人物配置にしてみたつもりですが……

また、今回はいろいろ考えた末に『マルチ・エンディング』になっています。
ヴァージョンは4つ。みなさんをお二人ずつのペアにわけ(独断と偏見で)、
第3パートが各ペアごとに、まったく違った展開になっています。
従来の「個別執筆」ではありません。
他のペアのノベルをごらんください。
別の結末では、みなさんのPCさんはさっくり死んでいたりします(笑)!

☆受注時にお伝えしていたとおり、本ノベル内での死亡は、他のノベルには一切、
 影響はありませんのでご安心下さい。

>シュライン・エマ&巌峰顕龍さま
ずいぶんミステリー寄りのお話になってしまいました。
今回のテーマは「シュラインさんを悪役に」。他のヴァージョンでも、それぞれ違う
悪役になってます(他のヴァージョンのほうがお気に召してしまったらスイマセン)。
顕龍さんは、いつもよりほんのすこし極悪なような、そうでもないような。

それでは、また機会があればお会いいたしましょう。
ご参加、ありがとうございました。