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<東京怪談ノベル(シングル)>


MIND.


 化物は心を持つか。
 化物は笑うだろうか、泣くだろうか、恋をするだろうか、愛するだろうか。
 そして自分は、化物なのか。

 ケーナズ・ルクセンブルクの心に射し込むのは、斜陽と達成感だ。虚しい。
 彼は何も言わずに、度が入っていない眼鏡をかける。


「――これまでの記録にそのような団体名はない。国内は言うに及ばず、国外にもだ」
「では、これから記録に加えるとよろしい」
「……。――要求は不明だ。身代金は目的ではないと言う。国民が納めた金を奪っても気分が悪いだけだと」
「実に良心的です」
「それは冗談だろうな」
「聞き流していただいて結構」
「……マスコミを封じられるのは3日が限界だ。拉致された人間が人間なものでね」
「さて、そろそろお伺いしたいところだと思っていました」
「何だ?」
「その、誘拐された方は、一体どちらのどういったお方なのでしょうか」
「……」
「……」
「報酬は指定の口座に全額前金で振り込む。……わたしはここにいなかった。きみはわたしと話していない。きみは、この時間、何をしていた?」
「自宅で『アマデウス』を観ながらビットブルガーを呑んでいました」
「3日だ」

 ケーナズは、DVDを止めた。
 『アマデウス』が途切れた。
 画面に映った『今日の出来事』は、落ち着いてイラク情勢を報道している。
 3日だ。
 ケーナズが動かなければ、キャスターたちが落ち着いていられるのは3日間なのだ。


 とは言っても、今回ケーナズのもとに舞い込んできた依頼は、雲を掴むような話だった。話からわかったのは、要人が誘拐された、ということぐらいのものだ。名前を言うにもはばかるほどのその要人を拉致したのは、聞いたこともない名の団体。ケーナズは『ようするにテロリスト』と解釈しておいたが、この解釈が適切かはすぐに判断できる。ケーナズがテロリストと呼んだとき、烈火の如く怒り出せば、連中は『テロリスト』だ。自分たちがテロリストだと自覚しているテロリストは居ない。
 そしてもちろんのこと、このテロリストの潜伏先は不明だった。
 ――やれやれ……。
 安くはない報酬は、確かにすでに振り込まれていた。
 もし万が一ケーナズがこの任務に失敗した場合、この報酬を回収するのはお手のものだろう。依頼先はそれが得意だ。
 だが、ケーナズは金を自分のものにする。
 必ず。
 絶対に。

 糸口さえ掴めば、あとは容易いことだった。
 その糸口すらも、掴むことにさして苦労はしなかった。
「失礼」
 その一言を心中で呟き、ケーナズは去り行く依頼人の心の片隅を覗きこんだのだ。全てを知る必要はなかった。だから、片隅で充分だ。
 ――誘拐事件が起きたのは昨夜。東京。かすめる永田町。いや、事件が起きたのは永田町ではない。最後に確認が取れたのは、帰宅途中の専用車の中――。
「成る程、確かに、知ってはいけない」
 糸口を掴んだケーナズは、するすると糸を巻き上げていった。
 するする、
 するすると。
「私は何も知ってはない。ビールを飲みすぎて……少し、夢を見た」
 微笑んだケーナズは、眼鏡を外していた。


 四六時中、東西南北、上から下へ、東京を飛び交う電磁波と感情と記憶。
 ケーナズは確かな意思をもって、無数の情報から目指すもののみを掴み取る。1677万色の糸の中から、今このとき刺繍に使う、唯一色を。
 要人を詰めこんだバンは、白。
 要人を詰めこんだ男たちは、6人。
 要人を詰めこんだ暗がりには、さらに1人。
 連中は7人。7人のテロリスト。
 その人相を、鉛筆と紙さえあれば、今ここで描きとめられるほど――正確に、ケーナズの碧眼は見抜いている。
 ケーナズは簡素な装備を身につけると、暗がりに向かった。
 テロリストたちのひたむきな情熱を辿り、ケーナズは昼下がりから夜に侵入した。


 化物だ、とテロリストが呻いた。
 化物は心を持つか。
 化物は笑うだろうか、泣くだろうか、恋をするだろうか、愛するだろうか。
 そして自分は、化物なのか。
 ――何が目的なのかは聞かない。
 ケーナズは呻き声には関わらず、囁いた。きっとこの声は、テロリストには届かなかった。
 ドアの前に2人。
 ドアの向こうに4人。
 囚われた要人と共に居るのは1人。
 ドアの前に立つ2人は、助けを呼ぶこともままならない。ドアの向こうにいる4人は、この暗い回廊に飛び出すことも出来ない。ドアは赤いテープで目張りされているかのようで、押しても引いても開かないのだ。暗がりから現れた金髪碧眼の男が目を細めただけで、7人のM4の引鉄は動かなくなっていた。
 ――きみたちが何を想っているかも、私は聞かない。
 裂帛の気合とともに、ドア前のふたりが、ライフルを振り上げてケーナズに襲いかかった。気合は10秒も続かなかった。
 しゅリぃん!
 しなやかに腰を屈め、両手を交差させたケーナズの右と左に、2人の男がどうと倒れる。
 ひゅパん、
 ケーナズがするどく両手を打ち振って、はじめて血煙が生じた。黒手袋を嵌めた両手に、サバイバルナイフが収まっていた。
 ――よくある仕事なのだよ、テロリスト。
 血が教えてくれる。知らずとも構わないことなのに、情熱がケーナズに降り注ぐ。
 この国は、おれたちが変える。おれたちの、新しい世界。
 ――よくある思想なのだよ、テロリスト。
 そう、もう、感じ飽きてしまうほどに。

 ドアが、開いた。

「この国は、おれたちが新しく変える」
 浅黒い肌の男は、ケーナズを前にしても臆さずに、低くそう呟いた。
 ケーナズはその挨拶には何も返さず、部屋の片隅に目をやった。要人の姿がそこにあった。両手を手錠で縛られてはいるが、外傷は無いようだった。
「丁重に扱っていただいたようで」
「日本語が上手いな」
「有り難うございます」
 男は、ケーナズの背後で横たわる6人の男と、流れ出した情熱と、ケーナズの整った顔立ちを見比べているようだった。
「日本は好きか」
「嫌いではありませんよ、おそらくね」
「もっと好きになれるかもしれんぞ、あんたが死ねば」
 がちゃん、すラり――
 男は、M4を捨てて、小太刀を抜いた。

 ケーナズを斬る男はどこにもいない。
 ケーナズは見えるし、動かせる。達人の一閃も、情熱の一撃も、ケーナズをかすめることさえない。ケーナズは見たままに避け、望むままに動かすからだ。
 逆手に振るわれる小太刀を、逆手のナイフが受け流す。
 退く刃に、逃がしはしないと、炎の刃。
 小太刀に刻まれた傷に、ケーナズはただ一瞥をくれるだけでいい。
 金属音、
 勝負あり!

 折れた小太刀を捨てて、男は微笑んだ。
 ケーナズも微笑み返した。
「どうした、おれは、生き延びるのか」
「殺せとは頼まれていないもので」
 ケーナズは、要人の手を一瞥した。手錠が外れ、男が苦笑する。
「化物め」
 ざっ、と彼が手を振ると――
 袖から現れたのは、デリンジャーだ。
 ケーナズが一瞥をくれる前に、引鉄が引かれた。情熱の脳髄が飛び散った。
 すべてを見届けたケーナズ・ルクセンブルクの心に射し込むのは、斜陽と達成感だ。虚しい。
 彼は何も言わずに、度が入っていない眼鏡をかける。


 礼の言葉を聞いた覚えがない。
 今回も例に漏れず、涙混じりの感謝の言葉などは、ケーナズにもたらされなかった。
 だが、ケーナズは別段気に留めない。
 次の依頼を持ちかけてくること、それが礼だととらえているからだ。
 ケーナズは、『アマデウス』のDVDを取り出した。
 昼下がりのワイドショーにて、先日起きた政治家の汚職事件について、「まことに遺憾だ」とマスコミに告げる男の姿がある。
「頑張って日本を変えて下さいよ」
 ケーナズは苦笑しながら、リモコンを手に取った。
「首相」

 ぱちん。




<了>