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<東京怪談ノベル(シングル)>


9月22日 ――再誕

 夜の雑踏も私には届かない。
 届くのは、私を闇に誘う声。
「――田宮ちゃん? いつものお客様よ」
 ドア越しに聞こえたそれに、私は吸っていた煙草を灰皿へと擦りつけた。
「今行きます」
 ゆっくりとした動作で立ち上がる。
”田宮”
 それは私の源氏名だ。
 ここは吉原の中でも最高級といわれるソープランド『プラチナム』。そのため客層も、高収入で社会的地位の高い人たちが大半だった。
(”いつもの”って、誰かしら……)
 ドアへと脚を進めながら、考える。
 ”いつも”が多すぎてわからないのだ。
 この店は総額で10万円近くもするからこそ最高級店と呼ばれているのだが、その金額に見合ったサービスのおかげで固定客が多く、フリーではまず入れない。そんな店にありながら、ありがたいことに”私”の予約はいつも満杯だった。
(――ま、いっか。誰だって同じだものね)
 予約という行為はあくまで客が私をキープするためのもので、私が客を品定めするためのものではない。早く申し込んでくれた方を受け入れる、ただそれだけのことであり、私にとっては誰であれ同じなのだった。
 ピタリと、ドアの前で脚をとめる。
 ノブに手を伸ばした。
(――さあ、行くわよ)
 私は”田宮”。
 この部屋を一歩出た瞬間から、葛生・摩耶ではないのだ。

     ★

 客の待つ待合室に向かった私は、そこで少々拍子抜けした。
「お……やあ、田宮。今日もお願いするよ」
 その人は私を見つけると、にこりと笑った。深いしわが強調され、彼の年齢を物語る。
 立ち上がり握手のように差し出された手を、私は受け取った。そのまま、個室へと案内する。
 彼は私のお得意様の1人だった。けれど他の誰とも、違っている人だ。たった1人だけ、建前を真実にしている人。
”ソープランド”
 法律上”特殊浴場”として風俗営業法によって認可されている場所。特殊浴場とは、入浴する際にコンパニオンによってサービスが受けられる特殊なお風呂という意味だ。その建前上は、”本番”がないことになっている。
(もちろん)
 その実は”本番”前提のサービスであり、多くの男性がそれを求めてやってくる。
 ――この老人、以外は。



「――ふぅ……。やはり田宮に身体を洗ってもらえると気持ちいいのぅ」
 湯船の中に身を沈めて、頭にタオルを載せた彼は本当に気持ちよさそうに呟いた。
「……温泉とか、行かないんですか?」
 その姿がまさに”温泉につかるお年寄りたち”と似ていたので、隣でお湯につかっていた私は思わず問い掛ける。
 彼はきょとんとした顔をつくってから。
「温泉も気持ちいいがのぅ。田宮がいないからダメじゃ」
「私?」
「”同伴”という手もあるがの。田宮は人気者じゃから独占するわけにはいかんじゃろう」
 がっはっはと、豪快に笑った。
 そうしてしばらく、のぼせない程度に会話を楽しむ。
 普通の客なら、当然こんなことはない。椅子洗いのあとの潜望鏡の時間だろう。けれど彼との時間でだけ、私は私も、普通に入浴することを許された。
 私は彼の身体を洗い、話し相手をする。彼が私に望むことはそれだけであり、私が他のことをしようとすると嫌がるのだった。
(――そう)
 彼はとうに枯れているのだ。
 それでもこうしてここを訪れ、私を指名してくれる。その理由を、私はまだ訊いたことがなかった。
「……ねえ、どうして”私”なんですか?」
 それを今訊ねようと思ったのは、先ほどの彼の言葉のせいなのかもしれない。
 彼は私の顔を覗き込むようにして見ると。
「田宮が何を欲しているのか、知りたいのじゃよ」
 そんなふうに答えた。
 その言葉に、私はドキリとする。
(どうして……?)
 私は満たされているのだ。経済的にも――肉体的にも。けれど満たされているがゆえの、物足りなさを感じていた。
(もっと、自由に)
 私は自分から、動いていきたい。
 それは”田宮”ではなく”葛生・摩耶”の感情。
「私は――」
 一瞬にして、すべてを剥ぎ取られた。もう何も、心を遮るものがない。
「私は?」
「こうしてずっと同じ仕事をしているの。安定しているといえば聞こえはいいけれど……」
「つまらない?」
「いえ、楽しいことは楽しいのよ。でも仕事が終わって独りになると、どこにも進めない自分が浮き彫りになって……」
「辛い?」
「わからないわ。でも私にだって、向上心はあるの。生きてる人間だもの、成長したいわ」
 短い言葉で次々に私の心を引き出した彼は、不意に私の”答え”を告げた。
「そうじゃな。君の世界は、狭すぎる」
 私と、客と、同業者と。たったそれだけの世界。
(そうだわ……だからこんなにも)
 息苦しかったのね。
 世界が狭いから。
 そんな簡単なことすら、気づけずにいた。
「世界を広げてみる気はないかね?」
 彼は誘う。それはいつもの声とは違い――私を光へと誘う声。
「昨年から東京では、新宿を中心に怪奇現象が頻発しているんじゃ。そこでその原因や謎を解き解決するために、様々な場所で協力者を募集しておる。それは興信所であったりオカルト雑誌の編集部であったり――そう、インターネット上でもの」
 怪奇現象頻発の噂は、ニュースで見たり他の客から聞いたりして知っていた。だがそれを探るために協力者が募集されているなんて、知らなかった。
「私に、協力しろと?」
 心臓が、駆け足を始める。
「本当は自分で行きたいのじゃよ。好奇心だけならまだまだ若いもんには負けん。しかしな、わしは収入や地位、そして権力と引き換えに自由を失ってしまった。それからこうしてずっと、停滞したままじゃ」
「!」
(停滞――)
 私と同じだ。
「どうじゃ? これは交換条件じゃ。わしの代わりに事件に関わり、そこで見聞きしたことをわしに聞かせてくれ。その代わりわしは、君の行動をすべてフォローしてあげよう。さいわい政財界には山ほどコネがあるしの」
 ニヤリと笑う彼。
 これは、願ってもないチャンス。
(……でも、大丈夫?)
 男をもてなすことしか知らない私でも、誰かの役に立てるの?
 戸惑いと不安。
 ――それでも。
「私、やります」
 正直な心臓には、敵わなかった。この高鳴りは、期待と――希望だ。
 きっぱりと告げた私に向かって、彼はしわいっぱいに微笑んだ。
 が。
「――ただし」
「え?」
「すまないが、怪奇そのものに対しては、わしは無力じゃぞ」
「!」
 それはそうだ。無力でなかったら、既にどうにかしていることだろう。
「……わかっています」
 クスリと笑って、私は応えた。



 9月22日。
 この日突然、新しい”私”は生まれた。
(閉じられていた殻を破って)
 世界を、広げるために――。





(終)