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<東京怪談ノベル(シングル)>


遠き過去、ひとひらの想い

 何処か朦朧としつつ、真柴尚道は駅前マンション二階の自室でうろうろしていた。
 …自身の長い長い、天然でウェーブのかかった黒髪に足が引っ絡まって転びそうにまでなる。
 その理由。
 風邪…ひいた…。
 それだけならまだ良いのだが。
 今回は少し厄介だった。
 何故なら。
 …なんっかぞくぞくする。寒ィ。
 熱が出ている。
 …つーと、力をちょいと解放して治す訳にも行かねえし。
 制御に不安が残るから。
 ぼーっと考えつつ、尚道は居間の救急箱――はっきり言って必要無いので普段から殆ど何も入っていないが、取り敢えず効果を見出せた熱さましに限ってだけは一応常備してあった筈――を目指してふらふら。
 で、目的の場所に辿り着き、救急箱を開けるが――中身は。
 …熱さまし――切れてるし。
 ち、と内心で舌打ちしつつ、尚道はそのままふらふらと寝室に戻り、ベッドにばたり。
 …寝てりゃ、治るかな…。
 漠然と思いつつ、尚道は改めて布団に潜り込んだ。


■■■


 混濁する意識の中。
 少しずつクリアになっていく思考。
 記憶。

 遠い遠い遥かに遠い過去の出来事。
 名など既に意味を為さない世界。
 この世とは異なる世界。
 ――真柴尚道の今生きる、この世界とは。
 決定的に違う、懐かしくも…呪わしい過去。

 前世の、出来事。
 破壊神として生きていたあの頃の。

 爆発する光が見える。
 力無くぐったりとした魔物を一匹、片腕の先にぶら下げたまま、破壊神はそれを感じた。
 …あの爆発は仲間の力。
 それでもまだ、全然足りない。
 攪乱にしかならない。
 抑え切れない苛立ちと共に、破壊神はぶら下げた魔物の腕を、ぎり、と握った。
 刹那。
 ――ぱぁん、と。
 弾け、霧散する。
 跡形も無く破壊され。
 破壊神の腕の先には最早何も繋がっていない。そこには最早何も無い。

「…キリが無ぇ」

 愚かしい思考の者ども。
 …滅びてこそ新たな救いが得られると。
 一切の生者の否定。
 世界の否定。
 歪んだ妄想も大概にしろ。
 破壊とは――それを為すべき時に為されなければならない。
 破壊でしか救えないと判じた時のみ行われる、再生――後の創造の為の手段。
 奴らの思想はその――本来の破壊とはまるで逆転している。

 ――『破滅』こそが目的になっている。
 手前勝手に世界を嘆き、すべて無くなればいいと滅びを願う。
 何やら御題目は唱えているが――その奥底にあるのは虚無への願望のみ。
 後の創造などまるで考えていない。

 そう…理に反し――世界の調和を乱しているだけ。

 …ただ闇雲にすべてぶっ壊してどうなると思う?
 そこに創造は行われない。
 無論、何者であろうと救われる筈も無い。

 本来破壊を司る破壊神はここに居る。
 そしてその破壊を司る俺は――『今』の破壊を望んでいない。
 今はその時で無い。

「ち…」

 疲れの色が隠し切れないまま、破壊神は忌々しげに舌打つ。
 その背後、現れたのは黒い肌に僅かな布だけを纏い、数ある手にそれぞれ剣を握った半裸の魔物が数匹。
 …またか。
 瞳孔の無い赤い目をぎらつかせ、奇声を発し――舞うように軽やかに破壊神を襲い来る。
 破壊神はゆっくりと振り返った。
 振り返ったそこ、目前に居る魔物。
 剣が振り下ろされる。
 その下には。
 魔物どもの目とはとても比較にならない程の、獄炎の如く燃える紅の瞳があった。

「邪魔だ…どけ…」

 破壊神が低く、重く告げたその刹那。
 …破壊神に向け剣を振り被り、今にも躍り掛かろうとしていた黒い魔物は。
 逆に破壊の念を容赦無く叩き付けられ――ことごとく霧散した。



 神殿に帰還する。
 …帰着するなり。
「破壊神様!」
 仲間や巫女が駆け寄ってくる。皆ぼろぼろで。戦いの跡が消えていない。埃に塗れた巫女装束が痛々しかった。…戦場に出ていない者まで、何と言う姿だ。
「御無事で!!」
「ああ。ここも無事か、良かった…。否、創造神はどうした」
「…」
 沈鬱な空気が周辺に漂う。
「やられた、か」
 破壊神は目を伏せると、当然のように元来た道へと踵を返す。
「すぐに出る。…奴の弔い合戦だ」
「御待ち下さいっ!」
「…るせぇ」
「破壊神様は全然お休みになられてませんでしょう! 少しはお休みにならないと!」
「…んな悠長に休んでられっか…」
「ですが御顔の色が…」
「…大丈夫だ」
「御身にまで何かあられては…破壊神様!」
 ひとりの巫女が堪らず破壊神の袖を引く。
 と。
 それだけで。
 ぐらりと。
 身体が傾いだ。
「――!」
 目を見開く。
 たった今、ろくに力も無い巫女に引かれただけで?
 思う間にもぐらりと視界まで傾ぐ。
 え…?
 漠然と疑問に思ったその時には、破壊神はその場に倒れ込んでいた。
 仲間たちに抱き留められて。
 悲鳴が聞こえた、気がした。
「破壊神様!」
「御無理のし過ぎです!」
「どうぞお休みになっていて下さいませ…っ!」
 殆ど悲鳴のような声が幾つも浴びせ掛けられる。
 それでも、まだ敵は――。
「そうは行くか…っ」
「破壊神様!」
 彼らの言葉に言い返す間にも。
 自身の身体に殆ど力が入らない事実は――自覚せざるを得なかった。



 …そして。
「どうしてこんな事になってしまったのでしょう…」
 静かに語る巫女の声。
 布を絞り、寝台に横たわる破壊神の額を拭いている。
 いつも俺の傍に居てくれるこの巫女。
 密かに、護りたいと思っている娘。
「私たちはただ、諍いも争いも無く…静かに暮らしていたいだけなのに」
「…何故、だろうな」
「滅びを望む心など私にはわかりません…っ」
「それで良いさ。そんな心、理解しようなんて思うなよ」
「…ですが、どうして、あの魔物たちは…そんな風に思わなければならないのですか! 何か、そう思わざるを得なかった理由があったのではないですか!?」
「…優しいな」
「え」
「…ここまで来りゃ、そんな…相手を気遣うトコまで行かねえだろうよ」
「それでも! 私は…」
 破壊神を看病しつつも必死に言い募る巫女。
 と。
 扉の外が俄かに騒がしくなった気がした。
 破壊神は、はっ、として扉を見る。巫女も同様に扉を振り返る。
 騒がしい音は近付いている。

 鬨の声。
 呻く声。
 叫び声。
 断末魔。
 刃物と刃物がかち合う音。
 荒々しい足音。

「破壊神様ぁ…っ」

 扉の向こうから確かに聞こえた呼び声。

「…駄目です! 最早これまで…お逃げ下さ…」

 聞こえる声が途中から不自然に消える。…やられたのか。

 魔物ども。
 …前線に俺が居ないと見て?
 動けなくなっていると判じ?
 ――隙を突いて神殿まで攻め入って来たと言うのか…!

 焦る。
 俺の油断か?
 どうしたら動ける?
 腕が利かない足が利かない。
 念が練れない。
 …満足に動けない。

 ――…『今の御身では戦う事は出来ませんっ!!』

 かの巫女に怒鳴られた言葉。
 それが真実とわかっているから余計に。
 自分が呪わしくなる。
 舌打つ。
 …動け、この身体。
 焦る。

 と。

 部屋の扉を打ち砕き、なだれ込んで来る魔物どもの姿。
 破壊神の視界で動いた、見慣れた巫女装束。

 待て

 それが何を意味しているのか、しかと認識する前に言葉が頭の中にあった。

 下がれ――――――!

「――させません」

 意志の強い声。
 聞こえた途端。
 破壊神は例えようの無い不安に身を強張らせた。


 刹那。


 魔物どもの躊躇いの無い動きが――かの巫女を襲う。
 湾曲した大きな刃。
 細く長い、尖った槍。
 切っ先が巫女の身体を貫く。
 それでも巫女は退かなかった。
 自らが仕える、破壊神を庇い。
 両手を、広げて。
 遮るように。

「この御方は決して亡くせない方…」

 倒れない。
 背に生えた幾つもの切っ先。
 視界を染める朱の色。
 嘘だ。
 倒れない。
 動けぬ破壊神を庇い。
 巫女として。
 護ろうと。
 彼女――は。

 よろめいて。
 茫然と見つめる破壊神のその腕に…漸く、倒れ込んでくる。
 抱き留めるしか出来なかった。
 他に何が出来た?

 俺は自分以外を癒せない。

「お生き…下さい」
 破壊神を見上げ。
 可憐な唇が。
 紡ぐ声。
 痛々しい程の。
 優しさと。
 慈愛に、満ちた。

 …ずっと想いを寄せていた、その相手。

 たったひとりの――かけがえの無い存在。
 目の前で。
 何も出来ずに。

 俺は。


『          』


 声にもならない慟哭が喉の奥から迸る。

 周辺一帯に轟いた。
 血を吐くような嘆きの意志が。
 破壊神の心を――滅ぼした。

 …そして制御は無効となる。
 第三の目が見開かれた。

 抑えられていた破壊神としての――際限無い破壊の力。

 そう。
 巫女の望んだ平穏も。
 報われず。

 創造神は疾うに殺されて。
 調和は既に崩されたまま。

 ただ。
 心を――自我を手放した破壊神だけがそこに居り。
 彼の持ち得た破壊の力が――ひとりの巫女の死により、暴走した。

 ――『破壊神』の暴走の結果は。
 それ即ち、『一切の破壊』以外に何事も齎す訳は無く。


■■■


 ぱちりと目を開く。
 …気が付けば汗だくだった。

「なんっ…で…」

 今更。
 あの時の夢を。
 尚道は茫然と呟く。
 呟きながらも、目覚めた自分の意識が妙にはっきりしている事に気が付いた。
 …汗をかいたのが良かったのか。
 熱は引いているようだった。
 自分の寝転がっている場所を確認する。
 寝室のベッドの上。
 ここは…俺の家。
 あの場所ではない。
 …あれは過去の事。
 今ではない。
 今は俺は両親と離れ、ひとりで暮らしている二十一歳の単なるフリーター。
 今の俺は人間。日本とインドの血が混じったハーフ。
 …ただの、人間。
 あの巫女は…彼女はもう何処にも居ない。
 居るのは俺の心の中にだけ。

 けれど。

 …今の俺はひとりではない。
 今は、仲間が居る。
 ひとりではない。

 あの彼女は――ここには、居なくとも。
 彼女が望んでいたような…静穏な日常が――ここには、存在する。
 俺はその中に居る事が出来ている。
 俺は、こんな形ででも――生きている。

 …かの巫女の望んだ、その通りに。

【了】