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<東京怪談ノベル(シングル)>


海の幸とも山の幸とも

 「おでんと言うものは今や鍋物の定番、日本の冬の風物詩であるが」
 不意にそんな事を言い出した源に、何事かと嬉璃は見ていた新聞のテレビ欄から顔を上げ、源の方を見た。
 「だが、その具は何かとワンパターンになりがちじゃ。まぁ客の好みはやはり定番の大根や蒟蒻に人気が集まるから、致し方ない部分もあるのじゃが」
 「その、定番だけではおんしは気に入らぬと言うのぢゃな?」
 そう嬉璃がツッコミを入れると、その通りじゃ!と源が息巻いた。
 「確かに、創作おでんとでも言うのか、西洋野菜なんぞの変わった具を使う店もある、或いは季節ものなどを上手く利用してある献立も見た。じゃが、それではつまらん!わしが目指すのは究極のおでん種、客達の身体の隅々、その遺伝子にまで感動の記憶を刻み込む程の美味、無理と知りつつも気が狂わんばかりに求めて止まぬ程の魅力、そんなおでん種をわしはこの手で見つけたいんじゃ!」
 すっくと立ち上がって片手の拳を握り締め、天井を仰い熱く思いを語る源、きっとこれが漫画なら、彼女の背後にはどどーんと日本海(限定)の高波が白く弾けているか、或いは、燃え盛る業火が熱気と共に真っ赤な舌を渦巻かせているに違いない。
 「…で、おんしはどうしたいんぢゃ?」
 ずずず…と熱い番茶を啜りながら、嬉璃が上目で立ったままの源を見上げる。源は、まるで嬉璃にそう聞かれる事を予想していたかのよう、にやりと笑って嬉璃を見詰め返す。
 「決まっておる。…捜しに行くんじゃ」
 「何を」
 「伝説のおでん種を」
 「誰が」
 「わしと嬉璃殿が」
 「おんしだけぢゃないのか!」
 思わず叫んだ嬉璃に、何を今更と言わんばかりの顔で源が言った。
 「何を言う。わしと嬉璃殿の仲ではないか。つれないことを言うでない」
 「つれるとかつれないとか以前に、なんぢゃ、その妖しげな表現は」
 「存外、細かい事を気にするお人じゃのぅ…」
 やれやれ、と肩を竦める源に、それはこっちの台詞だというように嬉璃が片眉だけを高々と上げた。それを見た源が、目を細めて笑い掛ける。
 「そんな顔をするものではない、折角の愛らしさが台無しになるぞ?……嬉璃殿は食してみたくはないのか。…伝説、究極のおでんとやらを。一口食えばホッペが落ちる、余りの美味さにとろとろに蕩けてしまいそうになる程の、この世の至高と言うものを…」
 「……行くか、善は急げと言うであろう」
 すっくと立ち上がり、そのまますたすたと出入り口の方へと歩き出す嬉璃に、源は思わず笑いを噛み殺した。既に襖を開けて廊下へと歩き始めている嬉璃の背中に、声を掛ける。
 「ああ、そうそう…夕刻までには戻る予定だからな。仕込みの時間もある故に」

 「おんし…冒険を舐めてはおらぬか?」
 肩を並べて並んで歩き、あやかし荘を後にした二人だが、嬉璃の言葉に何の事だと源が視線を向けた。
 「伝説のおでん種を探す旅が、たかだか半日程度とはどういうことぢゃ。そんな簡単に見つかるようなら、誰も苦労はせぬ、伝説もそこら中にあり溢れてしまうわ」
 「そうは言っても、わしには屋台もあるからのぅ…毎日、わしのおでんを楽しみに来てくれる客の期待を裏切る訳にはいかん」
 「…まぁ、おんしがそう言うのなら、構わんが。で、何かあてはあるのか?」
 その問い掛けに、待ってましたと源が嬉璃に笑顔を向ける。
 「今年の夏も秋も矢鱈と長雨だったであろう?つまり、未だに自然界の湿気はかなり多いと見受けられる。…とすれば、だ。嬉璃殿、湿気と言って思い出す食材とは何であろ?」
 「黴」
 そんな嬉璃の返答に、さすがに源は肩を落として溜息をついた。
 「…黴は食い物ではない。ではなく、キノコじゃ、嬉璃殿」
 「キノコをおでんの食材にするのか?」
 そう嬉璃が尋ねると、源は自信を持って頷いた。
 「山菜などもおでんにするのだから、キノコをおでん種にしても何ら不都合はあるまい?わしの絶妙なる配分と技による門外不出の出汁、これが軟らかなキノコに染み渡って、一口噛めば熱くて美味い汁がじゅわっと……」
 そんな、臨場感たっぷりの源の説明に、思わず嬉璃は生唾を飲み込んだ。
 「キノコは、日本に現在、実に数百だか数千だか種類があるらしい。まだよく研究されていないものも多いと聞く。だとすればだ、未だ発見されておらず、未知のキノコがあっても可笑しくはなかろう?」
 「それは確かにそうぢゃな。では、この先の山などどうぢゃ?登るにも程好い高さであるうえ、あそこはいつも湿っぽくて何やらの妖気を感じると言うからの。変種のキノコも生息しているやもしれぬぞ」
 湿っぽいはともかく、妖気が漂っていると言うのは微妙に危険なような気もするが、その辺はこの二人の事、いざとなれば何とかなるさと余り深くは考えず、あやかし荘近くの、丘に毛が生えた程度の小山へと向かった。

 夏であれば、涼みがてらの登山客もそこそこに見られるこの山も、さすがに師走となった今の季節では登る人の影は殆ど無い。そこを、二人はひょいひょいと軽い足取りで足場の悪い山道を登っていく。一応、岩や木で歩道が作ってあるから、本格的な登山の用意をせずとも山頂まで行く事が出来る。ただ、今回の源達の目的は、この山の制覇ではなくてキノコ探しなので、展望台のある山頂よりは、中腹の、木の生い茂った昼間でも薄暗いような林の方が都合いいのである。
 途中までは、登山コースの遊歩道を歩いていた二人であったが、その後は歩道を外れて道なき道を歩き始める。嬉璃の座敷童の能力(がキノコ探索に有効かどうかは不明だが…)と、源の常人離れした五感、それらを活用して二人は枯葉を踏みしめ、小枝を掻き分け、時にはウサギやタヌキなどの山の動物達と挨拶を交わしながら進んでいく。ふと、嬉璃がその歩みを止めた。
 「…どうした、嬉璃殿?」
 「…いや、何か気配と言うか…あそこだけ、少々空気の層が違うような気がせぬか?」
 そう言って嬉璃が指を指した方、見た目には周りの他の場所と同じようなのだが、何かが違う。嬉璃が言ったように、そこだけ空気の色か何かが違うような、そんな感じだった。それを感じ取った源は、逸る気持ちを抑えて、だがありありと期待を表情に表した状態で嬉璃の方を向く。
 「妖気か何かが満ちているのかもな…これは期待できるな、行ってみようではないか、嬉璃殿」
 「勿論ぢゃとも」
 源に言われるまでもなく、既に幻のおでん種探しに夢中になっている嬉璃は、同じく期待に満ち満ちた表情で頷き、二人はその方へと歩いていった。

 二人が、そこへと辿り着くと、何故か一箇所だけ落ち葉もなく、下生えもなく、誰かが掃き清めたかと思う程に綺麗に下の土が現われている箇所があった。その真ん中に佇んでいる『それ』、まるでこいつが為に周りの落ち葉達が遠慮して後退りした、そんな感じであった。
 「…これは、……」
 嬉璃が小声で呟く。源はそこに膝を突き、円の中央にある『それ』に鼻先を近付けた。
 「こんなキノコは見た事が無い…匂いもほれ、芳しいぞ、嬉璃殿。マツタケなんぞの非ではない」
 そう言われて嬉璃も両膝を突き、その、赤味の強い濃い茶色の傘に鼻を寄せる。息を吸い込むと微かにだが花のような、そして物凄く美味しそうな芳香が鼻腔を掠めた。柄の部分は真っ白でするりと細く、まさに今まで見たことが無いキノコであった。源が嬉璃を見て笑みを向ける、器用に片目を瞑ってみせた。
 「やったな、嬉璃殿。これでまたわしの店に、新たな伝説が築かれる事は間違いない!」
 「確かに、これは未だ嘗て誰も目にした事のないキノコぢゃて、もしかしてこれは、学術的にも重要な発見になるやも知れぬぞ」
 「そんな、金にならぬような名誉なんぞ、どうでも良いわ。わしが目指すのは究極のおでん!アルティメット・オブ・ザ・オデンなのじゃ!」
 すっくと立ち上がってまた片方の拳を握り締め、熱く語る源に、抱え込んだ膝の上に顎を乗せた嬉璃がぽつりと呟く。
 「それはいいが…このキノコが毒キノコでないと言う保証は、どこにもないんぢゃがのぅ…」
 「…………」
 源が、拳を握り締めたまま硬直した。
 「キノコの毒性を見分ける方法はただひとつ…試しに食ってみるしかないと聞いた事があるんぢゃがのぅ…はてさて、誰に食わせてみるか……」
 「…いや、それはどうかと……さすがにわしの店から死人を出すのはちょっと……」
 溜息交じりにそう呟く源に、仕方がないだろうと言うように嬉璃が頷き掛ける。結局、二人はそのキノコをそこに残したままその場を立ち去る。源は未練がましく、何度も振り返ってはその茶色い傘を眺めていた。

 その日もいつものようにおでん屋の屋台を開き、いつもの客を相手に商売をしていた源だが、頭の中は今日見た新種のキノコの事で一杯だった。そしてふと、誰かテキトーな奴に試しに食べさせてみよう、もし万が一何か遭っても害の無い奴は誰だろう…等と不穏な事を考えたりしていたのだった。