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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


類気後感

 あの世界は確かに存在し、この世界も確かに存在する。否定は出来ず、肯定を強要される。自らを由するが為に、この世界は酷く苦しく、あの世界は凄まじく哀しい。


 学校帰り、守崎・北斗(もりさき ほくと)は級友の中の一人と家路についていた。
「そういえばさ、俺の兄ちゃんがえれー落ち込んでてさ」
 級友はそう言って苦笑する。北斗は青の目を悪戯っぽく光らせて笑う。
「ナニナニ?彼女に振られた、とか?」
「当たり!全く、情けないったらありゃしねーよ」
 ぽんぽんと北斗の背を軽く叩き、級友は笑った。その振動で茶色の髪を揺らしながら、北斗も笑った。そしてふと思い浮かぶ、自らの兄。
「……そういえば、お前の兄貴は元気か?」
「ん」
 北斗は級友に言われてふと兄を思い浮かべた。守崎・啓斗(もりさきけいと)、北斗とはほぼ同じ、だが違う存在。緑の目を始めとして、最近では何から何まで違うではないかとまで思い始めてきた。当然だ。互いに違う人間なのだから。
「あんまし、元気じゃないのか?」
「……ん」
 北斗はあえて曖昧に答えを返した。はっきりと、元気があるか無いかなどと断定できないような気がした。級友もそれを察したのか「そっか」とだけ答えて、それ以上問うのをやめた。
(ありがてぇな)
 ぼんやりと、北斗は思う。深い所まで聞かれれば、自らに眠っている筈の感情まで呼び起こしてしまいそうだったから。
「あ、じゃあ俺こっちだから」
 いつもの分かれ道まで到達し、級友はそう言って小さく笑った。北斗も小さく笑い返す。何も悟られぬように。級友はそんな北斗を見て、ぽん、と軽く拳で肩を叩いた。
「お互い、兄貴で苦労するな」
「……そーだな」
 互いに苦笑しあい、級友と別れた。北斗は振り返らない級友の背中をじっと見続けた。前だけをしっかりと見据え、毅然として歩いていく級友。彼の中にあるのは、自由という名の世界。
「……何でかな」
 ぽつり、と北斗は呟いた。
「何故、同じ世界には留まれないんだ?」
 北斗はそう呟き、ぎゅっと手を握り締めた。自由な世界に生きている、級友。自由な世界を求めて止まない自分達。何故、彼らと同じように平穏な世界に生きられないのか。
(平穏な世界は、本当に存在するものなのか?)
 ふと浮かぶ、疑問。
(何を以って自由と為す?)
 自由とは何か。自らを由するとは一体どういう事なのか。
(果たして、平穏な世界に留まれぬのか、それとも留まらぬのか)
 平穏な世界に留まろうとすればする程、心の何処かで疑問が生まれていた。縛られて得る平穏、荒立てて得る自由。結局求めているものが何であるのか、分からなくなる。
(俺は、留まりたい)
――平穏な世界に。だが、それは同時に束縛を意味するのではないのか?
 北斗は頭を振り、思い直す。
(俺は、留まれない)
――平穏な世界に。何故なら、平穏は束縛を意味するのだから。だが、留まれない世界を思うと、どうしてこんなにも心が痛むのか。
 北斗は今一度頭を振った。答えなど出ない。まるで最初から出る事の無い答えを、自らに問い掛けているかのような錯覚にさえ陥る。
「留まれない世界を、どうして俺は望む……?」
 この問いは、誰の耳に届く事も無く消えていくのであろう。吐き出しているのにもかかわらず、吐き出さない状態と全く同じままで。
――何故?
(束縛は嫌だ)
 はっきりしている答えだった。それだけは、誰に何と言われようとも捻じ曲げる気など全く無い。
(束縛から逃れたい。束縛だけは嫌だから)
 ふと、もがいていた自分の姿を思い出した。喰らわれそうになった、北斗の夢。燃やし尽くそうとしていた炎。自分を縛っている全てを、束縛の全てを。
(あの炎をどうやったら、手に入れられるんだ?)
――力があればいいのだろうか?あの時手に入れるのをやめた、夢を邪魔する奴らを片っ端からぶっ倒していく力。……否。
(力は関係ない。……全くじゃないけど、関係ねーよ)
――ならば。
 北斗は再び考えるが、答えは出ないままだった。苛立ちと不安だけが、妙に気持ちをかき乱す。あの時出会った女の、高い声で紡がれた言葉が頭を巡る。
『毎日、断ち切る事だけを考えていたわ』
「……俺だって」
――否、違う。
「俺と兄貴だって、そう思っているんだ!」
 ガン。北斗は小さく叫び、壁に拳を打ち付けた。打ち付けられた壁から、ぱらぱらと砂が零れ落ちていく。枯れた地上に降り注ぐ雨ように、ぱらぱらと。


 北斗が家に帰ると、家には啓斗の姿があった。今日もまた、学校には行かなかったようだ。
「お帰り、北斗」
「ただいま」
 いつも通り挨拶をし、北斗は啓斗の顔をじっと見つめた。北斗の青い目と、啓斗の緑の目がぶつかり合う。
「……どうしたんだ?北斗」
「あのさ……あのさ、兄貴」
 意を決したように、北斗は口を開く。
「兄貴は、自分の心に声が聞こえた事って、ねーか?」
 北斗の言葉に、啓斗は一瞬目を大きく見開く。だが、すぐに溜息をついてから冷静に言葉を紡ぐ。
「一体、何を言い出すと思えば」
「俺は、平穏な世界に留まりたいと思ってる」
 啓斗の言葉を遮り、北斗は言葉を続ける。答えすらも得ようとしない、遮断。
「平穏な世界に留まりたいって思ってるのに……気付くと心で声が聞こえる。『違う』ってさ。変だろ?平穏な世界にいたいと思うのは確かなのに、それなのに『違う』だなんてさ」
「北斗」
「だからさ、変だって思う事自体が変なのかもしんねーけどさ。平穏な世界に留まりたいって思うのは違わなくてさ……」
 啓斗の呼びかけにも動じず、ただただ北斗は喋り続ける。既に啓斗に対する問いとは違っていた。自分の中に生じている思いだけを吐き出し、何かしらの答えを求めていた。否、答えなど本当はいらないのかもしれぬ。ただ、吐き出したという事実だけが、確固たる事実だけが欲しいのかもしれない。
(……矛盾だ、北斗)
 啓斗はただただもどかしそうに喋る北斗を見て、心の中で諭す。きっと、口で言っても分からないだろうから。
(それは、矛盾でしかないんだ)
「……なぁ、兄貴。兄貴は、違うと思うか?」
 やっと、北斗の問いは啓斗に向けられた。啓斗は表情を硬くし、北斗がまだ何か言うかを待った。が、北斗はただただ啓斗を見つめるだけで何も言わない。問いの答えをただ待ち続けているのだ。
「気のせいだ」
「……え?」
 意表を突かれた答えを返され、北斗は拍子の抜けた顔をした。
「気のせいだ、北斗」
 もう一度啓斗はそう言い、そのままその場を後にした。言い捨てていくかのように。実際、言い捨てていたのだが。
 北斗を一人残したまま、啓斗は自室に入るとずるずるとそのままその場に崩れ落ちた。薄暗い部屋の中で、啓斗は一人考え込む。
(気のせい、であるものか)
 北斗には言えぬ、確信。北斗が先ほどずっと言っていた事は矛盾を孕んでいたが、だがそれが全てではない。矛盾だけで構成されていた訳ではなく、矛盾が孕んでいたというだけで、その中には真実というものも含まれていたのだ。
「あの世界は俺たちを受け入れた……」
 自由を求めていた世界を思い、啓斗は呟いた。それと同時に、その時に見た夢の姿を。雁字搦めにさせていた鎖を解放する鍵が、確かに存在していた。啓斗を捕らえている鎖から解き放つ為に存在する、鍵。
(手に入れたい)
 切に、願っている。そろそろ解き放たれてもいいのではないかと、心の奥底から願っているのに。
――未だに鍵を手に入れてはいない。
 夢の具現化を、あの時得ようとしていた力で為し得たのかもしれないと思った事もある。だが、実際には力は譲ってしまったのだし、本当に為し得ることが出来たかどうかすら怪しい。だから、特に後悔などはしてはいない。
「それなのに……」
(どうしてこんなにも不安になるのか)
 啓斗は大きく溜息をついた。
 啓斗は自由を求めている。その自由を得る為には、戦う事を選ばねばならぬ。
 啓斗は平穏無事な生活を望んでいる。その生活を得る為には、戦うという事を選んではならぬ。
――なんという、矛盾。
「おかしいな。どちらも、方向は同じなのに」
 啓斗はぽつりと呟いた。どちらも向いている方向は、ほぼ同じだ。酷く似ている。それなのに、どうしてこんなにも『違う』のであろうか。
「気のせいじゃない」
 北斗に言った言葉を、一人訂正する。
(それは決して気のせいなんかじゃないんだ、北斗)
 啓斗も北斗も気付いているのだ。求めるものは同じなのに、それに至るまでの過程で矛盾が生じてしまっているのだと。だが、引き返せぬという事もちゃんと心得ている。だからこそ、自らの思いに迷いが生じている。迷いに対し、心が叫ぶ。
――『違う』と……!
 何かが違うと、二人ともが気付いている。何かがおかしいと、二人ともが気付いている。何かを訂正しなければと、二人ともが気付いている。
(では、一体何が違うというのか?何がおかしいというのか?何を訂正すればいいというのか?)
 啓斗は自らに問う。当然の事ながら、出るはずの無い答え。当然といえば当然である。北斗も同じように問い掛け、答えが出なくて苦しんでいたのだから。
『断ち切る事ばかり考えていたわ』
 不意に思い浮かぶ、高い声の女。虚ろな目から意志を持った目に変わったあの女は、断ち切る事だけを考え、そうして自らに『辛い』という思いを募らせていっていたのだ。
「……辛い、か」
 啓斗は小さく呟き、自嘲する。何故か笑いがこみ上げていた。どこかで狂ってしまった歯車を不意に見つけてしまったかのように、噛み合わぬ場所を見つけてしまったかのように。誰も気付かぬその原因に、自分だけが気付いてしまったかのように。
(辛くなど無い、と言ったらそれは嘘だが)
――自由。自らを由する。それは適わぬ事なのか。
(夢は夢として存在しているんだ)
――適わぬ事など無いと信じ、それを現実のものとする為に。
(戦う……いや、戦いたくない)
 矛盾は孕んだまま、夢だけが膨らんでいく。きっとこれも、北斗も同じように思ったに違いない。同じように夢を持ち、同じように矛盾に気付いてしまったのだから。
「確かに、方向だけは同じなのに……」
 ぽつり、と再び啓斗は呟いた。その間違いの無い答えは、それでも断言する事は無かった。否、出来なかったのだ。
 啓斗はぎゅっと自らを抱きしめて耳を塞いだ。薄暗いままの部屋の中で、自分を守っているかのようにただただ自らを抱きしめ、囁いてくる矛盾の言葉を遮ってしまうかのようにただただ耳を塞ぐ。そうしていく内に、いつしか静かに矛盾だけが消え失せてしまう事を願うかのように。

<それでも消えぬ矛盾を抱えて・了>