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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


0.オープニング・マーダー ――どちらが殺した?

■斎・悠也編【オープニング】

 本当は出逢わなければ、よかったのだろう――。



 ボクがゲルニカに初めて訪れた時には、既にこの状況が確立されていた。
 ”あいつ”は自分の元恋人が探偵(=少年探偵)に殺されたのだと思っていたし、探偵は母親兼助手が”あいつ”に殺されたのだと思っていた。
(――そう)
 元恋人と母親兼助手は、同一人物である。
 もう少し説明するならば、”あいつ”は探偵の父親に当たる存在だった。
 もちろん、血は繋がっていない。
 ゲルニカではそれが当たり前なのだ。


 その事件が起きた時、”あいつ”は既に恋人に振られていた(だからこそ”元”恋人と表現しているのだけど)。原因は”あいつ”が探偵を殺そうとしていたから。その人は”あいつ”よりも探偵を選んだのだった。
 そんな状況の中、その人は死んでしまった。最も傍にいたのは探偵だったけれど、探偵は何故その人が死んだのかわからなかった。
 この確執――戦争は、そこから始まっている。


 そこで皆さんには、ゲルニカへ行って自由に動いてきて欲しい。
 答えはきっと、至るところにばら撒かれている。
 ゲルニカに存在するすべての人が、何かしらの秘密を抱えている。
 その秘密はすべて、”あいつ”の存在に起因しているものだ。
 何故ならこの世界は、”あいつ”がつくったものだから。


 始まりの答えを探して?
 そのためならば、どちらに味方しても構わない。
 ――では、いってらっしゃい。

(桂より)



■旅立ち【都内某ビル:屋上】

 姿を隠して、俺はその様子を眺めていた。
 ビルの屋上で、儀式のように円をなす5人。
「――約束の時間ですね」
 1人の少年がゆっくりと口を開く。その手には、長い鎖の懐中時計が握られている。
「これからどこへ行くのか、わかっていますよね?」
 同じ声に、4人は一斉に頷いた。
 俺も頷く。
(そう――)
 何故かわかっている。
 俺たちはこれから、”ゲルニカ”と呼ばれる異界へ行くのだ。行くために、この日この時間、こうしてここに集まった。
「どうして知っているかなんて、考えない方がいいですよ。世界を疑い始めたら、キリがありませんから」
 釈然としない顔をしている4人に、少年は笑った。
「まずは自己紹介をしましょう。向こうに行ったらそんな機会はまずないでしょうからね」
 少年は1人で話し続ける。誰も異論を唱えることはない。
「ボクは桂(けい)っていいます。これから皆さんをゲルニカへと案内する者です。この空間を飛び越えることのできる時計を使って」
 時計を皆に見えるよう示してから。
「普段はアトラス編集部でアルバイトしてるんですよ。もしかしたらどこかで、会ったことがあるかもしれませんね」
 そこまで言い終わると、少年――桂は隣のシュライン・エマの方を見た。
「時計回りに行きましょうか」
 シュラインは頷き、口を開く。
「私はシュライン・エマ。職業は翻訳家。でも最近は、草間興信所で手伝いをしていることの方が多いわね」
 そのシュラインの言葉に、思わず苦笑した。確かに、翻訳家というよりも草間興信所事務員という肩書きの方がぴったりくるのだった。
 隣の少年を見る。
「俺は柚木・羽乃(ゆずき・はの)。鎌倉の高校に通ってる高校生です」
 そのさらに隣は。
「セレスティ・カーニンガムといいます。財閥の統帥をしておりますが……行っていることはほとんど占いです」
 車椅子のセレスティが、肩をすくめて笑う。
「俺は志賀・哲生(しが・てつお)。探偵をやっている」
 最後の1人に視線が移った。――いや、本当の最後は俺だ。
 おいていかれては困ると、円の中央へ入った。
「これで全員――ん?」
 他の人には当然見えないが、桂は気配だけ気づいたようだった。
『このままゲルニカへ連れて行って下さい。俺は”あいつ”側へつきます』
 桂の脳に意識だけ飛ばした。桂は呟いて答える。
「……アナタがそう望むのであれば」
 おそらくその声は、何人かに聞こえたのだろう。不思議そうな顔をした。
 しかし桂は問われる前に、口を開く。
「皆さんよろしくお願いしますね。それでは、行きましょうか」



 5人は縦一列になって、全員で手を繋いでいた。そのまま暗いトンネルの中を歩いている。俺はその後ろから独り歩いていた。
 周りにはたくさんの不可視な蝶が飛んでいる。万が一皆を見失っても、その案内があれば迷わない。
「ゲルニカがどんな世界かは、ある程度ご存知ですよね?」
 桂の声が響く。
「向こうに着いたらまず、探偵――少年探偵に会っていただきます。会いたいと思っている方も多いでしょうし」
 誰もそれを否定しなかった。そのことからも、他に”あいつ”側につく意思のある者がいないことがわかる。
(”あいつ”側につこうとするならば)
 普通探偵にまず会おうなどと思わないだろうから。
「――さあ、ゲルニカが見えてきましたよ」
 桂の声に、皆前を見ようとそれぞれ頭をずらした。俺も遠くを眺めてみるが、行く先には何も見えない。
「……光が見えるのか?」
 羽乃の不思議そうな声からも、皆そうであることが知れた。
 桂の気配が揺れる。
「見えるのは、闇の中の闇ですよ。ゲルニカは――闇の世界だから」



■手紙を追って【ゲルニカ:”あいつ”の空間】

 ゲルニカにたどり着くと、そこには1枚の紙が落ちていた。桂以外には見えないらしく、桂はといえばその紙を一瞥したが拾うわけでもなく草間興信所へと皆を案内していった。
 俺はその紙を、拾い上げる。
『お前が俺側につく者か?』
 うまくもない特徴的な字で、そう書かれていた。
 ふと、少し遠い位置にも、白い紙が落ちていることに気づく。
(追ってこいと言うのか?)
 ゆっくりとした足取りでそちらへ向かうと、また視線の少し先に、白い紙が出現した。
 足をとめる。
 地面の紙に目を落とした。
『俺に会いたいならばこの色をたどれ』
「…………」
 少し、思案する。
(正体をばらすつもりはない)
 俺はただ気まぐれに、遊びたいだけだ。
 和紙の蝶を取り出すと、ふっと息を吹きかける。
(行っておいで)
 俺の目と、意識を乗せて。



 たどる紙に書かれている文字は、脈絡のないものばかりだった。
『世界は俺に依存している』
『俺は罠を張り巡らせている』
『人を呼び世界を動かそうとする』
『少年探偵を許すことはできない』
『あの謎を、誰も解くことはできない』
『ぐるぐる回る、感情のように』
『残酷に壊して』
 その上を飛びながら確認していくと、やがて誰かの足元にたどり着いた。
 視界を上げる。
(――?!)
 それは黒い、人だった。
 カーテン越しにいるわけでもないのに、シルエットのように黒い。輪郭だけがくっきりとしていて、中身は何も見えなかった。
 その手に握られた白い紙に、文字が現れる。
『俺が怖いか?』
 紙は足元へ落ちた。
 次の紙に、また文字が現れる。
『俺はお前が、少し怖い』
 それは意外な言葉だった。
(怖い?)
『お前は他の誰とも違う』
 確かに、他の人は蝶など飛ばさないだろうし、姿も隠してはいない。
『そういうことじゃない』
 筆談ながらもその人――おそらく”あいつ”は、思っていたよりもずっと多弁だ。
『一体何を、考えているんだ』
 目的のない存在。
 彼がそれを読めているだけでも、驚くべきことだ。
”ゲルニカは、たった1人の存在によってつくられている”
 そのことを、思い出した。
(――皆は今どこに?)
『少年探偵が冷たくあしらっている』
(冷たく?)
 それは意外な反応だ。
『俺に殺させたくないのだろう。だがそういう気持ちが働いている時点で、既に遅い』
 シルエットが揺れている。おそらく笑っているのだ。
『追うつもりならば、アトラスへ』
 アトラス編集部――それは桂のアルバイト先であり、この世界においては真実を伝える場所。
 礼を言うように、蝶の俺は彼の周りをくるくると回った。
(いずれは――)
 あなたの言うことも、聞くかもしれませんよ?
 何しろ俺は気まぐれな存在。いつどんな風が吹くのか、俺自身にさえわからないのだ。
『楽しみにしている』
 その手紙を見たのを最後に、俺は蝶との接続を切った。
 意識が元の場所へ――2枚目の手紙の所へと戻る。
「アトラス編集部、でしたね」
 誰にも聞こえるはずのない声で、俺は呟いた。



■事件を探りに【ゲルニカ:アトラス編集部】

 俺がそこへ着いた時、皆はまだやってきていなかった。
 編集部内では碇・麗香を始め部下が忙しそうに仕事に取り組んでいる。
(――あれ?)
 しかし何故か、三下・忠雄の姿は見当たらなかった。とうとうクビにされたのだろうか?
「――ただいま、編集長」
 そんなことを考えていると、桂がドアを開けて入ってきた。後ろから、他のメンバーもぞろぞろと続く。
「桂ぃ〜。あなた、遊んでないでしょうね? ちゃんとネタは仕入れてきたの?!」
 麗香が強い口調で告げると、桂は後ろの皆を指差して。
「仕入れてきましたよ、ほら」
 そんなふうに答えた。
「……俺たちネタ?」
 複雑そうな表情を浮かべる羽乃に、桂はにこりと笑って。
「これから脂が乗る予定ですけどね」
「うげ」
「編集長、そのために資料室をお借りしたいのですが」
(おや、なかなかの策士ですね)
 桂に言いくるめられたことに気づかず、麗香は資料室に入ることを許可した。
「それは構わないけど、散らかさないでね。あとレポート!」
「わかってますって。じゃあ皆さん、こちらへ――」
 散らかり放題のデスクを両脇に見ながら、皆は編集部の奥の資料室へと入っていった。
 俺もすかさず蝶を飛ばす。



 本棚ばかりの狭い部屋。薄暗い空間に5人はきつそうだったが、文句を言う者はいなかった。
「さて、あの事件について調べるんでしたね」
 桂の言葉に、俺は興味を持つ。
(あの事件――)
 おそらくこの世界の始まりとも言える、1人の女性が亡くなった事件だろう。
(”あいつ”に愛され)
 そして少年探偵にも、愛されていた。
 2人の感情がぶつかるきっかけと、なっているもの。
「ここが”あいつ”の世界なら、きっとその時のことを克明に記録したものがあると思うの。それだけで探偵くんを苦しめることができるもの」
 シュラインの発した言葉に、皆が頷く。その考えは、確かに間違いではなかった。
(犯人がどちらであっても)
 探偵にとってそれは、辛い記憶であるはずだから。
「ああ、それはありますよ。アトラスはそれを皆に伝えるために、存在しているのですから」
「え?」
 桂はあっさりと答えると。
「ちょっと待って下さいね」
 そう言って本棚の奥へと消えていった。声だけが聞こえる。
「ボクらは”あいつ”の記録係的な側面を持っているんですよ。だからアトラスは、自由に発行することを許されている」
「その割には、殺されてるんだろ?」
 志賀が笑いながら問った。
(!)
 桂は既に、殺されているのか。
『俺に殺させたくないのだろう。だがそういう気持ちが働いている時点で、既に遅い』
 そう言っていた、”あいつ”を思い出す。
 つまり逆に言えば、探偵が桂を殺させたくないと思ったために、桂は殺されたことになる。
「ボクは、ね」
 答える桂の声も笑っていた。
「記録していくうちに、どんどん探偵側に寄っていってしまうんですよ、困ったことに。それで”あいつ”の機嫌を損ね、探偵を苦しめる道具として使用されるわけです。――お、あったあった」
 何冊かの月刊アトラスを持って、桂が戻ってきた。どうやらバックナンバーのようだ。
「これまでにその事件をアトラスで特集した号です。これを読めば大体わかると思います」
 隅に置かれた小さなテーブルの上に該当ページを広げると、皆食い入るように見つめた。俺も蝶を移動させて、読める位置へと。
 概要はこうだ。

 ”あいつ”は恋人と共に探偵となる前の赤ん坊を拾った(ゲルニカでは子供が生まれるとまずは所定の場所に捨て、欲しいと思った人が勝手に拾っていくということが一般的に行われているのだと、桂が説明した)。
 それは2人が望んで拾った2人の”子供”であったはずなのだが、恋人の方が徐々にその赤ん坊に夢中になっていったために、”あいつ”は赤ん坊に嫉妬するようになった。
 浮気をしているわけではない。彼女の行動は母性の表れであり、いわば仕方のないものだったはずだ。
 しかし”あいつ”はそんなふうに恋人を魅了する赤ん坊が許せず、こともあろうか殺そうとした。
 だがその目論みは医学探偵によって阻まれ、それによって恋人は、”あいつ”が赤ん坊を殺そうとした事実を知ってしまう。
 そんな彼女がとった行動は――赤ん坊を捨てることではなく、”あいつ”と別れることだった。
 生まれた瞬間から意識があったというその赤ん坊はそれから”探偵”となり、母親だったその女性を助手にした。
 そうして、少しの時が過ぎた――
 事件は突然起こる。
 少年探偵となった探偵と、助手として尽くしてきた彼女は、当時請け負っていた事件の捜査の一環としてゴーストネットを訪れた。その時突然、彼女が亡くなってしまったのだ。
 その時その部屋には、探偵と彼女しかいなかった。それはゴーストネットの職員も証言しているし、探偵自身も証言している。
(――そう)
 最も怪しいのは、明らかに探偵なのだった。
 しかし探偵はそれを否定し、彼女の死因もわからなかったので、探偵を責める者はいなかった。
 ――”あいつ”以外は。

「わかったような、わからないような」
 羽乃が呟く。
 この内容からいけば、最初に悪いのは”あいつ”の方だ。――いや、子供に夢中になってしまった恋人の方かもしれないが、女性としてそれは仕方がないことだろう。
 しかしあの事件そのものに関しては、どう考えても探偵の方が怪しい。それなら今現在の”あいつ”の行動は、筋が通っているということになる。
「探偵くんはキミの方が事件には詳しいと言っていたけれど、キミはこの事件をどう思うのですか?」
「ボク? 探偵がそんなことを言ったの?」
 セレスティの言葉がよほど意外だったのか、桂は目をぱちくりさせた。
「確かに言ってたな」
 志賀をはじめ皆が頷く。
 すると桂は苦笑して。
「どうかな。探偵が決して考えることのできない疑いを持てる、ということはあるかもしれないけど……」
「疑い?」
「あの事件の時、”あいつ”には1人でいたというアリバイがあるのです」
「…………」
 桂の答えに皆が言葉を失ったのは、それが”逆”であったからだろう。問いただすように、シュラインが口を開いた。
「待って。おかしくない? 普通は1人でいたら、アリバイが”ない”とされるはずだけど?」
 だからこそ事件の犯人はよく、偽の犯行時間に自分の姿を誰かに目撃させることで、アリバイを作るのだ。
 しかし桂は首を振った。
「彼女が亡くなった時間帯、ゲルニカの中で”あいつ”の姿を見た者はいませんでした。それは探偵自身もそう証言していることです」
「! それは……”あいつ”がその時間何をしていたかわからないけど、少なくとも元恋人の傍には行っていないということ?」
 羽乃に頷き、口では真逆のことを言う。
「ボクが疑っているのはそこですよ。もしかしたら探偵は、嘘をついているのかもしれない」
(!)
 さすがの俺も驚く。
(それはつまり――)
 3人が同じ部屋の中にいた可能性もあるということだ。
「しかしそれでは、探偵くんが”あいつ”をかばっていることになりますよ?」
 その言葉も的を射ていた。
(探偵がそれを明かさなければ)
 犯人として最も疑われるのは自分なのだから。
 セレスティの問いかけに、桂は力なく頷き。
「そうです。ですから探偵は、もちろんその説を否定するでしょう。ボクだってこうして中立にならなければ、思いつかなかった説なんです。皆さんにそんなことを言ったのは、きっとボクが本当に中立であることを確かめたかったからでしょう」
(探偵はまだ)
 恐れている。
 再び桂を殺されてしまうことを。
 そして恐らく、皆が探偵側につくことを。
「――ところでさっきの話だが」
 切れた会話を見計うように、志賀が口を開いた。
「遠隔殺人、なんてことはないのか?」
「探偵は否定しています」
 即答した桂に、志賀は「ふん」と鼻で笑って。
「あの坊やが犯人かそうでないかわからない以上、その言葉を信用するわけにはいかないな。――ゴーストネットに連れて行ってくれ。現場を見てみたい」
 次はゴーストネット。
(そろそろ)
 遊んでみようか?



■言霊の反乱【ゲルニカ:ゴーストネットOFF】

「――そもそもさ、何で探偵は”あいつ”が犯人だと言い出したんだろう?」
 ゴーストネットに向かう道すがら、羽乃はそんな問いを口にした。俺は姿を隠したまま皆の後ろを歩き、それを聞いている。
「どうして?」
 シュラインが合いの手を入れると。
「だってね、”あいつ”が関与していないことは、ゲルニカ中の人が知ってるみたいじゃない。それに本当に”あいつ”を犯人にしたいなら、さっきの話じゃないけどその場に”あいつ”がいたって偽証すればいいんだよ」
「おー、頭が回るな坊主」
「坊主って言わないでよっ」
 ぽむぽむと叩いて告げた志賀の手を、羽乃は振り払った。
「――確かに、そうですね。それをやらなかったということは、やはり探偵が犯人ではないと見ていいのでしょうか」
 カラカラと乾いた音を立てて回る車輪に乗せて、セレスティが考察を述べる。
 それを引き継いだのは、桂だった。
「探偵が”あいつ”を犯人だと考える理由は2つあります。1つは、”あいつ”以外に動機が存在しないこと。もう1つは――本当のターゲットが探偵であった可能性」
「!?」
(!)
 興味深い説に、俺はさらに耳を澄ませる。
「ボクらアトラス編集部が調べた結果によると、1つ目の方は確実でした。彼女は美しく温厚な人物で、別れた”あいつ”以外に彼女を恨むような人は存在しません。同じく探偵も、口調はああですが腕は確かなので、多くの人に信頼され受け入れられていました。もし犯人の本当のターゲットが探偵であり、誤って彼女の方を殺してしまったとしても、動機を主とした時最も疑わしいのは”あいつ”なんですよ」
 状況から見れば、最も怪しいのは探偵。しかしそこに動機を持ち出すと、”あいつ”以外にはあり得なくなる。
(動機が引く逆転のトリガー)
 答えはその先に、ある……?
 互いの言葉だけが証拠となる実情に、皆は軽い絶望感を覚えているようだった。
(――俺は?)
 多分、どちらでもいい。
 その答えが、面白くさえあれば。



 ゴーストネットの外観は、現実のものとまったく同じだった。
 俺は皆と一緒に中へは入らず、再び不可視の蝶を飛ばす。
「いらっしゃいませー。どんなご用件ですか?」
 入り口の自動ドアをくぐると、受付嬢が明るい声で訊ねた。
「始まりの事件のあった部屋を、見学したいのですが」
(始まりの事件――)
 あの事件は、ゲルニカではそう呼ばれているようだった。
 桂がズバリ告げると、受付嬢は笑顔のまま対応する。
「ではただ今案内いたしますので、少々お待ち下さいませ」
 どうやらその部屋は、ゲルニカの観光スポットになっているらしい。
 皆が受付の前に立ったまましばらく待っていると、やがて案内役の女性がエレベーターから降りてきた。
「見学希望の皆様、こちらへどうぞ」
 ぞろぞろとカラのエレベーターに乗り込むが、桂だけは何故か乗らない。
「桂くん?」
「ボクはここで待っていますよ。内部のことはその人の方が詳しいでしょうし――”ボク寄り”には、なってほしくないですから」
 そう笑った。笑顔が、両側から遮断される。
「例の部屋は、今現在も言霊置き場として使用しておりますので、置かれている言霊を壊さぬようお願い致しますね」
 静かに動き出したエレベーター。上へ向かいながら、女性はそう念を押した。
(言霊――)
 何故か最初から知っている、識を呼び起こす。
(言葉を閉じこめたガラス玉、でしたね)
 ゲルニカでは手紙よりも、この言霊をやり取りすることが多いという。
(! そういえば……)
 それならば何故、”あいつ”は言霊を使わないのだろう。姿だけではなく、声を隠す必要があるのだろうか?
 そんなことを考えていると、ふとシュラインの言葉が耳に入る。
「手紙の代わりに言霊が使われるのなら、彼女の遺言……もしくは遺書も、もしかしたら言霊として残されているんじゃないかしら?」
「?!」
 エレベーター内の空気が、一瞬にして変わった。それはその言葉が、あまりにも高い可能性を秘めていたからだろう。
(もしもあるのなら)
 それを聴けば何かわかるかもしれないのだ。
「ねぇキミっ、死んだ人の言霊って、取っておいてる?!」
 羽乃が女性の服をぐいと掴んで訊ねる。当然話を聞いていた女性はその言葉が何を意味しているのか悟り、適切な答えを投げた(服を掴まれたまま)。
「通常亡くなった方の言霊はご遺族の方に返されるのですが、少年探偵様とあの方はその時、母子ではなく”探偵”と”助手”という関係でしたし……”あいつ”様とも関係が切れておりましたから、あの方のものはそのままの場所に保管されております。あの事件に関わっていると思われる大事な物ですので、簡単には処分できないのです」
「それで、その場所は?」
 セレスティの問いに。
「これから向かう部屋――事件のあった部屋ですよ」
 女性はためらいがちに答えた(服を掴まれたまま)。
  ――チンっ
 目的の階についたのか、ゆっくりとドアが開く。
「早く行ってみよう」
 いちばんに飛び出した羽乃につられて、女性も出てゆく(服を掴まれたまま)。
「あのー……いい加減放していただけませんか?」
「あ、ごめん。で、どこ?」
 女性は苦笑しながら着衣の乱れを直すと。
「見るのは構いませんが、聴くことはできませんよ?」
「何でだ?」
 最後にゆっくりと降りてきた志賀が問う(いや、実際に最後に降りたのは蝶である俺だけれど)。
 女性は表情を戻してから。
「亡くなった方の言霊を聴けるのは一度だけ。故人と生前関係の深かった人物2人以上の前で、という決まりがあります。彼女の場合は、それが少年探偵様と”あいつ”様なのです」
「げ」
 皆は顔を見合わせていた。
(”あいつ”も、聴いていない?)
 それはとても意外な事実だった。しかしその決まりに則るならば、それを聴くことはできないはずなのだ。
(”あいつ”は逃げている)
 探偵はそれを追っている。
 同じ部屋で仲良く言霊を聴くなど、あり得ないから。
「その聴くべき人物を決めるのは……?」
 おそらくセレスティのその問いは、確認作業でしかなかった。
「”あいつ”様です」
「おとなしく決まり守ってるんだ?」
(どうして……)
 ”あいつ”が聴きたいのなら。聴く必要があるのなら。それを自分と探偵にはしなければいいのだし、それ以前にそんな決まり、守る必要もない。
「聴く必要がない、もしくは――」
「聴きたくない、ですか」
 志賀にセレスティが続けた。
 もう一度、視線を合わせた皆に俺は悟る。
(聴く気ですか?)
 当事者の2人ですら、聴いたことのない音を。
(おいたは、いけませんよ――?)

     ★

 予想以上の騒々しさに、俺は蝶の聴覚だけを切った。
 皆は音の洪水に耐えられず、耳を抑えたまま床に這いつくばっている。
(もう少し、遊びましょうよ)
 謎がすぐに解決されるのは、つまらないこと。
 皆は案の定、勝手に言霊を聴こうとしたのだった。
 女性が鍵を開けた後、それを奪い内側から鍵を閉めた。
 そうして壁際に整然と並べられた言霊の中から、彼女のものを探そうとしたのだ。
(だから)
 蝶を通して、俺は小さな風を起こした。たやすく言霊は動き、落ち、そして割れた。
 音のすべてはリピーター製の壁の反響して、消えることがない。むしろ新しい音を拾い増え続けた。
(――さあ、窓を開けられる人はいるかな?)
 案内役の女性が言っていたように、窓を開けさえすれば音はそこから逃げる。しかし問題は、そこまで動ける人がいるかどうかということだ。
 もし無理なようだったら、俺が開けようと思っていた。悪戯に悪戯を返すのはいいが、あまりに人を苦しめるのは趣味ではないのだ。
 見守るように、不可視の蝶を旋回させる。
 ――と。
 突然、俺の力ではない突風が吹いた。しかも俺がやった時よりもずっと強く、その風は――窓ガラスをも、破壊した。
 そして蝶――俺も、ガラスの破片と共に飛ばされて外へ放り出された。
(!?)
 窓に開いた穴から、次々と音がもれてくる。やがて動けるようになった皆は、声を反射させないためか自然と窓の傍に集まってきた。
(今のは……)
 当人はまったく気づいていないようだが、羽乃の力だった。どうやら彼は、無意識ながら風を操る力を持ち合わせているらしい。
(やりますね)
「――はぁ……酷い目に遭いましたね」
「まだ頭がガンガンするぜ」
「何だったんだろ、今の風……」
「でも皆頭を低くしててよかったわ。窓を割るくらいの突風――もし立ってたら、一緒に飛ばされてたかも」
 窓の傍でそれぞれに安心した声をあげていたが、シュラインのその言葉に皆複雑な表情をした。
(殺されかけたのか)
 助けられたのか。
 おそらくわからないから。
  ――バンっ
「一体何があったんで……あ!」
 スペアキーを取ってきたのだろう。案内役だった女性は部屋の惨状を見て言葉を失った。
「逃げるぞ」
 こちらへ向かって呟いた志賀。皆の行動は――速い。
「あ、ちょ……っ」
 何かを告げることも許さず、皆は走り出していた。



 同じ頃桂が外へ出てきて、こちらを見上げた。この窓を見ようとしたのだろう。
(ちょうどいい)
 俺は彼に、俺の痕跡を見せることにした。何でもかんでも”あいつ”のせいにされてしまうのは、癪だからだ。
 蝶をしまい、代わりに人型の和紙を取り出す。同じようにふっと、息を吹きかけた。
 代理として立てたのは、膝裏ほどもあるサラサラの長い黒髪の女性。顔は能面で覆い、誰かに似ているなどと考える余地をなくす。するりと長いその手には錫杖。服装は巫女服だ。
 桂はこちらに目を合わせると、少しだけ驚いた顔をして――それからにこりと笑った。
(おそらく)
 これが最初から連れてきた者だということには、ちゃんと気づいているのだろう。
 俺は人型を操作して、窓から遠くへと飛ばした。俺自身は、まだそこにいる。
 やがて皆が建物から逃げ出てくると、桂と合流し走っていった。
「皆さん……一体何をしでかしたんですか?!」
 走りながら呆れたように叫んだ桂だったが、薄々は気づいているようだった。
 皆時折後ろを振り返りながら走る。しかし追っているのは見えない俺だけで、他の人間――ゴーストネットの人々も、誰も追ってきはしなかった。
 そこで皆は徐々に小走りになり、やがて歩く。
 一様に、無言を通していた。
「――探偵の所へ、戻りますか?」
 口にしたのは桂だ。
「その前に、1つ聞かせて下さい。2人がゴーストネットへ行くきっかけとなったその事件とは、どんなものだったのですか? もしかしたらそれは、彼女が探偵に言霊を渡そうとしたゆえの――」
「それはありません」
 立ちどまった桂は、セレスティの言葉を強く遮った。どこか怒って、いるようにも見える。
「彼女の残した言霊を、聴こうとしたんですね。だから拒絶された」
「”あいつ”に?」
「そうとは限りません。”あいつ”側の人間はいくらでもいますし、だからといってその人たちが100%”あいつ”の言いなりになるわけではありませんから」
(さすがに)
 桂はよくわかっているようだ。
「…………」
 合わせるように立ちどまった皆を置いて、桂は再び歩き出す。
「事件は単純なものでしたよ。死の間際に被害者が、犯人の名前を電話から言霊に録音していた。2人はそれを確かめにゴーストネットを訪れた。――ただそれだけのことです」
「その犯人は、誰だったんだ?」
 流れとして当たり前に問った羽乃だったが。
「”あいつ”――でした」
「?!」
 その答えに息を呑んだ。
「探偵が”あいつ”を元助手殺しの犯人だと考える理由がもう1つあるとしたら、これでしょう。そんな事件を起こすことで、2人をゴーストネットへと導いたと考えることができますから」
(疑われる理由は)
 疑う理由は。
 どうしようもないほど、どちらにもある。
「”あいつ”に、会いたいわね」
 シュラインがそれを口にした。
「――本気ですか?」
 桂は少なからず驚いたようで、探るような視線でシュラインを見る。
「皆もそうでしょう?」
 振られて、皆は頷いた。
「”あいつ”側に、なるつもりですか?」
「俺はどっちの味方にもならないよ」
 どこか抵抗があるような桂の言葉に、きっぱりと返したのは羽乃だ。
「どうしてどちらかにつかなきゃならない? 2人とも何を見ているんだろうね。だって、誰かだけが悪いってそんな馬鹿な話はないじゃないか」
 その言葉は酷く正論だった。
(だが――)
 楽しむならば、選ぶのが賢いのだろう。
 バカみたいに惑わされて、一緒に踊ろうじゃないか。
 たまには気まぐれに、裏切ろうじゃないか。
 俺の声など聞こえない皆の、会話は進む。
「中立を選ぶのですか?」
「キミも今は、そうなのですよね?」
 桂に問い返したのはセレスティ。
「そうですけど――中立にも3種類あるんです。『どちらも邪魔する』、『どちらも手伝う』、『どちらにも干渉しない』。どちらかだけを手伝ったり、邪魔したりする行為は、心が伴っていなくともそちら側についたと見なされます」
「誰によって?」
 志賀の問いに、桂は即答する。
「ゲルニカの、意志によって」
「つまり”あいつ”のか……」
 何かを諦めるように、羽乃が呟いた。
(そう)
 ”あいつ”のだ。
 俺がこの世界へやってきた瞬間。
 俺の意思を悟った――
 桂は続ける。
「中立であることが悪いとは言いません。ただ中立であり続けると、様々な問題が出てきます。例えばボクのように、既にどちらにも干渉しない――できない立場にあれば、狙われることはない反面、行動が制限されてしまうわけですけど。どちらにも協力する・しないという立場を永く取っていると、必然的に両方から恨まれる立場になってしまうわけです。もしくはいいように利用されるか、ですね」
(どちらかを手伝えばもう)
 一方に不利益が生じ。
(どちらかを邪魔すれば)
 邪魔した方に不利益が生じる。
 結果、両方から”邪魔者”と思われるのは当然のことだ。
(もっとも――)
 俺自身”あいつ”の近くに潜んでいようとは思ったけれど、”あいつ”以外だけに悪戯しようという気はさらさらない。だからこそ”あいつ”も戸惑っていたのだし、それでも俺は中立ではなかった。
(ただ気まぐれなだけ)
 桂は長いセリフを続ける。
「中立でありたいなら、バランスが大事だと思いますよ。これから皆さんはゲルニカで様々な経験をするでしょう。その事象すべてにおいて、片側に賛成できるとは確かに考えにくいです。ボクがいつも探偵側についていたのは、探偵を苦しめるために関係のない人々を殺していた”あいつ”が嫌だったからであって、すべてにおいて探偵の考えに賛成していた……というわけではありませんでしたから」
「臨機応変に、動いてもいいということ?」
 シュラインの問いに、桂はゆっくりと頷いた。
「”あいつ”もそれを、望んでいるのだと思います。ボクに皆さんを案内させている時点で」
「そのキミの行動自体は、”あいつ”側にいる証拠ではないのですか?」
 鋭く問いかけたセレスティの問いは、あっさりとかわされる。
「それはボクの意思ですよ。自分意思に”あいつ”の意思が混じることは、ゲルニカではある程度仕方のないことです。それに”あいつ”側についたと判断される材料は、『”あいつ”が探偵に罠を仕掛けることだけを手伝う』、『探偵が”あいつ”に対抗することだけを邪魔する』の2つだけですから」
「あー、なんか混乱してきた〜」
 頭を抱えた羽乃に、桂は笑った。が、すぐに神妙な顔に戻して。
「まあとにかく、永く中立でいるのは危険なので、たまにはどっちかにつくのがいいですよ――ということです」
 そんなふうにまとめた。
 それを心に刻んで、皆は頷く。
 桂も満足そうに頷き返すと。
「”あいつ”に会いたいんでしたね。でも残念ながら、”あいつ”は今の皆さん方に会うつもりはないようです。あったらとっくにどこかで遭遇しているはずですから」
(初めに遭遇した)
 俺のように――?
 きっとそうなのだろう。
「さっきの風は、”あいつ”とは無関係なのかしら?」
 シュラインの問いかけに、桂は。
「ああ――皆さんには見えなかったんですね。ボクは既にどちらにも不干渉な立場を取っていますから、見えました。あの窓から、能面をした美しい黒髪の女性が飛び去っていきましたよ」
 俺の思惑どおりに言葉を選んだ。
「……は?」
 皆はあまりにも予想外だったのか、呆然とした顔をつくる。
「他の特徴はありましたか?」
 セレスティが冷静に問った。それが誰かの知る人物ではないかと思ったのだろう。
 桂は考える仕草をして。
「そうですねぇ……巫女服を着ていて、あれは――錫杖を持っていたと思います」
 しかし当然ながら、誰も声をあげる者はいない。
 首を傾げる皆を、桂は笑った。
「ボクには予想つきますけどね。ゲルニカにやって来たのは、ボクを含めて6人でしたから」
「え?!」
「簡単なことです。最初から意思の固まっていた人がいる、ただそれだけのこと。清々しいまでの潔さも、時には必要なんですよ」
(この世界を)
 楽しむためには――



■”あいつ”の輪郭【ゲルニカ:高峰心霊学研究所】

 ”あいつ”に直接会えないなら、せめて情報だけでも――と、皆は”あいつ”の研究をしている高峰・沙耶のもとを訪れた。それには俺も興味津々でついてゆく。
(”あいつ”が)
 そう易々と自分のことを語るとは思えなかったからだ。たとえ自分側の人間に対しても。
 ただし、志賀だけは先に探偵の所へ戻っていった。
「俺はとりあえず今回は、坊や側にいることにするよ。”あいつ”の傍は俺には刺激的過ぎる……そんな気がするんだ。それに――」
 志賀はそこで言葉を切ってから。
「1つ訊きたいこともあるしな」
 そう言い残して。
(一体何を……?)
 気になった俺は、志賀の方に蝶を1匹つけてやった。
 さて、ゲルニカの沙耶はというと……表面的には、いつもの沙耶と何ら変わらないように見えた。
「あら、いらっしゃい。今日はずいぶんと大人数なのね」
(!)
 その発言の時、確かに沙耶はこちらを見た。視線が合ったのだ。
(見えて……いるのか?)
 それでもいないように、振る舞ってくれている。
 俺はその理由を、彼女の次のセリフから知った。
「”あいつ”のことを知りたいの? そう――”あいつ”ったらね、”あいつ”ったらね……硬派でかっこいいのよ〜vv」
(!?)
 いつものキリリとした沙耶からは考えられないような、口調と態度だ。
(そう)
 何てことはない。”あいつ”に協力はしないまでも、彼女もこちら側の人間なのだ。
(――いや、逆か)
 きっと”あいつ”が、彼女に協力を頼まないのだろう。理由は明白だ。
「さ、沙耶さん……?」
 そこから沙耶の独り言は、とまらなかったのだから。よほど”あいつ”にご執心のようだった。
 沙耶の研究対象は心霊学。ではそれと”あいつ”がどう関係しているのかといえば――沙耶は”あいつ”という器の中に様々な人間の魂が乗り移っているのではないかという奇妙な説を展開しているのだ。
 話によると”あいつ”の性格は時と場合によりガラリと変わり、まるで多重人格者のようだという。しかし通常多重人格というものは後天的なものであり、生まれながらそうであったという話はまったく聞かない。
(しかし――)
 ”あいつ”は生まれた時からそうであるというのだ。
 だからこそ沙耶は、魂憑きであるという説を打ち出したのである。
 そしてもう1つ。
「彼が喋らないのは、きっとその影響なのだと思うわ」
(!)
 思わぬところで、理由を知った。
 喋らないのか喋れないのかはわからないが、決して声を出さないのだという。だから言霊を使うことができないのだ。
 さらに――
「外見? さあ……いつもシルエットだもの」
「シルエット?」
「ええ、彼の存在自体が。間に何も遮るものがなくても、彼の姿はシルエットにしか見えないわ。おそらく彼がそういう世界に変えてしまったのよ」
(”あいつ”自身が――)
 姿も声も隠して、一体何をしようとしているのだろうか。探偵を苦しめるためだけならば、そんなことをする必要もないように思うけれど……。
(始まりの事件)
 事件の答え。
 永く見つからなかった答えは、少なくとも彼がその姿を表そうとするまで。
(きっと、解けないだろう)
 彼が解かせないだろう。
 俺にはそう思えた。



■突きつけられた現実【ゲルニカ:草間興信所】

(さて、向こうはどうなっただろう?)
 俺は意識を蝶の方へと移した。
 草間興信所へと向かった志賀を、追った蝶。
 彼が問いたいと言っていたものは、一体何だったのか。
「――よぉ坊や、1つ訊かせてくれないか」
 距離的には、ゴーストネットからの距離は遥かに高峰心霊学研究所の方が近かった。だからちょうど、会話を最初から聴くことができた。
 顔をあげた探偵に、志賀は投げかける。
「本当にあの場所で、人が死んだのか?」
「?!」
 息を呑んだのは、隣に控える助手。探偵は予想していたのか、眉一つ動かさなかった。
「匂いがしなかった?」
 それどころか、にやりと笑う。
(匂い?)
 一体何の……
「すべて嘘なのか?」
「まさか」
 探偵は即答してから。
「何をもって、死と見なすかの違いだろう? この世界において、死は心臓の停止だけを意味しない」
(死――)
 彼らは”死の匂い”の、話をしているのだろうか。
「……どういう意味だ」
「とりあえず座ったら?」
 低く問った志賀を、はぐらかすように探偵は促した。志賀は言われたとおりソファに座ると、「これでいいだろ」と言わんばかりに探偵を睨む。
 「ふっ」と、探偵は笑った。
「たとえばこの助手の故郷ではね、一度町を出た者は帰ってはいけない決まりになっているのだ。何故だかわかるかね?」
 それは脈絡のない問いに思えたのだが、答えない志賀を飛ばして続けた探偵の言葉は、確かに繋がっていた。
「町を出た時点で、その人がその町の中では死んだことになるからさ」
「!」
「ねぇ助手?」
 探偵に振られた助手は、ゆっくりと頷くと。
「実際私が故郷へ戻った時、”生き返った”と大騒ぎになりました。一度死んだ人間が生き返ることなどないことは、世界の大前提ですから」
「ならば桂はどうなる?」
 俺も同じことを考えた。
(死んだことのある桂)
「”時計”はこの世界の者ではないのだ。だから厳密に言えば、最初から生きてはいない。死んだといっても、生きていないものは死ねないだろう? それは形式的なものにすぎない」
「それなら……坊やが苦しむ必要はないじゃないか」
 志賀のセリフから、その時に探偵が苦しんでいたことを知った。
(”あいつ”の)
 思惑どおり。
 だがどうせ実際には死んでいないことを知っているのであれば、志賀の言うとおり探偵が苦しむ必要はどこにもない。
 しかし探偵は首を振ると、恥ずかしそうに俯いた。
「哀しいものは哀しいのだ、仕方ないじゃないか。感情が100%コントロールできるものであれば、誰も苦労しないのだよ」
(だからこそ)
 ”あいつ”は探偵を効率的に苦しめることができる。俺はそれを思い出した。
「――ところで、話がずれているぞ」
「ああ……ここでは”死”が心臓の停止だけではないって話だったな」
「そう。心臓に限らず”消失”すれば死んだことになる」
「じゃあ――」
「彼女は消えたのだよ。僕の目の前で、確かに」
(それは意外な)
 事実だった。

     ★

 志賀と合流するために、草間興信所へと向かった皆。当然俺も蝶から意識を戻して、皆と一緒にやってきていた。
(――!)
 俺が気づいた興信所の前に落ちていた紙。また俺宛だろうかと思ったが、桂がそれを拾い上げる。
 どうやらその紙は皆にも見えているようで、だからこそ桂は拾ったのだろう。
 そこに書かれていた文字を見た途端、桂の顔が凍りついた。
「これは……」
「どうしたの?」
 訊ねたシュラインを無視して、事務所へと入っていく。
「探偵サン。いつもの――」
 ソファに腰かけたままの志賀の前を通り過ぎて、桂は探偵の目の前にその紙を置いた。
「”あいつ”からか」
「!」
 驚いた様子はない。驚いていたのは皆の方だった。
(”いつもの”、か――)
 皆は机に近づいて、探偵を見つめた。もちろん読んでほしかったからだろう。
 そんな皆の視線を敏感に感じ取ったのか、探偵は1つ大きな息を吐く。
「――知らない方がいいことも、あるのだがね」
「ダメですよ、探偵サン。それがこの謎の答えなのですから」
 探偵が言わないのなら自分が……といった勢いで告げた桂に、探偵は苦笑してから今度は大きく息を吸った。
「――『真相がどちらであれ、ゲルニカは変わらない』――」
「!?」
 その瞬間唐突に、俺も気づいてしまった。
(そういうことだったのか……)
 ――もしも探偵が犯人だったら?
 ”あいつ”の行動には筋が通っていて、本来なら探偵に抗う資格はない。それでも苦しみから逃れるためには、行動を起こすだろう。そして自分ではないと、言い続けるはずだ。自らを苦しめる”あいつ”を、憎むはずだ。
(それは現状と同じ)
 ――もしも”あいつ”が犯人だったら?
 自分はやっていないと嘘をつき、探偵に罪をかぶせるため探偵を憎む”振り”をするだろう。しかしそれはハタから見れば、実際に憎んでいることと何ら変わらない。探偵は探偵で、実際にやっていないのだから罪を否定し続ける。
(それも現状と同じ)
「真相がどちらであれ……ゲルニカは変わらない……」
(変わらないから)
 おそらく2人とも、彼女の残した言霊を聴こうとはしなかったのだろう。
 どちらかに決定されたって、想いが加速するだけだ。
(運命の言霊を逃した俺は)
 きっと2人の未来を救った。
(今でさえ)
 この苦しさから逃れられない2人。
 突きつけられた言葉は、突きつけられたさらなる混沌の未来を指していた。
 誰も動けなかった。
 奇妙に保たれたバランスのもと、動くことの許されない2人のように――。

■終【0.オープニング・マーダー】



■登場人物【この物語に登場した人物の一覧:先着順】

番号|P C 名
◆◆|性別|年齢|職業
0086|シュライン・エマ
◆◆|女性|26|翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
2266|柚木・羽乃
◆◆|男性|17|高校生
1883|セレスティ・カーニンガム
◆◆|男性| 725|財閥統帥・占い師・水霊使い
0164|斎・悠也
◆◆|男性|21|大学生・バイトでホスト
2151|志賀・哲生
◆◆|男性|30|私立探偵(元・刑事)



■ライター通信【伊塚和水より】

 この度は≪闇の異界・ゲルニカ 0.オープニング・マーダー≫へのご参加ありがとうございました。
 当初の予定どおり説明の多い内容になりましたが、大体どんな世界であるのかおわかりいただけたでしょうか。特に皆さんの立場に関しては、改めて細かく説明させていただきました。今回中立希望者が多かったこともあり、期間限定で中立もOKとすることにしました。どれくらいの間それが許されるのか……それは物語の流れによって決まってきますので、決して一定ではありません。それぞれ自分なりに見極めて、臨機応変に対応していただければと思います。
 ちなみに。この事件の謎は永遠に解かれないのかといえば、そうではありません。物語が進むにつれ自ずとわかってくるでしょう。
 それでは。またこの世界で会えることを、楽しみにしています。

 伊塚和水 拝