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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


団欒事情

 安楽寺に、突如電話が鳴り響いた。
「門徒さん?」
 小さく呟きながら、影崎・弥珠希(かげさき みずき)は電話を取った。茶色の髪を受話器で押しのけながら「もしもし」と対応した。
「……弥珠希か?」
 受話器の向こうから聞こえたのは、兄である影崎・實勒(かげさき みろく)からであった。弥珠希は黒の目を丸くし、それからほわっと微笑んだ。
「實勒兄さん」
 受話器先の實勒は一瞬沈黙を見せた。實勒の眉間に皺が寄っているのは、間違いなかった。あの銀髪の奥にある青の目を訝しげに光らせながら。しかし、弥珠希はそのような事を想像できてもそれ以上は何も言わなかった。それがいつもの兄なのであるし、特に気にせねばならぬことでもないのだから。
 實勒は「こほん」と一つ咳払いをした。ほわ、と微笑んでいる弥珠希の顔を思い浮かべたのであろうか。
「弥珠希、明日は家にいるのか?」
「明日?」
 きょとんとして尋ね返す弥珠希に、實勒は小さく溜息をついて言葉を続ける。弥珠希に気付かれぬよう、そっと。
「前に帰った時に、書類を忘れてしまってな」
 實勒の言葉に、小さく弥珠希は「あ」と呟いた。妙に大きな封筒が、ぽん、とコタツの上に置かれていたのを思い出したのだ。
「明日は丁度休みだから、そちらに行くつもりだ」
「分かりました。じゃあ、その書類を用意しておけばいいんですね」
 にこ、と笑って弥珠希は受話器向こうの實勒に言った。
「そういう事だ。……じゃあ、明日」
「因みに、明日のいつ頃か聞いてもいいですか?」
「……昼過ぎくらいだと思うが」
「昼過ぎですね。じゃあ、書類を用意しておきますから」
 弥珠希はそう言ってちらりとコタツの上に置かれている書類を見た。電話の向こうでは實勒が「では」と言って受話器を置こうとした。
「あ、實勒兄さん」
 さっさと電話を切ろうとする實勒を、弥珠希はそう言って遮った。そしてにっこりと笑ったまま、言葉を続けた。
「あまり溜息をついちゃ、駄目ですよ。その分幸せが逃げていくんですからね」
 小さい子を諭すかのような、弥珠希の言葉。語尾に「めっ」とでもつけていそうだ。受話器向こうで實勒は必要以上に脱力してしまった。眉間に皺を寄せる気力すらない。ただただあるのは、がっくりと肩を落としてしまうような脱力感。何故だか、實勒は弥珠希にだけは勝てないような気がしてならなかった。
「じゃあ、實勒兄さん。明日待ってますからね」
 にっこりと笑い、實勒の「ああ」という声を聞いてから弥珠希は受話器を置いた。受話器の向こうの實勒が、がっくりと脱力してしまっているのも気付かないままに。


 翌日、午前中。弥珠希が買い物に行こうとしていると、向こうから手をすっとあげながら影崎・雅(かげさき みやび)が近付いてきた。弥珠希はにっこりと笑う。
「よ、弥珠希」
「雅兄さん。お帰りなさい」
 思いも寄らぬ言葉に、雅は一瞬きょとんとし、黒い目を丸くした。そして黒髪を揺らしながら苦笑した。雅は面白そうな事があれば、すぐに何処かに行ってしまう。だから、安楽寺には帰ったというよりも立ち寄った、という方が近い。それでも、弥珠希はにっこりと笑いながら「お帰りなさい」ともう一度言った。
「弥珠希、何処かに行くのか?」
 財布を手にしている弥珠希に、雅は尋ねた。
「はい。ちょっと買い物に」
「そっか。じゃあ、俺が留守番しといてやるよ」
 雅はにこにこしながら、自分を親指で指して言った。途端、弥珠希は顔をほころばせる。
「本当ですか?わあ、嬉しいです」
「そ、そんなに喜ばれると思ってなかったんだが……」
 予想以上の喜ばれっぷりに、雅は小さく苦笑しながら呟いた。たかだか留守番をしておくと言っただけでこんなにも喜ばれると、全く思っていなかった。
「じゃあ、お願いできますか?なるべく早く帰るとは思うんですけど」
 弥珠希の言葉に、雅は顔を引きつらせながら口を開く。
「……あのさ、弥珠希。俺の事をどう思っているんだ?」
「何がですか?」
 苦笑を続ける雅に、きょとんとして弥珠希が尋ね返した。
「だからさ。俺ってそんなに留守番しそうに無いわけ?」
「と、言われても」
「ええと、だからな。俺が留守番をする事は、そんなに喜ばしい事なのかなって」
「そりゃ、嬉しいです。僕がいない間に、門徒さんがいらっしゃったら困りますから」
「そ、そうじゃなくて」
 弥珠希は首を傾げながら、正当な答えを返してくる。雅は何と言っていいものか悩み、小さく「うーん」と呟いてから再び口を開いた。
「お前さ、俺って買い物を早めに終わらせないといけないほど不安か?」
「そんな事無いですけど、どうしてそんな事を言うんです?」
「だってお前、さっき『なるべく早めに帰る』とか言うからさ。俺が留守番していると、お前がゆっくり安心して買い物できないのかなって」
 雅が言うと、弥珠希は「ああ」と言いながら手をぽんと叩いた。
「何だ、そういう事ですか。そりゃあ、雅兄さんは前、僕の手が離せないからって尋ねてきた門徒さんの相手をしてもらった時、松の木を引っこ抜いたという事をやってのけてますけど……」
 その時の状況を思い出しているかのように、弥珠希は空を見上げた。雅もその時の様子を思い出し「ははは」と渇いた笑いを浮かべた。

 その時、たまたま安楽寺に帰っていた雅は、門徒の一人に呼ばれているのが聞こえて弥珠希に言いに行ったのだ。弥珠希は丁度牡蠣フライを作っていて、油から離れられないから出てくれと言われたのだ。
「あの松の木の所に、数珠を落としてしまって」
 門徒はそう言って、一本の松の木を指差した。安楽寺内にあるうちの一本で、樹齢も長い。少なくとも、雅が物心ついた頃には今に近い大きさであった。雅が門徒とその場に行くと、数珠は松の木の根っ子の隙間に綺麗に入り込んでしまっていた。
「あー……こりゃ、掘らなきゃいけないかもな」
「すいません、私の不注意で」
 しょんぼりとしてしまった門徒に、雅は手をぱたぱたと振る。
「いやいや、仕方ないって」
「でも、掘るなんて手間をかけさせて……」
「あーいやいや。別に掘らなくても大丈夫だし」
「え?」
 雅は松の木をぐっと掴み、小さく「せーの」と呟いて気合を入れてから思い切り引っこ抜いた。ゴゴゴゴ、という地響きと共に、松の木がゆっくりと持ち上がる。
「雅兄さん、門徒さんは何って……」
 漸く油から離れる事が出来た弥珠希がやってきたのは、丁度その瞬間だった。雅の手には高々と持ち上げられている松の木。その傍らで口をぽっかりと開けて微動たりとも市内門徒。
「おお、弥珠希。ちょっとそこに引っ掛かってる数珠を取ってくれよ」
「数珠?……ああ、これですね」
 雅の行動に疑問を覚えた様子も無く、弥珠希は数珠を取り外して門徒さんに手渡した。
「これが引っ掛かって困ってらしたんですね。はい、どうぞ」
 門徒は弥珠希の声にはっとし、数珠を受け取って神妙な面持ちで頷いた。雅はそれを確認すると再び松の木を元の場所に戻したのだった。ズシーンという、重い音を響かせながら。

「あれは、必要に迫られてだな……」
「ええ、実に見事でしたよね」
 その時の様子を思い返し、しみじみと弥珠希は呟いた。
「だから、別に安心できないって訳じゃないんですよ」
 雅は呆気に取られた。安心できないという例として出したのではなく、安心できるという例として出してきた弥珠希に。
「……そうか」
「早めに帰るって言ったのは、別の理由があるからですよ。だから、宜しくお願いします」
 弥珠希はそう言って、頭をぺこんと下げてから買い物に向かおうとする。
「おい、弥珠希。その理由って……」
 雅の声が後から追ってきた。弥珠希は振り返り、にっこりと笑った。
「實勒兄さんが来るからです。では、行ってきます」
「え?兄ちゃんが?……って、弥珠希!」
 雅は慌てて止めようとしたが、既に弥珠希の姿は無かった。雅は小さく「うーむ」と呟き、苦笑する。
「兄ちゃん来るんだ……こりゃしまったかな?」
 くくく、と苦笑する。何にせよ、眉間に寄った皺を見る羽目にはなりそうだと思いながら。


 弥珠希は買い物をしつつ、ついつい顔が綻ぶのを止められなかった。何せ、普段会うことすらままならない二人の兄が、揃うというのだ。一緒に晩御飯が食べられるに違いない。
(家族揃っての晩御飯が、今日は食べられるかもしれないですよね)
 弥珠希はそう考え、再びにっこりと笑った。八百屋で野菜を見る事すら、楽しくて仕方ない。
「おや、弥珠希君。何か良い事でもあったのかい?」
 八百屋で野菜を物色していると、八百屋の主人が話し掛けてきた。弥珠希はにっこりと笑って頷く。
「ええ。……あ、この大根と白菜と春菊と……あと牛蒡を下さい」
 笑んだまま、弥珠希は野菜たちを指差してゆく。八百屋は「毎度」と言いながらなるべく良さそうな野菜を選びながらビニール袋に入れてくれた。顔なじみなので、何も言わなくても良い野菜をそっと選んでくれるのだ。……または、弥珠希の人徳であろうか。
「全部で……ええと」
「折角なんで、キリの良い数字だと嬉しいんですけど」
 弥珠希はにこやかなまま、ちゃっかり値切るのを忘れない。八百屋は一瞬きょとんとし、豪快に笑ってからビニール袋を弥珠希に手渡す。
「弥珠希君には敵わないな。……よし、良い事のあった記念だ!500円でいいさ」
 弥珠希はにっこりと笑って「有難う御座います」と言いながら、ふと思いついたように付け加えた。
「大根の葉っぱも、つけてくださいませんか?」
 八百屋は苦笑しながら大根の葉っぱも弥珠希の持っているビニール袋に、きゅっと押し込むのだった。


 弥珠希はその後、肉屋と豆腐屋で同じように買い物をし、足取りも軽いまま安楽寺へと帰った。すると、むすっとした實勒とへらへらっと笑いつつも目は笑っていない雅が弥珠希を待ち構えていた。
「弥珠希、書類は何処だ?」
「お、弥珠希お帰り。じゃあ、もう俺はいいよな?」
 實勒と雅が同時に弥珠希に話し掛けてきた。弥珠希は一瞬呆気に取られる。
「實勒兄さん、書類を受け取ったら帰るんですか?」
「……当然だ」
「雅兄さん、僕が帰ってきたからもう何処かに行く気なんですか?」
「ああ。ちょっくら何か事件でもないかなーって」
 弥珠希は無言のまま、買い物袋を食卓の上に置く。そして實勒と雅を見回した。にこやかな笑みを浮かべ、それでも少し寂しそうに。
「今日、折角實勒兄さんと雅兄さんが揃うから、一緒にご飯が食べられると思ったんです」
 弥珠希の言葉に、實勒と雅は顔を見合わせる。
「でもな、弥珠希。私は書類を取りに来ただけであって、夕食まで食べようとは思っていなかったのだし」
 實勒が諭すように言う。
「でも、實勒兄さんは今日お休みだって言ったじゃないですか。だったら、別に褪せる用事も無い筈です。晩御飯を食べるのに支障は無いでしょう?」
 弥珠希の言葉に、實勒はぐっと言葉に詰まった。
「俺はちょっと寄っただけでさ。……あ、ほら。何か事件とか起こってたら、俺も解決に加わりたいし」
 雅が言い訳をするように言う。
「裏を返せば、事件が起こってなければ何も用事は無いと言う事ですよね?それに、雅兄さんの力を借りたいという状況に陥れば、自然と連絡は来る筈です」
 弥珠希の言葉に、雅はぐっと言葉に詰まった。弥珠希の言葉は尤もであり、晩御飯を拒否する理由にはならない。だが、それでも實勒と雅は晩御飯に対して乗り気ではない。煮え切らない二人に、弥珠希はそっと口を開く。
「……今日は、鍋にしようと思ってたんです」
 食卓の上に置かれている買い物袋をちらりと見てから、弥珠希は言葉を続ける。
「鍋なんて、一人で食べても味気ないじゃないですか。僕の料理がおいしくないというのなら仕方が無いですけど……」
 弥珠希はそう言いながら俯く。微かに肩が震えているようにも見える。實勒と雅の中で動揺が走った。
「……分かった。食べて帰ろう」
 先に口を開いたのは實勒だった。負けたような顔をし、大きく溜息をついている。
「……じゃあ、俺も食べるか。弥珠希の料理は、美味いし」
 次に口を開いたのは雅だった。後頭部をぼりぼりと掻きながら、苦笑している。
「……本当ですか?」
 弥珠希はぱあ、と晴れたような顔を上げた。泣いていたような欠片すらない。
「良かったです。……ああ、實勒兄さん。書類はその棚の上にありますから」
「……ああ」
「雅兄さん、僕の留守中に何も無かったですか?」
「……無かったな」
 途端にてきぱきと動き始める弥珠希。實勒は書類を手にし、溜息をついた。
「兄ちゃん、書類を手に入れたからってどっか行くなよ」
 雅が茶化すように言うと、實勒は眉間に皺を寄せて雅を睨んだ。
「行ける筈が無いだろう。……弥珠希にああまで言われたのだからな」
「本当だねぇ。……弥珠希に言われたらな」
 實勒と雅は弥珠希に聞こえないように、そっと言い合った。台所では、鍋の準備を嬉々としてすすめている弥珠希がいる。どうしても敵わないような気がする、影崎家の三男が。
「全く……仕方ないな」
 これから食卓の上には大きな土鍋がセッティングするのであろう。それを、兄弟三人でつつく事となる。その事を思って、實勒は大きく溜息をつく。
「實勒兄さん。溜息をつくとその分幸せが逃げちゃうって言ったじゃないですか」
 聞こえぬと思ってした溜息を咎められ、實勒は動作を止めてしまった。雅はにやりと笑ってから、弥珠希を手伝う為に立ち上がった。實勒は少し迷い、自分も少しだけ手伝う為に立ち上がった。仕方ない、と言わんばかりに、億劫そうに。

<三人で鍋を囲む事となり・了>