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<東京怪談ノベル(シングル)>


流れ行くもの

【止まる過去】

 一人で過ごす時間が、好き。
 誰にも邪魔をされず、何にも煩わされず、心の思うままに、ぼんやりと時を見守る。
 笑顔の仮面の下の、どろどろした醜い何かを、見ずに済む。
 ここは、聖域。結界の中。
 人形という、悪意や敵意を持たない友人たちが、住まう楽園。
 ここには、確かな、明らかな、安堵感のみが存在している。外からは隔絶された空間で、私は、夢に微睡む。
 
 今日は大学の講義が早めに終わって、私は、真昼の読書を楽しんでいた。
 以前から読みたいと思っていた本を、古本屋で、たまたま見つけたのだ。既に絶版になっているくらい、古い古い本だから、正直、諦めていた。
 それが、前後編とも手元にある。信じられないような幸運だった。
 
「ふわぁ……」

 面白いのだけど、とにかく長い。ずっと緊張しっぱなしの目が、ついに悲鳴を上げた。
 私は、本にしおりを挟んで、少しの間、横になった。ほんの三十分くらい休むだけのはずだったのに、気がつけば、深い深い眠りの中に、彷徨い込んでいた。
 
 
 
「…………ひっく」



 泣いているのは、私?

「……つまんないよぉ……。外に出たいの。お母さん……」

 精神感応能力。
 生まれながらにこの力を有していた私は、ひどく窮屈に育った。初めて会った他人とも、感情を共有できる。彼の心が、私の心に、重なる。
 人は、誰でも、知られたくないこと、踏み込まれたくない領域を、一つ、二つ、持っているものだ。私の力は、期せずして、その全てを暴き出す。汚いもの、醜いものこそ、強い感情を放っているから、幼い私は、いつも、黒い負の力に怯えていた。
「お母さん……」
 母は、私が気味悪かったのだろうか?
 それとも、私を哀れんでいたのだろうか?
 母は、私を滅多なことでは外に出さなかった。学校以外、だから、私は、ほとんど家の中にいた。
 話し相手のいない、孤独な日々。
「今日は、千霞に、お友達を連れてきたの……」
 そう言って、ある日、唐突に与えられた、人形。
 高価なビスクドールなどではない。どこにでもありそうな、糸の髪の、可愛らしい人形だった。
 私は、その子に、ナンシーと名付けた。
 初めての、友達。

「あのね。ナンシー。今日はね、学校で……」
 悪意を持たない私の友達は、何でも聞いてくれる。
「あのね。先生ったら、ひいきするんだよ。みんな同じじゃないの。ずるいよね」
 愚痴を言うことすら、怖くはない。だって、彼女は、人間じゃないから。暗い心が……無いから。
「あのね。あのね……」
 私が人形やぬいぐるみに興味を持ち始めたのは、この頃から。
 ナンシー一人では、寂しいと思った。私が寂しいわけではない。ナンシーが寂しいのではないかって、思ったのだ。
 ナンシーのために、「友達」を買う。同じ、女の子。そうしたら、違う友達も欲しくなる。今度は、男の子。お姉さん。妹。猫のペット。犬のペット。
 部屋の中が、人形とぬいぐるみで溢れかえる。
 友達が……増える。
 
「寂しくないよね?」

 人形とぬいぐるみが、純粋に、友達だった。
 無難な答えだけを返してくれる、人形。悪意も無いけど、善意も無い。買い物したり、映画を見に行ったり、友達なら当たり前のことをしてくれるはずもない、人形。
 幼い私は、物静かな友達を、ただひたすらに愛した。
 人形を、人間として、愛した。
 でも、成長するに従って、世界が開ける。私自身が、強くなる。この能力さえも、制御が出来るようになったとき、私は、人形の友達だけでは、物足りなくなっていた。
 
 
 


【流れ行くもの】

「千霞!」

 誰かが、呼んでいる。
 人形ではなく、人間の友達の声。
 
「千霞ってば! 起きなさいよ、まったくもう!!」

 私は、驚いてがばりと跳ね起きる。
 きょときょとと、辺りを見回した。
 私の部屋だ。間違いなく、私の部屋。でも、なぜか、人間の友達がいる。高校時代からの、とっても仲の良い同級生。
 自覚は無いけど、どうやら天然らしい私を、いつもぐいぐいと引っ張って行ってくれる、大切な友人だ。
「部屋に鍵もしないで、こんな所で寝ているなんて、何考えてんのよ、あんたは! 昨今物騒になってるんだから、用心しなきゃ駄目でしょ!」
 どうやら、私は、部屋の鍵を閉め忘れて寝ていたらしい。
 しかも、辺りはどっぷりと暮れている。…………何時間、寝ていたの? 私……。
「もう……。なんか千霞って抜けていて、心配なんだよなぁ……。これで成績はいいんだから、詐欺よ。まったく」
 今度はちゃんと鍵閉めるのよ!とビシッと私の鼻頭に指を突きつけて、彼女は去って行った。
 どうやら、ただ様子を見に立ち寄っただけらしい。これからバイトなのよ〜とも、言っていた。
 相変わらず、せわしない人だ……。

「天然……なんでしょうか。私。やっぱり……」

 あんたは天然だから心配よ、と言ってくれる友人が、今の私には、たくさんいる。
 彼らはただの人間。怒ったり、泣いたり、やきもちを焼いたり、醜い部分を、たくさんたくさん、持っている。
 でも、それでも、その中の誰一人とだって、私は友達をやめる気は無い。深く関わるのは、危険だとわかってはいても……生きている以上、全てに背を向けて一人歩いて行くことは、出来ない。

「昔の私は、全てに、背を向けていたけど……」

 人形だけを話し相手にしていた私は、なんて孤独だったのだろう?
 あの頃は、気付くことも無かった。それが当たり前だったから。
 でも、今は、違う。

「私は、もう、一人じゃない」

 これまで生きてきた道筋に、何かが、残る。
 これから生きていく道筋に、何かが、生まれる。

 今でも、人形は、大切な友人だ。
 ただ、それが全てにはならない。
 それは、私の一部分に過ぎないのだ。時間が経てば経つほど、他の比重が大きくなって、私自身が、もっと、ずっと、変わっていくのかもしれない。



「明日は、買い物に行こうかな」

 いつもバイトで忙しい彼女が、暇だって言っていたから。
 買った本は、全部今日のうちに読み終えて、明日は、時間を空けておこう。
 昔の自分を、懐かしく振り返っても、そこに戻りたいとは思わない。
 今の自分が好きだから、思い出は、思い出のまま、終わりを迎える。
 
 
 
 一人で過ごす時間は、好き。
 それは、一人じゃない時間が、たくさんあるから。

 笑顔の下のドロドロだって、もう、怖くはない。
 私は強くなった。
 これから、もっと、強くなる。