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真白の中、追憶と
今年はなかなか雪が降らない。
温泉と雪が恋しくて、高原にある北関東の別荘に来たのは良いけれど。
温泉はともあれ、雪が、無い。
残念でしたねと佳凜にも言われた。
是永佳凜――杞槙の守人。専属のボディーガード。
彼は、残念だとそう言っていたけれど、昨晩、見上げた空は――四宮杞槙には雪が降りそうなそんな天候に見えた。
…密かに楽しみにしたって、良いだろうと思う。
そして次の日。
朝起きたら、一面の雪景色が待っていた。
杞槙の、予想通りに。
…母親似の人懐っこい笑顔が、窓越しに表に向けられる。
きらきらと光を反射する白い丘が眩しい。
杞槙の後ろではコンコンとドアをノックする音。
誰だか疑う余地も無い。
杞槙は振り返る。
失礼しますと入ってきた佳凜を見る。
彼もまた、何処か嬉しそうな顔をしていて。
杞槙もまた、嬉しくなった。
佳凜と共に表に出た。
望んでいた雪。
真白の景色。
新しい雪を踏むたび、さくりさくりと音が鳴る。
そんな他愛無い事でも心が弾む。
いつも通り、佳凜がここに居るから、余計に。
…いつも通り。
そう、一緒に居るのが『いつも通り』になったのは十年前からだった。
あの時も、同じようにここに来た。
まだ、佳凜と出会って、間も無い頃。
■■■
杞槙はまだ、幼くて。
母が恋しくて。
亡くなってしまったと言う事が…心の中で処理し切れなくて。
あの衝撃がまだ残っていて。
まだ、父も居る。…母以外の家族は、居る。
それに。
…佳凜だって。
わかっていても、何処か上の空で。
ずっと。
何処か、遠くを見ているような。
その想いを紛らわす為に、別荘に来たのだとわかっていても。
やっぱり、忘れられる訳は無くて。
周りの皆に――佳凜に心配を懸けていた。
佳凜はそんな杞槙の姿をずっと気に懸けていて。
…出会ったばかりの己の主。
…出会った時から決めていた。
例え仕事で無かったとしても。
私は生涯この方に仕えると。
なのに今私は、この方に、杞槙様に何もして差し上げられないのか。
考えた。
杞槙様は私を自身の守人として見て下さってはいる。
懐いてはいる。
なのに。
この幼い少女は、ひとりで抱えてしまっている事がある。
それは仕方の無い事で。
変えようの無い事で。
私が共に背負う事も――出来ない事で。
けれど。
それでも。
…何か私に出来る事は、本当に無いのだろうか?
考えた。
考え抜いた。
そして考え抜いた末に至った答えは――それこそ他愛も無い物だったけれど。
少しでも杞槙様の心の慰めになるならば。
思い、実行に移す事にした。
別荘の裏手で奮闘する。
今までやろうとした事が無い行動。
降り積もった雪を取り、とある形に固める。
造型。
上手く行かない。
…悩む。
悩みつつも、佳凜は慣れないその行動を続けた。
他愛も無い――それで居てとても重要な、ひとつの目的を遂げるまで。
どうだろう?
造型したその雪像を見、佳凜は思わず、うーむ、と首を傾げる。
…そう、見えるだろうか?
やはり、悩む。
と。
そんな佳凜の背中に声が掛けられる。
鈴を振るような声。
…杞槙様。
「佳凜?」
「…杞槙様」
「何してるの?」
ずぅっと、こんなところで座り込んで。
不思議そうな杞槙の声。
佳凜は観念したように苦笑した。
「…御存知でしたか」
「だって、佳凜がこんなところにひとりで居るのは、珍しいです」
「そうですね」
「どうかしたの? 何かあったの? 佳凜?」
「…いえ。杞槙様」
「何ですか?」
「…プレゼント、受け取って頂けますか?」
「プレゼント?」
こんな雪の中?
小首を傾げ杞槙は――佳凜の示した、手許を見た。
雪だるま。
と言うより頭に丸い耳が付いている。
クマ?
…クマの雪像。
私はクマのぬいぐるみが大好きで。
…その、ちょっと不恰好な雪だるま…がクマの雪像だと気付いた途端、杞槙は弾かれるよう佳凜の顔を見上げた。
私の、為に?
すみません、不器用で…と、恥ずかしそうに、申し訳無さそうに謝る佳凜。
…でも。
こんな。
佳凜は普段、こんな事、しない人…出来ない人。
なのに。
私の為に。
………………一生懸命に作ってくれたんだ。
そう思ったら。
涙が出てきた。
佳凜が困る!
思ったけれど。
その時私は何も言えなかった。
だけど。
とても、嬉しかった。
嬉しくて嬉しくて。
そんな気遣い方をしてくれた事が信じられないくらい嬉しくて。
…泣いて、しまった。
佳凜はそんな私をやっぱり困ったように見つめていて。
私は否定するつもりでぶんぶんと首を振っていた。
………………泣いてるけど、嫌だったんじゃなくて、嬉しいの!
通じたのかわからない。
でも、その時佳凜はずっと私の傍に居てくれた。
何も言わずに、それでも。
ただ、そこに居て欲しいと言う私の気持ちを――わかってくれていた。
■■■
あれから今日までずっと。
私の理解者は。
他の誰でもなく。
ただひとり。
さくりと足音だけが響く。
そんな、雪独特の静けさが支配する中。
「佳凜…」
鈴を振るような声が、響いた。
何処かきょとん、とした顔で佳凜は若緑の瞳を見下ろす。
「…あのね、今まで有難う」
「え…」
珍しく驚いている佳凜の顔。
十年の歳月が過ぎて、あの時よりもずっと大人になったその顔を。
それを見上げ、杞槙ははにかみつつ、ぺこり。
今更、ですけれど。
それでも。
「…これからも宜しくお願いします」
「…杞槙様」
佳凜は杞槙のその仕草を見、やがて静かに笑うと…杞槙の背丈に合わせるよう、身体を屈めた。
そして同じ目線の高さで、告げる。
それも気遣い。
知っている。
優しい人。
私と同じ高さで、話そうと。
「私こそ…これからも、末永く宜しくお願い致します」
低い声。
優しくて、暖かい声。
ずっと、変わらない。
佳凜。
…誰より身近で誰より大切な人のその言葉に、杞槙はこくりと頷いた。
【了】
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