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共と呼べる日まで
――人非ざる力持つ者にとって、とかくこの世は住み難いのかもしれない。
今時珍しい黒電話の受話器を片手に、神谷・虎太郎(かみや・こたろう)は相手の語る雑談を苦笑混じりに聞いていた。流れる時間はひどく穏やかで、ついつい長話になっている。
電話の相手は、虎太郎が店主を務める『逸品堂』の常連客である老人だ。人の良さそうな顔でフラリと立ち寄っては、虎太郎相手に色々と立ち話をしていく。その様子がなかなか憎めないもので、だんだんと親しくなり、今ではこうして気軽に電話の相手もする間柄だ。
老人の顔を思い浮かべて、和やかな時間を過ごすこと数十分。
不意に相手の会話が途切れた。
「……?」
受話器は無音のまま。
「どうしました?」
こちらから話しかけてみても返事がない。
なにかあったのか、と耳をすましてもみたが、別段変わった様子は窺えない。
「――さん?」
『……ぁ、ああ。すまんのぉ、ちと考えごとをしておっての』
ふと、相手の言葉の調子が変わった。
先程までののんびりした空気と違い、どこか深刻な様子が受話器越しでも感じ取れる。
仕事の勘というものがあるのなら、この時、虎太郎は確かにそういう雰囲気を嗅ぎ取っていた。別に骨董店の店主としてではない。言うなれば裏の――。
「なにか心配事でもあるのですか?」
ピクリと。
向こうで息を呑む気配がした。
やがてそれは、苦笑じみた声に変わった。
『……やれやれ、あんたには全部お見通しかのぉ』
「私でよければ、なにか力になりますよ。お得意さんのよしみですからね」
穏やか口調の虎太郎に後押しされたのか、それから暫くの後。
老人はようやく言葉を紡ぐ。
『そうじゃの。あんたなら、普通に接してくれるかもしれんのぉ……』
その言い回しに、虎太郎はすぐピンときた。
「『何でも屋』として、という事ですか?」
彼の裏の顔であるその仕事を、相手の老人は知っていた。勿論、最初から話した訳ではない。親しくなるにつれ、彼ならば大丈夫だろうと思えたからこそ、虎太郎はそれとなしに伝えたのだ。
それでも老人の、虎太郎に対する態度は変わらなかった。だからどうした、とばかりに普段と変わらぬ様子で接してきていた。
それが今、彼の口から虎太郎の裏の顔に触れようとしている。
『不思議な現象にも慣れておるじゃろ?』
「ええ、まあそれなりに」
どうやら、老人はかなり切羽詰まっているようだ。
ならば。
「何か困った事でも起きたのですか? そんな――不思議な現象絡みで」
『むぅ……実はのぉ、儂の孫の事なんじゃが』
「お孫さん?」
『うむ、狼(らん)と言うんじゃがの……――』
◇
乱暴に扉を閉めて、黒崎・狼(くろさき・らん)は自室へと引き籠もった。
ふつふつと沸き起こる苛立ちが押さえきれず、八つ当たり気味に持っていた鞄を床に投げ捨てる。次いで、ドサッと音を上げてベッドの上に座り込んだ。
「ったく、くだらねぇ……」
さっきまでの両親の視線を思い出し、狼はふと顔を顰める。
今更慣れた事とはいえ、胸が痛むのがなくなるわけではない。むしろ、日が経つにつれてその痛みは、自分の何かを失くしていっているようだ。
『死を宿す翼』――自らが背負う血の宿業。
気味が悪いと怖れられ、まるで腫れ物にでも触るかのような視線。いつ、自分たちがその力に晒されるのか、そんな恐怖に満ちた態度。
「くそっ!」
強がってみたところで、彼自身はまだ子供だ。親の庇護を、温もりを、欲してしまう年齢なのだ。
不意に。
耳に届いてきた音。
「……携帯?」
怠そうに体を起こし、鞄の所までやってきてそこに仕舞っていた携帯を取り出す。着信表示は祖父の名だ。
「祖父さんか」
家族の中で、唯一自分を受け入れてくれた祖父。
今はとある事情で別居しているのだが、時折自分を心配して電話をかけてきてくれる。フラフラと出歩くようになった最近は、特に頻繁にかかってくる相手だ。
口元に笑みが浮かんだ事を、狼は気付かなかった。
「……もしもし、祖父さん? どうしたんだよ、今日は」
普段のぶっきらぼうな口調からは想像つかない子供らしい声色。彼自身、祖父の電話を心待ちにしている部分があるのだ。
何度か会話を交わし、お互いの近況を語る。
元気にしてたか。
ちゃんとご飯を食ってるか。
何か変わった事はなかったか。
尋ねてくる声はどれも暖かく、狼の心に染み入ってくる。
「大丈夫だって。んなに、心配すんなよ」
『――そうか。実はの、お主、儂の知り合いのトコで居候してみる気はないか?』
「は?」
突然の祖父の提案は、あまりに寝耳に水の事だった。
◇
やれやれ、と虎太郎は軽い溜息を吐いた。
「……それで? うちで預かればいいんですかね?」
『そうじゃの。儂もいつも傍にいてやればいいんじゃろうが、やはり肉親と友人は違うしのぉ』
それはたしかに。
受話器の向こう側の声に、内心同意する。
とはいえ、そうそう人様の子供を預かっていいものだろうか。
……と、普通の人間なら考えるだろうが、生憎虎太郎の性格上、そんな一般常識な考えはない。裏の仕事をしていれば、様々な人間を見てきている。『力』を持ったが故に、迫害されてきた連中など、それこそ星の数ほどいた。
勿論、それだけで不幸だとは言いにくいが、やはり親からも怖れられるというのは悲しすぎる。
しばしの逡巡。
『どうかの? 引き受けてもらえんじゃろうか?』
老人の声が不安げに揺れる。どうやら返事がないことを悪い方に取ったようだ。
虎太郎自身、別に引き受ける事を躊躇っていたわけではない。クスリ、と笑みを零しながらとりあえず返事をするのが先決。
「ええ。こちらは別に構いませんよ。私でよければいつでもお力になります」
『そうか! 引き受けてくれるんじゃな!』
その勢いたるや、思わず受話器を耳から離してしまった。
『私はいいのですが……その狼君がどういう反応をするか……』
◇
「……どうじゃ? その人の元で居候してみぬか?」
祖父の声に狼は、思わず顔を顰めた。
この忌まわしき『力』のせいで、肉親はおろか他人さえ意味もなく怖がるのだ。それなのに今度は見も知らぬ人間の家に行けだと?
携帯を握る手に力がこもる。
『その人ならばお前さんも……』
「祖父さん、別に俺はこのまんまでいいんだよ」
『じゃが、狼……このままじゃあ、お前さんは一人で』
「一人でいいんだよ!」
つい声を荒げて、怒鳴ってしまった。
口にしてしまった後ですぐ後悔し、慌てて電話口で祖父に謝る。
「……悪ぃ」
祖父の心遣いは嬉しい。
だけど、そんなものは今更だ。今更、他人と接したところで何が変わるという訳でもない。
そう考えれば考える程、狼の胸はズキズキと痛みを増す。
『儂は心配なんじゃ。お前さんがこのまま一人で生きていくという事が。お前と普通に接してくれる友人が出来てくれれば、お前さんも少しは心落ち着くと思っての』
祖父の言葉が、徐々に染み入ってくる。その優しさに心が揺れる。
今更と思いながら、心の奥では救いを求めていなかったか。
自問自答の末。
狼が出した結論は。
「――祖父さん、俺……」
◇
その日は、いつものように店番をしながら、愛読書である『月刊アトラス・特別総集編』を読み耽っていた。いくつかの記事に目を通し、興味引かれる内容に視線を走らせる。
時折、壁に掛けてある時計を確認しながら、また誌面に戻る。
そんな行為を繰り返している内に、どうやら最後まで読み終えたようだ。パタンと本を閉じ、カウンターの引き出しに片付ける。
もう一度、時計に視線を向ける。時間は七時を少し回ったところ。
ふう、と軽い溜息。
「どうやら今日はもう来ないようですね」
既に外は暗く、客が入ってくる様子もない。
静かに言葉を濁し、虎太郎はゆっくりとカウンターを立った。手には『閉店』の文字が入った看板を持って、店の入り口へと向かう。
そして、扉に手を掛けようとしたその時。
不意に店外に人の気配を感じ、視線を上げれば、そこに人影が映っている。虎太郎は別に驚くことなく、引き戸をガラガラと横に引いた。
「やあ。よく来ましたね」
声をかけた相手は、すこし仏頂面をした高校生の少年――狼だ。手にしたボストンバックを肩に担ぎ、ジロッと睨み付けるような視線で虎太郎を見ている。
「約束の時間を二時間過ぎてましたね。何かあったんですか?」
「別に」
「それならいいのですが。今日はもう来ないかと思ってましたよ」
「まあ、祖父さんの頼みだからな。遠慮なく居候させてもらうぜ」
「ええ、構いませんよ」
どこまでもぶっきらぼうな態度。
だが、虎太郎は別段怒った様子もなく、いつもどおりにっこりと笑みを浮かべるだけ。
ともあれ、祖父の頼み通り、彼はここに来た訳だ。後は二人の信頼関係を作るだけだが……それは時間が決める事だ。
「こんなところで立ち話もなんですから、どうぞ中に入ってください」
言いながら、虎太郎は掛けてあった暖簾を外し、看板を店内へと片付ける。手にしていた札を扉に引っかけ、周囲をもう一度確認してから、彼は静かに店内へと戻る。
その後をついていくように、狼もまた店内へと入る。
「そういえば言い忘れてましたね」
急に立ち止まる虎太郎。
思わず狼はその背中にぶつかってしまう。
「な、なんだよ! 急に止まるんじゃ」
言いかけた文句は、虎太郎がいきなり振り向いた事でふと飲み込んだ。なんだ、と身構える狼に、虎太郎はますます笑みを深くして一言。
「狼君。『逸品堂』へようこそ。これからよろしく」
おもむろに手を差し出され、戸惑いながらも狼はその手を掴む。何故か頬が赤くなっているのを、彼自身気付いているのだろうか。
そして。
「…お、おう。これからよろしくな」
――――二人が友人となりえるのは、もう暫く先の事になる。
【終】
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