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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


鬼龍の里の聖なる祭り

【オープニング】

 冬将軍が根を下ろすこの時期、毎年、人目を避けるようにして、草間は、ある村へと出かけて行く。
 小さな里だ。地図にその名が出ているはずもなく、自然のもたらす滋味だけで、人々は細々と生き延びている。
 草間がこの村の存在を知ったのは、三年ほど前のこと。望まずして怪奇な依頼を抱え込む草間のもとに、やはり怪奇な依頼を携えて訪れたのが、この里の長だった。
 依頼は無事解決し、草間は里の友と認められた。村人以外は決して参加できない祭りに、招待されるようになったのだ。
 伝統を重んじる里には、旧き日本の雅が、そこかしこに残っているようだった。義理で足を運んだのは初めの一回だけで、その後は、草間自身、この催し物を楽しみにするようになっていた。

「鬼龍の里の祭りは、今年は、行われませぬ」

 それ故に、里の長である少女からの言葉に、正直に、驚いた。

「なぜ?」
 当然の問いを、草間が発する。少女は答えた。
「歌い手と、舞い手が、おりませぬ。鬼神さまと龍神さまに捧げるに相応しい、聖なる儀式が、行えませぬ」
「歌い手と、舞い手……」
 例年の祭りの様子を、草間が思い浮かべる。
 時の彼方にまでも届きそうな、圧倒的な声量の「唄」を導きにして、鬼神と龍神が峰より目覚める。その目の前で、華やかに始まる、春秋の太刀の舞。
 類稀なる剣の使い手が、神前での聖戦を演じる。舞、などという、優雅典雅なだけのものではない。風を生み出し、闇を斬る。荒ぶる鬼と龍の神をも至上の愉悦に誘う、魂をも砕きかねない、真剣勝負。
「あの歌。あの太刀の舞。確かに、半端な人間では、無理だな……」
 少女が、頷く。既に祭りの続行を諦めているようだった。
「止むを得ませぬ。鬼神さまと、龍神さまには、わたくしから、謝罪の詔を示しましょう。ただ、草間様には、申し訳が立ちませぬ。毎年、欠かさず、我らの祭りを見守って下さいましたのに……」
「残念だな」
 草間が、溜息を吐く。
 何となくしんと静まり返った興信所応接間の内で、そのとき、動く影があった。



 任せてください。



 少女の方に手を差し出す、草間の友人たち。
 鬼と龍の加護を受ける里の長は、むしろ、その申し出を待っていたと言うように、眩しげに、彼らを仰いだ。



「神に捧げる歌と舞……。お願いしても、よろしいですか?」





【神秘の里へ】

 列車での旅は、退屈だった。
 出掛けの頃は、鬼と龍を祀るという神秘の里の話題で、盛り上がったりもした。今回、草間に付いて来た面々は七名。間違いなく一番賑やかな村上涼(むらかみりょう)を初めとして、熱血漢あり、天然ボケあり、突っ込み上手ありと、なかなかに楽しいメンバーが揃っている。
 だが、名前も聞いたことが無いローカルな夜行寝台列車に無理やり押し込まれた挙句、変化のない景色がかれこれ二日半も続くとなれば、どんな強靭な体力の持ち主でも、終いには疲労してイライラが募ってくるものだ。

 両側の窓とも、陰気に雪を被った山しか見えない。地上に合わせて、空も鉛色に染まっていた。街並みは遠く、果てしなく無人駅に近い小さな駅に、列車はいちいち義理堅く停まる。だが、乗ってくる人間は、誰一人としていなかった。
 初対面の者は軽く挨拶を済まし、知人同士は再会を喜び、彼らは終着駅に着くのを待った。
 窓をきっちり閉めているにも拘らず、どこからか忍び込んでくる冬の寒気が、確実に、強さを増していた。

「この次だ」

 列車が、トンネルに入った。
 昨今造られたような、照明器具の充実した通路ではない。中は真の暗闇だった。車両の内部を照らす電灯があっても、それでもなお薄暗い。そして、何かの悪い冗談かと思えるほどに、長かった。
 時計の針の動きが、いやに緩慢に感じられる。

「あ……」

 遥か先に、出口が見えた。
 光に視力を奪われたその一瞬の間に、列車は、再び外の世界に飛び出していた。

「……着いた?」

 一面の雪景色。他を圧倒する、巨大な杉の群。
 白と緑の鮮やかな対照が、目に焼きつく。
 石垣のホームに、里長の少女が出迎えに来ている。駅の看板は無い。彼女以外の人影もない。列車が止まった。一歩を踏み出すと、身を切るような北風が全身に吹きつけてくる。

「遠路はるばるようこそ」

 少女が、一人一人の手に触れた。
 寒さを吸い取ってくれるような、暖かい指先だった。





【鬼と龍の祭りについて】

「あの……唄の件で、お伺いしたいことがあるのです」
 鬼龍の里までの遠い道のりの間に、里長に聞きたいことは、たくさんあった。
 まずは、葛城樹(かつらぎしげる)が話を切り出す。同じく唄に関心があるらしいシュライン・エマが、里長の少女の隣に移動した。
「唄は、誰から教えてもらえるのでしょうか?」
 一度聞けば、樹もシュラインも、それがどれほど難解な音であろうと、完璧なまでに記憶する自信がある。彼らにとっての「音」とは、頭ではなく、心にこそ同化するものなのだ。
 血管の一つ一つに浸透し、流れを巡るような、あの感覚。その才能の無い者は、一生涯、決して得ることの出来ない、覚醒の一瞬。取り込んだ「音」が、彼らの中で、彼らだけの「曲」に変化を遂げる。
「一度だけ、聞かせてもらえれば……。そうすれば、鬼神さまと龍神さまに捧げるに相応しい唄を、必ず歌ってみせます」
 普段は大人しい樹が、いつになく、強い口調で決意を滲ませる。音に対する自信、音楽に対する自負が、控えめな彼に、力を与えてくれているようだった。
 ましてや、聴衆は、鬼と龍の神。中途半端なものを聞かせるわけにはいかない。樹が手を抜けば、神は、人よりも遥かに厳しい裁断の意思を持って、樹の歌を拒むだろう。むろん、そこに、二度目の挑戦は、無い。
「人より、多少は歌えると自負はしているけど……。正直、自分の歌が、儀式の呪歌にも堪えうるものなのかどうか……わからないわ」
 シュラインが、複雑な胸の内を明かす。そんな自信が無いなら裏方にでも回ってくれと言われるかと思ったら、里長の少女からは、思いもよらぬ返答が返ってきた。
「唄を運ぶは、風の精。木霊の精。小手先の技術など、彼らの前には、何の役にも立ちませぬ。心を尽くしてくださいませ。葛城様。エマ様。お二人は、風と木霊が認めた歌い手。お二人の歌は、風と木霊が、最大の敬意を持って、鬼神さま龍神さまの元へと届けてくれましょう」
「風と、木霊……」
 シュラインと葛城が、呆然と呟く。
 ここは幻想の村。現実世界に限りなく近い位置にありながら、わずかにねじれの関係にあるに違いない、鏡の向こうの、異界の郷。
 鬼も、龍も、ここならば確かに居ても不思議はないと、思わせる。あるいは、素朴な村の人々の心にこそ、鬼と龍の二つ神の、真なる居場所が、あるのかもしれない。

「春を愛でるは、龍神。秋を偲ぶは、鬼神」

 少女の口から、不思議な唄が、流れ出る。
 二人の歌い手が、はっとして、里長を見つめた。

「真の歌い手は、おりませぬ。あの娘は、亡くなりましたゆえ。わたくしは、ただ、音を思い出の中より拾うのみ。わたくしの中に眠る唄の記憶を、そのまま、お二人に伝えましょう」



「なぁ兄貴〜。舞い手、やってみよーぜ。面白しろそうだし。兄貴と真剣勝負、やってみてーなぁ〜」
 先程から、懲りる様子も無く訴え続けているのは、守崎北斗。基本的に面白そうなことには首を突っ込まずにはいられない、この暴れん坊将軍は、今回も、地味に裏方で頑張ろうと決意を滲ませている真面目な兄を巻き込みつつ、ねーねーと弟根性丸出しで、一生懸命おねだりしている最中であった。
「お前が一人でやればいいだろ。幸い、他に二人も舞い手がいるし。三人で」
「何言ってんだよ! 向こうも兄弟でやるんだぜ! 俺が一人でやったら、様になんねーじゃんか!」
「そういう問題か……」
 ふぅ、と、兄の啓斗が溜息を吐く。他にどんな問題があるんだと、北斗は悪びれた風も無く首を捻った。
「なんで嫌なんだよ。兄貴? ここの祭りの舞は、闘舞だって言ってたじゃねーか。まさに俺たち向き! がっつり戦っていいって、保障付きだぜ!」
「そうだな。まさにお前向きだよ」
 別に皮肉を込めたつもりも無かったが、兄の心の片隅にささくれ立って存在を主張している氷の棘を、弟だけは、敏感に見抜いた。
「どうしたんだよ。兄貴?」
 横から覗き込むように、様子を伺う。啓斗の表情は、弟の北斗をしても時々呆れ返るほどに、変化に乏しい。隠すのも上手く、穏やかな仮面の下に覆われている間は、兄が何を考えているかを知るのは、至難の業だ。
 感情が、欠けているわけではない。いや、それどころか、あれほど色々考え込んでしまう人間も珍しいと、北斗は常々思っている。
 結局、啓斗は、繊細すぎるのだ。いつも真面目で、気楽に責任を放棄できる不徳もなく、本来なら双子で仲良く折半すれば良いものまで一人で背負い込んでしまうことから、必要以上に我が身を苦しめることになる。
「どうしたんだよ。兄貴」
「何が」
「何がじゃねー!」
「何を怒っているんだ?」
「俺は! 兄貴ともしかしたら公式試合が出来るかもしれないって思ったから! 無茶やって、わざわざ追っかけてきたんだぜ! なのに……」
「暗殺者は、神舞には、相応しくない」
 あまりにも直線的な弟の言葉に、思わず、本音が、零れ落ちる。
「……んなことかよ」
「そんなこと? 重要なことだ。俺が下手に前に出れば、神を喜ばせるどころか、怒らせることにもなりかねない。村の人に、迷惑がかかる……」
 舞い手が、一人もいないのなら、手伝ってもいいと思った。だが、幸いにして、役者は揃った。
 この依頼に、これ以上は無いというくらい、相応しい兄弟。大神総一郎と、大神森之介。
「俺は見ているよ。こういう祭りの雰囲気は、嫌いじゃないし。手伝えることは、他にもいろいろあるだろうし……」

「いいえ。啓斗さま。どうか、ご参加くださいませ。他ならぬ、鬼神さまと龍神さまが、何よりそれを望んでおりますれば」

 北斗が兄に詰め寄る前に、凛として啓斗に諭した者がいる。振り返った双子の前に、里長の少女は、握り締めた両拳を差し出した。
 ゆっくりと開いた掌の中にあったものは、真冬になお色鮮やかな、柊の実。二つの実が途中でくっ付いて一つになっているような、珍しい形をしていた。
 
「この双子の柊の実こそが、鬼神さまと、龍神さまの、意思にございます」
 
 冬に真紅の実を結ぶ、目を見張るほどの、生命の力。場所も、気候も、選ばない。棘で武装をしつつも、日陰を嫌い、光の下でこそ、逞しく育ちゆく。
 その秘めたる意味は……………再生と希望。





【神舞】

 祭りは、儀式。
 屋台が並ぶわけでもなく、派手な照明があるわけでもない。
 自給自足の村には限られた物しかなく、藁の組紐と、染物の幕と、冬が来る前に蓄えておいた滋味の料理だけが、慎ましやかな贅沢を表して、ひっそりと、客人たちをもてなしてくれたのだった。
 渡された衣装は、白装束。よくよく見れば、何かの細かな刺繍がびっしりと施されているが、今は、冬の寂しい景色に完全に同化してしまう。
 村の近辺で採れた原石の飾りはさすがに美しいが、それとても原石止まり。磨いてあるわけでもないので、宝飾店に並ぶ輝石の数々と比べると、いかにも華やかさに欠けて見える。
 素朴と言えば、聞こえは良い。
 だが、草間が苦労して毎年出向くほどの価値がある祭りとは、到底思えなかったのが、このときの全員の感想だった。

 遠くで、横笛が、曲を奏で始めた。
 音楽に造詣の深い者たちが、びくりと身を竦ませる。
 
「これは……」

 名手だ。こんな田舎にいるとは思えない、素晴らしい奏者。思わず、寒さも忘れて、目を閉じて聞き入る。
 やがて、笛の音に、和太鼓が加わった。唐突に鳴り響いてきたのは、笙だろうか。一つ一つは地味な日本古来の楽器たちが、徐々に徐々に数と質を増してゆく。
 華やかな音が、生まれる。
 だが、一方で、大丈夫だろうかと、涼や守崎兄弟、大神兄弟たちの心に、不安が過ぎった。
 音響施設など何も無いこの外で、ただ声のみを隅々まで響き渡らせるのは、ほとんど神業に近い。それでなくとも、氷点下を越える劣悪な環境。寒さのために体は震え、唇も悴んで、歌うどころの騒ぎではない。
 仮に歌ったとしても、どれほどの人数に、届くというのだろう?
 あまりにも不利だ。この条件は。
 歌い手を苦しめるのが目的としか思えない、この……。

「冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど」

 唐突に響いてきた、その唄。
 全員が、はっとする。間違いなく、葛城樹の声だった。だが、背後の音楽も無に戻してしまうような、圧倒的な声量。日本人らしく、どちらかと言えば華奢な喉から出ているとは思えない、峰の彼方にまでも届きそうな、その声質。

「山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず」

 浪々と歌い上げる。堂々と語り継ぐ。黄泉の死人さえも惹きつけるような、その旋律。目を閉じれば、幻の光景が、鮮やかに浮かび上がるほど。
 春の雪解け。灰色の空が徐々に色を取り戻し、青く染まる。やがて遠くから舞い戻ってくる鳥の群れ。萌え出る若芽に、蕾膨らむ色とりどりの春の花々。
 だが、山が深すぎて、入ることが出来ない。うっそうと茂った森の奥にこそ、手にとって見たい美しい大華があるはずなのに、そこに行けない。届かない。

「秋山の 木の葉を見ては 黄葉つをば 取りてそ偲ふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし」

 「春」の後を、「秋」が引き継ぐ。今度はシュラインだ。緑の景色に変わって、紅葉が辺りを包む。燃えるような紅蓮の枝葉を掻き分けて、山の奥へも容易く踏み込むことの出来るのが、秋。
 色づいた葉を直接手にとって、眺める。だが、蒼いままの葉も多い。そのままに枯れる運命の、物寂しい若葉を前に、溜息を吐く。

「春を愛でるは、龍神。秋を偲ぶは、鬼神。答えよ。答えよ。汝が選びしは、何れか?」

 歌い手たちが、舞い手たちに、問いかける。

「秋山ぞ我は」
 大神森之介が、立ち上がった。彼の答えが、彼の言葉が、その瞬間、「秋」の呪歌を完成させた。
 冬の寒気が、逃げるように去ってゆく。時間が巻き戻り、木々や草葉が枯れ散る前の艶やかな色を取り戻した。空は高く青く澄み、振り仰げば目に沁みるほど。
 雪と氷が失せた剥き出しの土の地面に、秋の草花たちが音を立てて広がりを見せる。曼珠沙華、松虫草、金水引、女郎花、露草、仙人草、麒麟草、薙刀香需、南天萩、藤袴、反魂草……。
 体を芯から凍えさせた凍気は既に無く、村人たちはこぞって蓑の外套を脱ぎ捨てた。ゆっくりと進み出る森之介の白装束に、草が這い上がり、絡みつき、とりどりの絵柄となって、秋色の裳を鮮やかに翻らせる。
「参られた。鬼神様が。降りられた。こうも早く……」
 微かに震えているような、里長の声。長い長いこの郷の歴史の中で、あり得ないことが起こりつつあるのを、彼女だけは、肌で感じ取っているようだった。
「秋の御方。秋の太刀を……」
 剣を差し出す村人に、必要ないと、森之介が首を振る。いつもは飄々とした気楽な表情が、今はきりりと引き締められて、まるで別人のように厳しい顔つきになっていた。
「……火徳星君正霊刀・天魁」
 秋を表す真紅の光が、掲げた掌に集う。花たちが一斉にざわめいた。草たちが、さらに伸びやかに身を揺らした。
 ゆっくり、ゆっくりと、形を織り成す、破邪の霊刀。秋を愛でる鬼神の力が、そのまま具現化したような、その姿。

「秋を偲ぶは、鬼神。今一人の舞方よ。答えよ。答えよ。汝は何れの御使いか」
 葛城の声と、シュラインの声が、秋空を背に重なる。木霊が、風が、彼らの声を幾重にも響き渡らせた。山裾にまでも、広がりを見せる。問われた兄の舞方が、答えた。

「春山ぞ我は」
 秋の色に押されて沈黙していた春の草花が、急速に息を吹き返す。凍て付いていた滝川が流れ、青葉が芽吹いた。森の奥深くで震えていた鳥たちが、一斉にその美しい喉を披露する。
 総一郎の身に着ける白袴もまた、春を愛でる龍神の祝福を受けて、緑の香気を帯びていた。福寿草、片栗、稚児百合、雪笹、錨草、桜草、十二単、踊子草、円葉崑崙草、一人静……。
「泰山天斉仁霊刀・天覇」
 既に万全の準備を整え、待ち続ける弟の前に、浄化の霊刀を携え、兄が進み出る。村人が、遠慮深げに、彼らに鈴を渡した。儀式が始まる前、鈴を二つ用意して欲しいと、兄弟に頼まれていたのだ。村人は、触れるのも恐れ多いようなそれぞれの剣の柄に、鈴を、慎重に結びつけた。
「揃った。揃った。鬼神さまと、龍神さまが。降りられた!」
 二人が対峙した途端、時間さえもが、一瞬、凍った。しんと静まり返る、拮抗した春秋の大気。
 神刀が……動いた。
 
「…………っ!!」

 激突。
 鬼と龍を祀る舞は、戦いの舞。優雅なだけでは、神は満足しない。鬼龍の里の神々は、荒神。それは、舞であると同時に、戦でなければならなかったのだ。
「速い……!」
 一瞬とも息を抜けない、攻防。今一組の舞手である守崎兄弟が、呻く。太刀が残像を残して、幾つもの軌跡を虚空に描いていた。霊刀が、光の粉を散らす。
 恐ろしいほどの静寂の中、「戦い」は続く。食い入るようにそれを見つめていた草間が、やがて、信じられない事実を目の当たりにして、叫んだ。
「鈴が……鈴の音が、しない!?」
 あれほど激しく動きながら、二人の鈴は、その音色を忘れてしまったかのように、沈黙している。いや、鈴だけではない。その場にいた誰もが、更にあり得ない衝撃に、息を呑んだ。
 太刀が、まったく、耳障りな金属音を鳴らさないのだ。背後に流れる神舞のための唄を、だから、はっきりと聞き取ることが出来る。
「どういうことだ……」
 草間の疑問に、啓斗が答える。
「寸止めだ」
 草間が、目を見開いた。
「寸止め!? あ、あのスピードでか!?」
「ただの一度も、刀身は触れていない。紙一重で、止めている。だから……だから、音がしない」
 舞は、本来、静かなるもの。
 その時折に立てる音さえも、計算されつくしてなければならない。太刀のぶつかる金属音の代わりに、鈴の音を響かせる。唄の切れ目に、笛の合図に、結びつけた鈴さえもが、二人にとっては、神舞のための演出なのだ。
「嘘だろ……」
「ここまでしないと、鬼と龍は、満足しないということなのか……」
 難しい表情をして、舞を見守る、男たち。村上涼が、だからどうしたのよと、怒った。
「別にいいでしょ、そんな事は! 綺麗なものは綺麗! 凄いものは凄い! 他に感想なんかいらないわよ。もっと素直に見なさいよ!」
 涼に真っ先に同意したのは、シュラインと、樹。
「涼の言う通りね。こんな時、こんな場所で、理屈をこねるのは反則よ」
「神の声に、神の技で応じた……それだけの話です。音楽も、舞も、根は同じだと思います。心が入っているからこそ、人を惹き付けます」
 いつの間にか、二人の舞い手が、観客側に移動していた。にも拘らず、歌は、未だ続いている。間違いなく、葛城とエマ本人の声だ。どういう手品を用いたものかと、みな、不思議そうに首を捻らずにはいられなかった。
 葛城が、答えた。
「木霊が、僕たちの代わりに、僕たちの声を、何度も何度も繰り返してくれているのです」
「木霊? 木霊って……あの木霊?」
 涼がぽかんと口を開ける。無理もない反応だ。
「ここは、幻の里なのよ。ここでは珍しくも何ともないの。木霊が歌っても。真冬に、春と秋の花が咲いても」
 エマの声が、笑いを含んで、春と秋の風に運ばれる。涼が、いかにも彼女らしい順応性を見せて、頷いた。
「こういう不思議は、嫌いじゃないわよ、うん。綺麗だし、寒いよりは暖かい方が良いに決まってるし」
「伴奏に、鳥の声が入るのも、ちょうどいい感じですしね」
 葛城が、空を仰ぐ。どこを振り返っても、鳥の姿を見かけないことはない。
「遠くの滝の音。渡る風の音。草葉の揺れる音。それに……鈴」
 ひときわ大きく、鈴が鳴った。まるで、何かの合図のように。
 二人の舞師が、同時にぱっと飛び退る。弟の森之介の持っていた霊刀が、急速にその体積を失い、実体を手放し、やがて霧と光のように飛散した。
 そのまま、がくりと足を折る。膝を付く。傍から見てそうとわかるほど、激しく息を切らしていた。背中も肩も、荒い揺れ方が、一向におさまらない。
「あ、あんなに疲れていたなんて、舞っている時には、全然……」
 草間の声に、
「彼はプロなんですよ。どんな時でも。演技をしているときには、絶対に、それを自分以外の誰にも気付かせないんです」
 葛城が答える。分野はまったく違うとはいえ、芸術家同士。何か通じるところがあったのだろう。
「弟の森之介くんは、かなり疲労しているみたいだけど……お兄さんの総一郎さんは……」
 シュラインの前で、総一郎が、高く霊刀を掲げる。刃が風を切った一瞬に、拮抗していた二つ季節の大地が、春色に塗り替えられた。
「春を愛でる龍神よ。此度の太刀の舞は、此方に」
 総一郎が、未だ起き上がることも出来ない弟の方に、歩み寄る。手を取り、肩を貸し、立たせた。
「よくやったな」
 ただ一言の、ねぎらいの言葉。
 それが、どれほど価値の高いものか、弟の森之介だけは、知っている。優しげに見えて、決して妥協を許さない、兄。王者としての風格は、生まれ持った素質ばかりではなく……常に自らを律し続けるその厳しさにこそ、強く裏打ちされたものに他ならない。
「よく付いてきた。上達したな」
「まだまだ、兄さんには、かなわないや」
 苦笑する。兄は、召喚を維持するだけでも膨大な霊力を必要とする浄化の霊刀を、相変わらず涼しげな顔をして、顕し続けている。いや、もしかすると、本人には、それを所持しているという自覚すら、無いのかもしれない。それほどに、見事なまでに、一体化してしまっていた。
 上天の光さえも、従える……。



「春の御方の勝利だ!」



 兄が呼んだ「春」だから、この緑の景色を見ても悔しくはないと、素直に感嘆を寄せる、弟だった。





【闘舞】

「俺は春!」
 うずうずと、出番を待ち構えていた北斗が、嬉しそうに宣言する。白装束が、春の若草を象徴する鮮やかな緑に、瞬く間に染まった。村人の若い娘が進み出て、恭しく、北斗の前に一振りの太刀を差し出す。
「春の御方には、この宵闇桜を」
 いかなる製法を用いたのかは甚だ謎だが、黒々とした刀身に、無数の桃色の露が散っている。なるほど、それが、宵闇の風に揺れる桜の花弁を思わせなくもない。
 刃の長さや全体の大きさから比べると、予想以上に軽い刀だった。片手で軽々とさばくことが出来る。

「俺は、秋を」
 艶やかな紅葉の色が、啓斗を包む。彼岸花の花弁で染めたような、緋色の織布。この衣装は、弟の方が似合うなと、ぼんやりと兄は考えた。あまりにも鮮烈な赤は、自分が身に着けると、まるで血の色にも見えてしまう。
「秋の御方には、この紅蓮鬼を」
 鏡のような光沢の刃は、滑らかな、銀。それが啓斗の衣装の緋を映して、落日色に輝く。なるほど、だから、紅蓮の鬼か。啓斗は、今日初めて手にした刀を、一度だけ、無造作に振るった。
 軽い。鋭い。左右の手のどちらにも馴染む。名刀だ。弟の宵闇桜に勝るとも劣らない。これならば……風すらも、切れる。

「行くぜ。兄貴。真剣勝負だ」
 弟の顔から、子供じみた笑顔が、消えた。
 青い瞳が、戦神の気性を滲ませて、すっと細められる。
「………来い」
 これが、戦いの家系に生まれたものの宿世なのかと、啓斗は考えた。
 いつもの陽気な弟は、そこには、いない。



 そして、自分も……。



 北斗が、先に、動いた。
 真正面から襲い掛かってきた強烈な一撃を、やはり真正面から受け止める。刀身が激突した瞬間に、衝撃が、風となって二人を覆った。
 翻る髪。棚引く衣。
 攻撃が容易に防がれてしまうことを、北斗は既に予想していた。素早く刃を切り替え、さらに二合、三合、と続けざまに攻め立てる。
 三撃目まで受け止めた啓斗だったが、すぐに、力技の不利を悟った。
 修行を怠け気味だった北斗の剣技は、荒い。だが、それを補って余りある、純粋な力がある。北斗は、限界ぎりぎりまで自分の力を出し切ることが出来るのだ。それは、自らを抑えることを、幼いころから強要されてきた啓斗には、むしろあり得ない戦い方だった。

 強い……!
 
 弟の力量を、甘く見すぎていた。啓斗の中に、焦りのような、苛立ちのような、何かが生まれる。
「兄貴! 本気でやらないなら、俺が勝つぜ!」
 風が唸った。見えたわけではなかったが、反射的に、啓斗は刃を振り上げる。構え方が、甘かった。攻撃を受け止めたときの衝撃が、じんと肘までも駆け抜けた。
「俺も、本気で……」
 啓斗は素早く後方に飛びずさった。切られた髪の数本が、はらはらと地面に落ちた。
「本気で来いよ。兄貴。こんなもんじゃないだろ!?」
 強靭なばねを生かした、北斗の追撃。これ以上まともに打ち合うのは、危険だ。
 啓斗が、戦い方を、変えた。

「………っあ!?」

 刃が触れ合った瞬間に、啓斗が、手首を切り返した。相手の刀身を巻き込んで、威力を殺ぐ。受ける、ではなく、流したのだ。さながら、清流が、濁流を飲み込むように。
 そのまま、滑らかに前に進み出る。相手の剣の威力を殺しつつ、一瞬で攻めに転じる。攻防一体の、一欠片の無駄もない、その動き。
 風圧だけで、布が切れた。
 千切れた袖を破り捨てて、北斗が笑った。

「やっぱ、そう来なくっちゃなぁ……」
「ここからが、本番だ……」

 啓斗も笑った。腹の底から、高揚感が湧き上がってくる。
 誰かを殺すためでもなく、何かを奪うためでもなく、呆れるほどに純粋な、この戦い。
 鬼と龍の加護があるから、どれほど危険な技を放っても、それが弟の身を傷つけることは無い。北斗の方もまた然りだった。互いに、相手を殺す心配をせず、全力を尽くすことが出来る。
 こんなことは、初めてだった。
 今こそ、里長の少女の言った言葉の意味が、理解できる。

 これは、聖なる戦いなのだと!
 
 一合、二合、三合、四合………………二人は激しく撃ち合った。息が切れ、決して暑くはないはずなのに、玉の汗が滴り落ちる。全身の血潮が限界まで湧き立ち、自分の心臓の音がうるさいほどだ。
 既に刀を握る手には、感覚が無くなっていた。それでも、止まらない。止められない! 気を抜いた一瞬に、確実に、負ける……!
 
 みし、と、不気味な音がした。
 度重なる激突に、ついに、刀身が悲鳴を上げたのだ。二人がはっとして飛びずさる。剣が、折れた。
 宵闇桜と紅蓮鬼。神秘の里の誇る刀が、常軌を逸した彼ら双子の戦いに、付いていけなくなったのだ。
 
「刀が……!」

 呆然と、手元を見る北斗。
 だが、啓斗は、違った。
 不意のアクシデントすらも、チャンスに変える。折れた切っ先を、掴んだ。そのまま、手裏剣の要領で、投げる。正確に……無慈悲なまでに精密に、弟の喉元を狙って、投げたのだ。
 弟ならば、紙一重で、これを避けることが出来ると確信する余裕まで、兄にはあった。
 
「しまっ……!」
「遅い!」
 
 啓斗が、北斗に飛びかかる。肩をつかみ、地面に押し倒す。馬乗りなったその瞬間に、折れた刀の柄に近い部分を、弟の首筋に宛がった。
 静まり返った辺りの空気に、自分たちの苦しい息遣いだけが、溶け込んで……消える。

 兄が、弟の目には、喩えようもなく大きく見えた。
 地面に背を付けて、勝者を見上げている、自分。惨めな光景のはずなのに、怒りも悔しさも、湧いてこない。
 どうだ、これがうちの兄貴なんだと、誇らしさすら感じる。あまりにも素直に、感嘆の言葉が、口を付いて出た。
「やっぱ、兄貴は、強ぇや……」
 啓斗が、北斗の上から退ける。手を差し出した。弟が、兄の手を借りて、起き上がる。割れんばかりの歓声が、辺りを包んだ。



「秋の御方の勝利だ!」



 この秋色は、いつも元気な弟を思い出すから、一面が真っ赤に染まっていても、少しも禍々しくはないと、心から、安堵できる兄だった。





【永遠に残るもの】

「二つ神が、同時に降りられた。このようなことは、初めてです。鬼龍の里の始まり以来……。感謝いたします。皆様」
 鬼神龍神を同時に迎え入れた里は、春と秋の彩りに染まっていた。
 この状態が、来年の初雪まで、続くのだという。鬼龍の里に、夏は無い。里は、常春と常秋を繰り返し、永遠に、穏やかな胎動を見守る。
「ここは、本当に、神様が宿る場所なのね……」
 シュラインの言葉に、それぞれが、何かを想い、広がる野を、そびえる峰を、水豊かな川を、眺めやる。
 初めてのはずなのに、途方もなく懐かしく、いつかどこかで見たような、この光景。
「不思議。なんで、こんな風に、懐かしく思うの?」
「人が、いつかどこかで思い描いたことのある、心の風景に、一番近い景色だからかもね」
 女二人が、嬉しそうに笑いあう。ふと、風景の中に違和感も無く溶け込んで、野の片隅に腰を下ろす人影を、見つけた。
「葛城くん!」
「あ……エマさん。村上さん」
 樹は、慌てて背中に紙の束を隠した。涼がすかさず取り上げる。
「何よ何よ? 隠すと余計に気になるじゃないのよ」
「また苛めっ子みたいなことして……」
 とは、エマの言葉。が、樹が隠したものは気になるらしく、しっかり横から覗き込んでいる。
 紙の束は、手書きの楽譜だった。
「これ……あの、唄の?」
「え、あ。はい……。上手くあの曲を再現できたかどうか、不安なのですが……」
「凄いわ……。これ、全部自分で書いたの?」
「はい。思い出しながら。この里に、唄を、目にも見える形で、残したいなって……」

 里長が、言っていた。
 村に歌い手はいないと。あの娘は、死んだと。
 そのとき、樹は思ったのだ。楽譜があれば。口伝や口承などよりも遥かに確かな、決して途切れない語り伝えの方法が、あれば。

「僕が、楽譜を残すなんて、なんだか図々しいような気もしたのですが……もし、受け取ってもらえたら、嬉しいなって」
 手書きとは思えないほどに、丁寧に精密に描かれた譜面を、シュラインが、驚嘆の思いで見つめる。欲しがらない人間はいないだろう。あるいは、この譜面こそが、里の、何よりも貴重な宝とされる時が、来るのかもしれない。
「あの、エマさん。一つお願いがあるのですが……聞いてもらえませんか?」
 彼らしく、あくまでも腰低く、樹がエマに問いかける。
 素晴らしい物を作っているのだから、もっと胸を張って、鼻を高くしてもいいのよと、エマは思わず苦笑した。
 このあくまでも控えめな点が、だが、葛城樹に相応しい。そして、控えめだろうが何だろうが、彼の書いたものが、一番確かな証として、村に永遠に残ることになるのは………………きっと、未来の現実だろう。
「お願いって?」
「歌ってください。もう一度、あの唄を。僕に聞かせてください。僕が書いた譜が、決して、独りよがりなものにならないように」
 口伝で既に在るものを、曲として残すのは、難しい。自分の感性を交えすぎたら、曲は別物になる。だが、感性の入らない曲ほど侘しいものはない。そのあたりの兼ね合いを、樹は、随分と試行錯誤していた。
「私の唄で、いいのかしら?」
「エマさんの唄だから、いいんです」



「冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず」
「秋山の 木の葉を見ては 黄葉つをば 取りてそ偲ふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし」



「春山ぞ我は」
「秋山ぞ我は」





【迷いがあればこそ】

「これは、俺の記憶が正しければ、万葉を代表する歌人『額田王(ぬかたのおおきみ)』が残した春秋争いの詩のはず。それが、曲を伴って、この里に伝わっている理由を、是非とも知りたいものだが……」
 大神総一郎が、里長に語りかける。能の大家の主として、彼は国内外を問わず、芸術に関してはかなりの知識があった。特に、日本古来の和歌文学には、驚くほど詳しい。即興で唄を吟じよといわれたら、一つや二つ、簡単に作ってしまうだろう。
「その通りです。この唄は、額田王が残したもの。里に伝わる詩の無い曲に、額田王が、歌詞を与えたものなのです」
「この里は、額田王と、どういう関係に……」
「この里の、一番初めの里長こそが、額田王です。里長とは、神官。鬼と龍の声を訊く者。額田は、十代の半ば近くまで、この里の神主をしておりました。その後、まさに鬼とも龍ともなぞられる、二人の天下人に愛されたのは、あまりにも有名な事実にございましょう」
「二人の天下人……。天智天皇と、天武天皇」
「額田は、二人の天上人の妻となりました。元々、鬼神龍神の声を訊く巫女。その素質を、秘めていたのやもしれませぬ」
 里長の少女が、真剣な面持ちで、総一郎を見上げた。
「あなた様も、神主の素質を持っておられるようですね。総一郎さま。鬼龍の神官は、距離も時間も飛び越えて、この世のあらゆるものを知覚する、神の眼を与えられております。鬼と龍の神の声、あなた様ならば、既に耳にしたのではありませぬか?」
 一瞬の間を置いて、総一郎は、答えた。
「ここでは、木霊が唄を伝え、真冬に春と秋の花が咲く。全ての者が、神の力を体現することの出来る、神域だ。神の声は、全員が、既に聞いたことがあるだろう。何も特別なことはない」
「神は、何と仰いました?」
「それを、俺に聞く必要があるのか? 鬼龍の巫女。直接、神に尋ねればいい」
 いつも悠然として見えた、鬼龍の里長の瞳に、初めて、人らしい揺らぎの色が宿った。
「わたくしは、初めて、わたくし以外の、神の声を聞くことの出来る御方に、お会いしました。しかも、優れた舞手でもいらっしゃる。鬼と龍の神は、わたくしよりも、あなた様を、神主により相応しいと、お考えになるやもしれませぬ」
 彼女の不安感はそれだったかと、総一郎は苦笑した。苦笑するしかなかった。それが、あり得ないという事実を、彼は、とうの昔に知っていたからだ。
「鬼と龍の神は、仰った。歴代の神官の中で、君は、額田王に勝るとも劣らない、素晴らしい巫女であると」
「本当ですか?」
「人は、誉められると、調子に乗る。だから、これは、秘密にしてくれと。……これ以上、神との約束を破ると、本気で怖い。俺から言えるのは、これだけだ」
「わたくしは、本来は、里人以外は決して参加することの許されない里の祭儀に、草間様を初めとして、たくさんの方を、お呼びいたしました。それが、村のためになると、考えたればこそ。ですが、その事について、神は何も仰っては下さいませぬ。お前の好きにせよと、そればかりなのです。わたくしは、言葉が欲しいのです。こうせよと、明確に、示していただきたいのです」
「信頼し、全てを任せているからこそ、何も言わないときもある。俺も、弟に、必要以上の何かを言ったことはない。人は、それぞれ、考え方も違えば感じ方も違う。その差こそが、面白いと、俺は思っている。神も、同じではないのかな?」
「神も……同じ」
「信じてやる必要がるのは、むしろ、君の方だ。不安になるのは、鬼と龍の神を、信じきっていないから……」
 弾かれたように、里長が、総一郎を凝視する。小作りな貌に、初めて、安堵の微笑が浮かんだ。
「そうですね。わたくしの不安は、他の誰のせいでもなく、わたくし自身の未熟さゆえ……」

「堂々としていればいい。いつも。どんな時でも。不安がる耳に、神の声は、遠のくばかりだろう」

 巫女が、ありがとうと呟いて、去った。
 歩き去る姿が、以前よりも、もっと大きく見える。不安を暴露して、何かが吹っ切れたのだろう。あるいは、ずっと、誰かに、聞いてもらいたかったのかもしれない。
「兄さん。あの子と何か話した? 急に元気になったみたいだけど」
 どこからともなく現れて、森之介が、首を傾げる。
「……誰にでも、迷いはあるということかな」
 兄は、明確には答えず、踝を返した。

「初めから、迷いも無い人間なら、鬼も龍も、彼女を、神官になど、選ばないだろう」





【もう一つのお祭り】

 村上涼の提案で、ある一つの計画が、こっそりと進められていた。
 村上涼を筆頭に、この面々、非常にノリがいい。一見おとなしやかな顔をして、遊び心満載なメンバーたちだ。涼は、うきうきと体も弾んで、手はずをじっくりとっくりと、説明した。

 一番の難事であるとある事柄を、快く引き受けてくれたのは、大神兄弟だった。
「それについては、俺たちがやるよ! な、兄さん」
 弟の言葉に、兄は苦笑するしかない。こんな嬉しそうな顔をして、やる気満々の森之介に、駄目だの一言をくれてやれるほど、総一郎は鬼でも悪魔でもなかった。
「わかった。出来る限りのことは、してみよう」

 次に、涼が白羽の矢を立てたのは、葛城樹とシュライン・エマ。
「二人にしかこれは出来ないわっ! これは、二人のための仕事と言っても過言ではないわよっ!」
「え、ええと。そういうのは、嫌いじゃないですし、手伝います。でも……材料が」
「材料なら、ここに唸るほどもあるじゃない。秋と春の、自然の実りが」
 シュラインが、周りをぐるりと見渡す。
「あ」
「頑張りましょう。葛城くん。腕の見せどころよ?」

 最後に、涼から説明を受けたのは、守崎兄弟。役目を聞いた途端、北斗の顔が、かなり引きつった。
「……すっげー危ねぇじゃねぇか。それ」
「落ちたら死ぬな」
 何故か冷静な、兄。弟に頑張ってもらおうと、腹黒いことでも考えているのだろうか。
「だいじょーぶよ! だいじょーぶ! キミたちなら死なないわ! あんな凄い戦いを披露してくれたんだもの。キミたちなら、マグニチュード8の地震に見舞われようが、チェルノブイリ並みの大爆発が足元に起きようが、プラズマレベルの落雷が脳天に命中しようが、死にそうにないわよ絶対! と、いうわけで、この役目はキミたちに任せた! 頑張るのよ! 兄弟!」
 高らかに笑う村上涼の前で、二人に、選択の余地は無かった……。



 準備には、丸々一日がかかった。
 里一番の高さと古さを誇る神木のそびえる丘近くに、深夜、村人全員が集められた。
 一体何事かと、村人たちは目を丸くする。
 祭りは終わり、他には何も行事は無い。当たり前の日々の生活に、彼らは既に戻っていた。
 
 丘近くには、テーブルと椅子が並べられていた。テーブルには白い布が掛けられ、花が飾られている。
 樹とエマ、それに、里長を初めとする数人の村人の手によって、料理が運ばれてきた。ローストチキン、ローストビーフ、スイートポテト、ポタージュ、野菜のキッシュ……等々。外界では珍しくはないものの、鬼龍の里では、馴染みの薄い料理ばかりである。
 それに、真打登場とばかりに、どんと目の前に置かれた、木苺のケーキ!
「これは、一体、何のお祭りなのですか?」
 里長が、涼に聞く。
 涼がぱちんと指を鳴らすと、会場の端に置かれた篝火が、勢いよく燃え上がった。
「外の世界の、それはそれは霊験あらたかなお祭りなわけよ! みんなで食べて飲んで騒いで、ついでにプレゼントを交換して、早く寝る良い子には、サンタクロースっていう爺さんからの贈り物まであるのよ! ちなみにケーキを食べるのは基本中の基本よね!」
 涼の説明は、微妙に自分に都合よく端折っている。確かに嘘ではないのだが……………これを頭っから信じてもらうのも、何気に怖い気がすると、少々複雑な表情の樹とシュラインだった。
「まぁ、楽しいのが一番よね」
 せっかく飾り付けしたんだし、と、シュラインが丘の上を仰ぎ見る。春と秋しかないはずの村に、ちらちらと、雪が、降り始めていた。

「やっぱり、雪があった方がいいよね」
 大神森之介が、兄を振り返る。丘の上の神木の下に立ち、兄と二人、村を眼下に見下ろしていた。
 霊刀の力を少しばかり借りて、村に雪を降らせたのは、彼らだった。特別な手品を用いたわけではない。村に満ちる鬼と龍の力を、一時的に、神刀で遮断したのだ。本来の冬の気候を取り戻せば、雪が降るのは道理であった。
 神木の上の方でゴソゴソと音がして、もう一組の兄弟が木から降りてきた。地面に付くと同時に、ああ疲れたと寝転がる。守崎兄弟が、今回、一番の割を食わされていた。この馬鹿みたいに巨大な樹木の飾り付けを、たった二人で担当していたわけである。
「……ったく。人使いが荒いったら!」
「でも、喜んでいるみたいだ。村の人たち……」
 啓斗が、急ごしらえの会場を眺めやりながら、ポツリと呟く。兄貴は人が良すぎる!と弟は思ったが、丘の上までも村人たちの歓声が聞こえてくると、全てがどうでも良くなった。
 頑張った甲斐があったかなと、素直に嬉しくなる。結局、守崎兄弟は、そろって人が良いのだろう。
「ところで、鬼と龍の力を遮るなんて、あんたたちの方こそ、大丈夫なのか?」
 北斗の問いに、総一郎が、答えた。
「鬼と龍の二つ神は、本当に、心から、この村を好いているようだ。村の民が喜ぶのであれば、我々の力を一時受け入れるのも、苦ではないと、仰って下さった」
 北斗が、目を見開く。
「あんたは、鬼と龍の声を聞けるのか?」
 総一郎は、曖昧に微笑んだだけで、答えない。それ以上突っ込むのも野暮なことかと、北斗も追求をやめた。
 ここには、確かに、鬼と龍が居る。それがわかっていれば、十分だった。
 大神家の弟が、守崎家の兄に、話しかける。どちらの家も、弟の方が、人懐こいようだった。
「世界で、一番大きな、クリスマスツリーかもしれないね」
「数千年を生き抜いた、神木の縄文杉の、クリスマスツリーか。もう二度と、見られないかもしれないな」

 丘の下から、村上涼が、四人の舞手を呼んだ。
 樹とシュラインが、村人たちの手に、急ごしらえにしては随分と出来の良い葡萄の酒を、配って歩く。
 里長の少女に葡萄酒を渡すと、涼は彼女をステージ代わりの壇の上に引っ張って行った。
「このお祭りではね。必ず言わなければならない言葉があるのよ。それは、やっぱり、里長さんの口から言ってもらうのが、一番なのよね」
「な、何を言えば良いのですか?」
「たった一言。すっごく簡単だから、そんな緊張しないで大丈夫だって」
 涼が、飲み物の入った陶の器を高く掲げた。ガラスが無かったので、陶器で代用したのだが、これもなかなか趣がある。
 里長が、同じく器を掲げた。随分と緊張しているその耳元に、涼が、囁いた。



「ちょっと微妙に早いんだけど。とりあえず、Merry Christmas!」





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま) / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0381 / 村上・涼(むらかみ・りょう) / 女性 / 22 / 学生】
【0554 / 守崎・啓斗(もりさき・けいと) / 男性 / 17 / 高校生(忍)】
【0568 / 守崎・北斗(もりさき・ほくと) / 男性/ 17 / 高校生(忍)】
【1985 / 葛城・樹(かつらぎ・しげる) / 男性 / 18 / 音大予備校生】
【2235 / 大神・森之介(おおがみ・しんのすけ) / 男性 / 19 / 大学生 能役者】
【2236 / 大神・総一郎(おおがみ・そういちろう) / 男性 / 25 / 神想流大神家時期家元】

お名前の並びは、整理番号順です。
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■         ライター通信          ■
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ソラノです。守崎啓斗さま、北斗さま、葛城樹さま、大神総一郎さま、森之介さま、初めまして。
シュライン・エマ様、村上涼さま、いつもお世話になっております。
まずは、すみません。長いです。あり得ないくらい、長いです。しかも、当初の予定を大幅に上回り、なんと総数七名様。
少数募集の話はどこへ……。がくり。
聖なる祭り、なんて嘯いておいて、結構バトルしていたりします。兄弟対決、もう楽しくて楽しくて……げふんげふん。
エマ様と葛城様には、唄の方で頑張っていただきました。お二人の楽譜が鬼龍の里に残ります。
それから、涼さま。まさか剣で戦っていただくわけにもゆかず、もう一つのお祭りイベントで真価を発揮していただきました。
来年からは、クリスマスパーティーが鬼龍の里に加わりそうです。

それにしても、本当に長い話になってしまいました。
全部読むのは苦痛だと思いますので、自PCさんのシーン以外はすっ飛ばすのも手です。

では、また依頼文でお目にかかれたら、嬉しく思います。